汚泥に沈み込む前に(論考2015-⑫)2016/01/06

*以下が「論考2015」の最終回です。

 パリの風刺週刊紙シャルリエブド本社などが襲撃されたニュースで明けた今年は、再びのパリ襲撃の余波のなかで暮れようとしている。世界は過激派組織「イスラム国」への空爆で慌ただしい。

 ▽全人類の敵

 エジプトでのロシア機墜落を「イスラム国」のテロと断定したロシアがシリアで爆撃を始め、パリ襲撃後はフランスも攻勢を強める。慎重派の英国も加わった。トルコ軍機によるロシア軍機撃墜もあり、シリアやイラクをめぐる混迷は深い。その陰で「最悪」の底を踏み抜くようなパレスチナの民衆弾圧はほとんど報じられず、欧州連合(EU)に殺到した数百万人規模の難民も、寒さのなかに置き去りの様相だ。

  「テロとの戦争」を率いる米国のオバマ大統領は、パリ襲撃の直後に「普遍的価値を共有する全人類への攻撃だ」とする声明を出した。だとするなら、世界はいま「人類の敵」との戦争に向かっていることになる。

 その「戦争」が守ろうとする「文明世界」では、自由主義経済の美名のもとで多国籍企業の群れが巨大な権力をもつ。

 人類は昔ながらの農耕に替え、遺伝子組み換えで効率的、工業的につくった食品を摂取し、薬品やサプリメントで「健康」を保ち、先端医療で病気を撲滅して寿命を延ばそうとする。人口増加や高齢化の問題は、「文明を享受すべき者」と「死ぬべき者」を経済で選別することで解決される。後者は戦場や飢餓や感染症の現場に送られ、情報技術(IT)で快適に保たれた「安全保障」のカプセルの中で富裕者が安らぐ。それが近未来図だとしたら「文明」とは何と倒錯的なことか。

▽文明が倒錯

 折しもパリで開かれた国連気候変動枠組み条約第21回締約国会議(COP21)で、有効な合意ができなかったのも、ある意味で当然だ。なにしろ主要国である米国の代表は、米国を牛耳る集団の、つまりは多国籍企業群の利害を代表している。その企業群が他でもない「文明」の推進役なのである。

 その担い手たちは目先の業績しか考えず、将来のことなど眼中にない。その権利を「自由」の名において主張し、公的な規制に公然とあらがう。抗議する人びとを「テロリスト」呼ばわりする。だが、実際に全人類や次世代のことを考えているのは、権力をもたない市民たちの方なのだ。

 「価値を共有する」と安倍晋三首相は言う。その相手は「文明」の担い手たちなのだろう。その価値を守る「テロとの戦争」には終わりがない。そのため「戦時体制」は恒常化する。それは国内統制の最も容易な手段でもある。「安全保障」の大義を掲げる政府が国民・市民の「自由と民主主義」をまるごと吸い上げていく。

 温暖化対策やコストの問題があるから原発はやめられない、と安倍政権は言う。だが人間のコントロールできない放射能を生む原発は最悪の公害源でもある。汚染物質は化学で処理できても、放射線被ばくは無害化できない。それでも巨大な利権と核兵器製造の潜在能力を保つために、原発に固執する。

 ▽現代の危機

 「棍棒での決闘」と題するゴヤの絵がある。土中に足を埋めた2人の男が殴り合う。フランスの哲学者ミシェル・セールは、この絵が現代の危機を示していると解釈した。闘いが熱を帯び、観衆が熱狂するにつれて足元がぬかるみ、いつしか誰もが身動きできず、泥土に沈み込んでいく…。

 これは「文明」と自然との闘いであり、人間同士の闘いでもある。その決着がつく前に、闘いの枠組みそのものが崩れてしまう。科学技術の野放図な発達やグローバル経済の専制によって、人類はそのような抜き差しならない状況に至っているというのだ。2015年の世界が「戦争」の気配を醸しているとするなら、セールの寓意は、ますます現実味を帯びていると言わざるをえない。

 そして日本ではいま、「政治」の枠組みが崩されようとしている。戦争は政治の破綻から起こる。「戦争」に向かって身構える日本、「戦争」へとなだれ込む世界、この流れを食い止めるには、まずはそれぞれの国の「政治」の回復が欠かせない。そのための努力を惜しむようなら、私たちは汚泥に沈んでいくことになるだろう。

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