「戦後レジーム脱却」の茶番あるいは惨劇――現代日本の政情2017/07/14

 『図書新聞』の提案で6月14日に木下ちがや氏と日本の政治の現状について対談を行った。それが本日発売の同紙(7/22、3312号)に掲載されている(1面で頭出し、続きは7面)。
 
 木下氏が今年前半の国会論議を軸に起こったことをコンテキスト化して概括批評するのを受けて、わたしは安倍政権の特質を最も分かりやすい形で描き出してみた。

 権力の私物化を当たり前とするような悪人どもの私党が国家中枢に居座り、官僚・警察・メディアを抱え込んでやりたい放題をやっている。政策を勝手に使って仲間内で国有財産山分け、民主主義国家に黄門様がいないのをいいことに、仲間の犯罪まで警察を使って握りつぶす。「数」の力と言われるが、その「数」の中身たるや、自分の妄想に尻尾を振る際物ばかり集めるから、欠格議員続出、大臣もトンデモ大臣ばかり。どんな大臣も据え置いて任命責任もとらない。
 
 以下は紙面を参照していただくとして、論の展開の大筋だけを呈示しておきたい。
 
 安倍の看板は「戦後レジームからの脱却」だが、「戦後レジーム」は一国態勢ではなく、「世界戦争」の帰結としての世界の要請。日本の敗戦によって否定された旧体制を、グローバル化の下、アメリカに再身売りすることで「戦後レジーム」を否定し、外交のない一国軍事化妄想に邁進する安倍政権。
 
 それは明治以来の日本の国際秩序への統合・参入とその「非劇」を、戦争知らない世代が「夢よもう一度」となぞる「二度めの茶番」。だから、「国家のへ献身」を謳い、「国民の奉仕」を求める連中が、実際にやるのは権力の私物化と自分たちの「楽園」作りだということが、森友・加計騒動であからさまになってしまった。そこから考えてみると、「国家主義」なるものは、ほんとうに国家第一に考えているのではなく、そういう体勢を国民に強要して、自分たちがその国家・国民の上に胡坐をかこうとする連中の考えることだということが明らかになる。
 
 改憲論議も何も行き着く先はそこ。それを言いくるめるのが「オルタナ・ファクト」「フェイク・ニュース」、そして「ポスト真実」の政治。そんなことまで安倍政権はさらけ出した。
 
 だから課題は、どんな政策論議でもない。こんな連中に政治を任せてはいけないということ。先には破綻しかない。「茶番」の破綻は目も当てられない。どんな政権でも(かつての民主党政権でも)これよりはずっとまし。少なくともまじめに国政を考える者たちの政府を作らなければならないということ。その政治の基本は、国内・国際あらゆるレベルで他者がいることを前提にした地域共同の生活、人びとがまともに生きていける体制の整備。そのための経済・外交etc.。少子高齢化が現実としてありながら、国のために死ぬことを要求するような政治は始めから失格だ。