岡本太郎とジョルジュ・バタイユ2020/02/10

 去年夏、岡本太郎記念館の平野暁臣さんに頼まれて、パリ時代の岡本太郎を想起して彼にとってアートとは何だったのかを考えるために、太郎が深く関わったジョルジュ・バタイユについて三・四時間レクチャーをしました。もとは、関根光才監督が『太陽の塔』を作るとき、素材として三時間ほど話をしたのですが、そこに平野さんも立ち会っていて、その時の印象が強かったらしく、もう一度やってくれというわけです。

 わたしも、最近は誰もバタイユの話などしないし、自分でもまとまったものを書いたこともなかったので、お役に立てるなら、と引き受けさせていただきました。平野さんのご質問に答える形で、岡本太郎を魅了したバタイユについて、あるいは彼が生きていてた当時のパリの知的状況について、わたしの想念の中にあるエッセンス――見てきたような鷲掴み――をお話ししました。わたしにとってもとてもよい機会になりました。それがほぼ全文書き起こされて、今、岡本太郎記念館のホームページの「Play-Taro」というスペースに掲載されています。よろしかったら覗いてみてください。わたしの本職(ほんとうの顔?)の一端です。

http://playtaro.com/blog/2020/01/06/osamunishitani1/?fbclid=IwAR2fK5IKudxO1oVAWpXrAG4mEv5Qeb8ydRCIba2JpGaaPe84gf_DL8u93HI

 また、若い関根監督の『太陽の塔』もたいへん濃密な力作です。現代アートを考えるうえでもこのうえなく刺激的です。