★「緊急事態宣言」をめぐる綱引き2020/04/06

 日テレは伝えている「6日にも緊急事態宣言の準備入りを表明する見通し」。何とももってまわった見出しである。

[特措法]
 政府は、医師団体や自治体首長らの要請にもかかわらず、宣言を出し渋っていた。コロナウイルス危機を受けて、自民党内から「緊急事態条項」のテストとせよといった意見が出る一方、民主党政権時代にインフルエンザ特措法がすでに作られていたことに気づき、アべ政権はただちに(この対応は迅速だった)この特措法の改正案を通した。その流れからすれば、オリンピックの延期が避けられなくなったら、すぐにでも緊急事態を宣言するのではないかと思われたが、東京都の小池知事はその気でも、政府にはその気はないようだった。特措法を急遽持ちだしたのは、野党を協力に抱き込み、「桜を見る会」の追及と「黒川人事ごり押し」を後景に斥けるためだったということだ(事実そうなっている)。

[宣言の綱引き]
 緊急事態宣言を出すと、国が危機的状態にあることを政府が認め、社会活動を停止させることになるため、その経済的影響(さらにはオリンピック準備への影響)が大きいことと、社会的補償が避けられなくなることを嫌っているようである。株価はすでにアベノミクスのバブル分を切り、天井を抜いて増やした日銀保有株が原価割れしており、日銀がもつかどうかわからない。つまり金融危機が避けられないのだ。
 
 それでも、東京都知事や大阪府知事が「宣言」を早く出せと言っているのは、「医療崩壊」が目前に迫っているからだろう。医療崩壊とは、感染の拡大が医療体制のキャパシティを超えて対応ができなくなってしまう状況を言う。東京都では当初、感染症対応の病床が110余りしかなかったが、今は1000床余を用意しているという。しかし感染者はすでに1000人を超えた。だから指定感染症にもかかわらず、すでに軽症者は入院隔離することができない。そのためにホテルを借り上げる準備をしているという。。だからもう政府が宣言しようがしまいが、事実上「緊急事態」だということだ。
 今、4000床規模に拡大するため、特定医療機関を中心に感染症病棟、ICU病床を臨時で増やすよう要請しているようだが、そのためには医師・看護師他の人員がいる。その結果どうなるかと言えば、現在行われている医療や外来・救急対応ができなくなるということだ。

[何ゆえの医療崩壊]
 なぜこういうことになるのか。そんなに簡単に「医療崩壊」が起きるのか。理由ははっきりしている。ここ十年以上(3・11の後でも)、東京も、とくに大阪は、行政の無駄を省いて「公共部門」を絞り上げ、経営意識で効率化するという「改革」を進めてきたからだ。いわゆる「新自由主義」改革だが、公立病院のベッド数や医療・保健師数の削減を進めてきた結果、現場は逼迫し疲弊している。その結果、人口の多いこれら大都市では「無駄」と見なされた感染病病床が異常に少なくなってしまった(人口10万人当たり島根は4.4だが、東京1.0、大阪0.9)。
 
 これについては、国も同様の方針で、経済財政諮問会議の提言の下、昨年10月末には厚労省が400の病院名を公表し、「病院や過剰なベッドの再編は、公立 公的病院を手始めに、官民ともに着実に進めるべきだ」と提言、アベ首相自身が「持続可能な地域医療体制を構築するため(?!)…、病院の再編とともに、全国でおよそ13万床あるとされる過剰なベッド数の削減などを着実に進めるよう」加藤厚生労働大臣らに指示している。
 
[ここにある緊急事態]
 その結果とも言えるが、4月1日に日本集中治療医学会は理事長声明を出し、日本の集中治療体制(ICU)は脆弱といわれて惨状を呈したイタリアと較べても半数以下で、感染爆発が起きた際は、医療崩壊が予想よりも早く起きると警告した。要するに、日本の医療水準は、技術的にはともかく、社会的には「世界有数」どころかきわめて貧弱なものになっていたのである。
 3月30日は年度末だが、小池知事はこの時期にも、都立病院を「不採算部門」として都の直営から外す決定をしたという。
 
 日本で新型コロナウイルスの感染検査が進まない(進まないどころか、できるだけさせない仕組みがあり、症状があって医療機関に頼んでも、保健所に回され、条件に合わないからと検査してもらえない、というケースをよく聞く)。その根本の理由は、感染症の医療体制があまりに貧弱化しており、検査を促進して感染者数の実数が増えると、イタリアの半分以下という現在の医療キャパシティがすぐに決壊してしまうからだろう。
 
 だからもう、事実としては、今回のコロナ禍が始まったときから日本にとっては「緊急事態」だったのである。そう言ってよければ、この間アベ政権が進めてきた医療政策の結果にツナミが押し寄せたのだ。。原発事故と同じ構造である。

[政府の宣言より、非政府の要請] 
 まともな政府、信頼してよい政府なら、あるいはニュートラルな行政府と見なせるなら、ただちに非常事態を宣言し、中国が武漢でやったような、臨時の大病院の早急な用意と、医療態勢の緊急構築等々で対応するのがよいだろう。しかし、今の日本政府・アベ政権は、アベノミクスやオリンピックに拘泥して必要な対策を何ら取らず、従来路線の今年度予算案は修正なしでいち早く通す一方で、南西諸島の軍事化は着々と進め(昨日は宮古島ミサイル部隊の編成完結祝い)、沖縄辺野古の新基地建設も日々進めることだけは(ようやく計画を陰で変えたようだが)やっているのである。これもオリンピック同様、決めたらできないとわかってもやるインパール作戦のようなものだ。
 
 そんな政府に対して、緊急事態宣言、つまり行政権の拡大を要求してどうなるのか。仮にそうするとすれば、その拡大された行政権を政府外の力が担わなければならない。先週のNHKスペシャルで、京大の山中伸弥教授が、「飲食店の営業を止めるなら、補償が必要。英国の友人は2週間前から休業しているが、先日政府から300万円振り込まれ、従業員給与も8割が補償、法人税も1年免除」と述べ、尾身氏が「施設の使用制限と補償はセットでないと実効が上がらない。政治決断が必要」と応じたそうである。このような要請が、確実に反映されなければならないということだ。

[何の危機なのか] 
 今回の新コロナ危機は、たんに医学的問題というだけでなく、現代の社会生活を成り立たせている、あるいは社会経済的活動を担って生活している具体的な人びとを襲うわけで、まさにそれが、新自由主義経済では効率計算によって切り捨てられ、「社会」として抹消されてきた部分なのである。イギリスのボリス・ジョンソンはみずから罹患することで、「社会は存在する」ことに気付いたと告白したが、今回「社会」は病むことでその実在を浮かび上がらせ、それへの手当てを求めている。そしてそれなしに、国も人間の共同体も成り立たないということが明らかになったのだ。
 
 ついでに述べておけば、感染症の専門家山本太郎氏(『感染症と文明』)や生物学者の福岡伸一氏(朝日新聞の4/3のコラム「動的平衡」)が言うように、人間はコロナウイルスを「敵」とすることはできない。コロナウイルスによって人間が遭遇する「災い」に「戦争」の比喩を用いたときから(よく言われる「コロナとの戦い」)、その対応はさまざまな政治的力学に巻き込まれ、混乱に紛れてしまうのだ。