観光業と感染(インバウンドと消費資本主義)2020/05/29

 日本政府はコロナウイル禍で落ち込んだ経済の「V字回復」のためにいくつもの手を打っているが、なかでも目立つのは「自粛明け」の「観光促進」である。最初は近隣、次いで国内、やがては海外旅行も対象になるのだろうか。国民全体を対象に、何にでも充てられる支援金よりも、旅行にしか使えないクーポンを配るともいう話も出ている。あの二枚のアベノマスクのように。そればかりか、夏からは日本に来る外国からの観光客に旅費の半額を援助するというキャンペーンがすでに国外で始まっているという。旅行クーポンはコロナ疲れの国民慰労のためではないのだ。

 思い出されるのはオリンピックの経済効果として語られた「インパウンド」という用語であり、コロナ禍の前までこの耳慣れない用語が新手の打出の小槌のように振り回されていた。そして思い起こすのは、「自粛」保障の支援金を政府が出し渋るときあの目障り耳障りな老財務大臣が「消費に回らなければ意味がない」と言ったことである。

 「消費に回らなければ意味がない」、ここに近年の日本の経済財政運営の要所がそのまま言い表されている。この十年来の課題だった「デフレ脱却」も、金を市中に流して株価を吊り上げてきた「金融緩和」も、もともとは「消費喚起」で循環を作りだそうとしたものではないのか。本来なら所得再分配によって消費者に余裕を与えることで消費は喚起され、それが産業を牽引し経済を活性化することになると考えるところだが、詰まったこの回路に目をつぶって「消費喚起」だけで自己目的化している。それで経済を動かせると考えるのが、金融措置に頼るいわゆる自由市場経済の胴元たちなのだ。胴元、まさに賭場である。
 
 では、観光業とは何なのか、それを考えておきたい。あらゆる災害復興でもまず第一が「インバウンド」、観光往来誘致。だが、日常と地続きでは、思い起こすのは2012年のゴールデン・ウイーク初っ端に起こった「関越高速バス事故」だ。そしてさらに面倒な沖縄首里城再建…。ここでは、『越境広場』に寄稿した文章から、「観光と感染」と題して書いた部分を挙げておきたい。
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 今回のコロナウイルス禍は、無制約な人びとの往来を牽制することになった。それによってもっとも打撃を受けたのは観光業だ。観光業は基本的に人を移動させることで成り立っている。モノを作りだすこと(生産)に依存しない、消費だけで成り立つ「産業」あるいは「営業」のアレンジである。

 まず「観光地」を設定する。何らかの名所でも、自然の景観でもいい。そこに行きたい立ち合いたいという欲望をさまざまなPRで喚起する。それに「感染」して人びとが動き出す。受け入れ宿泊施設と、来訪者に来訪価値を与える娯楽遊興や記念品・土産物業が盛んになる。そして道路整備やツアー会社、やがて空路を使っての海外からの旅行パックが買いやすい「商品」を作り、そのすべてが観光業としてのセクターをなすことになる。

 そこに「生産なき消費」が生れる。金が落ちる。誰から? 訪問客から。彼らが観光業の「消費者」なのだが、この消費者たちは自分でこの場まで移動してきて、ここで「資源」を味わって滞在消費し、そして帰ってゆく。その全行程が接客事業化され、自然の「資源」やそれへのアプローチを可能にするあらゆる「サービス」が商品化され、大きく市場が拡大されて「消費」を生み出し、経済が成長したことになる。

 この経済は何も生み出していない。ただ、人の移動を作りだすことを「営業化」して「消費」を生み出している。そのとき「消費」される財とはどこから来るのか? 人びとが他の経済活動に従事して得た収入である。あぶく銭を稼いだり金利で生活する者たちは別として、もっと多くの人たちが働いて得たものをもう一度吐き出させる。市場がそれを再回収するのだ。

 こういう経済サイクルは、産業の製品が人びとの「必要」を満たして行き詰ったときから始まった。今度はむしろ「欲望」を喚起して「消費」を促すことで経済成長を可能にするというサイクルに入った頃からだ。その頃(一九七〇年代後半)、ユネスコが世界遺産の登録を組織化し始める。そしてその認定を基準に、その「資源価値」へのアプローチを「サービス」として組織化するグローバルな観光業が組織されるようになった。空路の開発が見えるネットワークだとすれば、デジタル情報化のネットワークがそれを重層化する。それは行き詰った資本主義の離陸の一手、「消費」そのものを動力とするヴァーチャル産業化の一手だったと言える。いわゆるビジネスの人の移動も、ツーリズムのためのインフラ整備発展(とくに世界の航空サービス網)の中に紛れる。
 
 パンデミックはどこから生じたか。ひとつには人間の経済活動がその生存域を広げ、生態系の境界を崩していることが、未知のウイルスとの接触機会を招いているという事情があるようだ。そして人間の生存域に入ったウイルスは、グローバル経済のインフラであると同時にその目立ったセクターでもある観光ルートが世界的拡散の回路となった。

 だから、最初にパンデミックの犠牲となったのは、観光業なのである。というのは、未知の疫病の感染拡大を防ぐには、まずこのルートを遮断するほかないからである。観光業はこの人の移動によってのみ成り立っている。だからそれを遮断されるとひとたまりもない。

 日本の場合はこの構造にオリンピックが重なっていた。オリンピックとは何か?これはスポーツ競技というメディア・イヴェントを「目玉」として呼び寄せて、一時的な(あわよくば記念碑を建てて多少は長続きする)しかしインパクトのある観光業(むしろ客寄せ興行)を組織することである。そのことを政府は「インバウンド」による経済牽引とか、オリンピックの経済効果とか言う。それが経済成長の頼みの綱だったため(そして政治家や財界にとっては利権を貪る好機だったため)、日本はパンデミックの危機に際して手を打つのをためらったということだ。