デジタル化の津波に備える2020/09/27

見よ、同胞よ、春はきた
大地は太陽の抱擁を受け、やがて
この愛の実りが見られるだろう。
種たちは芽生え、生き物も活気づく。

この神秘の力に、我らの生存も負っている。
だから我らは隣人たちと、近しい生き物たちとも、
この大地に住むという我らの権利を
等しく分かち与える。

ところがだ、皆の衆、聞いてくれ
我らは今、違う種族と関わり合っている。
我らの父祖が最初に出会ったときには
彼らは小さく弱かったが、今では大きく尊大である。

かなりおかしなことに、彼らは土地を耕すものと思いなし、
所有する愛が、彼らのもとでは病気のようである。

あの連中は、さまざまな規則を作って、
金持ちはそれを平気で破れるが、貧乏人はいけないのだ。

彼らは貧乏人や弱き者らから税を召し上げ、
統治する金持ちたちを養うのにつかう。

彼らは我ら万人の母なる大地を、
自分たちだけに用立てる権利があるとい立て、
隣人を柵で締め出す。彼らは大地を、
自分たちの建造物や自分たちの汚物でだいなしにする。

このナシオン(国人)は、みずからの床から溶け出した
雪の奔流のように、行きすがりのあらゆるものを破壊する。…


シッティング・ブル(タタンカ・ヨタンカ)1875年の訓話から

----------------------------------------------

「アメリカ」と呼ばれる世界の急速な建造によって潰えていった「旧種族」の残した最後の言葉のひとつである。二世紀半にわたるその抹消は一九世紀末に完了する。
いま、このような言葉を想起するのは、失われた「古き人の世」を懐かしんで慰むためではない。このように「私的所有愛」の奔流が一世界を消し去った後の近代の「人の世」を、大津波が(日本だけではない)、そして新たな疫病が襲ったことを口実に、デジタル情報化の津波が世界を塗り替えようとしている。「人新世」の大津波か?そこからの「出口」を望見するとき、長期を考えるなら、われわれはこうした声の痕跡に耳を傾けなければならないということだ。
「文明世界」に「異族=エーリアン」として抹消されていった彼らは、「国人」の風習の異様さを見ていたが、百五十年後の「文明化」した日本でも、その風習は輪をかけて進んでいる。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック