「ハルマゲドン」後に備える想像力を2021/07/18

 五輪開幕まであと5日、専門家こぞっての予想どおり、ここ数日間の急激な感染拡大(17日発表1400人)を受けて、政府筋は世論を五輪批判に向かわせないよう躍起なようだ(NHKも一生懸命やっている)。バッハは「大名移動」で嫌がられるのを押し切って広島に行き、各国選手たちも続々到着するが、「バブル方式」密閉がザルだと知られてもすぐにバスで選手村やさらには地方都市に送り込み、一方、受け入れ施設(ホテル)はこの期に及んで組織委からの指示も急でかつ不明確。どうやらロジ運営を仕切っているはずの組織委自体が、混乱状況のなかで上から勝手で不十分な指令だけ受け、もうパンク過労死状態なのだろう(好意的にみて)。
 
 「世界の叡智を結集、安全安心なオリンピックを実施」(しないという選択肢はない!)して「コロナに打ち勝つ」証しとする「2020東京五輪」(すでに年号ごまかし)。7月12日から8月22日まで「緊急事態布告」はその不退転の枠組みとして打ち出された(しかし観客を入れるかどうかは自治体判断)。

 だから、オリンピックは「安全安心」な態勢でやる。かつコロナは終息のために全力を尽くす。その二つは、ひとつのものとして設定されている。オリンピック強行が日本のコロナ禍をとめどなくするという発想は排除している(じつは初めから、「経済=利権」オリンピックを優先してきたから、コロナ対策--医療的対策と社会支援対策--がズブズブで、政府の施策が不信を買い、「宣言効果」もなくなって、波がますます大きくなる。

○コロナ禍下のオリンピック作戦

 コロナ対策(感染拡大防止)でとりわけ飲酒飲食を抑えようとして、カネと権力で干上がらせるという禁じ手を西村担当相が公然持ち出しで反発を買い(オリンピック・人集め祭は国際規模でやるのに、なぜ仲間飲食がいけないんだ!)、慌ててそれは撤回して、ワクチン加速にシフトしようとしたが、同じ頃、「安全安心の五輪」の雰囲気づくりのための「ワクチン加速」が、自治体や業界団体を急がせながらじつはワクチン供給が間に合わないという破綻が出て(英米製薬大手に回してもらわなければならない)これもヤブヘビ。そこでいまや、最近の感染拡大の要因として、若年層がすすんでワクチンを受けない、ネットのデマに流されている、だから政府もネットで直接発信、報道機関も広報流して、ワクチン接種を啓発せよというキャンペーン。

 そこでも、オリンピック実施自体、がコロナ感染抑制への協力には「間違ったメッセージ」(政府・都)であることを隠しとおす。オリンピックがやれるということは、①コロナは大したことはない ②国境越えの人流(抑えても10万人)や集団的熱狂も大丈夫 ということだが、そこへIOCという組織が会長バッハをはじめ成りあがりマフィア集団だということが露呈、それにも目を瞑ってオモテナシしなければならない(もともと招致が買収なのだから、今さらそれは言えない)。しかし、それがあからさまに見えてしまうから国民(とくに業者たち)は、何でオレたちを締め上げるのか、と反発する。
 
 中小業者だけでなく、派遣プレカリアート(「自由業者」とみなされる)の個人はもうすでに去年以来(その前から)いいように切り捨て放置されている――可視化されない重症患者のように(その困窮効果でコロナ明けのフーゾクは楽しみ、なんてラジオで言った芸人は、まだNHKの元人気番組に出続けている)。

 それには触れず横を向いて、今度はネット浄化と政府配信広報を押しつけるという。いまの状況の最大の問題は、この何でもジミントウ社会でさえ菅内閣支持率20パーセント代に表れているように、政府のやることなすこと(行政全般)にまったく信用されなくなっているということなのに。

 政府筋の言う「若者たち」がネットのデマに乗ってワクチンを受けたがらないのが多い(公式の報道を見ない、受け入れない)としたら、この間の教育行政があらゆる手を使って、社会的に必要なことを教えない、まともにものを考えさせない、そんな教育を執拗に続けてきた「成果」だし(すぐお上を批判するはサヨク、自己責任が自由のあかし…、政治などのせいにせず自分はスキルと才覚で儲ける…、できないのは自分が悪い…)、そこで泳ぐ側に回れなかった者たちにネット・デマやヘイト煽りで働きかけてきたのは自民党広報部。その親玉が今はデジタル化相だ。そんな態勢の下で、政府の言うことを信用せよと情報を直接配信するなどと言うのは、自分たちの狙ってきた(そして他国がやると鬼の首でもとったように批判する、民主的でないと)国民情報コントロールを、居直ってごり押しするようなもの。
 
 あまりにメチャクチャでごまかしだらけだから、腑分けして大づかみに説明する(民主主義の危機とかいった「学問用語」に頼らずに)のがたいへん面倒だが、それでも。

○「ハルマゲドン」後への想像力

 オリンピック強行(だけではなく、それを期限付きの目標にしたこの間の日本の政治全般)に多くの人が「大本営下のインパール作戦」を重ねているが、そのとおりと言わざるをえない。だが、「先の大戦」の場合には「鬼畜米英」という「敵」があった。そのため、為政者も「敗戦」を認めざるを得ず、その後に「占領軍」が入ってきて強制的な権力構造の変更があった。それは戦争態勢に引きずり込まれた国民にとってはむしろ「有り難い」ことでもあった。
 
 ところが、今度の場合、オリンピックが某IOC委員がつい漏らしたように日本の「ハルマゲドン」であったとしても、今度は為政者(選挙で選ばれた「国民の代表」などと言わせないためにはっきりこう言おう)に「敗戦」を認めさせる者がいない。空襲・原爆・軍崩壊・焼野原のあと、いまの為政者たち(政治家・官僚その仲間)はこの「焼野原」を、「世界から称賛された日本の偉業の証し」とか言い募るのだろう。そして、その後のコロナ猖獗(五輪カクテル株)を「必要な尊い犠牲」と祭り上げ、総選挙に打って出て「世界に冠たる日本」の政権を担う党選び、とやるかもしれない。
 
 そのときのスローガンが「中国脅威」だ。コロナ禍制圧がうまく行かなかった(そして多くの犠牲を出した)のは、憲法に緊急事態条項がなく強制力ある発動ができなかったから。それではこの「中国脅威」にも対抗できない。だから憲法改正!と。
 
 結局、「戦争(焼野原)」責任者たちが、「敗戦」を認めることなく、逆に更なる権力(焼野原にする力)を要求する。それが「ハルマゲドン後」の光景だ。
 
 じつは、彼ら(現在の為政者たち)にとっての「敵」は英米などではない(とりわけアメリカは彼らの雨傘雨ガッパ、身を寄せる庇だ)。「敵」は国内の「あんな人たち」、言うところの「反日」勢力である。「あんな人たち」と指差されるのは、日本が「こんな国」になってしまうことに抗議し、世界に受け入れられまともに尊敬される国になってほしいと思っている。そういう人たちは自分たちの統治権確保の邪魔だから、「あんな人たち」と指弾して排除する。そんな倒錯した玉を担がないともたないのが今の自民党だ。だから、いま彼らが「戦っている」その「敵」は「日本国民」なのである。だから「敗戦」は認めない。権力は手離さない。むしろそのような「国民」排除の上で権力を保持しようとする(小池も「排除します」)。
 
 そのとき、彼らが持ちだすのが「中国の脅威」だ。五輪で金メダルをたくさんとり、「国威発揚」「国民高揚」、それを脅かしているのが強大化した中国だ(たしかに中国にも権力闘争があるが、権力者がわれわれの向き合わねばならない「中国」なのではない)。明治以来日本は「脱亜入欧」、中国アジア蔑視で自らを別格(名誉白人?)として振舞ってきた。今は折よくアメリカが、中国の歴史的台頭を許せず、「絶対的敵」として新たな「冷戦」(いや、きわめて溶けやすいが)を構えようとしている。そして「中国包囲」をコロナ明け世界の基本戦略として打ち出そうとしている。それをもっけの幸い、「白人」たちは日本の「オリンピック作戦」を冷笑的に見ているが、先兵になるのなら使ってやろうと、「ハルマゲドン」明けの日本を受け入れる。そんな流れで、歴史否認・嫌中・嫌韓ヘイトを基調にした現在の為政者の姿勢が、グローバル世界秩序のなかで場所をもつ。そしてハルマゲドン明けには、その姿勢が公然政策ベースとして打ち出されることになる。

 地獄は二重三重にある。安倍政権が最悪と思っても、そうではない。今度は「底」がないのが明らかだから。
 
 オリンピックはもはやできてもできなくても「失敗」――やればコロナ感染止めどなし、できなければその時点で、すべて(権力私物化、国税・財私物化、官僚私僕化、ヘイト隠しの「美しい国」作り等々)をチャラにする「オリンピック作戦」の文字どおりの失敗――と決まっている。その「失敗」を「成功」と言いくるめて、国と社会の瓦解・崩壊を制度化する、それがグズグズでもなされたら、もはや「終り」さえなくなる。土石流がこの国を呑み込んで常態化するのだ。
 
 だから今、喫緊のことは、その「ハルマゲドン後」に備えること。最重要なことは「失敗」を「敗北」を認めさせることだろう。それはオリンピックを中止させることでもあるし、その「失敗」を認めさせること、最低限、とにかくこの政権に退場してもらうことである。