『無理心中・日本の秋―飛んで火に入る夜の婿入り』絶賛上演中!2017/09/30

*FBに以下のコンメンを投稿したので、ここにも上げておきます。。

『無理心中・日本の秋―飛んで火に入る夜の婿入り』、主演・前原誠司、小池百合子、脇役・安倍晋三、特別出演・小沢一郎・小泉純一郎・細川護煕、他。

[あらすじ]
 時は2017年秋半ば、国権私物化疑惑の追及を逃れるにはこれしかないと、「窮地突破解散」を打った安倍政権末期の日本--
 勝ち目のない(と思った)戦さの陣頭に立つことになった野党第一党代表前原は、内容がないゆえにその立ち居振舞いで際立つ老獪な花魁、黒百合大夫に党ごと身を預けるという「捨て身」の奇策に出た。それも持参金を大きくし、博打に箔をつけるため党ごと差し出した。
 だが「捨て身」は信の通じる相手にしか効かない。これで黒百合の球根は膨れ上がり、安倍の仕掛けた「突破」戦を、横合いから攫って戦場に躍り出たが、それで「突破」されたのは城明け渡した前原民進だった。前原にはもはや打つ手はない。
 待っていたのは、民進城に居場所がなく、先に黒百合砦に走った不逞細野による首実検。細野は手ぐすね引いてリベラル臭のする落城者の首を切るしぐさ。事前に処断を宣告された嘗ての開城劇の張本人も、裏切り者の股はくぐらじ、と気概をみせて落ち延び宣言。
 かくて、城を託された者の「捨て身」の奇策劇は、選挙の争点をはぐらかして安倍に末期の余興を与えただけでなく、ブラックホールを広げ、日本政界からリベラル勢力を一掃しかねない惨劇「無理心中、日本の秋」に成り果てたのであった(花魁に托身成仏のつもりが、仲間道連れの無理心中になってしまった)。
 注)共産党はリベラル政党か?政策的には間違いなくリベラルだが、換骨奪胎してほしい。

[観劇の所感]
 これぞ「国難」!これを「突破」するためにはリベラル新党を作るしかないだろうが、まずは民進の分党を要求すべきだろう。開城を仲間の無理心中にしてしまっても、まだ息のある前原代表は、黒百合に食い尽くされる前に、末期の責任を果たすべき(ただし、これはあくまでシロートの観劇記です--楽屋裏は知らず、われわれは見ているしかない)。

[劇評の続き]
 全員合流するという話の前提が崩れているので、徒な「希望」に身を託したいものは行かせ、拒否する者(「希望」から締め出される者)は民進党公認で出られるようにすべきではないか(選挙を前に、新党よりこっちが先)。それができるようにするのが党員を預かる代表の責任。そうでなければ前原代表は、自分の博打で日本の政界からリベラル勢力を排除する「実行犯」になってしまう。
 寝耳に水でこういうアクロバットに振り回される地方の支持者や、地方選挙をどうするつもりなのか。どうみてもこの博打は失敗(やっぱりカジノは駄目)、まだ民進が自分で決められるうちに代表は救える者を救う手を打つべき。それしかこの芝居の収めはつかない。

「戦後レジーム脱却」の茶番あるいは惨劇――現代日本の政情2017/07/14

 『図書新聞』の提案で6月14日に木下ちがや氏と日本の政治の現状について対談を行った。それが本日発売の同紙(7/22、3312号)に掲載されている(1面で頭出し、続きは7面)。
 
 木下氏が今年前半の国会論議を軸に起こったことをコンテキスト化して概括批評するのを受けて、わたしは安倍政権の特質を最も分かりやすい形で描き出してみた。

 権力の私物化を当たり前とするような悪人どもの私党が国家中枢に居座り、官僚・警察・メディアを抱え込んでやりたい放題をやっている。政策を勝手に使って仲間内で国有財産山分け、民主主義国家に黄門様がいないのをいいことに、仲間の犯罪まで警察を使って握りつぶす。「数」の力と言われるが、その「数」の中身たるや、自分の妄想に尻尾を振る際物ばかり集めるから、欠格議員続出、大臣もトンデモ大臣ばかり。どんな大臣も据え置いて任命責任もとらない。
 
 以下は紙面を参照していただくとして、論の展開の大筋だけを呈示しておきたい。
 
 安倍の看板は「戦後レジームからの脱却」だが、「戦後レジーム」は一国態勢ではなく、「世界戦争」の帰結としての世界の要請。日本の敗戦によって否定された旧体制を、グローバル化の下、アメリカに再身売りすることで「戦後レジーム」を否定し、外交のない一国軍事化妄想に邁進する安倍政権。
 
 それは明治以来の日本の国際秩序への統合・参入とその「非劇」を、戦争知らない世代が「夢よもう一度」となぞる「二度めの茶番」。だから、「国家のへ献身」を謳い、「国民の奉仕」を求める連中が、実際にやるのは権力の私物化と自分たちの「楽園」作りだということが、森友・加計騒動であからさまになってしまった。そこから考えてみると、「国家主義」なるものは、ほんとうに国家第一に考えているのではなく、そういう体勢を国民に強要して、自分たちがその国家・国民の上に胡坐をかこうとする連中の考えることだということが明らかになる。
 
 改憲論議も何も行き着く先はそこ。それを言いくるめるのが「オルタナ・ファクト」「フェイク・ニュース」、そして「ポスト真実」の政治。そんなことまで安倍政権はさらけ出した。
 
 だから課題は、どんな政策論議でもない。こんな連中に政治を任せてはいけないということ。先には破綻しかない。「茶番」の破綻は目も当てられない。どんな政権でも(かつての民主党政権でも)これよりはずっとまし。少なくともまじめに国政を考える者たちの政府を作らなければならないということ。その政治の基本は、国内・国際あらゆるレベルで他者がいることを前提にした地域共同の生活、人びとがまともに生きていける体制の整備。そのための経済・外交etc.。少子高齢化が現実としてありながら、国のために死ぬことを要求するような政治は始めから失格だ。

首都圏反原発連合の七夕国会前抗議2017/07/08

「10年後の、今月今夜のこの月を…」
7月7日は七夕、一年に一度の牽牛と織女の出逢いの日。その日は金曜で、恒例の首都圏反原発連合の国会前集会もにぎやかです。わたしもスピーチすることになりました。いつもアドリブで話をするとどうも長くなりがちで主催者を困らせます。そこで今回は原稿を用意して読み上げることにしました。以下に掲載します。
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 3・11以来考えました。津波の跡、福島にできたゾーンを見ながら、核技術とは何なのかと。結論は早くに出ました。核技術は、われわれの生活圏である自然界の基礎構造を壊す技術、科学技術の粋と言われながら、人間どころか、生命とは両立不可能なものだと。

 それを軍事ではなく、社会生活のベース(エネルギー源)として持ち込むためには、初めからフェイク・ニュースを必要としたということも。なぜなら核技術は自然界に決壊を引き起こして放射能を誘発しますが、その収拾はできないのです。それを「安全」ということがすでにフェイクです。原発が事故を起こす前に、核爆発そのものが人為的な事故であって、その事故で自然が封じ込めていた災厄を解放する、それが核技術の真実です。

 富を競い合い、ときに戦争もする世界の体制のなかでは、核エネルギーは桁違いの元手になります。だからどんな手段を使っても富を独占しようとする人たちは、フェイクで真実を押し隠し、PRで人びとを踊らせながら、核利用を推進しようとします。

 まともな為政者のいる国々では、科学的にも、経済的にも、また道義的にも、核依存は割に合わないし未来がないと判断し、まだ引き返せると考えて撤退を決めています。その中で日本だけが、止まっていた原発を再稼働し、核技術の輸出さえしようとしています。ヒロシマ・フクシマを経験し、核の実験場となった日本だけがです。

 その日本の、舵取りをする政府はどうなっているのか?フクシマのダメージから立ち直ると称して虚勢の「国力」を頼み、世界の「平和」を確保するために敷かれた「戦後レジーム」を、「岩盤規制」であるかのようにやり玉に挙げて廃棄しようとし、「国民が喜んで戦争のために身を捧げる」そんな国家を作ろうとしています。

 それは誰のための理想なのでしょうか?もちろん国民のためではありません。国民は競って悪条件のもとで働かせ、仮想の敵との戦争に備えさせる。進んで言うことを聞けば許されるが、反抗すれば共謀罪。それは一握りの特権者たちのための「楽園」にすぎません。彼らは権力を私物化して国の富を自分たちの食い物にし、未開人の酋長よろしく仲間内で勝手に気ままにやりたい放題をやる。森友・加計学園問題で露呈したのは、「美しい国」などと言って国家への奉仕を要求する連中こそが、そんな夜郎自大だということです。原発も、そんな連中が国の隷属体制を作るために社会に埋め込む地雷のようなものです。

 原発はまやかしの技術性と経済性で、国の経済・社会のあり方を根本から歪めます。そして、社会に嘘を蔓延させ、その嘘を維持するために真実を押し込め、まともな考えや、物言う人びとを押し潰すことなしに存続できません。

 だからこそ、原発をなくすことは社会のあり方を根本から変えることになるのです。富よりも人間が大事にされ、生きることの豊かさが養われ、この「文明化」されたはずの社会の健やかさが作り直される、そんな未来への約束の道です。

 首都圏反原発連合は、広範な人びとの思いを声にし、五年間に渡って途絶えることなくこの国会前に場を確保し、その道を開くべく活動を続けてきました。ここに挙がる声は、雲を貫いて空に、未来に開けています。この五年間に日本の政治は逆行の嵐に呑み込まれ、それでもますます多くの人びとがそれぞれのやり方でその濁流に立ち向かっています。その運動の軸に、いつもこの反原連の集会があったことをあらためて確認しましょう。そして、その未来が今日になるまで、ここに立ち続けようではありませんか。

日本はいま、どんな異常な政権のもとにあるのか?2017/06/17

 共謀罪の強行採決で幕を閉じた今度の国会で図らずも露呈したのは、「戦後レジームからの脱却」を掲げ、「みっともない憲法」を廃棄して(少なくとも少し変えて)「美しい国」をめざしそうという安倍政権が、じつはどういう政権かということである。
 
 大筋の政策では、まず秘密保護法の強行採決、ついで憲法解釈のありえない変更、そしてそれに基づく違憲の安保法制、それに則って自衛隊の南スーダン派遣、さらに国連関係者からもクレームを付けられた共謀罪の異例手段による採決と、自衛隊の軍隊化を図る一方で、行政権力保護と捜査権力強化の体制を、憲法を空洞化しながら進めてきた。

 あらゆる政府提出法案は、国会の与党(自民・公明+維新)の圧倒的多数で可決することができる。だから、閣議は規範的事項の実質的「決定機関」として振舞い、まず憲法違反を合憲と「解釈」できると決定して以来、不都合な事実に対する「オルタナ・ファクト」を閣議決定として押し通し、国会審議も空洞化して(質問をはぐらかし、ごまかし、嘘を言い、切り抜けられないとなると強弁に居直る)、形だけ整えて一定の時間が来ると強行採決。
 
 しかしその「多数」の中身たるや、次々に不祥事や不正が露見して雲隠れする欠格議員や、口を開ければ「失言」で人前に出せない閣僚たち、果ては答弁もできない大臣や、国際会議でトンデモ発言をする大臣といった不適格閣僚ばかり。それを安倍首相が選んでいる。そしてその前に、小選挙区制で多くの議席を埋めるために党執行部の意向で選ばれる候補者たちの質が劣悪なのだ。その人選や任命の責任は党総裁かつ首相の安倍晋三氏にあるが、その安倍首相がそもそも「責任」などというものは他人が取るものであって自分は守られるとみなしているようだ。
 
 だがその体制は盤石ではない。自衛隊の派遣日誌隠蔽問題で稲田防衛相が不適格をさらした騒ぎの上に、森友学園問題が浮上し、そこで安倍政権の同調支援者への便宜供与や、それを「忖度」した財務省の背任まがいの計らいが露見すると、政権は野党の抵抗が強いだろう共謀罪の上程で騒ぎを押し流そうとした。ところが重ねて、もっと官邸にとっては都合の悪い加計学園問題(首相の親戚筋で、官邸メンバーが深く関係している学園に、経済特区制度を使って巨額の国費・自治体費が投入されてようとしている)が浮上する。そこで安倍首相が搦手から打ち出してきたのが憲法改正の具体的アジェンダだ。そうして、崩れようとする堤防の綻びを、さらに大量の土砂で押し流して別の災害を作り、そこにまた別の災害を押し被せて、次々と目先を変えながら濁流を広げて憲法改正まで加速させて行こうとする。盗人が家に火をつけて逃れると同時に荒稼ぎの一石二鳥も三鳥もとるという技をあからさまに演じたのがこの国会だった。

 (公明党が重視する都議選前に、期間を置いて国会を閉じることは、そのまま加計学園問題の追及の幕を閉めるという算段と重なる。その前に共謀罪成立を強行したのは、これをすぐに適用したいからというより、閣議決定して審議強行した以上、不成立では国会で政権の面子が立たないということからだろう。)
 
 だが、そこで露呈したのは、安倍政権の手法、つまり人事権を掌握して官僚も警察も司法も官邸の意に従わせるが、その権力強化によって実現するのは、国政も国有財産も強権によって意のままにするということ、同調者や仲間内で国を思うままに処断するということだった。そして仲間がすることが明かな犯罪行為であっても、警察権力を通して握りつぶすことさえできる。安倍首相がすでにそのように振舞っていることが露見したのである。当人は白を切っているし、周囲の人間は自分に餌を、権力のおこぼれを与えてくれる親分を守ろうとしている(ますます人相の悪くなる菅官房長官をはじめとして)。

それに、さまざまな証言や状況証拠がごまんと溢れ出ているのに、国会での追及は「数」の力で押し流され、ましてや警察も検察も、この件を立件しようとはしない。警察・検察はすでに首根っこを抑えられ、あるいは権限を強化してもらって官邸の子飼いになっているからだ。メディアもそうである。読売、産経やNHKだけでなく、官邸の記者クラブが、官邸にとって不快な追及をするよそ者(社会部記者)を排除しようとしているという。
 
 国民主権の憲法を廃棄しなくとも、すでに日本の首相官邸はこんな有様になっている。安倍首相が目指す「美しい国」、国民が文句も言わず進んで国のために無私の奉公をする国、そして一部の者たちが国の権限や資産を私物化し、自分たちの妄想にしたがって思うように国民を食い物にできる国、それが安倍首相の目指す理想だとしたら、その妄想に近い理想はもうほとんど実現しているのである。こんな権力の私物化や、それに都合のよい「国作り」の暴挙が、誰にも止められずに罷り通っている。それを妨げる権限をもつ者たちが、すべてすでに抑えられている。それがこの国の現状だということである。
 
 幸い、それでも勇気ある人々が、「安倍一強」と言われるこの状況のなかで異を唱え、この現状を明るみに出すことに貢献している。しかしその人びとが今いちばん脅かされている。この人たちを守り、この日本にまともな政治を取り戻すために、多くの人たちがそれぞれの場所で立ち上がらなければならないだろう。もちろん武器なき、権力なき闘いだ。権力もあらゆる武器も、安倍政権とそれに靡く「自発的隷従」のピラミッドがもっている。その「自発的隷従」の鎖の一つひとつを解き放たなければならない。
 
※付言しておけば、安倍の「戦中体制」理想化妄想――日本が負けたアメリカに国を売って、自分たちが不条理な「戦中体制」の大本営に収まる、という戦後右翼の倒錯――は、こんなふうに実現されるしかない「大日本帝国」の「二度めの茶番」だということである。それをあらゆる保守というより右翼をもって任じる「憂国の士」たちには考えてほしい。

「最初は悲劇、二度めは茶番」2017/06/16

※共謀罪成立前に書いた未定稿で、遅いと言えば遅いけれど、基本認識は変わらないので今日、ここに挙げておきます。
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 国会会期末が迫り、共謀罪法案採決をめぐって与野党の攻防が緊迫している。
 安倍政権は2014年末の秘密保護法以来、集団的自衛権をめぐって閣議決定による憲法解釈変更、安保関連法制、自衛隊の南スーダン派遣、そして共謀罪法案と、日本の国のあり方を変えるような政策を次々に採ってきた。これはいわゆる「戦後レジームからの脱却」という安倍政治の具体化だが、そこであからさまになってゆくのは、目指すのがたんに「戦争のできる国」というだけでなく、民主主義や国民の主権を解消し、国家権力の圧倒的優位を確立する方策だということである。
 
 しかしそれだけではない。「最初は悲劇、二度めは茶番」だと言うが、まさに大日本帝国は破綻、無条件降伏で国民は多大な犠牲を強いられた。しかしいま強引に準備されている「二度め」は、明治以来の国家体制の形成ではなく、国民が権力にかしづく体制づくりによって、その国権を私物化する連中が初めから馬脚を現しているという事態である。
 
 森友学園、加計学園問題で露わになったのはそのことである。安倍政権は、自分の姿勢に共鳴しその名を冠した神道小学校を作ろうとした森友学園が、財務省から9億円相当の国有地をタダ同然で払下げを受けられるよう、また異例の認可が受けられるよう計らった。またアベノミクスの目玉とされた「経済特区」制度によって、「岩盤規制をドリルでこじ開け」て、地元自治体を巻き込んで「刎頸の友」(じつは親族)に合理性も展望もない「獣医学部」を新設させ、そこに数十億円の公費を流し込む算段を、文科省・総務省を巻き込んで工作した。そればかりか新たな疑惑も持ち上がっている。政権・首相官邸は白を切るが、加計学園には官邸出入りの人物やその家族が役職者に名を連ねており、これが仲間内の利益供与であることは明らかである。
 
 そればかりか、安倍よいしょ本を出版しようとしていた元TBSワシントン支局長が起こした準強姦事件を、官邸につながりのある警察官僚を使って「上から」逮捕状を取消し、不起訴処分にしたことも、被害者の告発で明らかになった。また、その警察官僚は、2年前TBSの報道番組コメンテーターが外されたとき、TBSに圧力をかけたのと同一人物であることも判明した。
 
 また、前文科次官前川氏の発言から、政府のさまざまな有識者会議から、官邸が意向に沿わない人物を外していることも明らかになった。そのうえ、政府は内部告発者を探して処分しようとしている(そう言ったのが、何と北星余市出身を売り物にして自民議員になった義家某だが、彼も雑巾がけをさせられているのかもしれない)。いま、官僚は国家・国民のために仕事をするのか、安倍の走狗となるのかが迫られている。
 
 この間に明らかになったのは、国民の国家への服従と献身を求める安倍のようなウヨク政治家が理想としているのは、国家権力が強化され、その権力を私物化して自分の妄想に国民を従わせる、そして仲間内で自由に国を引きまわせる、そんな体制だということだ。そんな体制に人びとがひれ伏す国を、無私の国民の「美しい国」と言っているわけだ。言いかえれば、日本ではウヨク国体思想とは、国家を私物化したい連中の隠れ蓑にすぎないということだ。これが「二度めは茶番」の茶番たるゆえんだ。
 
 北朝鮮の危機は現実ではないか?中国の脅威は?
 冗談はよしてほしい。北朝鮮は弱小国。それにミサイル見せつけるのはひたすらアメリカ向け。そして北朝鮮問題の直の当事国は韓国だ。朝鮮半島は日本の敗戦による「復光」の直後、始まった冷戦の煽りで約七〇年前に南北に別れて同じ民族同士が数百万の犠牲を出して戦い合ったのだ。そして分断されたまま、今でも分離線は挟んで対峙している。その両当事国を置いて話は進まないはずなのに、北朝鮮は世界の親玉アメリカに存在を認められずには存続できない。だから核武装国家になろうとする。そして存続が究極目的だから、暴発はできない。それが基本状況だ。

 日本など眼中にない。相手をしている余裕はない。ひたすらアメリカとの直接交渉を求めている(相手がトランプならチャンスがある。トランプも同じような手法の親玉だからだ)。だからミサイルが飛んでも韓国は騒がない。危険なのは暴発だが、それを防ぐには交渉しかないことを、韓国は十分わかっているからだ。北の暴発でまた何百万の犠牲を出し、何百万の難民を受け容れなければならないのは韓国だから。

 それなのに、安倍は国内向けに「北朝鮮危機」をひたすら煽る。国の軍事化に使えるからだ。安倍は拉致被害者のことなどもうまったく考えていない。国内に北朝鮮危険の世論を作ることに成功したから、もうどうでもいいのだ。実際、安倍政権ではこの問題は一歩も進んでいない。

 教育勅語を学校で教えて、国民に臣従を植え付け、このIT・サイバー戦争の時代に銃剣道でトツゲキ精神を教え、ミサイル攻撃に備えて防空頭巾の避難訓練をさせ、韓国が騒ぎ過ぎと苦言を言う中で東京の地下鉄を止めて「危ない」と思わせる。それが今の政権の「戦時」認識なのだ。そのくせ、NHKが「忖度」で北朝鮮ミサイル大騒ぎのキャンペーンをはっている間、当人は疑獄渦中の夫人同伴でGWの海外遊行。ばかばかしいにもほどがある。

 中国についてはまたにしよう。

共謀罪・加計学園疑惑に怒れる学者・弁護士の共同声明2017/06/10

昨日、「弁護士と経済学者有志の声明」が発表されましたが(http://j-c-law.com/kinkyuuseimei/)、これに続いて、主として人文系の学者と若手弁護士有志が以下の声明を発表しました。国会の会期末が間近ですが、さらに追及の機運を高めてゆきたいと考えています。
*追記:ホームページができました。賛同署名をお願いします。
http://scholars-lawyers-united-for-truth.strikingly.com/
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権力の私物化と共謀罪審議に怒り
加計学園疑惑の徹底究明を求める学者と弁護士の会
緊急声明

 先ごろ浮上した森友学園問題では、安倍首相に共鳴しその名を冠した神道小学校を計画した学校法人に、財務省が9億円相当の国有財産をただ同然で払い下げ、一連の不透明な行政手続きに多くの疑問が指摘された。ところが財務省は、情報システムの更新だとして森友学園との交渉時のデータの完全消去を始めている。

 また、続いて浮上した加計学園問題では、首相官邸や内閣府が直接、文部科学省などに働きかけ、アベノミクスの目玉でもあった「国家戦略特区」制度を利用して、首相の「腹心の友」が経営する加計学園に獣医学部開設を認めさせ、地元愛媛県や今治市を巻き込んで、数十億円相当の公金が流れることが明らかになった。これは首相の地位を利して恣意的に行政を歪め、公有財産の民営化ならざる私物化だと言わざるをえない。

 これに関して「官邸からの圧力」を示す文書が明るみに出ると、官房長官は「怪文書」と言って斥け、在職時に直接圧力を受ける側にいた文科省前事務次官が「100%事実」だと証言すると、こんどは「民間人」の言だから取り合わずとする一方で、某全国紙と連動して前事務次官の信用を棄損しようと人格攻撃を繰り返す。

 また最近、安倍首相に近いとされる元TBS記者による準強姦事件において、逮捕状が「上からの圧力」で執行されず、不起訴になったことを不当として、被害者から検察審査会に審査の申し立てがあったが、このような件でも官邸の関与が疑われている。

 しかし安倍政権は、国会答弁では数を頼みにゴマカシと居直りで押し切り、メディアや警察権を駆使して批判や告発を潰そうとする。このような理不尽で横暴な政権の振舞いは前例を見ない。今や日本では首相官邸そのものによって、行政や司法の公平性が著しく歪められているが、まさにその政権が、人びとの内心の監視を可能にし言論・表現の自由を危ぶめる組織犯罪処罰法改正案(共謀罪法)を強引に成立させようとしている。

 いま国会では自民・公明連立与党と日本維新の会の「数」によって、事実上どんな法案をも成立させることが可能である。だがその「数」の中身はと言えば、この間明らかになって国民を呆れさせているように、不祥事の絶えない欠格議員たちであり、答弁もできず任に堪えない失格閣僚ばかりである。国会における審議は、首相や担当閣僚が疑惑の「説明責任」を放棄したことで完全に形骸化しており、失格閣僚の「任命責任」と合わせて、首相自らがその責を負わなければならない。

 政権が官庁やメディアを巻き込み、これほど政府が横暴になったことはかつてない。政権そのものが国の柱である民主主義、三権分立の原則、立憲主義(法の支配)を蹂躙している。振り返れば、1990年代以降、「政治主導」によって官僚支配や政官業の癒着を打破することを標榜し、政治改革や行政改革が勧められ、小選挙区制の導入や中央省庁再編などを通じて、首相権限(官邸機能)の強化が進められてきたが、現在の安倍政権で現実のものとなってしまったのは、政治主導でも政官業の癒着打破でもなく、首相個人による、公権力と公有財産の私物化以外の何ものでもない。ただちに共謀罪審議を停止し、加計学園問題を国会で徹底的に究明することを求める。これが現在の国会の、そしてわが国の政治の劣化を座して見過ごせない者の火急の責務だと考える。
2017年6月10日


[呼びかけ人・五十音順]
阿部賢一(東京大学准教授、東欧文学)
稲正樹(ICU平和研究所顧問、憲法学)
臼杵陽(日本女子大学教授、中東研究)
岡野八代(同志社大学教授、政治学)
小森陽一(東京大学教授、日本文学)
五野井郁夫(高千穂大学教授、国際政治)
嘉指信夫(神戸大学教授、哲学)
小原隆治(早稲田大学教授、地方自治)
坂本恵(福島大学教授、比較文化論)
佐藤泉(青山学院大学教授、日本文学)
管啓次郎(明治大学教授、文化人類学)
高桑和巳(慶応大学准教授、フランス思想)
高頭麻子(日本女子大学教授、フランス文学)
竹谷和之(神戸市外国語大学教授、スポーツ文化論)
千葉眞(国際基督教大学特任教授、政治学)
寺西俊一(一橋大学名誉教授、環境経済学)
渡名喜庸哲(慶応大学准教授、フランス哲学)
中野晃一(上智大学教授、政治学)
中山智香子(東京外国語大学教授、経済思想)
西谷修(立教大学特任教授、哲学・思想史)
林みどり(立教大学教授、ラテンアメリカ研究)
沼野恭子(東京外国語大学教授、ロシア文学)
根本美作子(明治大学教授、フランス文学)
橋本一径(早稲田大学教授、表象文化論)
守中高明(早稲田大学教授、フランス文学)
* *
上田裕(弁護士)
打越さく良(弁護士)
内田雅敏(弁護士)
内山宙(弁護士)
太田啓子(弁護士)
太田伊早子(弁護士)
黒澤瑞希(弁護士)
小谷成美(弁護士)
佐藤倫子(弁護士)
神保大地(弁護士)
宋 惠燕(弁護士)
竪十萌子(弁護士)
田中篤子(弁護士)
田中淳哉(弁護士)
寺町東子(弁護士)
中村眞一(弁護士)
早田由布子(弁護士)
橋本智子(弁護士)
福山洋子(弁護士)
藤川智子(弁護士)

もう見たくない俗悪ドラマ「メイク・にっぽん・グレート・アゲイン」2017/06/05

 共謀罪国会の成行きを見ていると、まるでここ数年、いつまでも終わらない粗悪なテレビ・ドラマを見せられているようだと思う。見ているだけでなく、現実に付き合わされている。

 「戦後レジーム脱却」の安倍政権物、初めは一回で終わりそうなネタだったが、終わりそうになると新手の混乱が出てきて、さらに大きな洪水を呼び起こす。しかしそれでもついに大惨事が…と思いきや、次々に災厄を国民に浴びせかけ、悪事の張本人たちはそのつど新手のカオスを引き起こしてそこに逃げ込む。その繰り返しで、いつまでたっても「一巻の終り」が来ないのだ。

 ドラマが終わらない。悪者たちは官僚を抱え込み「忖度」で協力させ、邪魔だてしそうな者は、まずは更迭、首のすげ替え、そして左遷、組織的締付け、そうして周囲を縛って固め、そのうえメディアは要を篭絡して、不都合な情報は流させない。真相が広まらないためにフェイク・ニュースを製造する機関まで作ってある。

 だから、政権がピンチに陥っても、大ピンチなはずでも、蛸の巣のように煙幕を張って、必ずごまかして居直り、新手の攻撃を仕組んでくる。さすがにもうこれでダメだろう、逃げられないだろうと思っても、追いつめられても白を切り、不利な情報はフェイクだと言って押し退け、追いつめるお縄はあらかじめ溶かしてあって、目晦ましをかまして次の悪事に走り込む。

 そのため、これで終了という筋立てがいっこうにまとまらず、番組はしつこくいつまでも続いて、いつしか数年にわたる大河サスペンス・ドラマになってしまった。そういう日本を、悪党どもは「イダイ」だと思っているようだ。たしかに、握った権力は自分たちのためにますます強固になるし、どんな障害も警察や司法を抱え込んで取締り、仲間のためにはもみ消しもできる。仲間同士で国有資産はお手盛り放題、居直ればもはやそれを止める手だては国民にはないと見切っている。

 「イダイ」な権力だ。民主主義を乗っ取ってワル仲間の僭主政治、基本的人権など厄介払い、国民は国家を牛耳る僭主たちになついて飼ってもらうか、さもなくば使い潰される奴隷であればいい。怒ったり、不平をもらしたりする不埒者は共謀罪で黙らせてやる。こうしてドラマに終わりはなくなるが、皆飽きて視聴率落ちるぞ、テレビ局! この悪党たち、自分たちの権力をアメリカに承認してもらうため国ごと貢いで守ってもらう。そしてたらふく武器を買って大好きな戦争ごっこ、俺たちは強いんだゾー!。

 いつ終わるのかこの低俗ドラマ、もうさすがに見たくない。最近変えたそのタイトルは「メイク・にっぽん・グレート・アゲイン!」。いい加減やめてくれ~!(制作/配給:日本のプチ・トランプ)

安倍政権-不適格者たちの危険な国政遊戯2017/05/04

 70年目の憲法記念日に、安倍首相はとうとう憲法改正を正面から掲げた。天皇談話でもないのに、ビデオで談話を公表するという異例のやり方だ。稲田自衛隊問題、森友問題を、共謀罪上程で押し潰し、北朝鮮危機の空芝居を国内に広めて、満を持して(?)改憲発議?
 昨今のとりわけ「不良品閣僚」問題を契機に、共同通信の依頼で以下の記事を書いた。「改憲」を掲げるのがこういう政権だということだ。手直ししたものがすでに地方各紙に掲載されている。
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 今村復興相がとうとう辞任に追い込まれた。安倍内閣の度重なる「失態」だ。最近では「共謀罪」担当の金田法相が、答弁ができないからと官僚に代行させて問題になった。稲田防衛相は南スーダン派遣の自衛隊日報を把握していなかったばかりか、森友学園の弁護を務めたことも「忘れ」ていた。「がんは学芸員」とか「長靴業界はもうかった」と「失言」して辞めた閣僚・政務官、ストーカー登録された政務官もいる。もう覚えきれないほどだ。

 「失言」以前に、問われているのはこの人物たちの閣僚あるいは国会議員たる資格である。政治家は国政に携わる。大臣ともなれば責任も大きい。だが、担当の重要法案の説明もできず、管轄の省庁の把握もできていない。あるいは職責も理解せず、恥とも思わず威張ったり人のせいにすることしかできない。

 当然ながら、そんな人物を登用する首相の責任は重大である。だがそれ以前に、政権党がそんな人物ばかりを選んで公認し、当選させて頭数を揃えていることが問題だ。

 任命権限をもつ首相は、森友学園問題で明らかになったように公私の区別がついていない。「私人」だと言い張る夫人に、官僚を五人も付ける首相は、権力を私物化しているとしか言いようがない。国会質疑は答弁にもならない「答弁」で押し切り、無理強いの断定を「閣議決定」する。その決定が「真実」と言わんばかりに。こんなことが平気で行われれば、大人の社会も子どもたちも、日本はこういうところなのだとそれに倣うだろう。事実、官僚たちからしてすでに「忖度」に漬かり切っている。

 安倍内閣の支持率が高いというが、ほんとうか?代わりが見当たらないからだそうだ。だがこんな陣容で、安倍政権は国の命運を決めるような政策を次々に打っている。いや、実情は、外交も内政も、オバマだろうがトランプだろうがとにかくアメリカに預けるだけだ。だから「危機」のとき、直接の相手国とは外交手段をまったくもたない。

 そういう内閣が、実態を隠すために秘密保護法を作り、さらに物言う市民を黙らせるために「テロ」を口実に共謀罪まで通そうとしている。そうなれば、いまの劣悪な政治の実態すら問題にできなくなるだろう。政権に反抗するのは「テロ」だそうだから。

 それでも旧民主党政権よりましなのか? 7年前政権交代を果たした民主党は、不器用でかつ、変化を怖れる官僚たちにそっぽを向かれ、メディアにも叩かれて、大震災のあおりもあって迷走のあげくに瓦解した。それ以来、民主党にはこりごりだから自民党、という風潮が広がっている。日本には他に選択肢がないというのだ。その空気を最大限に利用した自民党は膨れ上がり、偏った政権に奉仕するだけの劣悪な議員を増やしてあとはやりたい放題。それが日本の政治を底なしに腐朽させている。

 おかげで、日銀の札束増刷には歯止めがなく、貧困は拡大し、弱者は自己責任を押しつけられ、若者は将来の見透しが立たず、社会は殺伐として澱んでくる。それを「危機」を煽って浮足立たせ、オリンピックを煙幕にして操ろうとする。しかしメディアの自由度は最低と世界からは見透かされているのだ。

 だが、もうそんな政権に国を預けるわけにはいかない。私欲や個人的妄念のために国を弄ぶ政権、その実態を見なければいけない。なぜメディアはこの政権に甘いのか。コントロールされているという。そう言われるままでよいのか。国を破綻させる片棒を担いでどうするのか。どんな政権でも、今よりはましだとそろそろ気づくべきときだ。