五輪を待たず、咲かぬ桜は散りぬるを2020/02/25

隣の韓国では、新型コロナ検査を1日13000人規模でできる態勢をとったという。日本では、というよりアベ政権下では、検査をやろうとしない。ひたすら感染者「数」を抑えようとしているようだ。それで「市中感染」(経路不明)がじわじわと増える。ニュースでは「感染者数世界第二位の韓国では…」。

理由はただ一つ、東京オリンピックに影響させないということだろう。それと、一昨年・去年の災害対策と同じで、そんなことに金をかけたくないのだ(韓国などと較べてひどい対策予算)。軍事やテロ対策とかでは金に糸目をつけないが、災害が起きても側近と宴会をやっている。つまり抜本的な対応をしたがらない。だからアベは対策会議を作っても、テレビ用にちょっと顔を出すだけ、毎日仲間やメディアと会食ざんまい。そこでやっているのはメディア操作と批判派ディスりの発注だ。

政府が検査をやらせない(極めて消極的)というだけでなく、府県や市、病院、会社も検査をしたがらない。感染者が出れば病院はたいへんな対応を迫られるし、客が敬遠して来なくなる(「風評被害」というやつ)。会社や工場も操業停止しなければならない。だから、感染者が出ることに戦々恐々としている。人間より組織大事というわけだ。

クルーズ船の失敗もよく検証する必要があるが(実際の対応は神奈川県がやっていたという)、ひどいことに、無能政治家官僚の下で船内対応していた医療関係者が、務めに戻ったら職場でさえ「ばい菌」と呼ばれていじめられるような社会だ(中国では情宣とはいえ献身を称えられた)。日本はいつの間にかそんなふうになってしまった。

国会でのいくつもの疑獄案件や検察違法人事の追及を払いのけるためか、ニュースは時間稼ぎのようにコロナ対策一色だが、さすがにその無責任ぶりに経済界も不安になり、ダウ平均今日は一気に1000円安。それでもアベ官邸は黒田に任せたつもりで、異次元の緩和で対応させるだろう。ところがそれはもう目いっぱい、打つ手なく、これで底が抜ける(もうしのぐ禁じ手も使い尽した)。

その一方で、アベ擁護を最大の保身と心得るウヨ有名人たちが、武漢肺炎と呼び、中国に補償してもらえとか言い出して、自分たちが求めるアベ政権の無能を中国に責任を転嫁しようとする。彼らアベ太鼓持ちこそ、日本を中国の冊封国にしたいのだ。

中国は全人大も延期して強力な「臨戦態勢」を敷いている。それも問題があるが(日本のウヨ太鼓持ちはそれに倣って緊急事態の予行演習をやるとか言っている)、NHKのニュースが「…という思惑があるものとみられます」といつも敵国の勘ぐり気取りで言うように、中国はこの事態を全力で制御して、避けがたい経済的打撃(ただでさえトランプの強引な制裁で打撃を受けている)を覚悟でしのぎ、抑えて一気に再編回復できる態勢を取ろうとしている。

ところが日本は、というよりはっきりアベ政権は、と言おう――いま日本では官邸にすべてが集約されていて、世論より国会審議より行政実務集団(官僚)より裁判所より、決めるのは閣議決定という異常な状態にあるのだから――、アベ政権はひたすらオリンピック大事である。ぼろぼろ無法権力化で、もうそれしか大義がないからだ(無理筋承知で子飼いのクロを検事総長に据えようとしているのもそのためだ――そうしないと続々逮捕だ)。

だから、検査せず、感染者を洗い出さず、抜本対策をとらず、実情みせなきゃやり過ごせる、国民の皆さん協力をとか言っている。そしてウヨ世論が、緊急時に政府批判をするな、厚生大臣もセキしながらマスクなしで頑張っている、批判するのは国賊だ、悪いのは中国だ、と援護射撃。食わせた鮨の効果でメディアは「両論併記」。

が、アベノミクスでてなづけた経済界がとうとう株を落として脅しをかけた。もともと株高は「上級国民」の私利私欲で成り立つ。それが心配し始めたのだ。

しかしそれより、この間の日本政府の姿勢は、今までは冷笑しているだけだった国際社会に深い不信を植え付けることになった。文書隠蔽・改竄・不作製は国内問題だから、他国は冷笑していればよかったが、感染症はそうはいかない。自国にも伝播してくるからだ。だからこの件で、肝心な対応はせずWHOに金だけ出して感染者数を減らしてもらうという初期対応以来、クルーズ船の「培養シャーレ化」 と政府の無策で、日本への不信はますます深まっていることは覚悟しておいた方がいい(感染初めのイタリアの対応をみよ)。そのつけも、アベ政権のすべての悪行の結果とともに、われわれ国民が払うことになる。

まず、オリンピック盛り上げ騒ぎを止めること、そして感染防止治療対策に全力を挙げる姿勢を示すこと、そうしないと世界から引導渡されて、かえってオリンピックは開けなくなるだろう。

「立憲デモクラシーの会」声明についての私見2020/02/23

  折から、NHK/ETVの「100分de名著」で、東大の阿部賢一さんがワーツラフ・ハベル『力なき者たちの力』を紹介・解説している。ハベルはチェコの暗黒時代(六八年~八九年)に演劇活動などを通じて市民の対抗文化の導き手となり、体制転換後の大統領に選ばれた人物だ。

 その番組の三回目に「権力はアプリオリに(はじめっから)無罪である」という命題が紹介された。ハベルはこれを「ポスト全体主義」の特質だとして言っている。ポスト全体主義だろうがポスト・モダンだろうが何でもいいが、むき出しの権力がけっして咎められることがないということを言っている。裏返せば、何でもできる、「全能」だといってもいい。ただし、神のように積極的に「全能」だというのではない。そうではなく、統治の権力が本来なら必要とする「正統性の試練」を免れるということだ。

 権力は昔から、それが権力であるために「正統性」を必要としてきた。なぜ、そこを統治できるのかということの理由であり根拠である。その根拠をもつことで権力は正統化される。人びとはそれに従わざるをえなくなるのだ。

 昔はそれが血縁だったり、神の権威だったりした。近代にはそうしたものが排除され、民意に従ったとされる法秩序が権力に正統性を与える。選挙で選ばれて構成される議会が法を作り、その法秩序の枠内で権力機構が構成され(内閣、行政機関)それが統治を担うことになっている。

 ところが、いまの日本のアベ首相は、違憲の疑いのある法案の逸脱を指摘され、「私の言うことが正しい、だって私は総理大臣なのだから」と当たり前のように言う(2015年のことだが、基本的に変わらない考えのようだ)。そうして議論の余地のある重要事項は議会を通さず「閣議決定」する。内閣で決めたらそれはそのまま国の決定であるとして通用させる。この発言は、「私アベ」の恣意的な考えや無体な思い込みが、「総理大臣」という正統性を必要とする権力行使の役職と、アベ氏自身のなかで癒着して区別がなくなっている、ということを表している。

 しかし、そのことが理解できないアベ氏は、それを受け容れない者たちを政敵として排除するだけでなく、官僚たちの役割はアベ内閣に盲従して支えることだとし、人事権を握って信償必罰を徹底、逆らわない(あるいは私利私権のために利用する)者たちだけを取り立ててきた。そのため今では(だいぶ前からだが)、自民党の議員たち、官僚機構だけでなく、あらゆる役所の出先にまで「忖度」という言葉が行き渡り、言われてもいなのにアベとその取り巻きの意向を先取りして、事を処理するようになっている。そうして、アベ氏が「私の言うことは正しい」(あるいは「私も妻も関与していない、関与していたら総理大臣を辞める」)と言うと、国会で追及されて官僚たちはアベの言ったことがウソにならないように、彼の「正しさ」をでっち上げるために、総力を挙げるのである。

 それ以前に「特定秘密保護法」なるものを作り、あらかじめの隠蔽基盤は作ってあったが、その後、安保法制時の自衛隊派遣日記問題から、森友問題、加計問題における国有財産私物化疑惑、そして最近の桜を見る会問題にいたるまで、官僚たちは公文書の隠蔽、改竄、破棄(虚偽)、果てはもう最初から記録を残さないという工作に邁進している(そこで不正の実務をやらされることに耐えきれず自殺する者が出ても、このアベ無罪化マシンは無視して動き続ける)。

 その間、アベ氏は近い警察官僚を重用し、身近から出た破廉恥罪の逮捕状まで握りつぶさせるということまでしているが(被害者証言や状況証拠からして確実にそう言えるし、アベの側からは何の反論もない)、このところもう一つのことに気がついた。つまり、この間のあらゆる官僚たちの涙ぐましい「忠誠」(それは異例の出世で報われている)も、権力のうま味吸う子飼いの議員たちの不始末も、犯罪として立件されたら、いくら日本の裁判所が行政権には手を出さないという伝統(統治行為論以来の)を強化しているとはいえ、これはまずい。議員や官僚から次々逮捕者が出たりすればさすがに政権はもたない。それだけではない。アベ政権が終り、アベ氏が権力を体現できなくなったら何が起こるか? それを押さえておかねばならない。

 というので最近「閣議決定」されたのが、これまでさまざまな案件(甘利疑惑以来)が不問に付されてきた陰の功労者、黒川東京検事長を「異例」の処遇で定年延長させ、8月に検事総長に据えるという目論見である(定年延長後、検事総長に就きうるということも、答弁書として閣議決定されている)。そのために、公務員法や検察官の定年規定などを違法に「解釈変更」している、というのがこの間のコロナ・ウィルス騒動にもみ消されようとしている画策である。

 「立憲デモクラシーの会」は、この政府の「解釈変更」の違法性の重大さに鑑みて、その違法性を明かにする声明を発表した。声明はそのコンテクストには触れず、この特定検察官の特例扱いの「違法性」を明示し、それが立憲主義を危ぶめることに警告を発する、抑制的なものに止めている。立憲主義以外の政治的意図を排するためである。

 だが、実際にある以上のようなコンテクストをふまえて制度論的に考えるなら、最後に検察を手中に収めることは、「私は総理大臣なのだから、私の言うことが正しい」を現実のものにする仕上げであり、「権力は何をしてもアプリオリに無罪」を保証する最後の詰めなのである。もはや「正統性」を問いうる最後のコマを押さえることになるのだから。もちろん他の検事総長が検察を動かすかどうかは分からない。しかし、検察がいささかでも自立性を確保していれば、行政権力の担当者は違法行為に関してつねに牽制を受けていることになる。しかし、アベ氏がその分身ともいえる黒川氏を検事総長として残してゆけば、政権終焉までのあらゆる「犯罪」は立件されることもなく、事後的に正統化されることになるだろう。そしてその状態が日本社会の規範的(ノーマルな)あり方になるのである。森友・加計も桜を見る会も、あらゆる利権誘導も、国有資産の私物化も、官僚たちのウソや偽造も、なんら問題なかったことになる。そしてアベシンゾウは、アメリカ擦り寄りとはいえ、中国を睨んで国を軍事大国化し、格差社会で日本を再身分化の美しい国にした、21世紀の偉大な宰相ということになる。それは日本にとって醒めない悪夢と言わざるをえないだろう。

岡本太郎とジョルジュ・バタイユ2020/02/10

 去年夏、岡本太郎記念館の平野暁臣さんに頼まれて、パリ時代の岡本太郎を想起して彼にとってアートとは何だったのかを考えるために、太郎が深く関わったジョルジュ・バタイユについて三・四時間レクチャーをしました。もとは、関根光才監督が『太陽の塔』を作るとき、素材として三時間ほど話をしたのですが、そこに平野さんも立ち会っていて、その時の印象が強かったらしく、もう一度やってくれというわけです。

 わたしも、最近は誰もバタイユの話などしないし、自分でもまとまったものを書いたこともなかったので、お役に立てるなら、と引き受けさせていただきました。平野さんのご質問に答える形で、岡本太郎を魅了したバタイユについて、あるいは彼が生きていてた当時のパリの知的状況について、わたしの想念の中にあるエッセンス――見てきたような鷲掴み――をお話ししました。わたしにとってもとてもよい機会になりました。それがほぼ全文書き起こされて、今、岡本太郎記念館のホームページの「Play-Taro」というスペースに掲載されています。よろしかったら覗いてみてください。わたしの本職(ほんとうの顔?)の一端です。

http://playtaro.com/blog/2020/01/06/osamunishitani1/?fbclid=IwAR2fK5IKudxO1oVAWpXrAG4mEv5Qeb8ydRCIba2JpGaaPe84gf_DL8u93HI

 また、若い関根監督の『太陽の塔』もたいへん濃密な力作です。現代アートを考えるうえでもこのうえなく刺激的です。

2020年、黒いタイタニックの船上で2020/01/12

 「虚飾の時代です。利を得るに手段を選ばず、欺き、殺してまで目先の富を守ろうとする風潮が、世界中で目につきます。"近代"は実を失い、道義の上で既に廃頽しました。経済成長という怪しげな錬金術にすがり、不老不死の夢を追い、自然現象まで、科学技術で制御できるかのような進歩信仰は虚しく、人間の品性と知性は却って退化したようにさえ思われます。」この中村哲さんの言葉を、カルロス・ゴーンを追って取材中のTBS金平キャスターが、「ベイルートの寒空の下にて」とつぶやいていた(1/8)。

 2日前の6日には、アメリカのトランプ大統領が「敵国」イランのスレイマニ司令官をドローンで爆殺する命令を下し、ツイッターに星条旗を掲げたうえで、議会に通告する必要はないと表明した。

 日本の社会(メディアに見えるかぎり)はオリンピック・キャンペーンに染まって、「桜を見る会」さながらに、招致疑惑・ガジノ疑惑も何もかも、不都合なことはシュレッダーにかけて開会式までなだれ込もうという気配。

 そんなとき、三宅雪子さんという元民主党女性議員の死が報じられた。その訃報に接して、伊藤和子さん、井戸まさえさん他、多くの人ツイッターやFBで他人事ではないといったコメントを出している。ネット上で執拗に罵倒され、否定され、それと果敢に戦いもしたが、疲れてボロボロになるし、やはりダメージは深かったのだろう。最後のツイートに「…タイタニック、最後の座席を譲る用意がある…」とあったが、そんな思いのある人ほど、このネット・コミュニケのドロ沼には生きられる場がなかったようだ。「批判ではなく誹謗中傷、風説の流布、嘲笑、罵倒、脅迫、これらを数年間毎日執拗にですよ」、といったコメントもある。煎じ詰ていえば、日本社会ミゾジニーの闇は深い…。

 三宅さんの自死が気に留まったのは、深い闇がそこから垣間見られたからだ。新自由主義(欲望の無制約な解放)、デジタル情報化社会、生きた身体や存在そのものの情報化とその消費財(商品)化、あらゆる規範(制度的枠組み)の解体、ポスト真実と歴史修正、それを利することを知らない「弱者」たちと、流れに掉さす体制エリートたちの居直りまたは「脱出」志向…。
 
 「消えろ」と言われた人が嫌でも追いつめられて、みずから消えてゆく。それを「否認の暴力」の方は、ネットの泥闇に浸りながら嗤うのか。SNSはいじめ社会と同じように、そんな言葉の暴力のアリーナになっている。人間の心の闇を開くSNSがどうして開発され、革新と宣伝され、すごいと求められ、疫病のように一気に世界に広まって、未来のコミュニケーション・ベース(絆?)のようになったのか?それはもちろんどこでも(アメリカでも中国でも、アフリカの小国でも)国家的にも推進されている。

 「悪貨は良貨を駆逐する」というのは経済の鉄則で、今では貨幣もデジタル情報化し、情報も市場では「悪貨が良貨を駆逐する」。そして見せることだけを商品として市場を組織する生産工程のいらない「観光業」(ポルノ産業?)と同じように、掃溜めに溜まった「劣情」が価値あるものとしてヴァーチャルな「情報市場」に解き放たれる。SNSはそれを可能にするインフラだ。

 そんなことで(ひとりの悲劇)デジタル情報化は否定できない。この技術が人間を解放し、別次元に連れてゆく。生命技術もナノテクノロジーも、これなしには生れなかった。技術は人間の可能性そのものだ。そう言う文明論者たちが見ようとしないのは、その技術の作り変える世界を生きるのは一人ひとりの人間だということだ。技術はひとりでに進化するわけでなはない。今のような方向に人間社会を変えてゆくのは、「イノヴェーション」を必要とする「経済成長」への衝迫である。そしてそれも、個々の人間のあさはかな欲望に担われている。

 そこでは産業化の初めに見透された、「私悪すなわち公益」というバーナード・マンデヴィルのシニカルであけすけな教えがあからさまな事実となる。マンデヴィルは神学を近代化したライプニッツの同時代人である(続く世代)。スミス・マルクスの理論化以来「資本主義市場」として隠された私欲というドブ川の蓋が、社会主義を踏み台にハイエクによって取り外され、やがて濁流となって世界を呑み込むにいたった。ハイエクの主張した無制約の「自由」、あらゆる「社会性」を否定し個を解き放つ「理想」。それを実質的に可能にしたのがデジタル技術なのである。しかしそれは個をも解体し、味噌もクソもの粒子状の欲望と絶望の奔流の中に「人間」を流し込もうとしている(だからもう「人間」は時代遅れだ、と言われる――そう言うのはとりわけニーチェ・ドゥルーズ)。自ら作り出したその絶望的(つまり未来がない)状況を、妄想的に抜け出ようとするのが、シリコンバレー成金由来でいま注目されつつある「暗黒啓蒙」の思想だ。
 
 年寄りに出番はないとも思うが、一方で75才まで働けとも言われている。この気候変動とそれに目を背けて私利を追及する(だから「社会」などないという)者たちの作り出す不毛の旱魃地帯に、命の水を供給するような仕事を、それでも少しは続けたいと思う。

中村医師、アフガンの天に舞う2019/12/15

12月4日、ジャララバードで現場視察に向かう中村哲さん一行が襲撃殺害されというニュースが届いた。縁あってTBSニュース23のスタッフから声がかかり、わたしでよければということでコメントを収録した。アメリカが始めた「テロとの戦争」で帰国を余儀なくされた2001年冬に、中村さんを東京外大にお招きして――同僚の中山智香子さんがこのときすでにペシャワール会のメンバーだった――アフガニスタンについてお話しいただいたのが、奇しくも12月4日だった。声をかけてくれたTBSフタッフはそのとき学生として講演を聴いていたのだ。今回、「しんぶん赤旗」が追悼記事を書く機会を与えてくれた。それが15日朝刊に掲載されたので、わずかに加筆してここに公表することにした。
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 ペシャワール会の中村哲医師が5人の運転手警備員とともに銃撃を受けて死亡したというニュースが、不意の衝撃波のように届いた。波は日本中を揺さぶったが、その衝撃の大きさが逆に、こんなにも多くの人びとが中村さんを敬愛していたということをあらためて知らしめた。

 中村さんはアフガニスタンで医療活動をしながら、旱魃と戦争のもたらす荒廃の中で、治療よりまず生きるための水が必要だと井戸を掘り、ついには灌漑用水路を作ることになった。この地では一九七九年にソ連が侵攻して内戦状態になり、その後は部族抗争が続いて、イスラーム原理主義のタリバンがほぼ全土を掌握したところで今度は米欧が空爆、タリバン政権を倒してアメリカの庇護下の新政権ができた。しかし、「テロとの戦争」を掲げて現地住民を顧みないアメリカの軍事政策は民衆の間に根深い反発を買い、タリバンは復活、その他の反米イスラーム勢力が政府と対立する「戦争」状態が続いてきた。

 その中で中村さんは、現地をまったく知らずに「テロとの戦争」と称して空爆を繰り返す「文明国」を批判し、この地を住めなくして人びとを難民キャンプに追いやり、生きるために麻薬栽培に手を染めたり、雇われて銃をもったりさせるのではなく、人びとが生きる場をもてる最低限の条件を整えなければならないと考えた。干上がって荒れた土地を灌漑できれば耕地が生れ、人びとはそこで作物を育て、収穫して生きてゆくことができる。それを通して人びとが生きる喜びを感じ、自分で成し遂げるという満足感も得られれば、人びとは武器を持ったり殺し合ったりしようとはしないだろうと。

 いつ終わるとも知れぬ米欧の「制圧作戦」が続き、それに対する現地のタリバンや他の反米勢力との応酬が続く中、人びとが自力で生きられる条件を作り出すことだけをめざし、「武器をもたない」ことを盾とし鎧として現地に止まり続け、何十万の人びとが戦争をせずに生きてゆける地帯を、彼ら自身の力で作り出させる。中村医師はみずから重機器のハンドルを取りながら、その事業のタクトを振り続けたのである。

 彼こそは「平和の戦士」である。ただしけっして武器をとらない。説得し、分からせ、互いを殺し破壊し合うのではなく、ともに生きる基盤を作るための作業に向かわせる。その闘いは、戦争と、戦争を解決手段とするあらゆる趨勢に対する闘いである。

 文字どおり命がけの闘いだ。二〇○八年にペシャワール会はひとりの犠牲者を出した。武装集団に三一歳の伊藤和也さんが殺害された。しかし中村医師は、ペシャワール会は撤退しないと宣言した。死んでもこの作業はやり抜くというのだ。ただし、外国人として狙われやすい日本人スタッフは帰国させ、自分だけが残って現地スタッフと共に事業を続けた。この時点で、中村さんはこの「戦争に抗する闘い」、人びとに自力で生きる地域を切り開くための闘いで、自分は生きて帰らないと心に決めたのだと思う。

 二〇〇一年冬、米軍のアフガニスタン空爆が始まって一時帰国していた中村さんは国会に参考人として呼ばれた。そのとき自衛隊の派遣について問われて、言下に「百害あって一利なし」と答えた。すると自民党席から「売国奴」というヤジが飛んだ。自衛隊の派兵を拒否する中村さんは、日本政府周辺からはこのような扱いを受けてきた。だが、遺体を日本に送り返すにあたって、ガニ大統領はみずから先頭で棺を担いで最大限の敬意を表したのである。世界中から称賛されるその功績は、戦争に抗って人びとを生きさせるための努力にこそあった。

 その意味では、誰が中村さんを殺したのかは大した問題ではない。この極端に格差のある「文明化した世界」のなかで、戦争をしたがる、戦争にしたがるあらゆる勢力が、中村さんを地上から押し退けたのである。中村さんは銃弾に散ったが、その肖像はいまある航空会社の旅客機の尾翼に描かれてアフガンの天に高く舞っている。

歴史修正主義に乗っ取られた国―『世界』10月号への補足2019/09/09

 久しぶりに『世界』から依頼があって、「令和の夏の日米安保――歴史否認とトランプ式ディール」を寄稿した。6月に、トランプが「日米安保は不公平だ」と発言したことを受けて、日米安保問題をトランプ政権下でのアメリカ外交との関連で書いてほしいという依頼だったと思う。

 日米安保の内実やその運用の近年の変化、あるいはいわゆる外交実務について論じるのはわたしの役目ではない(前田さん、梅林さん、太田さん、布施さん、その他がいる)。それに、トランプの発言は日米安保体制そのものを本気で見直そうとしているというより、参院選を避けて夏まで結論を持ち越されていた日米貿易交渉に圧力をかけようとするもの、つまり「ディール」の一環ということだろう。それに、北朝鮮関係を変えたいというトランプには、東アジアあるいはアジア全域を視野に置いた一貫した安全保障戦略があるとは思えない。だから、いま安保論議をすることにあまり緊急の意味があるとは言えない。

 それよりも、この夏の緊急課題というなら、何といっても安倍政権が露骨に採り始めた韓国「敵視」政策であり、それが日本の社会で広範に受け入れられるようになっている(「ホワイト国除外」への支持八〇%以上、安倍支持率上昇、野党立憲民主党も基本的に支持…)という事態の異様さだった。日本で「歴史修正主義」がまんまと勝利を収めていることが露呈した、というより、政権はそれが日本政府の姿勢であることを公然と示す「外交」を行い、それが一般的な支持を得ている、ということである。

 このことを抜きにして、いま政治の専門家でもない者が政治について発言する意味はない。そう思ってわたしは、与えられた課題の日米安保の問題を、国と国との関係というより、日本の統治層がアメリカ占領軍に対して示した「自発的隷従」、そしてそれなしに成立しない日米安保体制下における「歴史修正主義」の問題として、組み直してまとめた。

 案の定、『世界』10月号の特集は1、AI兵器と人類、2、日韓関係の再構築へ、となっていた。日韓問題、というより、日本における対朝鮮半島対応が異様な状況を呈しているという問題だ。もちろん韓国には韓国の国内的な諸々の問題がある。しかしそれは韓国人がみずから解決すべき問題だ。だが、日本はいま、外交問題のすべてを韓国のせいと居直り、かつ韓国内の問題をあげつらい「韓国叩き」をして、ちょうどその分自国の問題には背を向けて悦に入っているかのようだ。その、歴史修正・否認、何といっても同じだが、その国を挙げての没却ぶりははなはだしい(他にそんな国が見当たらないからだ)。いまではもう「戦後レジームからの脱却」は言われない。もちろんその言い方のいい加減さもあって維持できなかったというのも確かだが(「戦後レジーム」とは「日米安保体制」のこととみなすべきだから)、安倍政権の言う「戦後レジーム」はたしかにもう一掃されたのだ。少なくとも、敗戦をなかったことにするかのような「歴史修正」は日本の社会に浸透している。

 それが、長く執拗な文部省→文科省教育(=教育破壊)の効果なのか、あるいは経済的な「対米従属」としてのネオ・リベラリズムによる社会の解体(サッチャーは「社会など存在しない」と言ったが、まさに「社会」解体がネオ・リベの眼目なのだ)と、ネット・コミュニケーションによる情報環境劣化を腐植土として生じた事態なのか、いずれにせよ、政権による情報(公文書)隠蔽・改竄・破棄は恒常化し、今では公文書を作成しない・残さないということすら、政府の方針にできる状態になっている。今後は、歴史を修正したり否認したりする必要もないということだ。その路線の上に、現在の「韓国敵視・侮蔑」がある。

 「戦争になる」と恐れる人たちがいる。そういう人たちには言いたい、いや、これがもう「戦時態勢」なのだと(「セキュリティ」の名の下に、子飼いの警察官僚が国家セキュリティ委員会のトップに立ち、メディアはすでに「体制翼賛」にしているし、ネット民がかつての隣組のように喜んで「反日・非国民」を探して叩く)。歴史修正主義者が求めるのは、自分たちの勝手し放題の「治世」であって、新たな戦争ではない(彼らの戦争イメージはあまりに古いし、結果責任もとらないから)。せいぜい疑似的センソウ気分のオリンピックを仕切って気勢を上げたり(選手はヘイタイだ)、あるいはカジノを作って胴元気分に浸るぐらいだろう。兵器も制約を吹き飛ばして爆買いするが、それは実戦のためではなく(使えない高価な武器ばかり)、親分の機嫌をとって自分もオモチャで遊べるという一石二鳥のため。この連中は自分たちと独立した国家があるなどと考えていない。国家を私物だと思い込んでいる。それが森友・加計疑惑で露見したことであるし、警察を使って子飼いの記者を逃がす山口事件に露呈したことだ。

 これが言える間はまだいい。ただ、「反日」という言葉がメディアに踊る「ふつうの言葉」になったとき、少なくともコミュニケーション環境では事態はすでに「内戦」だということだ。それは「内」の「敵」を炙り出して排除する言葉だからだ。ましてやそれを外国に対して使うのは、他国を他国として認めない傲慢な居直り意識(親分意識)の現れでしかない。

『カイヨワ・戦争論』に関する二つの補遺2019/08/27

1)フィロゾフとソフィスト

 他所ではカイヨワを「批評家・社会学者」と紹介している。わたしは広い意味で「人類学者」という語を使った(アントロポローグ、人間について考える人という意味で)。些末なことだが、ある考えに基づいてそうしたので、若干説明しておきたい。

 いずれにしてもカイヨワはアカデミズムの人ではなく、個別学問にはこだわらない。彼は詩を書きながらシュルレアリズム(芸術・思想運動)から出発し、バタイユやレリスらと知的活動を展開、一般に知られるようになったのは『神話と人間』(一九三八年)『人間と聖なるもの』(一九三九年)によってである。そして第二次大戦中はアルゼンチンで南米にも浸透していたナチズムに対抗する批評誌などに関わり、まだヨーロッパでは知られていなかったラテンアメリカの新しい文学を発見、戦後フランスでボルヘスやカルペンティエールらの紹介に尽力した(ボルヘスとはあまりうまく行かなかったようだが)。

 フランスなら彼は「エクリヴァン」(作家というより物書き)と言えばすむ。だが日本では通例にしたがうと「物書き」ですますわけにはいかず、傾向やテーマ領域を示す「属性」をつけることになっている。また、カイヨワの場合、フィクションを書くのではなく、批評的考察を展開する。そうした仕事をわたしは広く「人間論」というふうに括ってよいのではないかと考えている。それが「アントロポロジィ」つまり「人類学」だ。「社会科学」を目指す人は「社会学」でよいだろう。だが、むしろ「人文学」系の考察を目指すのは、「人類学=人間論」と考えた方がよい。そう考えるとき、同時に念頭に置いているのはピエール・ルジャンドルの「ドグマ人類学」である。ここでは立ち入らないが、今回カイヨワを「人類学者」として紹介したのは、そのような考えからである。

 このことは、今回わたし自身が「哲学者」を名乗ったこととも関係している。もちろんこのような「肩書」というのは便宜的なものである。だから従来は「○○大学教授」を使っていた。それはわたしの身過ぎ世過ぎのあり様(たいていは「所属」を示すよう要求される)を示すことになる。「専門領域」は?と言われれば、初めはフランス文学・思想、ある頃からは、自分で勝手に名乗った「グローバル・スタディーズ」だ。だがわたしの主たる「フィールド」であるフランスに行くと、何をしているのかと聞かれて「フランス文学研究」と言ってもいいのだが、むしろそれを足場に「メタ」なこと(批判的考察)を展開しているので、「フィロゾフ」(哲学者)と答えることにしている。フランスではそれで了解される。

 「フィロゾフ」とはもともと「フィル+ソフィア」つまり「知ることがめっぽう好き」な人のことだ。「知はこれだ」と「知を自称する人」のことを「ソフィスト」と言う。知の専門家で、自分が知をもっているというわけだ。日本語では「詭弁家」と訳されている。それに対して「フィロゾフ」は自分だ「知」だと自称することなどしない。ソクラテスは、自分は無知だと知っていると言った。だが「知る」ことを大事にし、それを尊重し、「知ろう」とする。というのは「知ること」がもっとも望ましいからだ。そしてその知は適正かつ明晰かつ人間の生を豊かにするものでなければならない。だが人間は「知≒認識」ではない。それに近づく、それをこよなく愛するだけである。それが「フィロゾフ」ならわたしは「哲学者」でありたいと思う。

 だから、「肩書」を支える社会的帰属の場もなくなったいま、わたしとしては、お前は何か?と問われたら「フィロゾフ・エクリヴァン」と答えたい。「哲学的物書き」だ。ついでに言えば、こうしてブログに書いても、基本は物書きで、デジタル・シミュレーターでもプログラマーでもない。


2)トランプの「異常な愛情」

 カイヨワの論は、実はだいぶ混乱していて、理論的なテーマ立てや整理がされていない。カイヨワ自身それを承知で、恐怖させながら闇雲に魅了もし圧倒的に人間を呑み込んだ「全体戦争」の幻惑を引き受けているからだ。だからこの本は、戦争をなくす、あるいは戦争を何とか避けるための方策など、示していない。とはいえ、この本を読むとき、ひとは戦争ってすごい(ユンガー万歳)とは思わず、どうしたらこんな戦争を避けることができるのかと考えざるをえない。だからこの番組の方向は自然にそういうものになる(阿部さんたちのナビゲーションもそうだ。伊集院さんが「ウーム、納得してしまうだけに怖いですね」というのは、まったくツボにはまった反応なのだ)。

 番組でも、回を重ねるにつれてその印象は深くなり、ついにこの本を読み終えてもいっかな答えは出ない。与えてくれない。答えを与えてくれる本なら、4回目で、あー怖かったですね、でもさすがに名著、そうか、という答えでわたしたちを救ってくれる。いゃー、希望がもてますね…、と伊集院さんも言うことができただろう。そうして、番組も大団円、阿部さんも、今日は夏の終り、来週は爽やかな秋を迎えましょう、と終わることができたかもしれない。だが、伊集院さんは、ウーム、終わらなかった、と正直に言う。その「失意」とともに、納得したある否定しがたい「実相」(戦争への傾き)に抗う姿勢を、自分のなかに強く残さざるをえない。これがこの本の「効果」である。
 
 その意味では、今回の「名著」はふだんの「古典的」名著とは少し趣が違ったかもしれない。読んで勉強になる(分かった)とか、楽しめるとか、感動できる、といったものではなかったから。しかし手に負えないものを「考える」という経験には誘うだろう。その経験に出口はないが、その「霧の中の道」それ自体が、ひとを戦争から遠ざける、ということだ。

 わかりやすい答えなどあるわけがない。あれば戦争など起こらなかっただろう。ましてや、文明が進歩して人間が賢くなって(?)その果てに世界戦争になだれ込むなどということはなかっただろう。その答えのない中で、それでも「戦争への傾き」にどんな歯止めがあるのか、ストッパーは何なのか、それを考えるしかない。自分の中で何がこの「傾き」へのストッパーになるのか、そんなことを考えるしかない。カイヨワは唐突に「教育」の話を持ち出すが、ユネスコにいたカイヨワは教育を通してそのストッパーを世界に埋め込むことを考えたのだろう。

 他の面から少し具体的なことを考えれば、国民国家の戦争の枠組み(つまりナショナリズムの戦争)は原爆のきのこ雲とともに霧散した。いまや国家はあり続けるが、国民との関係はフェイク(でっち上げ)になり果てている。「テロとの戦争」はそれを露呈させている。もはや「敵」は国家ではなく「エーリアン」で、その「エーリアン」は国内にも浸透しているとされる。だから「国民⇒市民」は、いまや国家にとってヴァーチャルな「敵」なのである。それに対応するように、国家や国民の「浄化」を唱えて排外主義が台頭する。そうすると国内分裂だ。
 
 この図式は「戦争をしたがる連中」にとっては好都合で、「浄化」を口実に国家の権力を乗っ取ることができる。すると「安全保障(セキュリティ)国家」が「戦争を拒む人びと」を「潜在的テロリスト」として徹底管理することができる。そこで実際に戦争が起これば、彼らが戦争を担う戦闘員にさせられるだろう(経済的徴兵制もその仕組み)。だが、この体制をうまく活用するには実際の戦争にはしない方がよい。戦争は無秩序化するから、体制が崩れるリスクも大きいからだ。だから「戦争レジーム」さえ作ればよい。それで一部の勢力は国家を私物化して自分たちの最大利益を維持できるからだ。

 現状はそんなところだろう。だから「戦争をしたい者たち」(実際には「利用したい者たち」)と「戦争を拒む者たち」というのが、現代の政治的対立の基本軸になる(右翼/左翼でも、、保守/革新でもない)。前者は「敵」を作って国民(市民)を囲い込む。そして必然的に「差別・排外」を唆す。これは日本でもアメリカでも、その他の国でも同じだ。ただ、韓国・北朝鮮はあらかじめ相互の敵対構造を埋め込まれており、他国との関係もその構造に規定されている。

 また、トランプ米大統領が他の同類と少し違うのは、同じく「差別・排外」を助長しても、よい「ディール」にならなければ戦争はばかばかしいと考えているようだ。だから、イラン攻撃でもぎりぎりで踏みとどまり、北朝鮮の金正恩には奇妙な「愛情」さえ抱いている。正恩は若くて孤絶の境涯にあるのに、国と権力を守るため崖っぷちの「ハード・ディール」で一歩も引かない。北朝鮮の体制など関係ない。市場を開いたら「世界最後の秘境」にトランプタワーを建てる、そんな夢を抱かせてくれる唯一の相手なのだ。だが、それは冷戦後にも埋め残された世界の地雷原のひとつを解消する、「歴史的意義」をもつかもしれないのだ。

「元号」(紀年法)について(続)2019/03/29

 では、グローバルな世界で時間の指標となっている「西暦」とは何なのか?これは日本では「西暦」と呼ばれているが、元来はキリスト教(ローマ教会)が定めた暦法で、太陽暦によって一年を定め(古くはユリウス暦、現在は改訂してグレゴリウス暦)、その年数をイエスの「降誕」を起点に数えている。キリストが生れたのが元年、それ以前は「キリストの生れる前(BC)」として負の数で数える。ただ、この紀年法が小ディオニシウスによって考案されたとき(6世紀前半)、その時までの積算に誤差があり(だいいちイエスの生年がはっきりしない)、後にイエスの誕生はこの紀元より数年遡るとされたが、この紀年法の主旨は福音の訪れ(救世主の降誕)によって世が変わったということにある。つまり、それ以来「終りの日(神の再臨)」を待ち望む日々(時間)が始まったということだ。だから誤差はそのままに、教会で採用され、やがてキリスト教世界に広まることになる。

 そこから「千年王国説」などが生れ広まる。だからある意味では、これもイエスの「一世一元」と言えなくもない(ただし、この場合、「世」はひとつしか想定されないから個別の名前をつけなくてもよい)。この紀年法はキリスト教世界に広まるが、この世界はやがて地上に世俗権力が乱立し領土統治するところとなり、近世には国民諸国家の政治秩序によって教会の権威は「中性化」(カール・シュミットの表現、「骨抜き」ということ)されることになる(宗教戦争以降)。だからこのキリスト紀年法はその宗教性・国民性をともに脱色されてこの地域の「共通暦」となり、それが西洋の世界化とともに現代世界全体に適用・採用されるようになった。 考えようによってはキリスト教的観念枠の世界化だが、いま言ったように「神が与えた」という性格は実質的には消えている。

 というわけで、西暦も絶対的なものではありえないが、世界の歴史の進展が作り出してグローバル世界で共通のものとなった時の数え方だとは言えよう。もし、全世界の人間たち(人類)が、イエスの「降誕」(ただの誕生ではない)から年を数えるなどという、恣意性と抹香臭さの残る紀年法を廃して、世界的的な出来事を区切りに新しい暦を創設するとしたら、もっとも妥当な案は、近代世界を導いてきた西洋文明が「世界戦争」の内に崩れ落ち、その廃墟から新たな世界が出直したとして、西洋キリスト暦1945年をもって改元、1946年を新紀元1年とするというのが考えられる。その戦争の絶頂に瞬時燃え上がった「人工の太陽」を前に、それを実現した科学者の脳裏に浮かんだのは『バガバットギータ』の語る破滅の幻影だったのであり、その跡地は「グラウンド・ゼロ」と呼ばれた。まさに「世は改まった」、改めるべき、ということだ。それを紀元とする暦こそ以後の世界の「共通暦」とするにふさわしいだろうが、分かりやすい名をつけるとすれば、「国連暦」とか「再生暦(ルネサンス)」、あるいは「共生暦」としてもいいだろう。

 しかし、そんなことがまともに議論されたという話は聞かない。それは文明の破綻がそうとは受け止められず、戦争の勝者が破綻から世界を救ったと自分たちの歩みを正当化し、「戦争」そのものが破綻だったということが掠められたからである(だから戦後は「パックス・アメリカーナ」となり、「アトミック・エイジ」となった)。そして、日本で「昭和の御代」が永らえたように、世界ではキリスト紀元が「世の終り」を掠めて続いて行くことになった。その継続によって隠蔽されたのは、「最終戦争」があり、日本が、そして世界が「無限地獄を見た」という事実なのである。

*「元号」については、旧著だが『世界史の臨界』(岩波書店、2000年)のとりわけ「プロローグ」と、第4章「〈世界史〉の発明」を参照されたい。

桜吹雪とともに降る「怪しい」元号について2019/03/29

 「一世一元制」と言われる制度がある。一世とは、ひとりの王の君臨する世(時代)ということだ。それを区切ってひとつの名で呼ぶ、それを制度としたのが一世一元制だ。だが、これは単なる法制度ではない。

 法律としては一九七九年に成立した「元号法」がある。しかしこれには「元号は政令で定める」ことと「皇位継承があった場合にのみ定める」としか書いてない。この法律は元号があることをあらかじめ前提としている。それは「しきたり」(=繰り返ししてきたこと)とされるものを実定法に書き込んだ。それだけがこの元号法の役割である。すると元号に法的根拠があることになる。それをもとに、議会も通さない「蚊帳の中」で政府(政権)によって元号が定められ、天から降ってきたかのように政府から発表され、あとは官公庁から率先して使用し(公式書類等にはこの元号を記すことが求められる)、お上に従う形で社会的に使用されることになる。しかしこの法律には、元号が何であり、誰がどういう手続きで決め、決まったものに強制力があるのかどうか等に関しては一切の規定がない。にもかかわらず、われわれは「平成」の三十年間、この元号使用をなかば強制されてきた。使うことに「なっている」という事態が作られたのだ。

 だからわれわれはいつも手帳の後ろの換算表をたどりながら、二つの時を数え直さなければならない。いわゆる国際化した現代の社会生活では西暦が欠かせないのに、この国の「しきたり」では元号を使うことになっている。つまり、この国にはよそとは違う「別の時間」、それも天皇の一代で区切られる特別の時間があるのだとされる。それがこの「元号法」の法文外的な効果である。

 この法律は民主制の抜け穴を穿つものであり、元号がこの国・この社会に生きる者たちにとって、「しきたり」として天から降ってくるように作られ使われるということを、法体系のうちに書き込んだ。「元号を定めて公用する」とする法律ではなく、元号はすでに存在するものとして、天皇の代替わりで切り替えることだけを定めている。

 だから元号法は、明治改元のときの太政官令と同様の性質をもつ。日本で一世一元制が採られたのはこの時が初めで、誰がどう決めたのかはまったく問われていない。しかし、国家的な布告として作用し、それが「近代日本」の決まりごとになった。それ以前もこの国では、時を数えるのに中国伝来の元号を用いていたが(「大化」以来)、それは天変地異やいわゆる「世」の趨勢に応じて改元されてきた。世≒時を改めるというわけである。ただしその節目は、人ではなく「世」に応じてきた。それを、天皇の一代に重ねるというのは、「世」を天皇に結びつけることだ。幕末移行期の権力者たちは、天皇を西洋型の主権者にするために、「世」を天皇の生身の存在に結びつけるという、実に中世的な工夫をしたわけである。ちなみに、本家の中国では、明代から一世一元になっていたが、元号そのものが辛亥革命で廃止され、以後は西暦を用いている(その意味では中国の方が「国際規準」に沿っている)。

 ただし、それを決めたのはもちろん天皇(明治天皇)ではない。天皇を掲げて「王政復古」の新政府を作ろうとしたいわゆる廷臣たちである。その廷臣たちの権力行使を覆う「すだれ」(ブラックホックス)が帝(みかど)だということだ。天皇はそのように使われ作られる。それは最初に元号を定めた「大化の改新」以来変わらない。中大兄皇子は中臣(藤原)鎌足と組んで、自らは長く天皇にならずに代わりの天皇を立て、天皇主軸の律令制改革をやった。晩年には即位したが、その後を壬申の乱を経て天武が継ぎ、鎌足の子不比等が「古事記」「日本書紀」を国史として作らせ、天皇統治の正統性の基礎を編み上げると、以後藤原氏が実権を振るうという体制ができた。要するに、統治権力が掲げる御旗あるいは隠れ蓑が天皇なのである。いわゆる天皇制の実質はこの構造であり、そこでは天皇が主体であった時期はほとんどない(だから権力者の意に沿わない天皇は斥けられる)。

 しかし、日本が近代国家になろうとするとき、この構造が活用され、それを天から降ってきた「しきたり」として社会を超法律的かつ超政治的に拘束する枠組みとして、代ごとの天皇の現存に「世」を重ねるという「一世一元」が制度化されたのである。この仕組みは「開国」によって「世界の荒波」のなかに漕ぎ出ることになった日本に、内にしか通用しない時間(歴史)意識の枠を確保することになり(世界時間の中の繭のように――繭は日本の特産物だった)、天皇の身体に重ねられた時間は、日本のナショナリズム形成の強力なベースとなった。それがやがて「神国日本」や「臣民の道」、あるいは「国体思想」といった「超国家主義」的なイデオロギーを育ててゆくことになるが、その破綻を画したのがアジア太平洋戦争での「敗戦」だった。

 「敗戦」で天皇制国家は事実上破綻したのだが、権力のブラックボックスと戦勝国アメリカとの「協働」によって、天皇は退位せず「人間」にコンバートして(そのことに三島由紀夫はのちに激越な呪詛をぶつけた)、「昭和の御代」はそのまま継続することになった。しかし元号は法的根拠を失った(詳細は他所にゆずる)。そのことを危惧し、昭和も50年を数えるに至ったころ、元号法制定に動きその運動を担ったのは、現・日本会議に連なる人脈である。

 しかしこの法制定は功を奏し、多少の議論はあったものの「平成」改元は「滞りなく」果たされたばかりか、元号は法律に定められているということで使用が「推奨」され、事実上強制され、また「お上への忖度」によって常用され、いまでは「日本固有の慣習・美風」だからいいんじゃないの、とばかり、フェイク安倍政権の下にあってさえ「改元」は、「安」の字だけは避けてほしいとか言われながらも、「桜の季節が廻りくる」かのように誰もが蓆をしいて酒盛りの用意をしながら待っている。

  来年の盛大な酒盛り(できるかどうかわからないが)東京オリンピックでも、2020年と言わないと通用しない。次は何かと、昔の家の新築時にたてまえ祝に梁から投げられる餅を拾おうとするかのように、あんぐり口を空けて次の元号は何か、などとエイプリルフールのお告げを待つのではなく、ほんとうなら今、元号廃止こそが検討されるべきだろう。ところがメディアにも、とんとそんな気配はない。桜の花の下で予測に興じるだけで、報道の自由なんて何のこと、といった風情だ。元号はいまや日本の社会に内向き意識を作ることにしか役立っていない。もっと言えば、ともかく日本を愚かな国にして、自分たちが好き勝手に統治したいと思う者たちだけが元号を更新し、「シキタリ」で縛る社会に逆戻りさせようとしている。明治に作られ、戦争で一度破綻して、裏口から戻ってきたような制度である。本家の中国でも、元号を止めてそのためにダメになったという話は聞かない。評判の良し悪しはあるが、21世紀世界の一大企画になっている(世界に与える影響が決定的に大きい)「一帯一路」、国境や国々をぶち抜きで経済社会圏を拡張しようとするこの政策・理念も、元号の確保する内向き構造を棄てたから可能になったわけである。(続く)

[追記]
 新元号が「決まった」4月1日、外務省は原則として和暦ではなく西暦を使う方向で検討している、と幹部が明言したという(朝日新聞デジタル)。そう、とくに外務省では不都合は明らかだからだ(つまり元号はひたすら内向きのため)。この「言明」は撤回されるだろうか?
 元号があってもいい。この国では昔は時間をこうやって刻んだんだよ、古い慣習いいじゃない、と好きな人が趣味で使えばいい。和服を着るのと同じだ。観光資源にもなるかもしれない。元号が問題になるのは、それが法的根拠もないまま、事実上使用を強制されるからだ。そしてその「慣習」に従わないと排除される(役所に出す書類が受け付けられない)。そのうえ最近では、そんな押しつけを批判すると「反日」だと言われる。「あんな人たち」と指さされるのだ。つまり「麗しき伝統」の元号は社会的排除の「踏み絵」にされている。元号の問題はひとえにそこにある。

原爆開発・使用と科学者の役割2018/08/14

 8月12日、BS1スペシャル『「悪魔の兵器」はこうして誕生した~原爆、科学者たちの心の闇』は、原爆開発投下を今までにない視点から検証して興味深かった。というより、現代の科学技術と科学者のあり方を考えるうえできわめて重要な事情を明らかにしていた。
 
 日本でも一昨年来(2016年~)の日本学術会議の「軍事研究」をめぐる議論の高まりがあり、池内了さんを始めとする「軍学共同」の流れに抗議する学者団体の活動もある。
 
 これまで原爆投下の問題は、政治的決定や軍事的必要等の観点からさまざまに論じられてきた。日本の降伏が時間の問題となっている段階で、なぜアメリカは原爆を投下したのか。ルーズベルト→トルーマンが戦後のソ連との対立を見越して米の軍事的優位を誇示するためだったとか、いつまでも降伏しない日本に戦争終結を受け容れさせ、余分な犠牲を避けるためだったとか。

 もちろん、最終決定は大統領(政府)によるものだし、実行するのは軍である。しかし両者が科学技術の最先端に通じているわけではない。そもそも原爆開発は、科学者の提言によるものだったし、開発プロジェクトを担ったのは科学者の組織と集団だった。それが政治家と軍を動かしたのである。しかしこの番組は、原爆投下(ヒロシマ・ナガサキの惨禍)に科学者たち自身が決定的な役割を演じてきたことを、原爆開発チーム・メンバーの証言映像の発見を契機にして描き出した。
 
 ナチス・ドイツからの亡命科学者レオ・シラードがアインシュタインを動かしてルーズベルト大統領に書簡を出し、近年研究された核分裂現象が新次元の兵器を可能にするとして、ドイツがそれを開発する前にアメリカが開発しなければならないと進言したのが(39年)、1942年秋に始まるマンハッタン計画のきっかけとなった。それがなければ、原爆開発はなかったのである。科学技術の最新動向に政治家が通じているわけではなく、また戦争の危機のなかで、科学の最新成果の軍事利用をすぐに考えた(恐れた)のも科学者だったのだ。
 
 それに、20世紀に入って科学技術の研究開発はその規模を拡大し、多額の資金を必要とするようになっていた。第一次世界大戦で現出した「総力戦」状況の中で、自分たちはもっと役に立つのに、と地団太踏んでいたのもまた科学者たちのようだった。そんな中で、科学技術の発展のために、軍事に貢献して国家予算を獲得しなければならないと考える学者も出てくる。
 アメリカではそれが、MIT副学長からカーネギー研究機構の総長となり、政府の非公式な科学顧問となったヴァネーヴァー・ブッシュ(1890~1974)だった。彼は大恐慌(29)以後科学研究費が削られることを憂慮して、ヨーロッパで戦争が始まるとアメリカ国防研究委員会(NDRC)を設立して議長となり(40)、翌年には大統領直属の科学研究開発局の局長となる。秘密裏に決定されたマンハッタン計画を仕切るのはこの部局だ。
 
 議会にも連合国にも秘密にされたこの計画のもと、20ほどの研究施設のネットワークの中核に、後のソ連の秘密都市のようにニューメキシコのロスアラモスに広大な研究施設が作られ、若い有能な科学技術者が各所から集められ(2000人規模)、戦時中では考えられないほどの厚遇を受けて集団的な研究開発を行う。戦争の終結前にともかく原子爆弾を開発するというのが至上命令だったが、多くの科学者は全体目的も知らないまま、この厚遇のなかで担当箇所の研究開発に没頭するのである。
 
 ノーベル賞級の科学者を中核とするその計画の統括を任されたのがロバート・オッペンハイマーだった。計画着手は42年9月だったが、翌年6月には軍の報告から、ドイツが実現性を疑って原爆開発をしていないことが明かになる。そこで一部の科学者は、戦争中の開発の必要性に疑問をもち(いずれにしても未曾有の破壊兵器である)、計画遂行をめぐる討論会を開こうとしたが、オッペンハイマーが介入し、この兵器は戦争することを断念させるだろうから、戦争を起こさせないために開発するのだと、原爆の新たな必要性を強調したという。秘密の国家事業であるこの計画から身を引くことは、科学者の将来を危ぶめることだろうというので、ここで辞退した科学者はいなかったという。
 
 そして45年7月16日、ルーズベルトの死去を受けて大統領となり、ヤルタ会談に出ていたトルーマンのもとに、実験成功の知らせが届く。アラモゴードの実験場では、まばゆい閃光と爆風そして巨大なきのこ雲を遠巻きにして、科学者たちが恐怖混じりの感動と熱狂に包まれていた。その日以来、オッペンハイマーは偉業を達成したある充足感のようなもので別次元の存在のようだったと、弟のフランクが回想している。
 
 5月にヒトラーは自殺して計画当初の敵はいなくなり、戦争を続けているのは日本だけだったから、原爆を使う対象は日本になる。その破滅的な威力を見て、レオ・シラード等は、実際に投下するのではなく、効果を見せて降伏を迫ればよいと、トルーマンに進言するが、オッペンハイマーは予告なしでこの兵器の威力を見なければ意味がないと主張していたという。
 
 トルーマンが世界に向けて高らかに宣言したように、科学技術の成果が戦争に勝利をもたらしたのであり、この成果によって、以後、科学技術は国家にとって最も枢要な位置を占めることになる。それが20世紀後半以降の科学技術の地位を決めたのだ。
 
 しかしそれは国家を導く地位ではなく、国家に従属する地位であり、戦後アメリカは核開発を推進するために新たな機構を設置する。しかし、オッペンハイマーは折から起こったレッド・パージに引っかかり、国家英雄から一転して赤いスパイとみなされて公職を追放される。それがオッペンハイマーの改悛の契機となるが、われわれがよく知っているのは以後の彼の姿だったのである。

 この調査番組が明らかにするのは、原爆投下を引き起こしたマンハッタン計画という秘密国家事業に関して、科学者はたんに使われたのではなく、むしろ科学技術の発展のためとして積極的な役割を果たしていたということ、科学技術の研究開発が国家予算の獲得と結びつき、科学者の集団やそのリーダーが予算獲得のためにみずから軍事貢献を提言し、科学技術開発の成果に何の疑惧もなく、異常なまでに破壊的な兵器開発に邁進したのだということ、そしてそれが未曾有の大量破壊兵器であり、その兵器が実際に使用されたとしたらどんな地獄が現出されるのか、まったく想像もしてみなかったということである。

 そのうえ、科学技術は以後、文明発展の原動力と見なされ、現在もっている社会的影響力を十分に享受するようになった。また、ヒロシマやナガサキの惨禍を見てもなお、その使用の責任を政治家や軍に負わせ、科学者たち自身は、このような重大で危険な兵器を、感情や個人的利害に身を任せて判断を誤る政治家たちに委ねないために、最も合理的な判断を引き出す人工知能を開発するといった、無責任ぶりに無自覚である。
 
 いまや科学技術は、人間の役に立つ道具のレヴェルにとどまってはおらず、その使用効果は技術を制禦しているつもりの人間のコントロールをはるかに超えている。オッペンハイマーたちが、原爆実験を行いながら、それを現実に使用したら、たとえ敵国とはいえ人間の世界にどんな惨劇が現出するのか、ほとんど考え及ばなかったらしいことも、科学技術的知性の盲目性を証している。
 
 科学技術は人間に新たな可能性を開くニュートラルな成果であって、その使用の是非は関与する者たちの倫理性に委ねられている、というのは実は科学者たちの欺瞞であって、科学者たちこそが、自分の研究開発の成果が社会にもたらす結果について責任を持たなければならないだろう。「なす」のは科学者たちだからだ。そうでなければ科学者は、ついに欺瞞的な国家や市場の拡大の一エージェントに過ぎなくなるだろう。