★お知らせ:朝日カルチャーセンター新宿での講座2019/04/01

 立教大学を辞めましたので、しばらく「朝日カルチャーセンター(新宿)」を借りて「授業」を続けます。実はだいぶ以前からやっていたのですが、当分の間ここがメインの授業になります。自分で場を設定するにはあまりに怠惰な性分ですので。授業料がかかりますが、関心のおありの方はよかったら覗いてみてください。
 ここは1年4期制で、4月期は6月までですが、だいたい2期連続でやってゆこうと思っています。今期は以下の2つです。
 
■ルジャンドルとドグマ人類学

 経済レヴェルで世界の一元化が進み、それと同時にIT‐AI技術によって人間社会が底抜けに「革新」されて、さまざまな局面から「人間とは何か?」が改めて問われる時代、世界を読み解くための新たな知が求められていますが、そのための強力なツールとなりうるのがピエール・ルジャンドルのドグマ人類学です。難解とされこの法的思想と新たな人類学の核心を、日常的思考につなげながら平易明快に解説します。

1)ルジャンドルとドグマ人類学
2)科学技術的知と人文知、あるいは哲学
3)「話す生き物」――知の展開と社会

*4月から各月第二木曜日(4/11、5/9、6/13)

[テキスト]ルジャンドル『ドグマ人類学総説』(平凡社、2003年)
[参考書]ルジャンドル『ルジャンドルとの対話』(みすず書房、2010年)、『真理の帝国』(平凡社、2006年)、西谷修『アメリカ、異形の制度空間』(講談社メチエ、2016年)、その他。

■世界史的批評――われわれはどんな世界を生きているのか

 21世紀が20年になろうとし、日本では「平成」が終わる時、いまほど先の見えない時代はないでしょう。「未来」がなくなったと言ってよいかもしれません。そのとき、わたしたちをこの「現在」へと導いてきた過去を振り返らざるをえません。この先のない時代に「未来」を開くために、来し方を問い、何が真の「未来」なのかを、世界からそして日本で考えます。

1)現代世界のできるまで、西洋の世界化
2)近代日本の150年
3)人類はどこへ行くのか

*4月から原則各月第4木曜日(4/25、5/16、6/20)

[参考書]西谷修『世界史の臨界』(岩波書店、2000年)、『戦争とは何だろうか』(ちくまプリマー新書、2016年)、『破局のプリズム』(ぷねうま舎、2014年)、山本義隆『近代日本百五十年、科学技術総力戦体制の破綻』(岩波新書、2018年)その他。

※朝日カルチャーセンター照会先 https://www.asahiculture.jp/course/list?word=%E8%A5%BF%E8%B0%B7%E4%BF%AE&school_id=01#room

★立教大学(大学院)退職のご挨拶2019/03/18

退職のご挨拶
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★ご挨拶
 この国では「平成」と区切られた時代の末、この春、わたしも立教大学での特任の年季が明けて、大学勤めを終えることになりました。他に能もなく食うための職業ではありましたが、若い頃は学生たちと鍛え合い、やがて年齢差も広がって「教え・教えられる」場となった大学の教室とその周辺は、それでもわたしの人生の主舞台であり、そこを去るのに一抹の感慨がないわけではありません。しかし幸い、そんな区切りをやり過ごして往生際を掠めるかのように、今年も神戸市外大や立命館先端研などで集中講義をする機会をもちます。よく、死後の生とか天国の控えの間とか言われますが、わたしとしてはむしろこれは「不死のワンダーランド」なのだと内心密かに考えています。最後の学生のひとりが論文で示唆していた「倚りかからず」と「ともに生きる」の重なりを旨とし、「死」がもはや機能停止でしかなく、未来もヴァーチャルな計算に置き換えられるだけのこの無彩色の世界(人の世)に、何ごとでもないかのように紛れてゆこうと思っています。
今後ともよろしくお願いいたします。  二〇一九年三月吉日

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 このネット・コミュニケーションの時代に、それでも公私の区別をつけて、このブログには私的なことは載せないようにしてきました。もちろん、ネット環境については、人にはそれぞれの使い方関わり方があります。それを承認したうえで、わたしはネット環境を公開の場と考えてきたということです。
 それでも公私の境にあるのが職業上のことで、これは公的活動とも関係があるので(ほとんどの方々には関係ないこととはいえ)、この場を借りて報告させていただきます。
 
 私儀、というわけですが、この3月末をもって、5年間特任教授として教えた立教大学を去り、1986年に明治学院大学に着任して以来、東京外国語大学大学院を経て30余年続けた大学勤めを終えます。思えばそれは、ちょうど「平成」の時代にも重なる時期、世界でいえば冷戦期の終りから今日まで、新自由主義とIT技術が世界の再編を深く進めた時代ということで、それ自体振り返って検討すべき意味がないわけではありません。

 しかしそれはまた、大学というものが大きく変質し、西洋中世に発したこの教育機関がその存在意義をほとんど失い、あるメディア学者に言わせれば「大学は死んだ」(吉見俊哉)とさえ断定される時節でもあります。わたしにとって大学とは、身も蓋もなく言えば、他に能もない人間にとって知識で身過ぎ世過ぎのできる「食らうべき」職業の場でした。われわれが学生の頃にはすでに「大学の解体」がとりざたされていたのですから。しかし、この職業に就いていたおかげで、つねに若い人たちと接しながら、儲けや稼ぎや権力争いに囚われることなく、その意味で「自由」にものを考えるということを続けることができました。ものを考えるというのは、詰まるところ人間やその世界について考えるということです(最近は「世界は存在しない」ことをデフォルトにするふりをする思考などというものが、哲学として世界的に客を獲得しているようですが)。その考えを「商品化」することにはまったく成功しませんでしたが(そんなことには意を用いなかったので)、そのような境遇で末期産業社会の「職業生活」(雇用年限)を過ごせたことを、得難い僥倖だったと感じております。

 これからは、産業的近代の遺物ともいうべきサービス産業の一角になり果てた大学という特権的かつ幻影的な「雇用形態」に守られることのない、一介の高齢生活者として命脈が尽きるまで生きてゆくことになります。生きているうちは「死」が見えず(文字どおり「死は存在しない」)、死んだときにはもうそれに慌てる自分はいません(わたしが死んだことを確認できるのは他人だけです)。そういう「不死のワンダーランド」にわたしも裸で歩み入っているのだと、いまさらながら考えています(30年間、思考が停止しているということかもしれませんが)。

 「ワンダー」を「不気味(ウンハイムリッヒ)」と訳すべきだとしたのはハイデガーですが、同じ語をフランス語では「メルヴェーユ(摩訶不思議)」と訳したりもします。どちらでもいいでしょう、人間の言葉とはそうしたものです。しかうそういう「ワンダー」な境地を、少しでも見透しのよいものにしてゆくべく今後も努力してゆきたいと考えています。

*付言しておけば、挨拶状のなかの「最後の学生のひとり」とは、この春、立教大学大学院文学研究科・比較文明学専攻で博士学位を取得した金英智さんで、学位申請論文は『茨木のり子における韓国』です。金さんはこの論文で、茨木のり子における「韓国」が、この国民的詩人の後半生のエピソードに留まるものではなく、その詩想全体を貫くモチーフの具現であったことを、全詩業(訳詩も含めて)の再検討を通して示しました。そこでは、茨木のり子の主張した「自由」が、最後の詩集のタイトル「倚りかからず」の自立の姿勢であるのはもちろん、それが「ともに生きる」の深い感覚に支えられたものであることをも示しました。つまり「自由」と「共同性」との合い補う別の様相を洗い出したのです。
 わたしが指導した最後の学位取得者ということになりますが、東京外大でのN君(現・早稲田大学准教授)に始まり、数は多くはありませんが何人かの有為の若者たちの成長を手助けできたのは、「そこにいるだけ」とはいえ教師冥利に尽きるといってよいでしょう。

ベネズエラのための緊急声明20192019/02/22

★ベネズエラ情勢に関する有識者の緊急声明
~国際社会に主権と国際規範の尊重を求める~
2019年2月21日  東京

ベネズエラ情勢が緊迫している。現マドゥーロ政権に反発するグアイドー国会議長が1月23日街頭デモ中に「暫定大統領」に名乗りを上げ、米国とEU諸国がただちにこれを承認するという異常事態が発生した。米国政府は軍事介入も仄めかしてマドゥーロ大統領に退陣を迫っている。世界の主要メディアはこうした事態を、「独裁」に対抗する「野党勢力」、それによる二重権力状況といった構図で伝えている。

見かけはそうなっている。だが、すでに干渉によって進められた国内分裂を口実に、一国の政権の転覆が目論まれているということではないのか。米国が主張する「人道支援」は前世紀末のコソボ紛争以来、軍事介入の露払いとなってきた。イラクやその後のシリアへの軍事介入も、結局は中東の広範な地域を無秩序の混迷に陥れ、地域の人びとの生活基盤を根こそぎ奪うことになり、今日の「難民問題」の主要な原因ともなってきた。

「民主化」や「人道支援」やの名の下での主権侵害が、ベネズエラの社会的亀裂を助長し増幅している。それは明らかに国際法違反であり国連憲章にも背馳している。ベネズエラへの「支援」は同国の自立を支える方向でなされるべきである。

この状況には既視感がある。1973年9月のチリのクーデターである。「裏庭」たる南米に社会主義の浸透を許さないとする米国は、チリの軍部を使嗾してアジェンデ政権を転覆し、その後20年にわたってチリ社会をピノチェト将軍の暗黒支配のもとに置くことになった。米国はその強権下に市場開放論者たちを送り込み、チリ社会を改造して新自由主義経済圏に組み込んだのである。

ベネズエラでは1999年に積年の「親米」体制からの自立を目指すチャベス政権が成立した。チャベス大統領は、欧米の石油メジャーの統制下にあった石油資源を国民に役立てるべきものとして、その収益で貧民層の生活改善に着手、無料医療制度を作り、土地を収用して農地改革を進めるなど、民衆基盤の社会改革を推進した。その政策に富裕層や既得権層は反発し、米国は彼らの「自由」が奪われているとして、チャベスを「独裁」だと批判し、2002年には財界人を押し立てた軍のクーデターを演出した。だがこれは、「チャベスを返せ」と呼号して首都の街頭を埋めた大群衆の前に、わずか2日で失敗に終わった。それでもこのとき、欧米メディアは「反政府デモの弾圧」(後で捏造と分かった)を批判したのが思い起こされる。

ここ数年の石油価格の下落と、米国や英国が主導する経済封鎖措置や既得権層の妨害活動のため、ベネズエラでは経済社会的困難が深刻化している。マドゥーロ政権はその対策に苦慮し、政府批判や反政府暴力の激化を抑えるため、ときに「強権的」手法に訴えざるを得なくなっている。米国は制裁を重ねてこの状況に追い打ちをかけ、過激な野党勢力に肩入れし「支援」を口実に介入しようとしている。だが、国際社会を巻き込むこの「支援介入」の下に透けて見えるのは、南米に「反米」政権の存在を許さないという、モンロー主義以来の合州国の一貫した勢力圏意志である。

対立はベネズエラ国内にあるが、それを根底で規定する対立はベネズエラと米国の間にある。チャベス路線(ボリバル主義)と米国の経済支配との対立である。数々の干渉と軍事介入が焦点化されるのはそのためだ。それを「独裁に抗する市民」といった構図にして国際世論を誘導するのはこの間の米国の常套手段であり、とりわけフェイク・ニュースがまかり通る時代を体現するトランプ米大統領の下、南米でこの手法があからさまに使われている。そのスローガンは「アメリカ・ファースト」ではなかったか。国際社会、とりわけそこで情報提供するメディアは、安易な図式に従うことなく、何が起きているのかを歴史的な事情を踏まえて評価すべきだろう。さもなければ、いま再び世界の一角に不幸と荒廃を招き寄せることになるだろう。

わたしたちは、本声明をもって日本の市民と政府、とりわけメディア関係者に以下を呼びかける。

▼ベネズエラの事態を注視し、独立国の主権の尊重と内政不干渉という国際規範に則った対応を求める。
▼国際社会は、ベネズエラが対話によって国内分断を克服するための支援をすることを求める。
 (メキシコ、ウルグアイ、カリブ海諸国、アフリカ連合等の国々の仲介の姿勢を支持する)
▼ベネズエラの困難と分断を生み出している大国による経済封鎖・制裁の解除を求める。
▼メディア機関が大国の「語り」を検証しつつ事実に基づいた報道をすることを求める。


*呼びかけ人(26名)
伊高浩昭(ラテンアメリカ研究)
市田良彦(社会思想・神戸大学)
印鑰智哉(食・農アドバイザー)
岡部廣治(ラテンアメリカ現代史・元津田塾大学教授)
小倉英敬(ラテンアメリカ現代史・神奈川大学)
勝俣誠*(国際政治経済学・明治学院大学名誉教授)
清宮美稚子(『世界』前編集長)
黒沢惟昭(教育学・元東京学芸大学)
後藤政子(ラテンアメリカ現代史・神奈川大学名誉教授)
桜井均*(元NHKプロデューサー)
新藤通弘*(ラテンアメリカ研究)
高原孝生(国際政治学・明治学院大学教授)
田中靖宏(AALA:日本アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会代表理事)
中山智香子(経済思想、東京外国語大学)
中野真紀子(デモクラシー・ナウ・ジャパン)
西谷修*(思想史、立教大学)
乗松聡子(ピース・フィロゾフィーセンター)
松村真澄(ピースボート国際部・ラテンアメリカ担当)
武者小路公秀(元国連大学副総長)
臺 宏士(元毎日新聞・ジャーナリスト)
森広泰平(アジア記者クラブ代表委員)
八木啓代(ラテン歌手、作家、ジャーナリスト)
山田厚史(デモクラシー・タイムズ)
吉岡達也(ピースボート共同代表)
吉原功(社会学・明治学院大学名誉教授)
六本木栄二(在南米ジャーナリスト・メディアコーディネーター)

*署名サイトは for-venezuela-2019-jp.strikingly.com です。

『「改憲」の論点』(集英社新書)2018/07/27

『「改憲」の論点』(集英社新書)
 ブログの更新を長らく休んでいましたが、新しいお知らせを。

 7月にこういう本が出ました。第196国会という戦後最悪の国会を、オウム死刑囚大量一括処刑で目晦ましし、折からの西日本豪雨大災害の対策もそっちのけで、トランプ土産のカジノ賭博法を強行して乗り切った安倍首相は、自民党総裁三選に向けて「改憲」が争点だと表明したそうです。

 ほんとうに「改憲」する気があるかどうかは分かりません。たぶん、2020年のオリンピックまで首相でいて、在位最長をスーパーマリオで飾れば後は野となれ山となれ、本人はそれでいいのだろうけれど、右バネの求心力を使うためには「改憲」を持ちだす必要があったのでしょう。

 それに、実際、やりたいことは何でも通る(安保法制、共謀罪、TPP11、虚偽資料の働かせ改革、カジノと)翼賛というより数の隷従(自公のこと)国会だから、やろうと思えば形だけの発議はできるだろうし、どんなにいい加減な「改憲」でも、中身は関係なくともかくやってしまえば「やった」を功績にできるのが、いまの日本政治の実情です。

 それに、安倍のコアな支持者はとにかく「改憲」を求めているから、やれば彼ら(日本会議・神社本庁・ネトウヨ・ヘイトマニア)は喜ぶ。だからオリンピック・ボランティア(酷暑を試練に祖国への挺身強制)空気を圧力に使いながら、「日本スゴイ!」のデタラメ「改憲」発議をする可能性は十分にあります。ここまで来たら「改憲」することに意義がある!オリンピックが終わっても、それが「美しい国」への「レガシー」になる。

 安倍政権は、言うことをきかない者は徹底的に排除し、なびく連中にはソンタクの限りを尽くさせ、官僚機構は「お役立ち」役人が餌を追うだけの牛舎にしてしまい、メディアや司法もすっかりなびかせて、国会は議論など成り立たない強弁と虚言と言い逃れと居直りの、まったく空しく品格のヒの字もない採決手続きにしてしまうのに成功しました。、そのうえ、日本の大勢を、それを放置しそれでも通る底抜け社会にしてしまったのだから(何の大災害が起きたのでしょう?)、6年かけて「改憲」の機は十分に熟したと言うこともできるでしょう。

 要は、もう議論の問題ではないということですが、何を血迷ったのか、そんな政治状況を不問に付して、まるで今の日本にまともな論議をする土台があるかのように、「護憲的改憲論」とか「リベラルの側から改憲を」という主張も出てきています。そのうえ「リベラルよ目覚めよ」とか言う。大きなお世話でしょう(わたしは「リベラル」ではありませんが)。

 そんな折に行き合わせるかのようにタイミングよく、「立憲デモクラシーの会」の主要メンバーによる8人による新書『「改憲」の論点』が出ました。いま必要な議論のテーマがほぼフォローされています。論点を間違えないよう、参考にしていただけたら幸いです。

 わたしは、憲法その他の法論議ではなく、日米安保のアメリカとの関係で、「改憲」や「戦争権」の主張の問題点を、解説しました。十分ではありませんが、いわゆる「ポスト真実」の歴史的意味にも関係しています。

 また、これに関連して、「テロとの戦争」以降の「戦争」の変容と国家間関係の変質について、つまり現代の「戦争」を考えるうえでの前提条件について、夏に刊行される『神奈川大学評論』に寄稿しました。じつはこれは上記の新書に書いた文章の「前半」にあたる部分です。なかなか手にしづらい媒体ですが、図書館などでは見られると思います。

 とりあえず、お知らせします。

インタヴュー「翻訳・戦争・人類学」2018/04/29

『境界を超えて』No.18_2018.03
 立教大学文学部の大学院(文学研究科)比較文明学専攻の特任となって4年がすぎ、今年が最後の年になりました。大学院の比較文明学専攻に対応する学部の専修コースは「文芸・思想」です。
 立教大学文学部は、キリスト教学科、英米文学専修、フランス文学専修、ドイツ文学専修、日本文学専修、文芸・思想専修、史学科、教育学科からなっています。
 ここ20年来にわたる日本の大学教育における人文系(とくに文学部)の縮小・廃統合の流れの中で、もともと人文系を軸としてきた立教大学も、工夫を重ねてさまざまな新学部を展開してきたようですが、文学部本体はそれなりに骨格を残しています。
 ただし、わたしが籍を置く「文芸・思想―比較文明学」というところは、2002年に発足したところで、一見すると何をめざすところかよくわからない感もあります。わたしも当初は、20世紀フランス思想をベースにして思想史全般、あるいは文明論のようなことをやってきたのだからいいのだろう、といったつもりでいました。
 ところで、ここの文学部には哲学科がありません。その代わりにあるのが「文芸・思想専修」なのです。哲学とはもともと、西洋で思考の仕方や作法を鍛え上げる営みでした。それが長い時間と蓄積を経て、今ではその蓄積の中身を研究する専門職になっています。それはそれで重要なのですが、そんな特殊専門研究が多くの人に必要なわけではありません。それに、いま大学で勉強しようとする若い人たちに求められ、かつ期待に応えられるのは、むしろ哲学の本旨である思考の仕方や作法を鍛え上げることの方でしょう。
 考えることの足腰を鍛えるためには、まず言葉を磨かなければなりません。最近ではそんなことも要求されなくなっていますが、自分でやってみればわかるように、ものを考え、それを表現するには、まず言葉が足場です。と同時にまた、語るべきことがなかったら言葉は空虚です(ペラペラの英会話?)。だから、対象や領域は広くとって、言葉で考える・表現することのモチーフに形を与え、そのための足腰を鍛える、それがこの「文芸・思想専修」で目ざされていることのようです(私が決めたのではなく、どうもそのようだ、ということです)。
 だから、いろいろなテーマをもつ学生がいます。真正面から哲学に入ってゆく学生もいれば、物書きを目指す学生もおり、映画などの批評をやりたい学生、あるいは都市について、健康について、労働や社会について考えたい学生、さまざまです。そこに小説家や批評家として活躍する教師がおり(専任教員の他に特任も)、哲学研究や文学研究に長けた教師がおり、学生のテーマに合わせて、またそのテーマやモチーフが形をとるのをサポートし、ものを考え・それを表現するためのいわば「体幹訓練」を行っているのがこのコースです。
 こんなことを書くのは、人文学の危機が言われる時代に、実は大学教育を根幹で支えているのはこういう学部なのではないかと思いながら、それを言う機会がなかなかないからです。実用科学はべつに大学でなくてもいいわけですが、日本ではこの四半世紀、経済界の意を受けた文科省の指導の下、大学は実用科学技術専門学校へと変質させられています。大学の質の低下とか、学生の思考能力の低下とかいう問題は、文科省のこうした方針が引き起こしているわけです。じつは若い人たちにはおのずから、考えたい・表現したいという欲求があります。それを補助して考えることの足腰を鍛える、これこそが現代の人文教育の根本でしょう。文芸・思想専修ではそれをやっています。
  わたしが自分の教歴をこういうところで終えるという得がたいチャンスを与えてくれたのは、この専修にいた旧知の若い(私に較べて)文学研究の同僚たちでした。そして最終年度を前に、今度は新しい専任教員の福嶋亮大(文芸批評家)さんと、こちらは旧知の小野正嗣(小説家)さんが、専修の紀要『境界を越えて』の特集としてインタヴューを企画し、編集の労をとってくれました。それが4月に刊行された18号の巻頭インタヴュー「西谷修『翻訳・戦争・人類学』」として掲載されました。
 全50ページの堂々たる?インタヴューになっています。じつはこれは圧縮したもので、今回「完全版」が福嶋さんや編集の深澤さんのご尽力で「文芸・思想専修」のウェブサイトに3部に分けて掲載されました。電子書籍版としてダウンロードもできるようです。
 最近人前では、立憲デモクラシーの会とか、学者の会とかの関連で話をすることが多いのですが(このブログに書くことも)、そういう場所ではほとんど触れる機会のない、わたしの本来の仕事のエッセンスの紹介にもなっています。もちろん、この他にもとりわけ、現代の死のこと、共同性のこと、宗教のこと、技術のこと、世界史のこと、それを踏まえた世界性と現在の世界のことなど、語るべきことは多くあります。わたしがもう30年以上職業的にやってきたのはこの種のことです。
 今回はお二人のご関心に応じた質問に答えて、このような内容になりました。まだまだ語りたいことは多くありますが、まずはこれを読みいただけたら幸いです。
 http://bungei-shiso.com/
 〈前編〉http://bungei-shiso.com/archives/801
 〈中編〉http://bungei-shiso.com/archives/813
 〈後編〉http://bungei-shiso.com/archives/819

*『境界を越えて』は立教比較文明学会が編集発行する紀要です。

声明「辺野古基地建設の即時中止を要請する」2015/04/03

4月1日、これは冗談ではなく、「普天間・辺野古問題を考える会」(代表:宮本憲一)で緊急声明「辺野古米軍基地建設に向けた埋め立て工事の即時中止を要請する!」を出し、参議院議員会館で記者発表を行いました。

いつも、沖縄に関するこの種の会見は集まりがよいとは言えませんが、やはり安倍政権下で国の軍事化が進むいまは関心が高いようで、60人ばかりのメディア関係者が集まりました。会見の模様は、琉球新報、東京新聞、赤旗、そして今回は朝日も写真入りで報じました。

しかし、テレビは来ておらず、ウェブ・メディアのIWJ(インディペンデント・ウェブ・ジャーナル)とにこにこ動画は会見を同時配信をしてくれました。IWJのサイトでは、記者発表の冒頭(声明の読み上げ)が公開されており、会員登録すれば約1時間半の全容を見ることができます。

「声明」は日本政府に送付されましたが、賛同署名を追加提出するため、以下のサイトで賛同を募っています。そこに「声明」の全文が掲載されています。よろしくご協力ください。http://chn.ge/1aiGN6r

 今日のFacebookに上げた文言を貼り付けておきます。

「安倍・菅政府は「正月のうまい餅」のために沖縄を売り渡した仲井真前知事の側近を外務省参与に取り込むという手に出た。沖縄人を使って沖縄の反抗を潰そうとする、昔からの謀略や植民地支配の手口だ。菅たちの認める沖縄とは、仲井真などに代表される「最後はカネでしょう」で済ませる沖縄であり、翁長知事を選んで支持するような沖縄ではないのだ。

いままた政府は、嘉手納以南の小基地返還をエサに切り崩しを図ろうとしている。県民の民意を背にした翁長知事にとって、これからますます厳しい闘いが続く。何とかこれを本土から少しでも支えたい。」

 昨日から始まった「緊急声明」に対する賛同署名は1日ですでに3500人を超えました。さらにこの環を広げてゆきたいと考えています。第一次〆切は4月20日です。拡散、賛同によろしくご協力ください。

関連サイトは以下です。
・琉球新報:http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-241343-storytopic-271.html
・朝日新聞デジタル:http://www.asahi.com/articles/ASH415GMYH41UTIL020.html
・しんぶん赤旗:http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-04-02/2015040201_03_1.html
・IWJ(動画):http://iwj.co.jp/wj/open/archives/241133

雑誌対談3つ2015/02/17

 この間、またブログの更新ができませんでしたが、サボったりスネたりしているわけではありません。日本の転機ともなるだろう年の初めの慌ただしさのなかで行った対談が――実際には年末から――いくつか発表されたのでご紹介させていただきます。

 
■現代思想3月臨時増刊「宇沢弘文、人間のための経済」
 宮本憲一との対談「公害の時代を生きて」

 去年11月に亡くなった宇沢さんの特集号で、環境経済学の泰斗宮本憲一さんと対談する機会をえた。実はわたしは宇沢さんと直にお会いしたのは遅く、2009年に民主党政権下で沖縄の普天間基地の「県外移設」が初めて論じられながら、その方針そのものが強烈なバッシングにあって後退しかけていた頃、この状況を座視できないとして知識人・研究者の「声明」をまとめようとしたときのことだった。宇沢さんはそのとき、沖縄の基地問題に道筋をつけることを最後の仕事にしようという意気込みだった。

 また、その会の座長として声明をまとめたのが宮本憲一さんだった。『恐るべき公害』(岩波新書、1964年)で「公害」の意識を日本に広めた宮本さんは、沖縄にも関わりが深く、弟子筋の川瀬光義さんと『沖縄論――平和・環境・自治の島へ』(岩波書店、2000年)という本をまとめている。わたしはそれを通して初めて宮本さんの環境経済学と沖縄との深い結びつきを知ることになった。宮本さんは地方自治に関しても著作だけでなく実質的なお仕事もされているが、その「自治」というのが単なる地方行政のことではなく、まさに経済を経由する地域の「自立」の問題であることを早くから説いていた。

 今回の対談では、都留重人さんや宇沢さんの生きた時代のコンテクストを、宮本さんの立場から語ってもらうことで、戦後の日本社会への経済学の介入に立体的な見透しつけるよう努めた。ほとんどは宮本さんの独壇場だが、さまざまなエピソードも交えながらじつに理路整然と経済・環境・自治について語っていただいた。

 
■世界3月号 「この道しかないはずはない!」中野晃一との対談。

 安倍政権下での選挙と政策について、立憲デモクラシーの会で活躍する上智大学の中野晃一さんとの対談。暮れの選挙でまた明らかになった「政治のネオリベ化」や、経済的なネオリベラリズムと日本の「国家保守主義」との組み合わせによる日本社会の病理の分析、そして欧米における「単一思考」を日本に持ち込んだ「この道しかない」のキャッチフレーズによるオルタナティヴの排除等、日本の政治の現状を、主としてヨーロッパの歴史的状況を参照しながら議論した。わたしは大したことは言えなかったが、気鋭の研究者中野さんからかなり見透しのよい分析を引き出しせたことで任は果たせたと思う。

 
■現代思想3月臨時増刊号「シャルリ・エブド襲撃/イスラム国人質事件の衝撃」

 2月下旬刊行予定のこの緊急増刊号で、現中東学会会長(千葉大教授)の栗田禎子さんと対談した。わたしが主としてシャルリ・エブド事件について、栗田さんは中東情勢とイスラーム国について発言し、双方の見解をすり合わせたが、これはかなり密度の濃い対談になったと思うのでぜひ読んでいただきたい。約20ページある。

 「私はシャルリー」を標語に街頭に出た370万のフランス人について、少し希望的な方に傾きすぎたような気もするが(多様性共存への要請だと)、フランス社会の亀裂や分断は深く、そこにしか出口はないということだ。それはEUの中心国では多かれ少なかれ共通しているし、日本にもパラレルな状況がある。

 移民問題のつけとネオリベ政策による社会解体、それに加えてヨーロッパではいつも背後でイスラエル問題がからんでいる。日本にはそれはないはずだったが、安倍首相は好き好んでこのファクターをもちこんでしまった。
 
 2月10日前後に、外大のときの最後の学生の博士論文審査に参加するため一週間ばかりフランスに行った。事件の余波のなかでいろいろ考えさせられたが、それについてはまた別の機会に。

立憲デモクラシーの会、閣議決定抗議大講演会2014/06/30

 短い投稿ですが、急遽。

 7月1日と伝えられる「集団的自衛権容認」の「閣議決定」と前後しますが、7月4日(金)午後6時から、学習院大学で立憲デモクラシーの会の公開講演会が行われます。
 前半は、日本近代政治史の重鎮・三谷太一郎さんの講演「なぜ日本に立憲主義が導入されたのか:その歴史的起源についての考察」に、歴史学・戦争史の加藤陽子さんが応対します。
 後半は、軍事評論家の前田哲郎さんの講演「集団的自衛権をめぐる国会論戦を振り返って」に、若手憲法学の木村草人さんが対応します。
 憲法変更を閣議決定で行うという「無法内閣」の歴史的暴挙を糾弾する集会です。詳細は以下のサイトに記載されています。ぜひご参加ください。
http://constitutionaldemocracyjapan.tumblr.com/