2015年の年頭に2015/01/01

 ドイツの画家アンセルム・キーファーは最近「モーゲンソー・プラン」というタイトルで一連の作品を作っている。

 モーゲンソー・プランとは、第二次大戦末期にドイツ占領政策として立てられたプランのひとつだ。ドイツの産業基盤を根こそぎにし、二度と戦争を起こせなくするというこのプランは、米財務長官だったユダヤ人ヘンリー・モーゲンソーの立案によるもので、あまりに懲罰的だったためチャーチルに嫌われ、「戦争を起こす産業を除去するためのもので、ドイツの性格を農業と田園の国に変えることが期待される」程度に手直しされたという。だが、実際には米ソの対立が表面化するにつれ、この脱工業化の政策は転換され、すぐに産業経済の復興を支援するマーシャル・プランに置き換えられてゆく。

 現在、ドイツは戦後の分断を経て再統一され、EUの中核国になったばかりでなく、圧倒的な工業力・経済力で域内の他の国々を圧して、ほとんど支配していると言われる。フランスの人口学者オリヴィエ・トッドなどは、その現状をみて「ヨーロッパはドイツのために三度破綻する」と言っているほどだ。

 その「強い」ドイツを作るもとになったのはマーシャル・プランである。ドイツという政治共同体の、担うに重い過去(ナチズムの過去)を、不可能なままに担いとることをその画業のモチーフとしてきたとも言えるアンセルム・キーファーは、戦後70年を迎える今(ヨーロッパでは去年ノルマンディー上陸作戦70周年が記念された)、「ドイツを農業と田園の国に変える」ことを目指したモーゲンソー・プランに想を汲む作品を作り続けている。

 当初のプランそのものはけっして牧歌的だったわけではなく、むしろドイツに対する敵意に満ちた過酷なものだったと言ってもよい。キーファーはそれを知らないわけではないだろう。だが、それでも、別の事情で実現されることのなかった、ありえたかもしれないドイツの別の現在を想像することは、ドイツの現状をヴァーチャルなプリズムを通して相対化することになる。マーシャル・プランも、ドイツ自体に対する考慮というより、冷戦という別の事情にというよって適用されたものだからだ。

 EUも、ある意味ではドイツを抑え込む仕組みだった。だがいまや組み込まれたそのEUの中軸として経済力によって他を圧しつつ、ハイパー工業化と脱原発を交錯させている。もはや「経済成長」そのものが不条理となった時代でもある。そのドイツの背後にキーファーは、実現されなかった「田園化」の非‐現実を透視する。それを作品化することは、芸術が挑みうる並々ならぬ表現の試練なのではないだろうか。
 
 われわれにはモーゲンソー・プランならぬ「日本国憲法」がある。その憲法も当初から揺さぶりを受けてきた。とりわけアメリカに身を託すことで、戦前から居座ってきた日本の統治者たちは、初めからそれを邪魔扱いにしてきた。そしてとうとうその基盤がいま足元から切り崩されようとしている。戦後、そう言ってよければ、あることを禁じられてきた日本が、このグローバル化した世界の混濁に乗じて再び復活しようとしている。それをいかに阻止するかが、われわれにとっては現実的な課題である。