2015年1月の日本2015/01/25

事件発生直後に「空耳アワー」で聴いた戯れ唄がまったく現実味を帯びてきた。ブッシュ、オランドにならって、日本の安倍も「われわれは戦争のうちにある」と言いたげだ。今日はどこからか、こんな合成写真が送られてきた。

[付属のコメント]
 武器輸出がしたいだけでなく(これは戦後日本が手をつけなかった「未開の成長分野」だ)、安倍はネタニヤフのような「指導者」がきっと好きなのだ。ネタニヤフがガザでやっていることを見習って沖縄も抑えたい。残念ながらまだ日本に「ツァハル」(悪名高いイスラエル国防軍)はない。「海猿」の段階だ。
だから安倍は「テロとの戦争」に早く加わりたく、「親イスラエル」をこんなふうに誇示して「テロリスト国家」を刺戟する。そうしたら案の定「イスラーム国がやってきた!」というわけだ。
仕組んだのか、嵌められたのかはわからないが(日本の外務省がそんなに有能だとは思われない)、この事件を「もっけの幸い」として、人質の命などものかわ、国家安全保障会議のままごとの機会に使うことしか考えない。

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 イスラーム国に捕まっていた後藤・湯川両氏のうち一人が「処刑」されたと伝えられる。以下は日テレWebから――
 
 …安倍首相「湯川遥菜さんが殺害されたとみられる写真がインターネットに配信されました。ご家族のご心痛は察するに余りあり言葉もありません。このようなテロ行為は言語道断であり許しがたい暴挙です。強い憤りを覚えます。断固として非難します。改めて後藤健二さんに危害を加えないよう、そして直ちに解放するよう強く要求します」
 その上で安倍首相は、「日本政府としては引き続きテロに屈することなく、国際社会と共に世界の平和と安定に積極的に貢献する。今後も日本人の解放に向けて政府を挙げて取り組んでいく」と強調した。
 また、これに先だって行われた関係閣僚会議で安倍首相は「正確な情報収集に努めること、人命を第一に迅速な解決に全力で取り組むこと、国内外の日本人の安全に万全を期すこと」を指示した…。


 何という空疎な虚言!「人命第一に取り組む」というのだったら、まずイスラエル(ネタニヤフ)との協調を撤回すべきだろう。ネタニヤフの政府がガザで何をしているかは世界中が知っているし、彼の閣僚やさらに過激な議員たちは、「テロリストを生む」女性たちを殺せ、とまで言っている。こういう国家的殺人集団と仲良くして、武器輸出や開発協力をやろうというのが「日本人を守る」ことなのか?
 
 「イスラーム国」はアメリカやその仲間が支援するこのような「国際社会公認(さすがに嫌々認めているのだが)の殺人国家」に対抗して生まれてきたしまった「怪物」だ。
 
 安倍首相はこの機会に「人質解放のための自衛隊派遣」まで検討させているという。アメリカでさえ人質解放などできず、「テロには屈しない」と言って見捨てることにしている。「日本人の命を助ける」ことなど一切念頭になく、この事件を国家安全保障会議の「有事」練習の機会にすることしか考えない。
 
 フランスでは、先週、中央アフリカで拉致された人道支援の女性を、一週間で解放させるのに成功した。外交交渉でだ。軍隊を送ったらたちどころに殺害されただろう。こういうとき、軍事力は何の役にも立たないのだ。説得しなければならない(それでも無駄な場合もあるが)。
 
 では、「テロリスト」の言うままになれというのか? 
 そういう話ではない。ともかく、本気で救おうと思ったら「相手」と交渉しなければならない。けれども、その「相手」を初めから否定し、抹殺の対象としてミサイルや爆弾だけを送り込む口実が「テロリスト」という呼び名だ。「テロリスト」は抹殺すべきものであって、存在してはならない者だから、「相手」にしてはいけない。それが「テロとの戦争」の論理だ。
 
 去年の9月からのべ2000回の空爆が「イスラーム国」支配地に行なわれ、すでに6000人の戦闘員(将校だという)が「殺害」されているという(中東の米軍総司令部が最近発表した)。だが、その他に何人の民間人や兵士が殺され、生活圏を破壊されているだろう。
 
 この「テロとの戦争」が筋金入りの「テロリスト」を生み出す。アメリカは2001年に「テロとの戦争」を始め、十数年続けて(アメリカ史上最長の戦争だ)ますます世界の状況は悪くなっている。この「戦争」にはアメリカでさえ「勝つ」ことはできない。問題の立て方が根本的に間違っているのだ。
 
 それが明かになっているこの時期に、日本の安倍政権(安倍とその仲間ととくに外務省)は「テロとの戦争」に加わりたがっている(アメリカに協力し日本の国際的プレゼンスを高める?冗談ではない、評判を地に落とし、軽蔑され孤立するだけだ)。「戦後70年」がそのような「節目の年」になってしまってはならないだろう。