「琉球処分」ふたたび?2015/03/14

*3・11から4年が過ぎ、さまざまな問題が積み残しになっている。それに原発事故は継続中だ。それをオリンピックで押し流そうという気配だが、その前の国の軍事的改造が急ピッチで進む。そこでいま、否応なく焦点として浮かび上がっているのは沖縄の新基地建設だ。3月もすでに半ば、この件についてだけは粗削りながらまとめておこうと思う。
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▽抗議と中断要請を押し退けて工事強行

 陸では市民のテントを撤去すると機動隊が脅し、海上では抗議のカヌーを海保が暴力的に排除するなかを、3月12日から沖縄防衛局による海底ボーリング調査が再開された。折から、トンブロック投下で海底のサンゴ礁破壊が確認され、米軍が決めた臨時制限区域への立ち入りをも米軍に拒否されて、政府に協力を要請する翁長県知事が上京した矢先のことだ。

 当の政府は、一六年前の稲嶺知事が辺野古受入を承認し、一昨年の仲井真知事が埋立て承認したことを楯に、決まったことを進めるだけ、と聞く耳をもたない。安倍首相はいつも「よく説明して県民のごリカイを得て…」と答弁するが、「説明」も「ごリカイを得る」努力もせず、去年の名護市長選、県知事選ではっきり示された県民の意志をまったく無視している。それどころか、衆議院解散で翁長知事誕生のダメージも帳消しにしようとしたが、その結果、以前「普天間移転先は県外」を公約に当選し、去年石破幹事長(当時)の恫喝で公約を撤回した自民党選出議員は全員落選(比例復活)し、沖縄全選挙区で辺野古反対候補が当選した。

 つまり三度重ねて民意は明確に示されたということだ。だが、その結果をいっさい無視し、安倍政権は新知事に会おうともせず、年が明けると沖縄振興予算は減額、そして選挙の間中断していたボーリング調査の準備作業を一月半ばから強行し始めた。トンブロックの海中投下で海の破壊はすでに始まっている。このまま巨大な仮桟橋が作られ、埋立が始まってしまえば、海を原状に復することはできない。だから政府は、急ピッチで工事を進めようとしている。

 翁長知事は、辺野古新基地建設阻止を掲げて、もはや保革ではない「島ぐるみ」の支援を受けて当選した。しかし政府は、みずからの方針に異を立てる翁長知事と彼を選んだ沖縄をあからさまに冷遇。まず新知事は仲井真前知事の埋立て許可に瑕疵がなかったかを検証する委員会を招集、その作業が一月半ばから始まり、知事はその結果がでるまで工事の中断を政府に申し入れたが、政府は「もう許可もらったもん」とばかり、知らん顔で工事再開。その間すでに、防衛施設局の埋立申請書類に次々と勝手な書き換えも露見したが、「問題なし」を決め込む。

 工事(準備)が進むうちに、原状回復はできなくなる。それを狙って政府は「どうせそのうち折れるだろう」と高を括っているようだが、ここまで慎重にやってきて、沖縄の支持者たちから「動きが遅すぎるのでは」と指摘され始めている翁長知事も、そろそろ限界に来ている。まずは工事中断を求めるが、政府は「粛々と進める」のみ。

▽民意の沖縄、無視する日本国家

 これから先は「未経験の水域」に入る。一地方の県が国と全面対決するという前代未聞の事態だ(95年~96年に逆戻りとも言えるが、突発事によるものではなく煮詰まっているだけに、さらに根本的な対立になる)。知事にどういう権限があり、それが首相の権限とどう対抗しうるのか。地方自治とは何なのか? 翁長知事は直接選挙で選ばれ、辺野古新基地阻止という「民意」を背負っている。「力くらべ」だというなら、まったく明治期の「琉球処分」の再現である。

 安倍政権は内閣府沖縄総合事務局を通じて直接指示を出している。「急げ」というのは官邸の指示なのだ。安倍政権はどうしてそこまで強行に事を運ぶのか? 理由は二つだろう。ひとつは、この政権の強権体質。安倍の肝いりでできた自民党憲法草案にあからさまなように、国民は国家に尽すべきもの、国家が国民を統治する、と考えられている。だから安倍は首相の権限にこだわり、首相は何でもできるべきだと思っている。だから、新基地建設は国家の必要事であり、一県ごときにものは言わせない、といった姿勢がある(その尻馬に乗る中谷防衛相、「文民統制」などという考えは自分の生まれる前のものだから知らないモン、と平気で言えるこの防衛相は、「言うことを聞かない奴に会っても無駄だ」といって会見を拒み、県知事は「国と県のことを考えよ」と強圧的に言う)。

▽安倍政権の事情と無思慮

 もうひとつの理由は、安倍政権はその国家観の特殊さにもかかわらず、アメリカの傘の下での軍事化を認めてもらうために、5月訪米の「手土産」を用意しなければならない。そのための辺野古新基地工事の進捗を目に見える形にしておきたいということだ。(ついでに言っておけば、キューバだけでなくイランとの関係改善を目指すオバマ大統領は、何としてでもイランと事を構えたいネタニヤフに会うのを拒否したが、やはり中国とも事を構えたくてネタニヤフと仲良くしたがる安倍とも、会うには会っても晩餐会を開いてくれくるかどうかはわからない。)

 だから安倍政権は、仲井真前知事が「正月のモチ」と引き換えに出した埋立て許可を、それですべてが片付いたことにして振りかざし、力づくで工事を進めようとする。これもついでに言っておけば、最後の最後に寝返る仲井真のような通産官僚上がりの「要人」連中がいるから、ケビンとかメアとかいうアメリカの日米利権屋ごときに「沖縄はタカリの名人」とバカにされるのだ。だが、そんな県知事を沖縄県民はみごとにお払い箱にした。

 たぶん安倍政権が分かっていない(分かろうとしない)のは、95年からこのかた沖縄は基地問題を通してずっと本土からの「差別」を意識させられ、そのために「アイデンティティ」意識を高め、「自立」の志向を強めているということだ。安倍政権にとっては沖縄は日本の自明の一部(地方自治体!)で、国の方針に従うのは当然と思っている。とくに「国防」は政府の専権事項だからと。だが、日本の軍事的防衛のために沖縄に70バーセント以上の基地を集中させる理由はない(それに、アメリカ海兵隊も96年のSACO合意のとき、米代表のモンデール大使は沖縄から撤退してもよいと提起したというし、現在も、カリフォルニアから機動的に動いた方が合理的という見方もある)。オスプレイ配備にしても、他県では受け入れられないからと沖縄に押し付けられた。だから沖縄はますます「別扱い」を意識する。その「差別」が沖縄をひとつにし、いまや保守=財界/革新=庶民の対立ではなく、沖縄としてひとつにまとまっている。それが2007年教科書検定問題と沖縄戦の記憶をひとつの契機として持続的潮流となり、去年の三度の選挙で明確に示されたのだ。沖縄の「アイデンティティ」つまり本土とは違うという意識は、「方言」を復興する運動や、独自の対外関係の追及(国連機関やユネスコへの「先住民」としてのステイタスのアピール)をも促している。

 ところが、その状況の意味を理解しない安倍政権は、従来通り金で締め上げて、力で既成事実を押し通せば、沖縄などすぐに折れるものとたかを括っている。それが官房長官の菅や中谷防衛相の振舞いにも露骨だ。だが、いまの沖縄はそれで膝を屈するだろうか? 

(ただし、これは安倍政権だから起こる問題というのではない。民主党の岡田代表を含めて日本の政治家の多くは「辺野古しかない」と考えているのだ。だが沖縄は考え直せと要求する。だから問題は根本的なのだ。)

▽「琉球処分」の再現

 いまや辺野古新基地阻止には沖縄の「尊厳」がかかっている。95年以来、そしてここ7、8年積み重ねてきて、金で島を売った仲井真前知事をお払い箱にして、これ以上になくはっきりと示された沖縄の民意を、それでも無視して潰すというのは、まぎれもない「琉球処分」の反復である。

 だからいま、浦添市美術館で「琉球・幕末・維新・沖縄特別展」が開かれ、そこで琉米修好条約その他、幕末にアメリカ、オランダ、フランスが琉球国と結んだ条約原本が展示されている。この展示会のタイトルの背後には、明治政府による「琉球処分」(琉球国を廃し沖縄県として日本に組み込む)という出来事が刻まれているのだ。ペリーは浦賀で幕府と初めての条約を結んだあとで琉球に立ち寄ったのだから、この諸条約は当時西洋諸国が琉球を独立国として認めていた証拠になる。この時期に展覧会は開かれることになったが、原本を所有していた外務省外交史料館は、たぶん深く考えることなくこの文書を浦添市に貸し出したのだろう。

 ともかくいま、「一県対国」という未経験の対立が(*)日本という国の成立ちを問い直そうとしている。国と地方とはどういう関係にあるのか、民主主義とは何なのか、自治とは、自立とは、そして地域住民の尊厳とは…。もちろんこれは、憲法問題や国家のあり方にじかに結びついている。その問いにいまわれわれは直面することになっているのである。

*じつは少女暴行事件の翌年1996年、当時の太田昌秀県知事が軍用地の継続使用延長に必要な「代理署名」を拒否して国と対峙したことがある。そのとき国は大田知事を業務不履行で訴え、地裁で県の敗訴、最高裁は県の上告を棄却して政府を救った。

チュニジア博物館襲撃事件に関して2015/03/19

 1月初旬のパリでの週刊紙本社襲撃とそれに続いて起こったイスラム国による日本人処刑事件の記憶がまだ新しいいま、今度はチュニジアの国立博物館を訪問する観光客が襲撃され、19人の犠牲者に3人の日本人が含まれていた(その他に3人負傷)。

 キナ臭い気配がする。どこかで無差別銃撃とか殺傷事件が起き、その犠牲者に日本人が含まれていると、「テロは許せない」と拳を振り上げて見せ、それを口実に国を「テロとの戦争」体制に引き込もうとする風潮がいまの日本にはあるからだ。

 もちろん、こんな事件に巻き込まれた人はたいへん気の毒だが、日本人はどこにでも観光旅行に行くことができる。ただ、その旅行が安心してできるようにするために(「国民の安全を守る」ために?)、「テロとの戦争」が必要だというのはまったく手前勝手な話だ。

 こういう事件が深刻なのは、何よりまず現地の人びとにとってである。なぜいったいこのような事件が生じるのか、これはチュニジアやその周辺の人びとにとってどういうことなのか、チュニジアはいまどうなっているのか、それをまず考えなければならない。

 そのための材料をそんなに持ち合わせているわけではないが、信頼する友人のフェティ・ベンスラマがフェイス・ブック上に投稿した短い緊急のコメントを翻訳して紹介しておきたい。急ぎの短いコメントでとても丁寧とは言えないし、とりわけ最後が急ぎ過ぎだが、「アラブの春の優等生」と言われるチュニジアがいま陥っている危機に対する切迫感は伝わると思う。

◆バルド美術館の虐殺に関して緊急のコメント――

 チュニジアは不幸にして受難のとば口に立っているということを、われわれは、少なくともいくらかの人びとは十分に分かっていた。

 去る2月27日にチュニスの国立図書館で講演したとき、私は数日前に若者担当相が明かした数字を援用した。学校を出た100万の若者(4人に1人だ)が、職もなく、何の社会保障も受けずにいる。間違いなくそれが、サラフィー主義やジハード主義、軽犯罪、自殺その他を増殖させる絶望の温床になっている。

 トロイカ体制(イスラム政党ナフダを中心とした3党連立)の政府と、とくにそれを牛耳っている「穏健派」と称されるイスラム政党は、ジハード・テロリズムを利するためにあらゆることをしている。その証拠はいくらでもあって目を覆うばかりだ。

 ここ数か月も治安部隊が動員されていたにもかかわらず、国会に隣接するバルド国立博物館には何の警護もないままだったという事実が、この治安措置のザルぶりをよく示している。

 大半のチュニジア人は、チュニジアが内側からも外側からも極めて深刻な危険にさらされているこということに気づいていない。この危機に対する意識もなく、相当の手段や力を動員することもなく、要するに、「総動員」もせず、チュニジアは(一九九〇年代の)アルジェリアにも似た、いやおそらくはそれ以上の悲劇を経験しようとしている。アルジェリアには当時、リビアのような、国家もない戦争状態で、民兵たちが跋扈するような隣国はなかったのだ。政府は国民にほんとうのことを言わねばならない。ヨーロッパ諸国は、チュニジアをよそごとだと思って、自分たちを守ることばかりを考えてのらりくらりと言い逃れをするのをやめるべきだ。 (フェティ・ベンスラマ、3/19)

*( )内は補足だが、ついでに補足しておけば、しばらく前のデータでは、チュニジアは「イスラム国」に地域最大の3000人の参加者を出しており、隣国リビアはEUの軍事介入でカダフィ政権が倒れた後、内戦状態になり、そこで強力なイスラム主義勢力はチュニジアの組織とつながっている。

公開研究会「パリ連続テロ事件とイスラム国の衝撃」2015/03/21

 お知らせです。

 チュニジアの襲撃事件に続いて、イエメンでもまた自爆攻撃があり、イスラエルではパレスチナ国家を認めないと明言したネタニヤフが再選され、地中海周辺は不穏な気配ですが、これに関連して中央大学駿河台記念館で以下の催しがあります。大方の議論が出尽したところですが、少し時間が経ったところで、落ち着いて(とはいかないが!)総括したいと思っています。奇しくも、2001年11月30日夜中にNHK・BSで行なった「アメリカはなぜ狙われたのか?」(後に岩波ブックレットに収録)と同じ顔合わせになりました。
 コーディネーターは三浦信孝さんですが、広報がないようなので、お知らせします。

〇中央大学人文科学研究所公開研究会
《パリ連続テロ事件と「イスラム国」の衝撃ーーその後の中東と日本》
日時:2015年3月28日 (土)午後1時~4時
場所:中央大学駿河台記念館 620号室(定員60人)

[報告]
 西谷 修(立教大学)「シャルリ・エブド事件はフランスの9・11か」
 酒井啓子(千葉大学)「イラク戦争後の中東、ア ルカイダから「イ
 スラム国」へ」
 臼杵 陽(日本女子大学)「背後にあるイスラエル・パレスチナ問題」
[司会] 三浦信孝(中央大学)「フランス知識人界 の思想地図」

・JR中央・総武線 御茶ノ水駅下車、徒歩3分
 東京メトロ千代田線 新御茶ノ水駅下車(B1出口)、徒歩3分
 東京メトロ丸ノ内線 御茶ノ水駅下車、徒歩6分
 <http://www.chuo-u.ac.jp/access/surugadai/>http://www.chuo-u.ac.jp/access/surugadai/

なぜ「中東・北アフリカ」にこだわるのか?2015/03/22

 中東・アラブ地域問題に関心を寄せるのは、それがわたしの"専門"のフランス絡みの案件だからというわけではない。いま北アフリカから中東地域で起きていることは、日本の現在の急激な変化に密接に関わっている。
 
 安倍政権は去年の「集団的自衛権」容認の閣議決定以来、日本を「戦争ができる国」にするための法整備を急ピッチで進めようとしている。だが、そうなったとき(憲法改変前にせよ後にせよ)、日本が最初に戦争に乗り出すのは東アジアではなく中東地域になるはずだからだ。
 
 「集団的自衛権」を行使するということは、基本的には「アメリカの戦争を手伝う」ということだが、安倍政権はまず自衛隊派兵の地域的限定(「周辺事態」)を外し、かつ、同盟国絡みでなくとも「我国の存立に関わる」と判断されれば派兵できることにしようとしている。そして、とりわけ石油輸送の要所であるペルシャ湾入り口のホルムズ海峡の機雷掃海(イランが敷設すると想定して、オマーンの領海に出張る)には執心のようだ。

 思い起こせば、日本の自衛隊海外派兵への傾斜は、湾岸戦争(1991年)の時、アメリカの呼びかけた戦争を支援した国々のうち、日本は資金面では大きく「貢献」したにも関わらず、それがアメリカ国務省の「感謝リスト」でまったく評価されなかったことがトラウマになって(誰にとって? 外務官僚だ)始まった。そしてアメリカから「派兵」を求められながら、要請に応えられないのは、いつも中東絡みの戦争だったのだ(イラク戦争も)。
 
 だから「アメリカへの貢献」(日本政府はそれを「国際貢献」と言うが)ということで言うなら、自衛隊を出さなければならないのは中東(とそれに連なる)地域なのだ。そこで日本が「軍事貢献」をするとなれば、アメリカは自分の「肩代わり」をする国ができて負担が減るから歓迎する(実際、アーミテッジなどジャパン・ハンドラーが前から要求しているのはそのことだ)。
 
 日本が中国と事を構えるのをアメリカは望まない。だが安倍政権の日本は事実上すでに事を構えている。つまり、アジア太平洋戦争の評価を変えようとしており、それが「歴史問題」や「靖国問題」、「従軍慰安婦問題」になって表れる。それが「戦後秩序」の基本を揺るがすというので、アメリカは安倍政権の「歴史塗り替え」志向をはっきり警戒している。だが、日本が中東「安定化」のために軍隊を送ってくれるというのならアメリカは嫌がらない。というより、面倒な戦争の肩代わりしてくれるならありがたいというところだ。

 そこで日本政府も、だったらそっちで行こう、ということになる。中東で日本が他の西洋諸国なみの「軍事貢献」を行なえば、世界における日本の存在感も一段と増し、国連の常任理事国入りを要求することもできる。そうなったら、世界の一等国、もはや中国に遠慮することもない云々…、直に中国と鍔迫り合いをするのはそれからでもいい…、というわけで、日本の軍事化の照準はまずは中東に合わされている。
 
 ところが、中東や北アフリカに広がっていまアメリカやEUを悩ませているのはふつうの戦争ではない。「テロとの戦争」である。この「戦争」は2001年9月以降、アメリカが性格づけて実際に始め、いわゆる「イラク戦争」を含めてすでに15年近く続け、しだいに荒廃と液状化の領域を広げて、とうとう「イスラム国」のようなモンスターを生み出して、手が付けられなくなってしまった泥沼の抗争である。ここがどういう地域で、「テロとの戦争」の結果この地域の実情はどうなってしまったのか、そういうことを十分に知らなければならない。
 
 その底なし沼に安倍政権は――例によって歴史や地域事情など何も勉強したこともないから――「戦争するチャンス」とばかり、勇んで手を突っ込もうとしている(人質解放に自衛隊?)。それが「強国」どころか、間違いなく「亡国」の道なのである。

 もっとも、少子化が心配されるこの国で、女性の社会的困難を放置し、活動しにくくし、子供に社会問題の原因を押しつけて、そのうえ原子炉のメルト・スルーで4年経っても実情さえ分からない福島第一核惨事の、被害やとほうもない危険が見えないのをいいことに、原発再稼働なんて言っていること自体が「亡国の政治」以外の何ものでもないのだが。

 ともかく、アラブ・イスラーム世界に行き掛かり上いささかの知見をもつ者として、いまこの地域で起きていることに関心を寄せざるをえないのだ。