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    <title>言論工房 Fushino_hito</title>
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    <pubDate>Sat, 18 Apr 2026 23:43:46 +0900</pubDate>
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      <title>「イラン情勢がどうの…」より、「アメリカはどうなってしまったのか」をまず問おう――機関メディアの問題</title>
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      <pubDate>Sat, 18 Apr 2026 23:42:28 +0900</pubDate>
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      <dcterms:created>2026-04-18T23:43:46+09:00</dcterms:created>
      <description>★ひっちゃかめっちゃかの世の中、騒々しすぎてあることないこと飛び交っているから、何も言う気がしないが（たまにこれはという情報が濁流の中の木っ端のように流れてくる）、見えないＳＮＳはさておいて（情報品質低下の元凶だがこの投稿も泥の奔流の中）、見える日本の機関メディアのザンネンな特性については、一般的に指摘できるので、ひとこと言っておく必要があると思って書く。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　日本の情報配信では機関メディアがまずおかしい（機関メディアとは会社経営の組織メディアのことだ）。客観的で偏りのない報道というのがまずできない。とりわけ「戦時」には。&#13;&lt;br&gt;
　端的にいって、現在の世界の最大の問題は「アメリカはどうなってしまったのか」ということだろう。イランの「核開発計画」？ホルムズ海峡閉鎖による世界経済危機？イランの周辺国攻撃？　そんなことより何より、まずは、独善的に関税をかけ市場のみかじめ料を取り、石油・資源のあるところにはオレのものだと手を伸ばして軍事力で脅しまくる。「アメリカはどうなってしまったのか」ということだ（「エプスタイン・ファイル」問題はその一画ではあるだろうが）。メディアはおしなべてそれを問わず、アメリカが因縁をつける相手について「どう対応するのか」といった話しかしない。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
―イスラマバードでの「停戦交渉」はなぜ行われるのか、この場合の「停戦」とはどういうことか、そもそも何の「停戦」なのか、など考えられてもいない（むしろ考えさせない）。「戦争の長期化」は世界の経済混乱を深刻化する。ホルムズ海峡が安全に通過できず、エネルギー他世界の物流が阻害されるからだ。その意味では世界の大多数の国々が「戦闘終結」を望んでいる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　だがこの「戦争」はなぜ始まったのか？アメリカとイスラエルが、去年6月の米イの一方的な核施設他攻撃にもかかわらず、イランが米と「核政策」をめぐってジュネーブで行っていた「交渉」を一方的に打ち切って、イランの首都他の軍事施設（だけでなくテヘランの小学校も）を爆撃し、イラン政権指導部を40人いっきに殺害し、かつイランの防空・反撃能力をあらかじめ破壊する作戦だった（トランプが「エピック・フューリー（壮絶な怒り）作戦」と自慢）。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　つまり米イが目論み、実行したのは、まず「交渉相手」になりそうな者たちを叩き潰して、そのうえ反撃能力を絶ち、混乱の中で無力化したイランをその後で管理する、あるいは服従者の政府を作らせそれに破壊されたイランを管理させる、といういわゆる「体制転換」作戦だった。&#13;&lt;br&gt;
　&#13;&lt;br&gt;
　この「攻撃」は、相手国の主権をまったくないがしろにし、「核交渉」を中断して一方的に行われた、「明らかな国際法違反」であるとして、当のアメリカの主要な国際法学者たちによって批判されている。また、トランプ政権はこれを「作戦」とは言うが「戦争」とは言わない。こんな「作戦」で「宣戦布告」はできないし、そのためには憲法上、議会の承認がいるからだ。その意味で、この「戦争」はアメリカの国内法と国際法を二つながら蔑ろにした自称「大国」の「暴挙」である。&#13;&lt;br&gt;
　&#13;&lt;br&gt;
　ところが、トランプ米の甘い思惑に反して（トランプがイスラエルのネタニヤフに唆されたという話もある――というよりこれは公然の事実である）、イランは「反撃能力」を保持しており、ただちに湾岸諸国の米軍基地を攻撃して甚大な被害を与え、イスラエルにもこれまでと違って「抑制を解いた」都市部への攻撃を加えた（これでネタニヤフと諜報機関モサドは追い込まれ、国内の危機感をイラン徹底攻撃、あるいは「神敵」との「最終戦争」へと転化した――それで弱い環としてのレバノン・ヒズボラ攻撃、そうしないと訴訟中のネタニヤフの失脚につながる）。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
ーホルムズ海峡が「封鎖」されたというのは、これによって地域が「戦地」になったためである。米イの不当な攻撃以前は、世界の物流に何の支障もなく航行は行われていたのだ。だとしたら、海峡「封鎖」（通行できない）の責任はひとえに米イの不当な攻撃にあるということだ。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　しかしイランも甚大な被害を被っている。それに敵地でしか戦争しないアメリカでさえミサイルが足りなくなっていると言われる。どちらも、これ以上続ける道理はない。だからパキスタン（一応、第三国）が仲介して「停戦協議」ということになった（だが、止めたくないのはネタニヤフのイスラエルだ。だから協議前日にヒズボラ退治でレバノンに大攻勢をかけた）。&#13;&lt;br&gt;
　&#13;&lt;br&gt;
　この協議の「入口」は、アメリカがまず「非」を認めることである。対面上認められないとしても、この不当な攻撃の人的・物的被害に対する「補償」はしなければならない。「核協議云々」は、もともとイランは「核不保有」を宣言しているのだから、アメリカの顔を立ててあらためて「不保有」を約束すればいい（それでもウラン濃縮技術の維持は、最低の「抑止力」――イスラエルに対する――として暗黙のうちに保持する）。（だいたい、最近の情勢からして実際に核兵器を使うのを躊躇しないのはアメリカとイスラエルであることは国際社会で明らかになっている）。&#13;&lt;br&gt;
　&#13;&lt;br&gt;
　だが、この会議にアメリカ代表として来た３人のうち、ウィトコフとクシュナーはほとんどイスラエルの利益代表であり、この協議はアメリカとイランの協議にはなっていない（トランプはこの件から足抜けしたいだけであって、それ以外に自分の意志がない）。だから「結果」が出ないのは当然のことだ。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　だが、日本のメディアはこのことをどう伝えるのか？&#13;&lt;br&gt;
　&#13;&lt;br&gt;
　いつも基準はアメリカで、ものごとの成否はアメリカの側からみる、伝える。だからホルムズ海峡はイランの横暴で封鎖されており、世界経済のためにはイランに圧力をかけて海峡を「解放」させなければならない（タカイチと同じで、地球の反対側のアメリカが世界秩序を維持しているのだから、悪いのはイラン、「親米」の湾岸諸国やイスラエルと同じ側にいる、とアピール）。&#13;&lt;br&gt;
　&#13;&lt;br&gt;
　イランが米保護下のシャー体制だったころはよかったが、その体制を倒したイラン革命（1979年）以来、この国は反米＝イスラーム原理主義政権になって、中東の危険因子になり、イスラエルを脅かし続けている…、という「西側イデオロギ―」にすっかり染まっている。そのイデオロギーはアメリカの力を武器に、アメリカの意向に従わない国々を「テロ国家」に指定し、政治的にも経済的にもその国を「国際社会」から締め出そうとする。だからイランを「悪魔のような国」としてまともに見ようともせず、どこの国であろうと人びとはそれを自分の国として住み生活しているなどということを想像もしなくなるのだ。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　この40年はイスラーム体制が続いているが、この国には3000年以上の歴史があり、先日イスラエルが大規模な爆撃をしたイスパハンという都市は、世界遺産（これも西洋人が観光資源化するために作った制度だが）に数えられる史跡がいくつもある。だから、最近表に出てくるイランの代表たち（皆、米イスラエルの暗殺リストに載っている）は、「先住民」の殲滅の上に「自由の国」を作った（作ろうとしている）アメリカやイスラエルの傲岸で邪悪な恥知らずを顔に刻んだ指導者たちと違って、敬意を誘う品格と強く柔軟な意志を秘めた相貌を示している（イランと比べればはるかに新しい国だが、ベネズエラやキューバでもそうである）。（トランプ・キャッホーのタカイチが支持率60％という現代の日本では、そういう見方ができないのかもしれないが）。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　メディアが使う有識者たちも、あるいは報道番組を作成するスタッフやその長たちも、アメリカが力（経済力・軍事力）の上でも道義的にも、明らかに凋落傾向にあるこの時代に（国際環境の大きな変化とはじつはこのことだ）、依然としてアメリカがなければ世界の安定が維持できず、そのアメリカの袖に縋ってでなければ日本の安寧も繁栄もないという、いかにも時代遅れの思い込みからしかものが考えられないようで、そういう図式のうえでしか番組が作れない。その結果、実際に世界に起こっていることを視聴者から見えないようにしているのである。&#13;&lt;br&gt;
　&#13;&lt;br&gt;
　機関メディアと言ったのは、ＮＨＫは上層部が政権忖度する構造になってしまったし、民放の場合は、スポンサーが大企業だからその意向にそむく番組は作れず、報道番組もエンタメ路線（適当なコメントを知ったかぶりに挟み合う）で俗情に響く番組にするのがディレクターの腕ということになる。こうして報道メディアの全体が、むしろ見るべきことを見ないようにする（気晴らし・気散じ、という）ことをよしとしている。だから単純に、この戦争は不法で、終らせて世界の安定を取り戻すにはアメリカが身を糺し、イスラエルが「よき隣人」になるべきすべを学ばねばならない、ということを基本線におくことができない。ひとつの出来事について、さまざまな見方・考え方があるのは事実だが、それを報道する（情報提供）となると、そこに基本軸がなかったら、報道も水商売の浮き草稼業にすぎない。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　現在の場合、その基本軸とは、アメリカはどうなってしまったのかを日本のためにも世界の行く末のためにもしっかりと見極めることだ。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
＊これは私の4/12日のFB投稿に少しだけ手を入れたものだが、ここに再掲するのは、この投稿が私にしては画期的な数の「イイネ」の反応を得たからだ（これまでは最大は150程度だったが――私はデジタル弱者でFBの仕組みも知らず、「友だち」も多くない――１日で530を超えた。それも半数以上は「友だち」以外だった）。これがどういう仕組みによるものかは分からないが、ともかく、従来の限界を超えて広がったことはたしかで、それがなぜかも分からない。ただ、今のメチャクチャ・メディア（オールドもニューも含めて）状況の中で、「これが正しい」なんて言っても肥溜めに落ちて流されるだけだから、その濁流に呑み込まれないためにつかまる「竹竿」（つかまれば浮く）ぐらいは確認しておこう、という意図が認められたのかもしれない。いつもものを書くときには、それがけを心がけているのだが。課題はいつも、『私たちはどんな世界に生きているか』（講談社現代新書）を照らし出す、ということである。&lt;br&gt;
</description>
    </item>
    <item>
      <title>トランピズムと西洋的世界秩序の終焉（Nouvel Revue Politique, 2026.03）</title>
      <link>https://fushinohito.asablo.jp/blog/2026/03/15/9842156</link>
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      <pubDate>Sun, 15 Mar 2026 10:16:39 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-03-15T10:28:33+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2026-03-15T10:18:52+09:00</dcterms:created>
      <description>「トランピズムと西洋的世界秩序の終焉」（Nouvelle Revue Politique）&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
Stephane Rozes―オサム・ニシタニ教授、Nouvelle Revue politique としては、今日の国際状況、アメリカに由来して起こっていることについて、貴重な光を投げかけていただいたことに感謝しています。あなたは日本の知的風景の中で、独自の重要な位置を占めておられますが、あなたの考えはどんなふうに形成されたのですか？&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
Ｎ――はじめに断っておけば、私は国際政治や国際関係の専門家ではありません。&#13;&lt;br&gt;
私の出発点はジョルジュ・バタイユ研究です。彼はさまざまな意味で西洋的思考の極北まで行き、その極点を「インポッシブル」と表現した人です。そして西洋を呑み込んだ世界戦争のさなかで、「私自身が戦争だ」という意識で『内的体験』を書きました。私の仕事はそれ以来、この世界の破局としての「戦争」とは何だったのか、それは現実的にはどのように起こったのか、その歴史的かつ存在論的な意味は何だったのか？また、それが「歴史の終り」として意味づけられるのならば「世界史」とは何だったのか？等々を問い詰めてきました。&#13;&lt;br&gt;
　その過程で「西洋」というものがある時点からの制度的な構築物であるというピエール・ルジャンドルの思考に出会いました。彼は「制度性」ということで主体と社会とが相互形成されることや、信仰と法そして権力や経済活動がどのように西洋という規範的構築物のなかで分節・複合化されてきたのかを示しました。&#13;&lt;br&gt;
　&#13;&lt;br&gt;
　私はまず「世界戦争」の歴史的かつ存在論的な考察から始めました。そして「世界史の終り」というときの「世界史」について。現代を「世界史の臨界」として捉えたからです。ただ、私が日本語話者であるため、そして日本が一九世紀半ば以来ずっと「西洋化」を果たしてきたため、翻訳を通していつも「西洋の他者」ということを意識させられます。そのため西洋由来の概念についてつねに解釈学的立場をとらざるをえません。それが私が名辞にこだわる理由でしょう。「西洋」という語や、「アメリカ」という名辞のあり方について。とくに名前の創設作用というか、西洋的「名づけ」における「権利」との関係について。&#13;&lt;br&gt;
　たとえば、「アメリカ」という名は誰がつけて、どう機能したのか？地図に書き込まれてそれは西洋では自明のものになるが、名づけられた地に生きている人たちにとってはどう作用したのか。そしてそれは世界的に通用するようになったのはなぜなのか、云々。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　というわけですから、私の仕事は日本でもアティピックなものです。ただ、それなりのインパクトはあると思っています。「アメリカ論」も注目されるにはされましたが、日本はご存知のように、戦後は知的にも圧倒的なアメリカの影響下にあるし、現代はあらゆる情報がたちまちデジタル情報の濁流に呑まれてゆくので、慧眼の士をのぞいては、広く影響を持っているとは言えないでしょう。&#13;&lt;br&gt;
　&#13;&lt;br&gt;
　幸い、フランスにはモンテーニュやモンスキューといった、他者の眼差しを受けとめる知的伝統があります。アメリカを扱った私の著作がフランスに紹介されたのは、それに注目してくれた人がいたからです。その後、アラビア語やスペイン語への翻訳の話もありましたが、このデジタル・コミュニケーション――つまり反読書・反省省略――の時代にはなかなか実現しません。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
ＳＲ：近年では「西洋」と「グローバル・サウス」との対立が云々されますが、その味方に付いては同意されますか？だとしたらその深い性格はどんなものでしょう？&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
Ｎ：その問いに答えるには、この対立が何を指しているのか、どうして対立項になるのかを考えておかねばなりません。西側というのは西洋先進国ですね。そしてサウスというのはかつて西洋諸国の植民地だった南の国々です。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　現在の国際秩序の元を作ったのは西洋だということは確認しておく必要があるでしょう。というより国際（国家間）秩序というものは西洋でできました。いわゆるウェストファリア体制ですが、その拡大が国連秩序にまでいたる現在の世界の状況を作り出しました。「グローバル・サウス」というのは、自分たちの作ったものではないこの体制の中で、それぞれの困難を抱えながら自立をめざす地域です。そう考えると西洋とグローバル・サウスの対立とは何を意味するのでしょう。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　結論から言ってしまえば、このような対立が想定されるのは、西洋の主導性が試練にさらされている（西側の好みの表現を使えば「挑戦を受けている」）ということの現れでしょう。これは初めてのことではなく、二度目の、そして決定的な時期なのだと思います。&#13;&lt;br&gt;
　&#13;&lt;br&gt;
　最初の終りは「世界戦争」です（欧州大戦と世界戦争を一連のものとして考える――これを二十世紀の「三十年戦争」と表現する人もいます）。このころ盛んに「西洋の没落」が、あるいは哲学的には「世界の終末」が語られました。&#13;&lt;br&gt;
　その結果、二度と世界戦争が起こらないようにと国連体制が組まれ、ヨーロッパ由来の国家間秩序（ウェストファリア体制）は質を変えました。まず、各国の戦争する権利は大きく制約されました（原則、否定）。そして国際法体制は西洋外にも拡張され、旧植民地から独立する国々も主権国家として組み込まれるようになりました。それと同時に、諸国家における人びとの基本的人権も認められるようになりました。戦争する国家が何人であれ人権を尊重しなければならないということが原則になったのです。&#13;&lt;br&gt;
　ただし、戦争禁止には例外規定があって、自衛のための戦争（「正当防衛」）は可とされたわけです。それはこの秩序が戦争によってもたらされた、つまり「戦勝国」秩序だったからです（事実上このとき、西洋の主導権はヨーロッパからアメリカ合州国に移りました）。&#13;&lt;br&gt;
　そして、世界はすぐに米ソの冷戦情況に入って、全体が二つの陣営で対立し始めました。けれども、冷戦下で独立したアジア・アフリカの多くの国々は、両陣営に組み込まれるのを嫌って、アジア・アフリカ諸国会議に集いました（1955年のバンドン会議）。そこに、合州国の「裏庭」として「北の巨人」の支配を受けていたラテンアメリカ諸国も加わり、「非同盟諸国会議」が作られます。それが「第三世界」と呼ばれました。この国々の意向が、国連体制のなかでしばしば米ソ両国のイデオロギー的意図を阻害するようになります。&#13;&lt;br&gt;
　けれども、かつて「西洋の世界化」のプロセスで植民地支配を受けてきて、なおかつヨーロッパの課した統治区分に従って国作りをしなければならなかったこの国々は、基本的に脆弱で貧しく、普遍化した（ポスト西洋的な）国際法秩序の保護なしには存続しえません。内部の脆弱さもありますが、独立後もさまざまなかたちでポスト植民地主義的な支配を受けるわけです。だから、その後も、真に国際法秩序を必要とし、それに守られるがゆえにそれを支えようとするのは、この非同盟諸国の集まりだと言うことができます。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　ソ連の力が衰え、冷戦後も見えてくるようになると、西側先進国はG7を結成して、グローバル化世界の運営をリードしようとします。けれどもこれは同盟関係を前提としています。「西側的価値」を共有しないと加われません。こうしてソ連崩壊後も、欧米は対ソ同盟であるＮＡＴＯを解消しませんでした。そのＧ７の国々は国際法を都合よく解釈・運用するし、何より「西側」以外の国々をつねに「潜在敵」として警戒し牽制しようとします。ロシアや中国はつねに「西洋優位」を脅かすものとして警戒されており、西側はその対抗のために、その他の「南」の国々を「グローバルサウス」とまとめて、あたかも指導・管理の対象であるかのように扱っているのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　あなたのご質問に戻れば、いまはたしかに「西洋とグローバル・サウス」とが対立するフェーズにあるように見えます。しかしそれは、以上のようなことなのではないでしょうか。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
ＳＲ：あなたによれば、アメリカ合州国とヨーロッパ（ＥＵ）の根本的違いとはどういうものでしょう。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
Ｎ：重要なご質問だと思います。わたしはその質問に対して本質主義的な議論はしません。制度論的に答えてみたいと思います。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　アメリカも近代ヨーロッパも「オクシデント（西洋＝西側）」という出自を共有しています。けれども、オクシデントの世界展開（海外進出）の過程で、アメリカはヨーロッパから離脱する「別世界」として形成されました（ただし、これは北米のＵＳＡのことです）。ヨーロッパ諸国はアフリカ・アジアの国々を領有し支配し、本国の産業経済システムの末端にそれを統合してゆきます。一七世紀にヨーロッパはウェストファリア体制を作りました。これが主権国家間の相互承認体制、国際法秩序です。この体制をもとにキリスト教諸国家の域外拡張として非ヨーロッパ地域は統合されてゆきます。（その姿勢が一般には帝国主義と呼ばれますね）。&#13;&lt;br&gt;
　ところが北アメリカには、その「ヨーロッパ公法秩序」内に存在の場をもてなかった「ピューリタン」たちが、「信仰の自由な地」を求めて大西洋の彼方に「脱出」し移住します。そしてそこに、初代ニューイングランド総督の言葉を借りれば、「新しいイスラエル」を作り出したのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　そこはローマ法にしたがって「無主の地」とみなされ、開拓した入植者たちの所有地になりました（労働が所有の起源というロックの説）。現地の先住民には「土地所有」の観念がなかったので、彼らは外からの到来者を拒みませんでしたが、入植者たちは土地の所有権を盾に先住者たちを追い出したのです。それ以降、土地の権利をもつ「アメリカ人」と、彼らに「インディアン」と呼ばれた先住民たちの抗争が続きます。そして約二世紀かかって、大地のすべてが「アメリカ人」の所有する不動産となる。つまり彼らの資産となって、「生きる土地を返せ」という先住民たちの要求は、無権利者のつまり無法者たちの反抗として制圧され、その存在は抹消されてゆきます。その結果「解放された」世界が、所有者たちの権利を守る「政府」を作ることで「自由の国」アメリカになったわけです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　そこで注目されるのは、アメリカ植民地諸州は、イギリス国王の勅許を受けた民間会社、それも株式会社による事業として開拓・建設されたことです。入植者はその会社の株主です。国王の勅許は土地取得から、開発事業、そこでの行政組織の整備まで、すべてにわたる権利を含んでいました。いわば植民事業の民間委託ですね。そうして作られたステートが、国王の権限（徴税権）を嫌って、委託契約を破棄して「自立する」、それがアメリカ・ステートの英王国からの「独立」でした。つまり民間統治経営ステートがそれを規制する外部権力を排除して独立したということです。私的所有権に基づく自由経済（決定審級として株主総会がある）ステートがその自立性を確立したわけです。このときステートは１３ありましたが、まとまって連邦政府を作りました。それはいわば独立のために「武装した持ち株会社」のようなものですね。&#13;&lt;br&gt;
　&#13;&lt;br&gt;
　アメリカとヨーロッパの基本的な違いはこの点にあります（征服領土国家と民間開発会社の連合）。アメリカがヨーロッパから離反したのもそのためです。&#13;&lt;br&gt;
　ヨーロッパ諸国はもともとゲルマンの征服王朝由来で、それが領土分割線を挟んで互いに争い合い、そこに「秩序」をもたらすために主権国家形態をもとにした「戦争と平和の法」としての国際法秩序を作りました。それがウェストファリア体制です。&#13;&lt;br&gt;
　ところがアメリカでは、領土のせめぎ合いなどありません。広大な大地は「自由取得」の対象で、先住民という障害を取り除けば、すべてが（土地に付随するあらゆるもの）所有権システムのもとで自由処分を推奨される資産に、そして資源になります。&#13;&lt;br&gt;
　だからアメリカ合州国は、その独立に刺激されてラテンアメリカ諸国がスペインの帝国支配から独立するときに、モンロー教書を発して、ヨーロッパに対して三行半を突きつけたのです。「自由の新世界アメリカに手を出すな」と。新世界アメリカは、領土争いと戦争に明け暮れる古いヨーロッパとは違うのだ、と。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
ＳＲ：それは新自由主義をめぐる議論を思い起こさせますね。（付加）&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
Ｎ：その通りだと思います。ふつう新自由主義というのは、国家主導の景気政策を動力とするケインズ主義に対抗して登場し、経済のグロ―バル化で標準的になった市場原理主義だと考えられていますが、じつはこれは「新世界」形成のときの社会形成原理だったのではないでしょうか。&#13;&lt;br&gt;
　つまり、私権を拘束する政治権力（国王）を排除する、規制はするな、あらゆるものは自由に商品化され、市場がその良し悪しを決定する、それによって社会は最適化されるから、政策もなにも市場の自由に委ねよ、と。&#13;&lt;br&gt;
　これが、植民地諸州の経営原理で、その持ち株会社としてのアメリカ合州国の主張ですよね。そのときの「外的規制」というのが、ヨーロッパの主権国家体制であり、「国際法秩序」だったわけです。だからアメリカはそこから離脱する。&#13;&lt;br&gt;
　&#13;&lt;br&gt;
　ただし、アメリカは第一次大戦後、崩壊しかけたヨーロッパに戻る、というよりそれを管理するために世界統治に関与するようになりました。それと同時に世界経済の中で「大恐慌」に見舞われ、それ以来ケインズ主義政策（市場への政治の介入）を取らざるをえなくなりました。国内的には失業対策を、国際的には軍事を含む支援政策を展開するわけです。冷戦下では東西対立もあって、その関与が深くなりました。そのためにベトナム戦争のころには国家財政が極度に悪化し、肥大化した「公共事業（戦争を含む）」をしだいに「民営化」するようになりました。その手始めは「兵役の民営化」（徴兵制の廃止）であり、ついで「軍事の民営化」（民間軍事会社）です。そして冷戦後の市場一元化の時期には、「国家か市場か」が論じられるほどに、民営セクター、つまりグローバル企業が世界経営（ガバナンス）の大きなアクターになります。それは一般には、経済のグローバル化に伴う新自由主義の規範化というふうに言われますが、なんのことはない、これは冷戦後の世界の「アメリカ化」に伴う「経済外的（政府）権力」の排除だったのではないでしょうか。&#13;&lt;br&gt;
　&#13;&lt;br&gt;
ＳＲ：その観点からすると、第二次トランプ政権とは何なのでしょう？&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　合州国は第一次大戦でヨーロッバに派兵するとき、国内の反対を説得するために強力なイデオロギーを必要としました。「戦争のヨーロッパにアメリカの民主主義を」、というものです。アメリカの新しい民主主義（経済原理主義）が古いヨーロッパを救うというわけですね。&#13;&lt;br&gt;
　ウェストファリア体制のもとでの戦争は没イデオロギー的だったのですが（宗教は棚上げ）、アメリカは海外派兵するためにイデオロギーを必要とし、それ以後、アメリカの戦争はつねにイデオロギーを掲げるようになります。第二次大戦後の米ソ対立は文字通りイデオロギー戦争でした。諸国家の利権をめぐってせめぎ合うというより、社会形成の原理が対立の原因になったりました（私的所有権にもとずく自由を原理とする社会と、私的所有を排した国家管理の社会）。&#13;&lt;br&gt;
　社会主義圏の崩壊で冷戦が終わると今度は、グローバル化した世界に無秩序をもちこむ危険な異物がいる（アラブ・イスラーム圏に）、ということでアメリカはその敵を「テロリスト」と名指して「テロとの戦争」を始めます。これはそれまでの戦争と違って、国家間関係を超えたものとされています（ラムズフェルドは「ウェストファリア体制はもう古い」と公言しました）。そして「テロリスト」とは、人権の埒外に置かれた、存在を認められない、つまり「殺してもよい」とされた非人間のカテゴリーです。（これによって、第二次大戦後に確立されたはずの、国際法も、普遍的人権の理念も無効にされました）。&#13;&lt;br&gt;
　このグローバル規模の戦争体制は、アメリカによる世界の管理体制だったのです。けれども、主要先進国（とりわけ西側）が協力したとはいえ、アメリカにとって過剰な負担になっただけでなく、かえって無秩序を拡大して収拾のつかない混乱を引き起こしました。そこで、アメリカ合州国は、自己の負担を軽減するために再び国際関係（国家間秩序）を利用するようになります。それが「新冷戦」ともささやかれた、バイデン政権の打ち出した「民主主義国vs.権威主義国」という図式です。これが最新のイデオロギーで、中国の否定しがたい台頭があって、それを脅威とみなす西側（欧米および日本）諸国にも共有されていました。&#13;&lt;br&gt;
　&#13;&lt;br&gt;
　そこにトランプ大統領が登場したわけです。彼は「アメリカ・ファースト」を掲げますが、それは単なるアメリカのナショナルなエゴイズムを表明するものではありません。アメリカはもうヨーロッパのために世界秩序の管理などしない、本来のモンロー主義、つまり「自由の西半球」の盟主にもどるということです。&#13;&lt;br&gt;
　その意味では、いま世界に起こっている変化は100年規模のものです。しかしそれはたんに世界が強力な国（帝国）の抗争のアリーナに戻ったということではないでしょう。かつて国際法秩序の外に出てできた国（例外国家）が、再びその「例外性」を主張するようになったということです。もはやイデオロギーや同盟関係はアメリカにとってはお荷物でしかない。だから、「先住民抹消のうえに自由の国を作る」という、同じ国家原理をもつイスラエルに関しては、誰が何と言おうと後押しし、中東をコントロール下に置かせます。そして自分は、ＥＵ諸国（ＮＡＴＯ）を逆なでしながらグリーンランドは領有すると公言し、パナマ運河も自分のものだし、ベネズエラやキューバは「当然アメリカに属するものだから、その資源も何も自分のもの」と主張します。強盗無法国家の面目躍如です。ベネズエラに関して、西側諸国はマドゥロ政権が独裁抑圧体制だという理由で、国内の「民主派」を支持し、経済制裁にも参加してきましたが、トランプは「民主主義」など関係ない。自分のものだった石油を取り戻すのだ、とあけすけに公言します。イデオロギーなどクソくらえというわけです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　けれどもこれが重大な国際法秩序の無視であり蹂躙であることは明らかなのに、ＥＵ諸国はほとんどこれを座視するばかりか、マドゥロは弾圧体制を敷いていたのだから、これでベネズエラも民主主義国になるだろうとばかり、追認する状況です。国連安保理会合の始めにジェフリー・サックスが、この会議のテーマはアメリカのあからさまな国際法違反であって、マドゥロ政権の性格云々ではないと言いましたが、それが効果をもったという話は聞きません。そして今では、キューバが深刻な「人道危機」にさらされています。それに対してアメリカの不当を非難しキューバに支援の手を差し伸べようとするのは、メキシコのシェインバウム大統領ぐらいです。国際法秩序の元祖、ヨーロッパは何をしてるのでしょう。&#13;&lt;br&gt;
　今まで同盟国だと信じていたアメリカに手のひらを返されて収拾狼狽、何とかアメリカを繋ぎとめようと、その乱暴狼藉に文句ひとつ言えません（最近多少言うようになりましたが）。&#13;&lt;br&gt;
　第一次と第二次のトランプ政権の違いは、第一次では国家機構によって邪魔された私権の行使を、第二次ではその障害を人事で取り除いたということだと思います。それによって、私権と公的職務との区別がなくなったのです。個人の「狂気」（公私の無差別化）が国家の「狂気」になったということですね。&#13;&lt;br&gt;
　&#13;&lt;br&gt;
ＳＲ：あなたは現在のヨーロッパあるいはフランスの状況をどのようにお考えでしょう。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　ヨーロッパについて、あるいはフランスについて、私が述べる立場にはないと思います。その代わりに、日本の状況について少しお話ししたいと思います。&#13;&lt;br&gt;
　日本はこの激変の中で、悲喜劇的な情況をさらしています。日本は非戦憲法をもつことで、戦後の国際秩序（国連体制）に迎え入れられました。しかし冷戦下のアメリカは日本を対ソ連・対中国の防波堤として使うため、日本に再軍備を許可し、世論を醸成するため戦前の勢力の復活を許しました。それによって戦前からの「反中」姿勢を促されたのです。&#13;&lt;br&gt;
　日本政府はつねに「日米同盟」のもとで世界的役割を果たす、と強調してきました。今の女性首相は米軍艦に乗ってトランプの隣で飛び上がり、「日米同盟の高みで輝く」とアピールします（誰に向かって？）。そして「台湾有事」では日本軍が介入する、とまで国会で発言します。この首相の哀しいところは、「日米同盟」などと日本がいくら強調しても、アメリカの外交政策全般のなかではそれがごく一部でしかないということがわかっていないこと、それに日本がどれだけ軍事力をそろえても、戦争事態かどうかを決める権限は日本にはないということ、さらにアメリカが戦争事態だと認定したときには、日本軍は米軍指揮下に編入されるということ、つまり日米安保条約が完全な従属契約であることさえ分かっていないのです。&#13;&lt;br&gt;
　日本は原爆を受けて降伏した敗戦国です。軍備を備えることを許されるとしたら、日米安全保障条約（および地位協定）にしたがって、主要兵器はアメリカから買い、かつ軍が動くときには米軍指揮下に入るということが条件なのです。&#13;&lt;br&gt;
　いま日本では多くの人びとが、戦争ができないような国は主権国家ではない、もっと言えば、中国を怖れているようでは自立国家でないと考えているようですが、日本はアメリカの許可なしには、あるいはアメリカの一部隊としてしか戦争はできないというのが実情です。&#13;&lt;br&gt;
　日本がこのグローバル化した世界で、ほんとうに自立性・独立性を確保しようとするなら、頼るものは国際法秩序と「諸国家の信義」しかありません。ただしその国際法秩序とは、冒頭にふれたような「脱西洋化」した法秩序のはずです。日本は近年、「西側と価値を同じくする」ことを主張し、ＥＵ・ＮＡＴＯに参加する意向を隠しませんが、それはまったくの歴史的錯覚というものです。むしろ日本は、西洋の世界化という大きな歴史的プロセスのなかで特有の位置取りをとって「発展」した国ですが、戦後の、そして冷戦後には無条件になるアメリカへの隷従姿勢のなかで、その発展の遺産をすべてすり潰してしまい、その経験のもとで、むしろ非同盟諸国とのつながりを作るのがその役割だと思います。&#13;&lt;br&gt;
　&#13;&lt;br&gt;
　ヨーロッパについて、あるいはフランスについて、私が述べる立場にはないと思いますが、それでも言うとしたら、現在がアメリカの離反によって「西洋」が崩壊した「西洋的世界秩序の終焉」のときであることを自覚し、かつ世界の中心であるという意識を捨てて、他者との競争や戦争だけが基本という姿勢も捨てて、ヨーロッパがロシアにも中国にも開かれた公正な国際法秩序の軸になる地域として役割を見いだすべきだと思います。&#13;&lt;br&gt;
　要するに、その点では私の立場はいわゆるアルテル・モンディアリストと親和的かと思います。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
&lt;a href="https://nouvellerevuepolitique.fr/le-trumpisme-et-la-fin-de-lordre-mondial-occidental-entretien-du-professeur-osamu-nishitani-avec-stephane-rozes/?fbclid=IwRlRTSAQO0zRleHRuA2FlbQIxMQBzcnRjBmFwcF9pZA8xNzM4NDc2NDI2NzAzNzAAAR68IA9V0DNiKm6UnNCR_gxWBsjgiubfl3yZfp4_sbI2KtoGeksriH4SR2tHIA_aem_wVkRq04pc6CXKERbafASCQ"&gt;https://nouvellerevuepolitique.fr/le-trumpisme-et-la-fin-de-lordre-mondial-occidental-entretien-du-professeur-osamu-nishitani-avec-stephane-rozes/?fbclid=IwRlRTSAQO0zRleHRuA2FlbQIxMQBzcnRjBmFwcF9pZA8xNzM4NDc2NDI2NzAzNzAAAR68IA9V0DNiKm6UnNCR_gxWBsjgiubfl3yZfp4_sbI2KtoGeksriH4SR2tHIA_aem_wVkRq04pc6CXKERbafASCQ&lt;/a&gt;&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>時事コメント</dc:subject>
      <dc:subject>考察</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>トランプを制することができるのは国際法ではなく合州国憲法</title>
      <link>https://fushinohito.asablo.jp/blog/2026/03/05/9840137</link>
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      <pubDate>Thu, 05 Mar 2026 10:45:26 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-03-05T11:00:23+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2026-03-05T10:47:15+09:00</dcterms:created>
      <description>　3月4日にトランプは前日の予告どおりまたイランに爆撃の「大波」を被らせた。&#13;&lt;br&gt;
　最初にハメネイ師とその家族、会議に集まった軍幹部４０人を一挙に爆殺し（イスラエルの情報提供で、ついでに女学校も爆撃）、それでもすぐに反撃があったから5日後には今度は「指導者後継選び」の会議を目がけて大空爆（B52も参加）、要するにイランの統治指導層とその候補らを文字どおり「殲滅」。これでイラン（人口9千万超、テヘラン900万）の人びとが「大混乱」に陥らない方がおかしい。トランプはその「始末」をどうつけるつもりなのか？（プランがないとは言われている）。&#13;&lt;br&gt;
　&#13;&lt;br&gt;
　だがトランプは「鎮圧・制圧」のための地上軍は送れない。去年6月に核施設（だけか？）破壊でやったように「外科的介入」だけですむと思っていたのだ（トランプもヘグゼスも戦争はシロウト）。地上軍派遣となれば、正真正銘の「戦争」であり、議会に諮る必要がある。議会を超えて「開戦」したということになれば、ただちに大統領越権の「弾劾」が始まることになるだろう（始まらなかったら、アメリカはトランプをアンタッチャブルな主人と認めたことになる）。&#13;&lt;br&gt;
　&#13;&lt;br&gt;
　トランプにとっては国連も国際法も何ものでもない（だから国連安保理会合の議長にメラニアを送り込んだりする）。アメリカは「例外的」最強国なのだから、弱者のための国際法など守る必要もない（じっさいこの間、対ベネズエラ、対キューバでもそう振舞ってきた）。だがアメリカの「大統領」（職務）である以上、合州国の憲法や法律には従わなければならないのだ（憲法はそのためにある）。&#13;&lt;br&gt;
　&#13;&lt;br&gt;
　アメリカでは宣戦布告の権利は議会にある。緊急だったとしてもすみやかに事後承認をえなければならない。わずか5日でこんな惨状（敵の指導部――つまり交渉相手――殲滅、イランの反撃で戦争周辺に拡大、エネルギー地帯で世界経済大混乱、そしてイランは踏みにじられる…）を生み出した「軍事行動」（交渉途中で不意打ち攻撃）を議会が認め、トランプの大統領としての行動を追認したら、そのときには世界は、アメリカが最大の「無法国家」とみなすだろう。そして国際法秩序・国連体制は事実上瓦解する。＊逆にいえば、今、世界の安定のために国際法秩序を必要とし、支えようとしているのは事実上「非米・非西側」の国々なのだ。&#13;&lt;br&gt;
　&#13;&lt;br&gt;
　だが最近、「トランプ関税」も「その権限なし」と連邦最高裁に判定され、トランプは経済的威圧のために他の手段を探らざるをえなくなった。この「戦争」に関しても、「越権」ないし「権限逸脱」で国家に損害を与えたということになれば、トランプは「弾劾」されることだろう（前の任期末での「議事堂乱入使嗾」に続いて）。ただ、そのときアメリカ国家が大統領の不法行為によってイランとイランの人びとに引き起こした「甚大な損害」に対し、どのような「保証」をできるのかはまた大問題だが、アメリカはそれを果たさなければ、金輪際「国際社会のリーダー」などとは言えなくなるだろう。&#13;&lt;br&gt;
　&#13;&lt;br&gt;
　もちろん、今回の「イラン破壊作戦」が不正行為だったなどということは、イスラエルが（アメリカ議会にも）認めさせないだろう。アメリカが「海外派兵して戦争するなどバカバカしい浪費だ」と言っていた（そしてノーベル平和賞をよこせと言っていた）トランプを唆して、この「破壊作戦」をやらせたのはネタニヤフのイスラエルであって（証拠も挙がっている）、何としてでもイランを潰す（イランの存在自体が「存立危機事態」）というのは、けっして「ふつうの国」にはなれない選民国家イスラエルの執念だ。その要請をトランプはかわすことはできないだろう（「エプスタインの罠」も関係している）。&#13;&lt;br&gt;
　&#13;&lt;br&gt;
　唯一のよき兆候は、アメリカ国際法学会の次期会長（４月就任）が、すでにベネズエラ・ハイテク軍事強盗・大統領拉致事件のときに、このトランプ政権の行為があからさまな国際法違反だと表明している。そしてこの２日には、同学会現会長が今回のイラン攻撃がはっきりと国際法違反だと表明したことである。アメリカ大統領の国際法違反（無視・蹂躙）を、国際社会（国連）は裁くことができない――強者の力が事実を作る（アメリカ例外主義）というのだから――が、トランプも合州国の法には従わねばならないのである（従わねばクーデターになる）。&#13;&lt;br&gt;
　&#13;&lt;br&gt;
・ついでに言っておけば、フランスのマクロン大統領はバカである。この事態を受けて（あるいはウクライナ問題も重ねて）、ヨーロッパの「抑止力」のためにフランスの核弾頭を増やすという。そして今度は地中海に原子力空母を派遣するという。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　「抑止力」とは「核の脅し」で「敵」が攻撃を控えるという都合のよい妄想だが、そんなものに意味がないというのを示したのが「九・一一」だったし、ロシアもＮＡＴＯの「抑止力」に挑戦してウクライナに侵攻した。相手の「核」を「使わせない」という想定の下で、やたらに戦費をつぎ込むだけが戦争国家の妄執である。だが、軍需産業というのは、人を殺し街や村を破壊してそれだけのために「消費」される製品作りであり、戦争がないと維持できない。そしてその製品は戦争で人間社会を消耗させるためにしか役立たないのだ。それが「役に立つ」と思わせ、人間社会の命運を無視して「経済システム」を「成長」させるという妄想を支えるのが「抑止力」理論だ。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　フランスは、いま地中海に原子力空母を派遣して何になるのか？アメリカとイスラエルを「抑止する」つもりか？まさか、そんなことはありえない。だとしたらイランの混乱した「反撃」を制圧するためか？だったら初めからそう言えばいい。この先の中東利権確保のためだと（イギリスでさえ今度の米イの戦争には加わらないと言っているし、スペインははっきり米イの戦争への加担を拒否した）。&#13;&lt;br&gt;
　&#13;&lt;br&gt;
※アメリカにおいて宣戦布告の権利が議会（連邦議会）に属することは、アメリカ合衆国憲法 第1条 第8節（Article I, Section 8, Clause 11）で明確に規定されている。&lt;br&gt;
</description>
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      <dc:subject>時事コメント</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>2/4.日本記者クラブでのイシカワ駐日ベネズエラ大使の会見についての所見</title>
      <link>https://fushinohito.asablo.jp/blog/2026/02/05/9834985</link>
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      <pubDate>Thu, 05 Feb 2026 22:03:28 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-02-05T22:04:42+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2026-02-05T22:03:50+09:00</dcterms:created>
      <description>　2月4日に日本記者クラブでイシカワ駐日ベネズエラ大使の会見が行われた。ベネズエラの首都カラカスが米軍の特殊作戦で襲われ、マドゥロ大統領夫妻が拉致されアメリカに連行さるという、米トランプ政権による前代未聞の狼藉があってから1月目にあたる。イシカワ大使の会見は、「強権」のマドゥロ政権がなくなってよかったが、後継のロドリゲス暫定大統領はマドゥロ側近で、ベネズエラにはまだ「自由」が回復していない、といった論調が跋扈する日本のメディアに、アメリカによるこのような国際法無視どころかあからさまな「主権蹂躙」の被害に遭い、かつそれを追認するような西側メディアの歪曲報道にさらされながら、ベネズエラ現政権がどのようにその尊厳を守り、主権の保持に屈することなく努めているかを訴えるためのものだった（と言うことができるだろう）。&#13;&lt;br&gt;
　&#13;&lt;br&gt;
　日本記者クラブは先週、アジア経済研究所の坂口安紀氏を招いて「ベネズエラはまだ変わっていない、自由の抑圧は続いている…」といった、米国による強引な「体制転換」の試みを後押しするような会見を垂れ流した――坂口氏は「強権」体制の「民主化」を求めるようなことを言うが、トランプ大統領は「民主主義など関係ない、われわれはもともとアメリカのものだった石油を取り戻すだけだ」とはっきり言っている。それに対して、日本記者クラブは、被害国であるベネズエラ側の言い分を聞く必要があったということだろう。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　イシカワ大使は、米軍攻撃の最初の衝撃と混乱をのりこえ、ベネズエラ市民が平静を取り戻し、市民生活も落ち着いて、マーケットに食料品なども十分に行き渡っている状況を示し、その一方で大勢の民衆が日々アメリカによる大統領夫妻拉致に講義してデモを行っていること、一部で言われるような「90％の市民がマドゥロ大統領の失脚」を喜んでいるといったニュースとは正反対に、野党勢力も含めて90％を超える人びとが大統領拉致に反対しているといった、ベネズエラ調査機関（アメリカの調査機関ではなく）の調査結果を紹介した。そして不測の大統領不在の間職務を代行するロドリゲス暫定大統領のもと、一方で国際法遵守を訴えながら、対話による交渉を通してであればベネズエラはどの国とも交渉する用意があることを迅速な実践によって示しているのだと。そして事実上成立したアメリカとの石油輸出は、アメリカの暴力に屈したからではなく、平和裡になら交渉を行うことができるし、アメリカは石油を得る一方、ベネズエラはその利益をただちに労働者の賃上げや困窮者対策に充てることができるということを示した。&#13;&lt;br&gt;
　&#13;&lt;br&gt;
　（その言外を読めば、この間、石油メジャーもそのような交渉ができなかったのは、アメリカが一方的に経済制裁を課し、ベネズエラとの取引を一切禁じていたからであり、そのような一方的なことをしなければ交渉はできるということだ。）&#13;&lt;br&gt;
　&#13;&lt;br&gt;
　ところが、その後の質疑応答で露呈したのは、参加していた記者たちの押しなべての無理解と質の低さだ。だいたい司会者からしておかしかった。最初の紹介で「…マドゥロ大統領がいなくなったあと、アメリカの承認を受けて就任したロドリゲス暫定大統領は…」という始末。マドゥロが不法にアメリカに強奪拉致されたとも言わず、ロドリゲスはアメリカに認められて就任した、という。すでに恐るべき偏見である。&#13;&lt;br&gt;
　&#13;&lt;br&gt;
　それに関する質問もあった。つまりロドリゲス暫定大統領の「合法性」問題であり、ほんとうはすぐに新大統領を選ぶ選挙をやらなければならないのではないか（そうしたらノーベル賞を受けたマチャードが大統領になれるのではないのか…）、（実際には副大統領だったロドリゲスは憲法規定にしたがって代行となり、最高裁で暫定大統領に任命された）、あるいは、前回選挙でマドゥロの当選は不正によるものであって、もともと「正統性」がないのではないか、といった質問。これに関しては、前々回もそうだし、19年にグワイド某（当時の輪番による国会議長）が対抗大統領を名乗り、それをただちにアメリカが承認して、グワイドはその後クーデターに失敗してアメリカに逃亡したことからも分かるように、対抗候補（いわゆる野党候補）が選挙に勝ったという情報そのものが胡乱な主張で、それが世界に広まったのはその「選挙不正」を直ちにアメリカ（とＥＵ諸国）が承認したからに過ぎない。ベネズエラにはしっかりした三権分立の仕組みがあり、選挙管理委員会はそれからもまた独立している。それが認めたのはマドゥロの当選だとイシカワ大使は強調した。&#13;&lt;br&gt;
　&#13;&lt;br&gt;
　要するにほとんどの質問は、マドゥロは選挙不正で当選し、正統性がないのだから、トランプが拉致したのはその正統性の回復、言いかえれば民主主義の回復にはよかったのではないか、といった「国際法などどうでもいい」「国家主権なんて世界の民主主義のためには…」といった、トンデモな思い込みからなされていた。&#13;&lt;br&gt;
　&#13;&lt;br&gt;
　あきれ果ててものも言えないとはこのことである。産経新聞の記者がおおく当てられて発言していたが、おしなべてこの調子。時事通信、共同通信の記者も。朝日の退職記者というのに至っては、「大使、この報道の自由のある日本の記者クラブで、強権体制の代弁をするというたいへん窮屈なお役目、ごくろうさまです」みたいな口上で質問を始めた。どこまで間抜けの自覚のない尊大な大新聞の元記者かと、後ろから冷や水を浴びせてやりたかったが、かえってイシカワ大使の居心地を悪くしてもと思いとどまった。&#13;&lt;br&gt;
　&#13;&lt;br&gt;
　唯一、元TBSの金平氏が、マドゥロ拉致に関しての賛否のアンケートが坂口氏の挙げたものとイシカワ大使の挙げたものとでは真逆だが、どうしてこういうことになるのかと質問していたが、ほんとうはそんなことはイシカワ大使に聞くべきことではないのだ。イシカワ大使は自分だ客観的で事実を示しているというデータを挙げている。真逆のデータを挙げた方が説明すべきだし、その当否を判断するのはジャーナリストの役目ではないのか。&#13;&lt;br&gt;
　&#13;&lt;br&gt;
　最後にトランプの「ドンロー主義」についてウェブ参加者からの質問があったが、これもイシカワ大使に聞いてもしかたがない。これへの答えの中で大使は「プロフェサー・オサム・ニシタニが&amp;quot;長周新聞&amp;quot;に書いた記事がとても興味深かったから参照されたい」と、記者たちに&amp;quot;勉強&amp;quot;を促した。ちなみに、もう長時間慣れない話で疲れていたらしい通訳の人は、「長周新聞」など知らないらしく「中日新聞」と訳していた。それは後でユーチューブか何かで確かめたのだが（その直前に所用があって中座した）、この分ではその前にもご当人の知らないことはかなり勝手に訳していたのではないかと心配になった。たとえば司会者が初めに述べたことなど、日本語では露骨なニュアンスが出ていたのだが、これなど正確にスペイン語に訳していたのだろうか（訳していたとしたら、イシカワ大使冒頭からムッとしたかもしれない）。&lt;br&gt;
</description>
    </item>
    <item>
      <title>トランプの「ドンロー主義」と国際法秩序 （ルモンド・ディプロ日本版）</title>
      <link>https://fushinohito.asablo.jp/blog/2026/01/26/9833072</link>
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      <pubDate>Mon, 26 Jan 2026 22:44:35 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-01-26T22:47:28+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2026-01-26T22:45:34+09:00</dcterms:created>
      <description>○世界の「危機」――アメリカの「無法」&#13;&lt;br&gt;
　いま、アメリカのトランプ大統領の言動をめぐって起きている事柄を、国際政治や解釈理論の常套句・常套論理を離れて、突っ込んで適確な用語で語ってみたい。&#13;&lt;br&gt;
　まず、トランプの言動は本人がそう言うようにあらゆる国際法を無視している。それでもベネズエラの大統領夫妻を特殊攻撃で拉致して、アメリカ法下の罪人として裁こうとしたり、ベネズエラを「統治」すると公言したり、その資源を我が物として強奪するそぶりをしたりすることが「可能」なのは（事実上やっている）、アメリカがその軍事力と諜報組織、金融システムとグロバールなＰＲ手段をもっていて、それを「無制約」に使っているからである。当然ながらこの種の行為は、強大国家の「権力」の見境のない発露、すなわち力任せの「暴力」行為であり、国家権力の相互抑制システムである「国際法秩序」のあられもない蹂躙である。そのことをまずは国際社会は明言しなければならない。&#13;&lt;br&gt;
　それと、トランプ大統領のこの「異常さ」は、私的な欲望・願望と公的職務権限とに区別がないことにある（一期目にはこの融合が妨げられたので、二期目は人事でその障害を取り除いた）。これは社会的に診断するならすでに「狂気」と言わざるをえない。「私が大統領なのだから、私の言明・命令は、アメリカ国家の意志遂行の行為である」というのは、私的願望主体と「職務権限」との区別のつかない反社会的「病理」である。&#13;&lt;br&gt;
　だが、それが通ってしまうのは、現代社会のコミュニケーション・インフラがＳＮＳであるからだ。ＳＮＳの基本的特徴は、私的メッセージが、そのままヴァーチャルな「公共」空間に流れることだ。それが「言論の自由」を広げるとして、売りに出されているのがこの主のメディアだ。そしてそこでは「真理にもはや価値はない」（ポスト・トゥルース）。「良貨は悪貨を駆逐する」と言われるように、「受け」さえすればそれが「選ばれたメッセージ」だということになる。そのうえ権力者がそれを使えば、そのメッセージは私的であっても公共的ステイタスをもって流通する。そんなメディア・インフラの性格が、現代政治にトランプ的「病理」を助長することになっている。この「見境がない」という個人的資質と、メディア・インフラの「解放系」とが相まって、トランプの「無規範性・無法性」に実際的効果をもたせている。&#13;&lt;br&gt;
　だから、いま世界に「危機」があるとすれば、それはパレスチナでもウクライナでもベネズエラでもなく、「最強国」（じつはそれ自体が今では「妄想」なのだが）が「無法者」と化しているというその事態にある。要するに現代世界が直面しているのは、「専制主義国の脅威」などではもはやなく、「アメリカが無法者になった」というこの「問題」なのである（その背景にあるのは、枯渇資源確保の妄執と、ヴァ―チャル世界へのエグジット妄想だが、これについては別に扱おう）。&#13;&lt;br&gt;
　&#13;&lt;br&gt;
○「自由の西半球」――ウェストファリア体制からの離脱&#13;&lt;br&gt;
　しかしじつはこの「無法」はトランプ個人の問題ではない。アメリカ合州国という「国」がいかにして形成されたのかを考えれば、ヨーロッパからの離脱を宣言したいわゆる「モンロー主義」がアメリカの建国原理に根ざしたものであることが分かる。&#13;&lt;br&gt;
　もともと国際法秩序とはヨーロッパでできたものである。ヨーロッパ全域を戦争に巻き込んだ30年戦争（17世紀前半）の後で、もう宗教を戦争の口実にしない、領土を一元統治する主権国家だけが戦争をすることができる、ただし戦争は正当な決まりに従って行う（戦争を平時とは別の法状態におく）等々 を決めて国家間関係を約定した。これが「戦争と平和」の国際法秩序であり、ウェストファリア体制と呼ばれるものだ。&#13;&lt;br&gt;
　ところが、ここに場を見出さなかったイギリス清教徒たちが、「海の彼方は自由」という当時のヨーロッパ法理（グロチウス）に期待して大西洋を越えて移住し、そこに「信仰の自由な地」を開こうとした。彼らは英国王の特許のもと、先住民を無視して土地を取得し開発し、いくつかの植民地（州）を作り上げた。その事業はじつは、植民会社という民間企業の事業として展開された（植民者はこの会社の株主でもあり、特許に従って土地を私的所有し、それをもとに「解放された」地域を開発、町や港湾や砦を作る）。この企業は先住民を「不法居住者」として追い立て、反抗を受けると「無法な野蛮人」として掃討し、そこにできた空白を自らの「自由」な事業展開の場として発展した。これが「新しいイスラエル」と称えられた（初代ニューイングランド総督）「新世界アメリカ」である。&#13;&lt;br&gt;
　そしてやがてそれに税金を課す王権を「特許状違反」と嫌って、英領十三の州が連合して「独立」をめざすようになる。そのために連邦政府ができるが、それは私企業の「統治経営」によってできた各州が、その自由経営権を守るための連合、いわば武装した「持ち株会社」のようなものだった。そして英王権を排して、アメリカ合州国はその自由経営統治権を確立したのである。そしてその仕組みが株主たち（私的所有権者たち）の「民主主義」なのである――そこには所有権の観念をもたない先住民や貧民にはまったく権利がない。&#13;&lt;br&gt;
　その意味で、アメリカ合州国とは、私企業の連合統治体であり、ヨーロッパ国際秩序を作った主権領邦国家とは成立ちがまったく違う。そのため、合州国に刺激されてラテンアメリカでも独立運動が起こると、「古い帝国」支配下にあったラ米諸国の独立を支持して、合州国はヨーロッパとの相互不干渉政策、いわゆるモンロー宣言を打ち出す。つまり、アメリカはヨーロッパ的な国際法秩序に従わないとして、「自由の西半球」を宣言したわけである。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
○アメリカの対外戦争&#13;&lt;br&gt;
　アメリカには初めから「原資」があった。先住民から奪った土地がそのまま不動産という資産となり、それに付属する資源も何もすべて企業家の私有財産になったからだ。&#13;&lt;br&gt;
　こうして封建制のしがらみもなく、建国半世紀で北米大陸中央のすべてが資産となり、初めから近代産業体制が成立して（黒人や後の移民が豊富な労働力）、一九世紀末には世界一の工業国になった。「フロンティアの消滅」で先住民掃討の主役だった騎兵隊の仕事がなくなると、それを海外上陸用の部隊・海兵隊に組み替えて、まずスペインの植民地だったキューバ（ついでにフィリピン）を「解放」、つまり「自由市場」に解放して属国化し、ラテンアメリカ全域を「アメリカ化」しようとする矢先、ヨーロッパが植民地獲得競争（帝国主義）の仲間割れから「欧州大戦」に陥った。そこでアメリカ合州国はモンロー主義を捨てて、西洋的世界秩序にかぶさり、以後、世界統治に関与するようになる。&#13;&lt;br&gt;
　ただしそのとき、国内での抵抗が強かったため（古いヨーロッパなど捨ておけ、西半球の解放で十分だ…）、ウィルソン政権は参戦（海外派兵）のための強力なイデオロギーを打ち出さざるをえなかった。それが「アメリカの民主主義をヨーロッパへ」だった（アメリカの民主主義とは、国王や帝権を廃した民間企業家たちの独自政体だ）。&#13;&lt;br&gt;
　それ以来、アメリカの戦争（海外派兵）はたんなる権益をめぐる抗争ではなくイデオロギー戦争になる（そのためＰＲ会社が活躍する）。第二次世界大戦は「ファシズムから民主主義を守る」、冷戦期は「共産主義対自由主義」（国家管理対私的所有権体制）、そうして冷戦後「西側の自由と民主主義」が勝利したことになって、グローバル市場一元化が達成されるとアメリカ原理（新自由主義）が規範のバッスク・アメリカーナの時代になる。だが、９・１１で初めてアメリカ本土が襲撃され、「核抑止」体制そのものが破られたため、アメリカは「新たな敵」を「テロリスト」と指定し、人権の埒外においてグローバル規模でその殲滅戦を始める。いわゆる「テロとの戦争」だが、その構造はグローバル規模での「インディアン戦争」であり、無法を法とする超法規戦争だった。しかし、そのコストがあまりに高かったため（敵が見えないので限界も見えない）、バイデン政権のときにアメリカは、冷戦秩序を焼き直して「民主主義対専制主義」という対立図式を作り、「専制主義国の危険」で世界を戦争管理しようとする。&#13;&lt;br&gt;
　それが国際法秩序を抱え込んだアメリカ合衆国の振舞いだった。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
○国連（ＵＮ）、第三世界、ＮＡＴＯ　&#13;&lt;br&gt;
　この間に国際法秩序の行方に関して重要なことが三つあった。&#13;&lt;br&gt;
　ひとつは国際連合の形成。これは破綻したウェストファリア体制の原理を変更して普遍化しようとするものだった。この西洋的国際法秩序は、主権国家の戦争権を軸に作られていたが、主要国がすべて産業化され、戦争になれば総動員・総力戦で双方に甚大な被害が出るうえに、原爆まで開発されてしまった。だから戦争を前提としては破滅の秩序しかできないというわけで、新しい国際法体制は「非戦」を原理とすることになった（ただし、それを最強国は受け入れないので「自衛のための戦争」だけは可とする）。さらに各国は国を超えて「人権」を擁護しなければならないことになった。そこから、相互承認・協調・互恵の原則が生まれる。&#13;&lt;br&gt;
　ただし、この体制は米ソの「冷戦」対立によって骨抜きにされていた。それを実質化しようとしたのが、旧西洋植民地から続々と独立したアジア・アフリカの国々だった。ＡＡ諸国は1955年に初めての会合を開く（バンドン会議）。そこにやがて、アメリカ合州国の「裏庭」とされた国々が加わり、「アジア・アフリカ・ラテンアメリカ諸国会議」となる。それまで世界秩序形成の主体となったことのなかったこの国々は、米ソいずれの超大国にも与せず「非同盟」の連携でそれぞれの国の独立・協調・発展のために協力する形をとった。後に言われる「第三世界」である。&#13;&lt;br&gt;
　その数の多さで国連体制のなかで重きを増してくると、ソ連の崩壊を見越した西側主要国は国連の外に「Ｇ７」を結成し、冷戦後の世界の「管理・運営」にあたろうとした。「西側」はそうて冷戦後にはその存在意義をなくそうとしたのである。その一方でアメリカは冷戦後も反ソ同盟ＮＡＴＯを解消しようとしなかった。それはＥＵ諸国がロシア・中国と新たな関係を作り出して合州国を海の向こうに孤立させるようなことにならないよう、ＥＵをつなぎとめるためである。だから冷戦後も「北大西洋同盟」は残って「西側」を支えることになった。&#13;&lt;br&gt;
　&#13;&lt;br&gt;
○トランプの「ドンロー主義」とは何か？&#13;&lt;br&gt;
　トランプ政権は「アメリカ・ファースト」を掲げて登場した。これは他の小国の「自国ファースト」と似ているようでじつはまったく違う。アメリカは「古いヨーロッパを延命させる世界統治などに関わって、持ち出しだけが多く自国の豊かさ強さは蝕まれてしまった。もう世界統治などには関わらない。国際法秩序などは関係ないのだ。アメリカはもともとその外部に出て、束縛を受けない&amp;quot;自由&amp;quot;を獲得したのだから」というモンロー主義回帰宣言なのである。&#13;&lt;br&gt;
　他の言い方をすれば、もはやイデオロギーで戦争の管理はやらない、強奪が「力の正義」だからだということだ（力で粉砕すれば敵はおとなしくなる。つまり「平和」になる。だからトランプは「ノーベル平和賞」を受ける資格があると思っている）。&#13;&lt;br&gt;
　「アメリカの衰退」はどこに現れているのか？アメリカ社会内部の脆弱化がその表れだが、何よりも明らかなのは、アメリカが「西側」の面倒を見ているうちに、古いチャイナが強く大きくなってしまったではないか、バイデンたちは「東アジア危機」とかを作って封じ込めようとしてきたけれど、もはや中国には関税もかけられないのが実情だ。つまり中国はもうアメリカが国際法のイデオロギーで抑え込める「敵」ではない。だからもう山賊・海賊同士のディールしかない、というわけだ。&#13;&lt;br&gt;
　だからアメリカは今や本来の「西半球」に注力する。そして「西半球」が「自由の領域」であることを足場に海賊船を出す、ということだ。ついでに言えば、中東は石油確保（国家としてというよりメジャー企業がそれで儲ける）ができればよいから、統治支配はイスラエルに任せる。何よりイスラエルは、先住民抹殺の上に「自由の国」を作ったアメリカと同じ原理を押し通す国だから。&#13;&lt;br&gt;
　カナダは51番目の州にするし、グリーンランドは北極圏を抑えるための要所、西半球の一部だ。これはＥＵが何といおうと（どうせ植民地支配じゃないか）金で「解放する」（ダボス会議でゴタゴタ言う連中をこうして初めから脅しておく）。&#13;&lt;br&gt;
　ベネズエラの石油は当然アメリカのもの、どんなことをしてでも「取り戻す」。力で脅せばみんなトランプ・アメリカになびかざるをえないだろうと。&#13;&lt;br&gt;
　&#13;&lt;br&gt;
○新たな「国際法秩序」の担い手&#13;&lt;br&gt;
　要するにトランプ・アメリカとは、その国家形成原理に立ち戻り、国際法秩序の「外」に出たアメリカなのである。&#13;&lt;br&gt;
　それを、「手のひらを返された」と思うＥＵは「法と秩序」とか「自由貿易」とか今さらのように言う。しかし、合州国の庇護のもとにＥＵ諸国は世界ヘゲモニーを維持しようとしてきたが、植民地支配の遺産を食いつぶしてからは、地球温暖化の問題やデジタルＩＴ化による社会解体などで、じつはもう世界をリードする力を実質的には失っている。にもかかわらず、Ｇ７などと称して世界統治のかじ取りを担うと主張してきたのである。&#13;&lt;br&gt;
　いま世界史規模で起きているのは米・欧が結んだ「西洋」の分裂と崩壊である。&#13;&lt;br&gt;
　そこで「国際法秩序」を最も必要として、それを尊重し尊重させざるを得ないのは、力で世界を制覇したことのない国々、するべくもない国々、「西洋的秩序」につごうよくとり込まれるか・あるいは締め出されてきた旧「第三世界」の国々である。それだけが今、国連を必要とし、国連を支えようとする（国連総会を軸にして）国々であり、「核抑止力」など持たないがゆえに国際法秩序を正統的に要求しうる勢力である。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>考察</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>アメリカという裁き手を名乗る強盗国家――「体制転換」のあられもない実態</title>
      <link>https://fushinohito.asablo.jp/blog/2026/01/04/9828050</link>
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      <pubDate>Sun, 04 Jan 2026 00:44:38 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-01-04T01:22:34+09:00</dcterms:modified>
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      <description>　権力の行使に歯止めがないトランプならほんとうにやりそうだが、軍事圧力をかけてベネズエラ国内の動揺と混乱を誘い（そのためにすでにCIAに作戦命令を出してある）、それを口実に米軍が「人道的介入」と称してマドゥロ政権制圧に乗り出してゆくのだろうと思っていたが、体裁を気にしない「無頼」の不動産屋トランプは、新年早々首都カラカス他に「大規模な」攻撃をしかけて、マドゥロ大統領夫妻を拘束し国外に拉致したという（発表はトランプがＳＮＳで、ルビオは米国内で裁くと言っている――1989年のバナマのノリエガのときのように）。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　これだけのことをされても（大国が強盗のように国に押し入って大統領を拉致した）、ベネズエラ（政府）はアメリカに対して宣戦布告するなどできない（圧倒的な軍事力の差、公式に戦争状態になればベネズエラはひとたまりもない）。国連に訴え、国際社会に米国のこの暴挙を抑えてもらうしかない。だが、ロシアがウクライナに侵攻したとき万雷の拍手でロシア非難を議決したように、とりわけ影響力をもつはずの「西側」諸国は米国を弾劾するだろうか？　それにもともとアメリカは国連のパトロンのように振舞っている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　では、どうなるのか？ベネズエラ政府がマドゥロの臨時代行を立てても、アメリカがそれを認めなければ、軍事圧力や経済制裁が続き、統治機構がうまく働かなくなる。そこでノーベル賞のマチャドが、去年の大統領選で「勝った」と主張するスペイン亡命中のゴンザーレスを連れ戻して「正統大統領」とし、それをアメリカが承認して（すでに承認している）ベネズエラの「民主化」が果たされたとして、石油利権なども含めた新「安保」条約を結んで庇護下におく。そうすればベネズエラはチャベス登場以前の「親米国」になる。それがアメリカの描いている筋書きだろう（トランプのやり方は酷いが、ことがこう進めば誰も基本的に文句は言わない）。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　コロンビアやメキシコが「主権侵害」を訴えトランプを非難してもトランプには痛くも痒くもない。ロシアやイランが批判しても両国はもともとアメリカにとって制裁の対象だ。では中国は？中国とてアメリカを抑える有効な手はないだろう（トランプを個人的に脅すことはできるかもしれないが）。エプスタイン文書問題や経済失政問題を抱えるトランプに「偉大なアメリカ」を示す格好のチャンスであるこのベネズエラ案件を諦めさせるのは至難のわざだろう。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　となると、アメリカの筋書き通りになるしかないのか？だが、今のマドゥロ体制を支えてきたのは、その「強権支配」でも「独裁」でもなく、主権意識に目ざめた全国幾千ものコムーナに集う人々の活動である。コムーナは地域生活共同体で、その相互協力で多くの人びとの生活が成立ち、だからアメリカによる強力な経済制裁やコロナ封鎖があっても、多くの人びとが生き残ることができたのだ。個人の持てる者の自由の体制の下では貧困にあえぐしかなった貧民窟や地方の荒廃した農村の人びとは、小規模の地域生活共同体を組織することで、通常の経済システムとは相対的に自立した地域で社会生活を営むことができるようになったのだ。彼らはマチャドのような「野党」勢力代表がアメリカの後ろ盾で戻ってきたら、それこそ2002年にチャベスがクーデター派に拉致された時のように、全国から集まってその政権を倒すことだろう。だがその時には、アメリカに武装された「自由派政権」とコムーナの民衆との間で再び「内戦」が起こるだろう。その戦いにアメリカが「テロとの戦争」と称して再介入したら、ベネズエラの混乱は長く続くことになる（現代のベトナム戦争のようになるのだ）。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　だからここは、アメリカが引くしかない（マドゥロ夫妻を返し、カリブ海に展開する軍も撤収する）が、トランプ（とルビオ、ヘグゼス）にかぎってそれはないだろう。アメリカ国内でその横紙破りの「違法性」に非難が高まり、エプスタイン文書の追及も相まってトランプが進退窮まらないかぎり。国連でも、ヨーロッパ諸国は「西半球」のことには口出ししにくいという米欧関係の歴史的事情もあり、ウクライナ問題と違ってヨーロッパの利害にじかに関わるわけではないから、トランプの機嫌をいたずらに損ねるのには躊躇するといったところだろう（それに以前から、ベネズエラの体制を「強権支配」だとして批判してきた）。&#13;&lt;br&gt;
　&#13;&lt;br&gt;
　こんなことは、トランプ政権でマイアミ・マフィアのマルコ・ルビオが国務長官になったときから、そして夏以降カリブ海での動きが不穏になったときにはほぼ確実に予測されたことだ。とはいえトランプがこれほどあられもなく見境もなく抜け抜けとアメリカ大統領として「強盗行為」を仕掛けるとはさすがに思わなかった。それほどトランプが焦っている（歳も歳）ということでもあるだろうが、どんなに自分が見越していても、世に訴える手段もなく（メディアでは西側フェイクの情報ばかりが流れる）、この暴挙を実行を前に悲憤慨嘆するとともに、ただただベネズエラの人びとの巻き込まれる混乱を思うと、非力に胸潰れるばかりである。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
＊長周新聞「アメリカはなぜベネズエラを嫌うのか――ボリバル革命とコムーナ」（2025年11月7日）をぜひ参照されたい。&#13;&lt;br&gt;
&lt;a href="https://www.chosyu-journal.jp/kokusai/36290"&gt;https://www.chosyu-journal.jp/kokusai/36290&lt;/a&gt;&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>時事コメント</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>グローバル世界の「パパ」―－「帝国」における神の代理人（２）</title>
      <link>https://fushinohito.asablo.jp/blog/2025/04/26/9771105</link>
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      <pubDate>Sat, 26 Apr 2025 13:35:32 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2025-04-26T18:42:15+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2025-04-26T13:38:49+09:00</dcterms:created>
      <description>グローバル世界の「パパ」―－「帝国」における神の代理人（２）&#13;&lt;br&gt;
－－ヨハネ・パウロ二世、カロル・ポイチワの墓銘に&#13;&lt;br&gt;
　（『世界』、2005年6月号掲載）&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
□カトリック教会の自己改革－－第二バチカン公会議&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　ヨハネ・パウロ二世とは何だったのかといえば、彼は世界がグローバル化する時代に、カトリック教会のもてる潜在力を最大限に引き出し、教皇の地位と権威を担いきった人、ということになるだろう。もちろん彼は、キリスト教世界を越えて声望をかちえた。けれども、このような教皇を選んだのはバチカン自体なのである。その意味ではバチカンは、二〇世紀末に向かう世界でみずからが何をすればよいかを知っていたということである。事実、ヨハネ・パウロ二世の推進した諸宗教融和による平和の希求は、第二バチカン公会議で決定されたカトリック教会の大方針でもあった。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　カトリック教会も戦争の世紀に大きな試練を受けた。ムッソリーニの時代にバチカンは主権国家（バチカン市国）としての地位を確保するが、第二次世界大戦では状況に翻弄されるだけだった。そして戦後、破滅の前に沈黙した神への失意から人びとは教会を離れ、かつての布教地だった旧植民地も次々に独立してゆく。その一方で核戦争の現実味が増し、人類の危機が論じられるようになった。そのようなときに、カトリック教会は命運をかけて「アジョルナメント（刷新）」を企てたのである。それが一九六二年に召集された第二バチカン公会議の目標だった。そこでは、現代の世界でカトリック教会は何でありうるのか、キリストを生き生きと証しすることができるのか、といった問いが真剣に論じられた。もちろん、教会の「現代化」の試みに対しては、改革派と保守派の対立はあり、その間の確執もあったようだが、会議途中で不帰の人となったヨハネ二三世の後を襲ったパウロ六世も、この方針を引き継いで公会議を終わりに導き、そこでキリスト教諸教会（カトリック、プロテスタント、東方オーソドクス）と、さらに輪を広げた諸宗教融和（エキュメニズム）の大方針がバチカンの公式に路線となった。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　みずからの深刻な危機のなかで、これだけの自己改革を成しえたのはカトリック教会のもつ底力である。そのバチカンがパウロ六世の死後、ヨハネ・パウロ一世のわずか三ヶ月という短い在位を経て、若くして第二バチカン公会議に参加したポーランドの枢機卿カロル・ポイチワを「カトリック教会を新世紀に導く教皇」として選んだのである。&#13;&lt;br&gt;
　かつてはロシア正教に対峙するカトリックの北の牙城であり、ナチズムと戦争の惨禍を経験し、ヤルタ会談でソ連支配下に置かれたという、西洋の現代史を集約するような国、ポーランドから選ばれたこの教皇は、教会の危機を世界の危機に同調させうる資質をもち、グローバル化の波の中で指針を失う世界に、ひとつの灯明を掲げることができた。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　もちろん、彼でなくてはなしえなかっただろうこともある。登位後の祖国訪問でわざわざアウシュヴィッツを訪れ、キリスト教世界が千年を超えてひきずってきた反ユダヤ主義を省みるという所作をとったのは、その地からほど遠くないクラカウ近郊に生まれ、ユダヤ人迫害を癒せぬ痛みとともに身近に経験してきたこの教皇ならではのことだっただろう。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　また、キリスト教世界にとって「大聖年」とされた二千年の年、「記憶の浄化」の標語のもとに、かつて教皇の呼びかけで行われた十字軍によるイスラーム世界の侵略とその残虐行為を謝罪するという挙措は、厳密に言えば、教皇の責任を認めたものではないし、謝罪もイスラーム世界に対するというより、神に対して過ちを犯したというキリスト者としての謝罪であるとはいえ、バチカンによる公式の「罪の告白」であり、それ自体が世界を震撼させるに足るものだった。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　ヨハネ・パウロ二世はこのように、キリスト教徒を代表してその過ちを神に謝罪することで、信仰することの根拠を守りつつ、この内向きの儀礼をバチカンの行事として公開することで、世界にカトリック教会の「自浄能力」を示し、イスラーム世界に向けてのメッセージとしたのである。だからこの挙措は、カトリックの信仰を高めると同時に、諸宗教融和に向けての呼びかけとなった。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　それだけではない。二〇世紀の最後の十年は世界のいたるところ（とりわけ戦争の世紀の主役だった先進諸国）で、「戦争の記憶」が問われた時期だった。その中で、バチカンの示したこの挙措は、「過ち」をみずから認めることで自己刷新をはかり、それによって国際社会で正統性の認知をうるという範を示すことになった。教皇はそのような意味でも「正義」を体現することができたのである。それがヨハネ・パウロ二世の傑出した名声に寄与しいてる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
□唯一無二の「神の代理人」&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　けれども、このように諸宗教融和を説くことのできるのはカトリックの教皇だけだということに留意しておくべきだろう。キリスト教のうちでもカトリックだけが歴史に根ざしたこのような組織基盤をもち、教皇を擁している。プロテスタントは神との仲介を独占するカトリック教会のあり方を批判して、信仰の私事化をはかった。そのため統一的な組織基盤をもたない。また東方教会は、もともと各地の正教会が分立しており、ビザンツ帝国崩壊の後、ロシアがもっとも強力な正教会となったが、その総主教は単ロシア正教会の代表であるにすぎない。となると、全キリスト教会を代表して発言できるのはローマの教皇だけだとういことである。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　それにまた他の諸宗教を見てみても、もともと神へと向かうヒエラルキーを組込んだ教会のような信者の組織をもつ宗教は他にはない（新興のカルト宗教は、その意味ではみなカトリック教会を模倣しているといってもよい）。教会とはキリスト教の比類ない発明なのである。たとえばイスラームは、教会ばかりか神に仕える聖職者というものをもたない。いるのは神の掟を解釈する法学者で、それには位階があるが、「神の代理人」をもって任ずる代表というものはいない。ユダヤ教にしてもそうである。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　教皇が諸宗教の融和を説くときに、二つの段階がある。それはまずキリスト教の諸教会であり、ついでアブラハムの神に帰依する他の「経典の民」、つまりユダヤ教とイスラームであり、それは同じ唯一神を仰ぐ「信仰上の兄弟」とみなされる。エキュメニズムはそのように拡大されるが、さらにその末端に「信仰なき者たち」が並べられる。けれども「信仰なき者たち」というのは、裏を返せば「いつか神に（それもひとつの神に）帰依すべき者たち」でもある。つまりこの「エキュメニズム」の同心円は、あくまでキリスト教を中心に置いており、そのなかでも中心を占めるのが、唯一キリスト信仰を統括す正統組織たるカトリック教会であって、教皇はそのヒエラルキーの頂点にいる。そして教皇だけが、このような組織に支えられて「神の代理人」を任じている。世界を見わたしてもこのような抜きん出た資格をもつ宗教代表者は他にいない。言い換えれば、諸宗教融和をあらゆる宗教諸派に呼びかけ、みずからその集いを主宰できるのは、他のどんな宗派の代表者でもなく、ローマ教皇ただ一人なのである。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　それほど教皇の地位は特権的である。そしてこの地位はグローバル化した世界でとりわけ有効にはたらく。というのも、近代の国民国家が「祖国のために死ぬ」を信仰箇条とするナショナリズムという世俗的「信仰」の「教会＝信仰共同体」であったとするならば、国民国家への「帰依」によって信者を奪われていたカトリック教会は、グローバル化のなかで国家が求心力を減衰させ、市場と国際機関とに権力を委ねてゆく状況のなかで、国家を超えた普遍的権威として再びその存在理由を見出すからである。国家が経済の調整や安全管理にその役割を限定しようとしてゆくとき、競争に委ねられる人びとに希望や保護を与える役割は放棄されるから。そこに国境を越えた救済のための共同体として、カトリック教会はみずからに相応しい役割を見出すことにな。だからバチカンは、いわゆる市場原理主義を批判して、貧困や不正に打ち棄てられる人びとを保護しようとするのである。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
□「世界を作り変える」－－グローバル化の先駆&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　それに実は「グローバル化」とは、元来カトリック教会が構想したものだった。フランスの法制史家ピエール・ルジャンドルがしばしば喚起しているように、「世界を根底から作り変える」とは、中世の教皇権の絶頂期にカトリック教会の謳った使命だった。信仰の用語で言えば「全世界を改宗させる」ということになる。その大事業は宗教改革と「新大陸の発見」の二重の衝撃のもとで、本格的に始まったのである。その結果、南アメリカもアフリカもアジアの一部もカトリックに帰依することになり、教会はそれらの地域に神の光をもたらすとともに、その地の「無信仰者」たちを神のもとにひざまづかせたのである。カトリックは単に世界に広まっただけではなく、神の「真理」によって「世界を作り変えた」のであり、その後西洋から世界に広まる「革命」の思想や「民主化」の思想は、みなこの「世界改造」のモデルに従っている。二十一世紀の今、ブッシュ政権が公然と掲げる「民主化」の戦略の背後にも、このように「世界を作り変えることができる」という想定がある。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　もちろんこの「世界改造」は、単なる武力による征服ではなく、「神の啓示」による「普遍的（カトリックの）真理」のもとに世界を書き換えてゆくことだ。すでに西洋の普遍化によって、世界は半ば書き換えられている。要は現代の世界に、キリストをいかに生き生きと証してみせるかということだが、その務めを「空飛ぶ教皇」は、世界のいたるところに臨在することで果たしたのである。これだけの思想と戦略をもち、長い歴史の遺産を散逸させることなく、自己刷新によってそれを再び賦活しえた組織はもちろん他にはない。まさしくただ一人の「パパ」は、「キリスト教徒すべてのパパ」なのだが、原理的には「人類すべてのパパ」なのである。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　その「パパ」に対して日本の歴史学者が作り出した「教皇」という呼称は、「パパ」の制度的本質を言い当てていて妙である。つまりこの地位は、中世に西ヨーロッパでローマ法の復興が起こったとき、教会の最高権威をかつてのローマ帝国の皇帝になぞらえて作られたものだからだ（ルジャンドル『西洋が西洋について見ずにいること』など参照）。信仰の世界（教会）における皇帝、というその地位を、教皇という呼称は的確に表現している。そしてそこには、信仰の「真理」の領する広がりが「帝国」とみなされることも示唆されている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　だとすると、市場のグローバル化をベースに、世界がひとつの力の秩序に統合されようとしているとき、その市場の「平和」のために不断の戦争（「テロとの戦争」）を展開する軍事的権力が一方にあるとすると、その力の論理を牽制するもうひとつの権威があるという構図が浮かび上がってくる。力によって一元化される世界の内的秩序を「帝国」と呼ぶとするなら、この「帝国」には二つの車輪があり、ひとつがアメリカ大統領、もうひとつがローマの教皇ということになる。それが当を得た言い方かどうかはわからないが、少なくともカトリック教会は、市場よりも先にひとつの原理によるグローバル化に乗り出しており、数世紀にわたってその動きを先導していたのである。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　教皇ヨハネ・パウロ二世は、カトリック教会の「アジョルナメント」の意味をおそらくもっともよく理解した人物でもあった。それは単に、教会の方針を時代の趨勢に合わせて変えてゆくことではない。そうではなく、ドグマ性に支えられる教会の本質を理解しつつ、世界の深い要請（人びとの救済の要請）にあくまでカトリックの長として対応してゆくということだ。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
□カロル・ボイチワの墓&#13;&lt;br&gt;
　&#13;&lt;br&gt;
　ヨハネ・パウロ二世の「功績」を、傑出した一個人のそれとして語ることはできない。彼はあくまで無比の信仰の制度に支えられ、それを担った存在だった。ただ、その背後には、「聖座」に身を捧げることで「墓場なき死者」となったカロル・ポイチワという一人の人物がいた。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　コンクラーベ（教皇選出選挙）のためにローマに発つ前夜、ボイチワ枢機卿は、通いなれたワルシャワのとある教会の冷たい石の床に身を横たえて、両腕を広げ十字に伏せって一夜そのままの姿で祈り続けたという。それは、教皇に選ばれる（あるいは教皇を選ぶ）とほうもない責任に備え、身を打ちひしぐ苦悩に耐えて世界の重みを測る姿であったようにも思われる。その夜を境として、カロル・ポイチワというひとりの人物は死んだと言っていいだろう。教皇になるとは、おそらく彼にとって、キリスト教世界を睥睨するバチカンの頂点に昇りつめるということであるよりも、一一億といわれる信者の集うカトリックの全組織を担いその権威を維持し高めねばならない、唯一無二の重大な職務に身を捧げきることだった。つまり教皇になること自体が、カロル・ポイチワにとってはほかならぬ教会への殉教だったと言ってもよく、ヨハネ・パウロ二世とはすでに彼の「死後」の姿だったのである。&#13;&lt;br&gt;
　無私の教皇として、凶弾を受けても世界を旅し続け、命あるかぎり「神の代理人」としての姿を人びとに見せ続けたのは、ヨハネ・パウロ二世であってカロル・ボイチワではない。そして、教皇ヨハネ・パウロ二世の墓は作られるが、カロル・ポイチワに墓はない。&lt;br&gt;
</description>
    </item>
    <item>
      <title>グローバル世界の「パパ」―－「帝国」における神の代理人（１）</title>
      <link>https://fushinohito.asablo.jp/blog/2025/04/26/9771102</link>
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      <pubDate>Sat, 26 Apr 2025 13:33:00 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2025-04-26T13:53:54+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2025-04-26T13:35:24+09:00</dcterms:created>
      <description>今日、教皇フランシスコの葬儀が行われている。ローマ教皇の代替わりは今ではこれほどの出来事になる。これは世紀を超えて教皇座にあったヨハネ・パウロ二世以来のことである。ヨハネ・パウロ二世の逝去に際して、世界がグローバル化と言われる現代において、不思議な復活を果たしたローマ教皇の地位について、一考をまとめたことがある。これを再掲しておきたい。二回に分ける。&#13;&lt;br&gt;
-------------------------------------------------------&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
グローバル世界の「パパ」―－「帝国」における神の代理人（１）&#13;&lt;br&gt;
－－ヨハネ・パウロ二世、カロル・ポイチワの墓銘に&#13;&lt;br&gt;
　（『世界』、2005年6月号掲載）&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
□「空飛ぶ聖座」&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　四月八日にバチカンで執り行われたヨハネ・パウロニ世の葬儀では、世界の主要国の元首や諸宗教の指導者たちをはじめとして、三百万におよぶ人びとがローマに集ったと伝えられる。この異例の参集を見ると、亡くなった教皇の傑出した存在があらためて際立ってくる。けれどもこれは、考えてみれば不思議なことでもある。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　近代は世俗化の時代だと言われた。キリスト教的伝統に立つ社会では、信仰は私事とされて公共の政治の場からは退き、教会の役割も後退して、とりわけ二〇世紀の世界の動向にはほとんど影響力をもたなかった。ところが、最近のこの教皇は、グローバル化の進む世界で、あらゆる国の政治指導者をしのぐほどの声望をもつにいたったのである。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　世界的に「宗教の回帰」が語られるが、そのときしばしば話題になるのはイスラーム原理主義の台頭と、それによる政治の宗教化だ。けれども、宗教が回帰しているのはイスラーム世界ばかりでなく、「文明」を自称するキリスト教世界でも同じだということが、この教皇のもちえた影響力に表れている。ヨハネ・パウロ二世はひとりの人格として声望を集めたわけではない。彼はカトリック教会の首長であり、信仰に支えられた一世界の代表者だったのである。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　「空飛ぶ聖座」という表現がある。バチカンの聖座はもともとバチカンにあり、人びとがそこに足を運んで謁見を求めるべきものだった。けれども五八歳で登位したこの教皇は、百回を超える空の旅をし、世界のいたるところにみずから体を運んだ。そうして彼は、信仰の希薄化が言われる世界の各地に「聖座」を臨在させたのである。ヨハネ・パウロ二世の「革新性」があるとすれば、他のどこにでもなくこの点にあるといってよいだろう。教皇がここにいるという出来事は、そのつどその地のカトリック（だけでなくラテン・キリスト教）信仰を賦活し、救済の希望に息を吹き込んで、バチカンの存在を世界の表面に浮上させた。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　多くの信者たちの集まる教皇の訪問は、そのつど大きなイヴェントとなって世界に放映された。この教皇はいつも、権威を表す荘重な装束ではなく、軽やかな明るい色の法衣をまとって登場する。そして何を語るかということにもまして、彼がそこに身を運ぶということ、そこで祈るということ自体が、強い象徴的な意味をもって作用した。アイドルという言葉はもともと神の像を意味するギリシア語由来の宗教用語だが、ヨハネ・パウロ二世こそは文字通りの「アイドル」であり、現代最高のスーパー・スターだったとも言える。その生身の体の移動は最上のスペクタクルとなり、それがカトリック教会の求心力を高めるのにこの上なく貢献したのである。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　各地の歴訪によって彼はいたるところに救済の希望をもち運んだ。その影響力がカトリック圏ばかりかキリスト教世界を越えて広まったのは、彼が冷戦後の世界でとりわけ諸宗教の融和や和解を説いて平和を訴え、みずからの祈りを、現代世界の多くの人びとの願いや希望と重ね合わせることができたからである。もちろん、そのような教皇は史上に類を見ない。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
□ドグマの体現者としての教皇&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　けれどもその教皇は、一方ではきわめて保守的で、女性が聖職者になることを頑なに拒み、人工妊娠中絶や、エイズを避けるための避妊も認めず、同性愛も容認しなかった。そのため、若者たちを教会から離反させているといった批判を受けてきた。一方で、世界に向けては「開かれた」融和の姿勢を示し、「力の正義」に対して「言葉の正義」をあくまで貫くことで、イラク戦争開戦時には世界の反戦的世論の後ろ盾ともなったこの教皇が、教義に関して強固な保守性を示すのは、一見すると相容れないと見えるかもしれない。けれども、それが「矛盾」と見えるのは、「進歩的」ないしは「民主的」であることを、そのまま「世情に照らして望ましい」とみなす、一般的風潮への「順応主義」にとってだけだろう。教皇にとっては「正義」を果たすことと、教義の根本原則を守ることとは、同じひとつのことだったのだ。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　ヨハネ・パウロ二世が、出身地ポーランドのカトリックの特質を引き継いでマリア信仰を重んじ、「秘蹟」を信じる神秘主義的傾向をもっていたことはよく知られている。聖母出現の伝説の地ルルドを神聖視し、ポルトガルのファティマの予言にも重要な意味を与えていた。八一年五月に起こった教皇狙撃事件についても、最近になって旧東側の諜報機関の関与が明らかにされたが、世俗的な事実関係がどうであれ、教皇はそれを超える解釈体系をもち（封印されていたファティマの予言の三つ目のものがそれだということ）、彼が深く信じていたのはそちらの方だった。だから彼は、運命の「手」となって罪を犯した犯人を心の底から赦すことができ、そのことに犯人もまた動かされたのである。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　そうした深い信仰があればこそ、彼は老いてなお各地に赴き、病を抱えたその身を受難の具現のごとくさらしながら、世界に臨在する教皇としての務めを果たしえたのだろう。そしてその信念によって、イラク戦争前夜には、その影響力とバチカンのもてるあらゆる手段を動員し、アメリカの力の政策の前に立ちふさがった。それができたのは、「教皇」なればこそのことだ。そして教皇とは、カトリック教会の最高権威であり、カトリックとは他でもない、ドグマに対する信仰を軸とした制度的組織なのである。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　キリスト教は典型的にドグマ的な宗教だが、神と子と聖霊の「三位一体」という基本的ドグマの背後には、マリアの「無原罪懐妊」というもうひとつのドグマが控えている。ここに言う「原罪」とは生殖行為のことである。つまり、人が生まれながらに負っている「原罪」とは、あらゆる人間が男女の性行為によって生まれてきたということである。そのことを免れえない「原罪」とみなし、万人に罪びとの条件を課しておいて、そこからの救済を約束するのが神への信仰だとするのがキリスト教の基本教義である。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　そのドグマを「不合理ゆえに我信ず」として呑み込むところに信仰は成立する。合理的に理解できることなら、それは理解することで足り、信じる必要はない。理解を超えた不合理だからこそ信じなければならず、それを信じる者たちによって「教会」は構成されるのである。つまり教会とは不合理なドグマを担うことで成り立つ信仰の組織なのであり、だとすれば、信仰厚く、それゆえに比類ない信望をえたヨハネ・パウロ二世が、かつてキリスト教会の不倶戴天の敵だった啓蒙思想の延長にある「性の自由化」や「男女平等」を、「誤った道」として認めないのは当然のことだろう。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　日本ではバチカンの聖座に座る者を「教皇」とか「ローマ法王」と呼び、そこに性別の明示はない。けれどもこの人物はイタリアでは「パパ」と呼ばれ、フランス語では「パップ」、英語なら「ポープ」である。「パパ」はもとはギリシア語の「パパス（父）」からきており、ラテン語の「パーテル（父）」ともつながっている。それだけでなく、「パパ」の権威のもとにある教会の聖職者はみな「パーテル（父、日本では教父とか神父と呼ぶ）」である。そしてなにより神はキリストの「父」とされている。ここにはもともと「女」の入る余地はなく、それがこの「教会」という秩序、神と救いを求める人びととの仲立ちをする「教会」という組織の基本的なあり方なのである。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　ヨハネ・パウロ二世は敬愛するが、彼の「保守性」は認められない、といった見方は、「教会」というものと「教皇」のなんたるかを見誤っていると言うべきだろう。彼はあくまでカトリック教会の長であり、カトリック教会は信仰のドグマの上に成り立つ組織であって、単なる慈善団体でも社会福祉機関でもない。カトリック教会が「性の自由」に寛容になったとすれば、それは教会の拠って立つ根拠そのものを揺るがせにすることになり、結局は信仰の秩序を弛緩させてカトリック教会の衰弱を招くことになるだろう。（つづく）&lt;br&gt;
</description>
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      <title>今、アメリカで何が起こっているのか？</title>
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      <pubDate>Sat, 15 Mar 2025 12:59:30 +0900</pubDate>
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      <description>今、世界はバニックに陥っているようだ。アメリカに「専制君主（独裁者）」が出現した？そしてアメリカが「西側（西洋）」を裏切った？アメリカは自由と民主主義の国、繁栄する世界のリーダー、文明の未来だったはずなのに。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　世界は「民主主義国と専制主義国」が対立し、専制主義国の野心でヨーロッパでも東アジアでも「戦争の危機」が高まっている、というのが昨日までの「西側」の通念だった。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　ところが、それこそが「ばかな戦争にアメリカを巻き込んで、アメリカ人を踏み台に闇で操り儲ける勢力」があって、「彼らがアメリカ没落の元凶」というのがトランプの主張。それで「メイク・アメリカ・グレート・アゲイン（MAGA）」のスローガンで選挙に勝利した。アメリカのグローバル展開の影で辛酸をなめた「ラストベルト」出身の J.D.バンスも、西海岸の「エリート社会」の居心地悪さからトランプの主張に共感する。彼らの「敵」は、アメリカをダメにしたエリートたちのシンジケート「ディープ・ステート」だ。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
これにうろたえるのは「民主vs.専制」で「危険な専制から民主世界を守る」というイデオロギーを受け入れてきた人びと、つまり「西側」諸国、EU、日本などの民主派の人びとだ。じつはこの図式は、「自由主義vs.共産主義」ついで「文明vs.テロリスト」の焼き直しで、原型は「ナチズムから自由を守る」という、アメリカのヨーロッパ戦線参入のスローガンにある。それまでアメリカは「古いヨーロッパ」の戦争には関わらなかったから、そのモンロー主義を破る欧州介入には理由が必要だったのだ。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
だが、トランプはこの図式を認めない。ヨーロッパの戦争への介入が、アメリカを世界秩序の束縛に絡めとり、それを利用したエリートたちのシンジケートがアメリカを没落させたと考えているからだ。一度、MAGAで大方の予想を裏切って大統領になった。だが国家運営の機構のなかで包囲網はきつく、再選はならなかった。そして今回は「神の加護」もあって、アメリカは再び「偉大な大統領」を選んだ。一期目にトランプを追い落としたのは自分が潰そうとして果たせなかった「ディープ・ステート」である。だから今度は、そのシンジケートの解体から仕事を始めている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
今、アメリカに起こっているのは、だからひとつの「内戦」である。その「内戦」をどういう手順で戦うのか、トランプ陣営には準備があったようだ。それが閣僚の布陣によく表れている（ほぼ全閣僚が議会の承認を得られるかどうかわからないほどだったが、トランプは自分が大統領である以上押し切れるとみていたのだろう）。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
  ＊&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　アメリカの「内戦」に選挙権をもたない我々は介入できない。すべくもない。なぜプロレスの観客よろしく、逆上してトランプをけなさねばならないのか。ロシア寄りだとか、プーチンに弱みを握られているとか。トランプはかつてプロレス興行に関わっていた。自分もリングに上がって見せ場を作るのは得意である。だから彼は大見えを切るし、客のブーイングさえ稼ぎのネタにする。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　彼を「暴君」と呼ぶのは、「アメリカ」についてあまりに無知と言わねばならない。彼こそが「アメリカの自由」の権化なのだ。アメリカの場合「自由」は基本的に「私的」である。「他者」を軽んじ傍若無人に振舞う。トランプはアメリカの地金なのである。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　アメリカとはどういう国なのか。先住民をいないことにして土地を強奪、私的所有権を金科玉条に、それに基づく「自由の国」を作った。それは「合州国」で、争い合うヨーロッパの諸国家とは成立ちが違う。だからイギリスの支配を排して「独立」し、「古いヨーロッパ」（ウェストファリア体制）に三下り半を突きつけた（モンロー宣言）。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　その後は「フロンティアの西進」で自然の大地すべてを「不動産」に転換した。封建制の束縛はなかった。何でも物件化したら自由処分も売買もできる。所有権が大地にある物すべてを財産にする。その「新世界」建設のキーマンが不動産屋だったのである。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
  ＊&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　その頃のアメリカは「偉大」だった。傍若無人でいられたから。ところが「老いたヨーロッパ」は仲間割れで大戦争、イギリスが助けを求める。アメリカは助けに行き、老いぼれに代わって「西洋＝西側」の宗主権をもつ。そして世界統治にリーダーとして関与する。初めはよかった。戦争をするのは海外で、アメリカは繁栄する一方だ。ところが冷戦期になると、国がいつの間にか戦争態勢化、軍官学産複合体ができてそれが政治を動かすようになる（アイゼンハワー退任時に警告した）。この複合体は世界に戦争があることで繁栄する。そして世界統治するアメリカ国家を神輿のようにしてしまう。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　10年のベトナム戦争、南米各地での政権転覆工作（CIA）、ソ連崩壊後には、EUの自立を抑えてNATO（北大西洋軍事同盟）存続、そして湾岸戦争、以後、世界の警察官が負担になると、皆でやれ！と「テロとの戦争」…。あちこちに戦争地雷をしかけて、その実「民営化・私物化」で儲けるというアメリカ・エリート・シンジケートが、国内の「アメリカ人」の衰退と凋落を招いてきた。その戦争屋連中が、世界にいい顔をするために人権だとか弱者保護とか多様性だとか言う。そのために「アメリカ人」が割を食い見捨てられている。だから「アメリカ・ファースト」、「アメリカを再び偉大に」と言うわけだ。それが見えない有権者たちの支持をえて、トランプはいま彼らのチャンピオンになった。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
  ＊&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　そのトランプの標的は、まず国内の「グローバル民主派」であり、対外的にはヨーロッパなのである。アメリカを「国際秩序」に引き込んで凭れるからだ。トランプは世界を都合よく分断するイデオロギーを認めない（それはエリートたちのすること）。中国と敵対するのは、周辺で「人権抑圧」する専制主義国だからではなく、たんに「アメリカの偉大さ」を曇らせる最大のライバルだからだ。だから宗主国デンマークを無視してグリーンランドを買うという（アラスカも昔ロシアから買ったものだ）。カナダも51番目の州にする。戦争ではなくディールでやるから問題ない、と。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　国内の「グローバル民主派」言いかえれば「世界秩序関与派」は、トランプを「危険な獣」のように見る。そしてヨーロッバ（今ではEU）は、アメリカはNATOで縛って冷戦後も自立を許さなかったのに、そのNATOをお荷物だとかタカリだとか言われ、命綱を切られた思いで悲憤憤慨する。さらにウクライナのゼレンスキーに至っては、「戦争をやめろ」というトランプに、「援助がなければ戦争ができない」「止めるから金よこせ」としがみつく（もとはと言えば英米がけしかけた戦争なのに、と）。EUもロシア憎悪で戦争を10年は続けるつもりだった。それでは話にならない、と大混乱。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
  ＊&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
今、アメリカで起こっているのはそういうことだ。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
では、日本はどうすればいいのか。これははっきりしている。今アメリカは「同盟国だなんて甘ったれるな、もう凭れるな」と言っているのだから、これを機会に日本はほんとうに「自立」すべきである。じつは冷戦後にその機会があった。ところがその頃は「世界の一強」アメリカに盲従するしか能がなく、構造改革から軍拡まですべて言われるままで、その結果が「失われた30年」。今こそ自立し、グローバル化した世界の中での新しい位置を見出すべきだろう。そのとき間違ってもまたまた「脱亜入欧」をやってはならない。G７（西洋先進国）の一画などと見掛け倒しの難破船に縋りついていては破滅だ。むしろ、BRICS+諸国と新たな関係を構築し、アメリカの頼りにならない世界、ポスト西洋の時代に積極的に貢献すべきだろう。今、アメリカとヨーロッパが再分裂し、西洋の世界制覇の時代が終わろうとしているのだから。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
＊もうひとつ重要なのは、デジタルIT産業が世界をどこに連れてゆくかということだ。その意味で、イーロン・マスクの役割と振舞いは要注意。それと、AALAとの関係では、マルコ・ルビオが表の権力を得たのが最大の警戒事項だろう。&lt;br&gt;
</description>
    </item>
    <item>
      <title>2025.03.01ホワイトハウス、ゼレ・トラ60分一本勝負の観戦記</title>
      <link>https://fushinohito.asablo.jp/blog/2025/03/02/9758151</link>
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      <pubDate>Sun, 02 Mar 2025 08:32:32 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2025-03-02T18:07:38+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2025-03-02T08:34:53+09:00</dcterms:created>
      <description>トランプは戦争を終わらせたい（アメリカに金がかかるから）。&#13;&lt;br&gt;
ゼレンスキーは「今はやめない、勝つまで金（支援）を出せ」」と言う。&#13;&lt;br&gt;
トランプはもうこれ以上金を出したくない。&#13;&lt;br&gt;
ＥＵ、「アメリカが引いたらウクライナが勝てないじゃないか」とブーブー。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
- 戦争を止めるということは「ロシアが勝つ」ということ？&#13;&lt;br&gt;
- そんなことはないだろう、プーチンはもう死にそう、ロシア軍もボロボロ、経済も青息吐息…ウ軍に領土とられた、石油基地もドローン食らった、とメディアでは盛んに解説していたじゃないか。「ロシアは勝って」いないのでは？ じゃ、そろそろ止めたら？&#13;&lt;br&gt;
- それではロシアに有利になる。&#13;&lt;br&gt;
- えっ、ロシアはボロボロって言ってたじゃない。全部ウソなの？&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
ウクライナは「ヨーロッパと民主主義（西側的価値）」のために戦っているのか？EUは「侵略者ロシア」を懲らしめるために？&#13;&lt;br&gt;
- この15年、ロシアにさんざん嫌がらせし圧迫してきたのは誰だ？（米ブッシュ等とNATO、ロシアからクリミア取って牙を抜く…、ウクライナ人のことなど考えていない。）&#13;&lt;br&gt;
- ウクライナを「反ロ親西」にしたのは誰だ？（オリガルヒと民族右派）&#13;&lt;br&gt;
- 仕掛けたのは？（V.ヌーランドやマケインやH.バイデンら「民主化工作」派＝ネオコン）&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
トランプは、戦争で儲けてアメリカをダメにしてきた「民主化工作」派と戦って選挙（内戦）に勝ち、「アメリカを取り戻した」。&#13;&lt;br&gt;
ウクライナもEUもその「民主化工作」派頼りにロシアに喧嘩を売って「勝とう」とした （「ロシアの侵略がまずはじめ」、というのは端的にウソ）。 &#13;&lt;br&gt;
しかし、トランプのアメリカは、もう縋りつくな、たかるな、自分で勝てなきゃ喧嘩するな（戦争やめろ）、出した金も返せ（ブツでよこせ）と言うので、アメリカ頼みだったウクライナもEUもバニックで逆上している、の図。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
トランプはそのことを見せるために会談を公開でやった（CIAの工作嫌いとプロレス趣味）。&#13;&lt;br&gt;
うまくいったか？　西側のひいき役者ゼレンスキー、西側観客あてに悲劇のヒーロー好演。トランプ、セコンド・バンスの介入もあってちょっと悪役にされる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
トランプは「ロシア寄り」なのではなく、アメリカ頼みで戦争する「古いヨーロッパ」EUが嫌い。それがアメリカ衰退の元だと言う。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
EUはもう10年支援計画なんか立てたから、戦争やめさせるつもりはない。でもトランプは、もうたくさんだと言う。たしかに、アメリカもEUもその間戦費を膨大に使い、ロシアも使うはずだから、世界的にまったく無駄な浪費。そのうえウクライナは潰れてしまう。人もいなくなってしまう（日本が世銀融資の保証国になっている復興計画なんて「夢のリビエラ」みたいなもの）。&#13;&lt;br&gt;
EUとトランプ、この点ではどっちがまともなのか？&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
＊問題はバレスチナ！！&#13;&lt;br&gt;
   それと陰でマルコ・ルビオがキューバに最後の手を伸ばしている。キューバ、いま戦争でもないのにたいへんみたい。ハバナでも一日数時間しか電気がないとか（長い経済制裁と金融遮断のせい――こっちは西半球でアメリカ、失うものがないから）。&lt;br&gt;
</description>
    </item>
    <item>
      <title>フィガロ紙インタヴュー「アメリカ人はトランプが世界で不動産屋として振舞うとは思っていなかった」</title>
      <link>https://fushinohito.asablo.jp/blog/2025/01/28/9750590</link>
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      <pubDate>Tue, 28 Jan 2025 15:36:06 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2025-01-28T16:53:16+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2025-01-28T15:41:15+09:00</dcterms:created>
      <description>フィガロ紙2025年1月26日付&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
１）ル・フィガロ――ドナルド・トランプは就任前演説の中で、パナマ運河を取り戻しグリーンランドを併合したいという願望をあらためて示しました。そしてカナダに経済的圧力をかけると脅し、アメリカの51番目の州になってはどうかとも言いました。あなたはこうした発言に驚きましたか？あなたはそれを、ご著書（『アメリカ、異形の制度空間』講談社メチエ、仏語版 L&amp;#39;Imperialisme de la Liberte, Seuil, 2022 で描き出されている合州国の古い帝国的野心の再燃と見ますか？&#13;&lt;br&gt;
  &#13;&lt;br&gt;
西谷修――いかにも厚顔な言い方ですが、トランプ氏は自分がアメリカ大統領である以上、こんなふうに言って当然だと思っているのでしょう。彼のとっては、他国を脅したり空かしたりできるのも、アメリカの「偉大さ」の証なのでしょう。これがショッキングに聞こえる理由は、彼が新しい領土や運河の支配を、国際法の問題ではなく私法（権）の問題であるかのように語っているからです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
じつはそれがアメリカの伝統に沿ったものでもあるのですが。注意すべきことは、アメリカの「帝国主義」は、一般的なモデルになっているヨーロッパのそれとは根本的に異なるということです。それは、領土化し植民地にするためにある地域の住民を服従させるのではなく、土着の住民を抹消してそこを空にし、領土を「解放」するというものです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
だいたいアメリカ自体が、先住民を排除してそれを自らの「自由」の（フリーな）領域にするということから始まりました。この「解放」の力学は、その後海外にも広がっていった。アメリカが1898年に「帝国支配からの解放」の名のもとに行った対スペイン戦争によって、フィリピン、グアム、プエルトリコの支配権を2000万ドルで獲得することができたのです。こうして、これらの旧植民地は「古い西洋」の支配から「解放」され、私有財産権に基づく「自由の体制」に服して、アメリカ市場の領域に組み込まれました。こうして、「所有権に基づく自由の帝国主義」はアメリカ大陸を越えて広がり始めました。それが、「古いヨーロッパ」の帝国的支配から領土を「解放」し、アメリカの支配圏に統合するという新しい世界統治の方法なのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
この新しい手法はじつは不動産業者が使うものと似ており（地上げや転がし）、ドナルド・トランプが政界入りする前にこの職業で財を成したことを忘れてはなりません。国際政治へのこの手法の導入は、彼の最初の任期中には多くの障害に遭遇しました。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
しかし今回の選挙で、彼は正当性を獲得した。選挙というのはドメスティック（国内的）なもので、当然ながらアメリカの有権者が選んだのは自分たちの大統領であって、世界全体の大統領ではありません。ところが、アメリカの影響力が絶大であるため、世界中の市民たちは「世界に開かれた大統領」がホワイトハウスに入ることを期待していました。その期待は、選挙に関する国々のメディアの報道にも表れていました。しかし、米国は再びトランプ氏を大統領に選出した。多くの人が「ＭＡＧＡ」に応えたのです。これはソーシャルネットワークなどの影響もあるでしょうが、いずれにせよ、米国は今後しばらくは自国重視の姿勢を打ち出し、大統領も同じように振る舞うということです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
２）新大統領は、メキシコ湾の名称を「アメリカ湾」に変更することも約束しています。「何て美しい名前だ！まったく相応しいじゃないか」と言いながら。これは、あなたが著書で引用しているステファン・ツヴァイクがアメリゴ・ヴェスプッチの伝記に書いた言葉を思い起こさせます。アメリカという名前は「征服する言葉だ。この言葉のうちには暴力性があり（中略）、年々、より大きな領域を併合していく」。なぜアメリカ合州国は大陸全体の名前をとったのでしょう？これは領土拡大の兆候だったのでしょうか？&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
西谷――確かに、完全母音にはさまれて明るく生き生きとした響きをもつこの名前は美しい。ドイツの若い地理学者ヴァルトゼーミュラーは、この名前を提案した後、自分の「早とちり」を認めて、自身の世界図からこの名前を撤回したのですが、たぶんその響きの良さのため、たちまちヨーロッパに広がり、誰も修正に応じませんでした。そしてこの名称は、ヨーロッパ人が大西洋の彼方に「発見」したすべての土地を覆って指すようになりました。スペインとポルトガルによって大陸南部に植民地化された国々は、ヨーロッパの帝国主義的なやり方で植民地化されました。そして独立後、これらの国々は「ラテンアメリカ」と総称されるようになりますが、どの国も国名に「アメリカ」という修飾語は採用しなかった（多くは現地語を用いた）。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
一方、北半球では「アメリカ」は、「処女」とみなされた土地の先住民（インディアン）を排除してゼロから作り出されました。つまり、「私有財産に基づく自由」という「制度的空間」が「新世界」としてここに建設された。その「新世界」の名が「アメリカ」だったのです。&#13;&lt;br&gt;
当初、それぞれ「ステート」を名乗っていた東部の13植民地は連携して独立を宣言し、アメリカ合州国を作りました。その後、フランスからルイジアナを買い取り、先住民を追い出して併合します。それから、メキシコからテキサスとカリフォルニアを奪い、あるいは買い取り、いわゆる「フロンティア」を太平洋岸まで伸ばしました。この「フロンティア」は、実際には「拡大するアメリカ」の前線だったわけです。さらに、アメリカはロシアからアラスカを買い取った。そしてスペインとの戦争時には、ついに太平洋のハワイ諸島を併合しました。それ以来、アメリカ合州国を構成する州（ステート）は50を数えるようになっています[これは開かれていて、さらに増えうるわけです]。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
ステファン・ツヴァイクは、ナチスに支配された祖国を逃れ、「旧世界」の混沌から遠く離れた「ヨーロッパの未来」を象徴するはずのアメリカ大陸へと向かいました。しかし、ツヴァイクがそこで見たものは、物質的で人工的な文明の繁栄であり、むしろ野蛮で虚栄に満ちたもので、彼が大切にしてきたヨーロッパの未来ではなかった......。同じように、哲学者のアドルノとホルクハイマーは『啓蒙の弁証法』（フランス語では『Dialectique de la raison』という不正確なタイトルで翻訳されている）を書きました。その中で彼らはアメリカ文明を批判し、「過剰な光は目を焼きつぶし、暗黒を作り出す」と言っています。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
ツヴァイクは「アメリカ」を「征服する名前」と呼びました。私はそれが何を意味するのか、この名前は実際には何を指しているのか、それを考えてみたのです。制度的な用語で言えば、この名称はterra nulliusというローマ法の概念を、ヨーロッパ人にとって未知の土地に投影したものです。それは、処女地であり、持ち主がおらず、自由に処分可能であると想像される大地の規定です。それがまず「アメリカ」と呼ばれました。先住民は、自分たちの先祖代々の土地が不動産として商品のように扱われることを想像できなかったから、ヨーロッパ人がそれを獲得し所有権を設定するのは容易でした。彼らは自分たちを土地の所有者と宣言し、権利をもたない「インディアン」を追い出して、文明の「フロンティア」をさらに西へと押し進めました。そのように、大地とそこに属するすべての豊かさを私有財産に変え、譲渡可能で証券化可能な不動産に変えたことが、「アメリカ」を特徴づけています。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
「新世界」とはそういうものだったのですね。大地を商品に転換して売買することが不動産業者のコアビジネスです。だから、トランプ氏が大統領になったときには、アメリカに新たな土地を割り当て、その土壌を執拗に掘って、掘って、掘りまくる（ドリル、ドリル、ドリル！）と呼びかけるのは容易に理解できます。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
[３]アフガニスタンでのアメリカの失敗の後、そしてウクライナでの中途半端なコミットメントにもかかわらず、これはアメリカが19世紀にそうであったように、アメリカ大陸の周辺部に再び焦点を当てようとしていることを意味するのでしょうか？&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
西谷――イエスでもありノーです。なぜなら、グローバリゼーションの中でその「周辺地域」というのは消えしまうからです。世界情勢には変遷がありました。まず、第一次世界大戦でアメリカは西半球という繭のからを破ってヨーロッパに回帰し、次に第二次世界大戦では主導的な役割を果たして、やがて冷戦が終り、さらにはグローバリゼーションが起こります。アメリカももはや19世紀には戻れません。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
トランプはいま、中国やロシアと対峙する姿勢をとっていますが、しかし、それはイデオロギー的対立あるいは理想主義的戦略にもとづくものではありません――それが冷戦時代からのアメリカの姿勢だったのですが。そうではなく、世界統治をめぐって争い合う競合相手として向き合っているのです。その点ではデンマークやカナダも同じ扱いですが、ただ、彼は中国やロシアを買いとったりすることは不可能だと知っているわけです。それはコストがかかりすぎるから、「ディール」になりません。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
３）ドナルド・トランプやイーロン・マスクも最近、ヨーロッパにさかんに圧力をかけています。これは、アメリカがつねに自らを「新しい西洋」として提示し、人類を「旧世界」のくびきから「解放」したいという願望を公言してきたことをあらためて示すものなのでしょうか？合州国とヨーロッパとの最近の関係と力関係をどのように考えておられますか。 &#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
西谷――その問いにはまず別の問いを立てることで答えましょう。なぜトランプはイーロン・マスクと手を組んだのか？トランプは元不動産業者であるだけでなく、ひとつのポストを求める希望者同士を戦わせ、徐々に排除していくリアリティ番組『アプレンティス』の司会をしていました。一方マスクはデジタル・テクノロジー企業のオーナーであり、プロモーターです。[ほんとうはトランプがプロレスリングの興行者だったことを使いたかったが、フランスではプロレスの話は通じないので、テレビのリアリティー・ショーの話にした。要は、リアルとフェイクの境を取っ払った見世物です。]&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
イーロン・マスクは、さまざまな技術のフロンティア、特にヴァーチャル化技術で開かれつつある空間、あるいはそのコントロールを私的に独占しようとしているのです。彼は（他のテック企業のオーナーたちと同様）「表現の自由」を楯にとります。そしてそれに関するあらゆる規制を撤廃しようとする。政府効率化省の話もありますが、これは結局のところ、コンピューター化、デジタル化された時代における人間の私的な欲望追求に関するあらゆる制限を無力化するための彼の戦略なのではないでしょうか？&#13;&lt;br&gt;
このような「自由」の概念は、典型的にアメリカ的なものです。それは「フリーパス」の要求であって、私権や私物化を優先して公的な制約をすべて取り払うための権限です。実際もうアメリカではあらゆるテクノロジーがすべて「プライバタイズ」で推進されているわけですが、身体を自由にするバイオテクノロジー、人間の思考を無用にする人工知能技術、第二の惑星への新たな「脱出（エグゾダス）」を目指した宇宙開発技術など…。彼は、デジタル化され、ヴァーチャル化されるすべての新資源を自分が「自由に」開発利用できる権利を要求しているのです。このようなプロジェクトは、「新世界」創出（草創期のアメリカ）に関するトランプの願望と一致していると言えます&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
EUはアメリカ連邦政府に匹敵する規模と経済力を持つ国々の連合体です。だから、トランプ氏はそれを無視して、欧州各国に個別に脅しをかけ、自らの「取引術（ディールの闘技場）」に引き込もうとしているわけです。イーロン・マスクに関しては、欧州諸国のいわゆる極右勢力に公然と肩入れしています。「極右」という定義が今日でも有効かどうかについては疑問ですが、いずれにせよ、彼はトランプ主義者のスローガン「自国第一」に共鳴するすべての人々に呼びかけており、それはEUの軛から抜け出よと言っているようなものです。あたかもEUが彼らにとっての「古い帝国」だと言うかのように。ヨーロッパを揺るがすこの状況は、ソ連崩壊時の旧東欧圏諸国を彷彿とさせます。彼らはヨーロッパ連合への加盟を要求しながらも、「古いヨーロッパ」を嫌ってよりアメリカ的な「新しいヨーロッパ」を要求していました。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
４）暗殺未遂事件後、ドナルド・トランプは自身の当選が宗教的で預言的な次元にあることを主張しました。あなたは著書の中で、現代アメリカの神学的・政治的起源を喚起しています。ドナルド・トランプが政権に返り咲いたことで、米国の「明白な運命」の思い込みはさらに強化されると感じますか？ &#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
西谷――トランプへの狙撃は、おそらくトランプ氏自身にとっては一種の啓示的意味をもったでしょうが、それは非常に個人的なものにとどまったと思います。彼はもう少しで命を落とすところだった。だから彼は神が自分を守ってくれていると思ったのかもしれない。しかしこの出来事によって、彼が救世主的運命に目覚めたとは思えません。この出来事は、「不当に」奪われた大統領の座を取り戻したいという彼の願望を正当化するとともに、より強化されたことは確かでしょう。そこで果ててしまっては、汚名を被ったままで、そのままにしておくわけにはいけません。それにあの「不屈の男」を絵にかいたような写真があります。あれは印象的だったでしょう。&#13;&lt;br&gt;
たしかに、トランプは就任演説で、「マニフェスト・デスティニー（明白な運命）を星まで追い求める」と宣言しました（&amp;quot;We will pursue our Manifest Destiny into the Stars&amp;quot;）。ただし、彼はそのとき聖書に手を置いていませんでした[彼に信仰心などないということ]。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
５）ご著書のなかで、あなたは「北米では最初の入植が失敗した後、ヴァージニア植民会社が設立されて、植民地の設営は民間の商業的企業のイニシアチヴで行われた」ということを指摘しています。この歴史に照らして、トランプ大統領と彼の &amp;quot;Art of the Deal &amp;quot;によってアメリカ外交に商業論理が戻ってきたことをどう分析されますか。これはまさに回帰ということなのでしょうか？&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
西谷――その通りと言うか、そこは大事な点です。アメリカ植民地の開発は、基本的に私的セクターの主導で行われました。マサチューセッツ植民会社、ニューイングランド植民会社…、みな国王の特許状をもって植民地建設を行いました。特許のもとで数年間開墾すると、そこは私有地になる。&#13;&lt;br&gt;
そうして開発され、発展した各植民地は、王権の軛（課税）をきらって独立することになったわけです。&#13;&lt;br&gt;
だからアメリカ植民地の独立とは、王の帝国的権力を除去して、市民の共和国を作る、言いかえれば私企業が連合して政治権力を排除したようなものです。それがアメリカ国家の基本的性格を規定しています。つまり私企業の連合国家、組合国家だということです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
アメリカは戦後、国際秩序の盟主になることで、秩序のパートナーとして責任も負うことになりました。冷戦期には社会主義圏と対抗する上でそれは必要な負担でもありました。ところがその束縛が解けると、つまり世界全体がアメリカの覇権のもとに置かれると（冷戦の勝利）、もはやアメリカはみずからの国家的本質を全世界の規範とすることができます。それが国家の私企業化です。&#13;&lt;br&gt;
アメリカは私企業の連合体であったときに大発展し、世界の主導国になりました。しかし国際秩序の制約と責任で衰退した。だから「MAGA」というわけですが、それは私企業の神輿という性格を取り戻すということでもあるでしょう。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
そして、忘れてはならないのは、アメリカの企業は「法人」ですが、アメリカでは「法人」は生身の人間とまったく同じ権利を享受すると定められています。そして企業の目的は株主の利益を守り促進することと定められています。いわゆる「新自由主義」の大原則ですが、その「自由」とは私的存在の欲望追及の自由であり、その自由が法権利として保障されているというのが「新世界」の特徴なのです。だから新自由主義の「新」とは、「新世界」の「新」でもあるのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
トランプ氏は企業家といっても、前に言ったように不動産屋です。つまり「自然物」を法権利の対象とし、その転換を媒介するのが仕事でした。イーロン・マスクを始めとする「ビッグ・テック」のリーダーたちは、情報革命とインターネット解放後の、あらゆる財のデジタル・ヴァーチャル化で、人間世界に新たなフロンティア、言いかえれば市場の沃野を作り出し、その開発で天文学的利益を独占的に挙げる新しい企業家たちです。彼らの独占的利益は、デジタル・テクノロジーとその活用の私物化によってしか保証されません。だから彼らは、トランプの乱暴な「私権の自由」を標榜する統治（ディール）に合流するわけです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
６）長い孤立主義の伝統を持つ日本から見て、ドナルド・トランプ氏のホワイトハウス復帰はどのように映りますか？&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
西谷――何世紀もの間、日本は西洋の膨張主義的で「解放する」文明から身を守るために、自国に引きこもる道を選びました。しかし、そのような時代は過ぎ去り、私たちは西洋の近代性を受け入れて久しく、むしろその恩恵を十分に受けてきました。だからもはや昔の伝統に戻ることはできません。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
しかし、アメリカの大統領にトランプ氏が返り咲いたことは、アメリカの属国であることに慣れすぎてしまった（アメリカの51番目の州だと言われたこともあります）我が国にとって、歴史的なチャンスとなるかもしれません。このような依存的な関係がアメリカにとって負担が大きすぎるというのであれば、現在200以上の国が存在するこのグローバル化した世界にあって、私たちは依存し・束縛される立場を脱して自立することを学ぶべきでしょう。すでに冷戦が終わったとき、私たちは変化した世界のなかで新たな立ち位置を求めるべきでした。ところが、私たちがしたことは勝利に酔いしれる「帝国」アメリカにひたすら追従しただけでした。それから30年以上が経ち、日本ではしばしば「失われた30年」が語られました。戦後のある時期にアメリカの保護下で獲得した経済的・技術的名声をこの30年間ですっかり失ってしまったということです（公式の理解は逆ですが）。 &#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
今日求められているのは、アメリカ合州国との関係を「正常化」すること、そしてそれは必然的に、中国、ロシアだけでなくアジアやアフリカの国々との関係も「正常化」することです。もし米国がもはや国際的な責任を負わないということならば、我々は米国の優位性のない世界に備えなければなりません。これは私たちにとってとてもよい機会です。日本政府はたいへん臆病ながら、それでもその準備をしているように見えます。&lt;br&gt;
</description>
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      <title>「ドナルド・トランプ米大統領就任記念」フィガロ・インタヴュー</title>
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      <pubDate>Fri, 24 Jan 2025 22:56:13 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2025-01-25T07:58:56+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2025-01-24T23:00:31+09:00</dcterms:created>
      <description>Marianneに続いてFigaroからインタヴューを受けた。&#13;&lt;br&gt;
二年前にフランスで出版されたL’impérialisme de la liberté, un autre regard sur l’Amérique, Seuil, 2022）――『アメリカ、異形の制度空間』（講談社メチエ,2016年）の仏訳版――をベースに、トランプのアメリカ大統領就任について見解を聞きたいというのだ。ヨーロッパの人びとは、このようなアメリカの分析の仕方をまったくしたことがないようで（日本でも同じだと思う）、両誌（紙）の編集者とも、たいへん啓発されたと喜んでくれた。&#13;&lt;br&gt;
Figaroのこのインタヴューは1月25日に本紙とウェブに掲載されることになっているが、私の私的なつごうもあり、半日早くなるが、日本語訳をここに掲載させてもらう。&#13;&lt;br&gt;
（翻訳は面倒なのでDeepLに頼ったが、働いてもらったAIくんには悪いが、やっつけ仕事丸出しでとてもひと様に見せられるものではなく、だいぶ手を入れざるをえなかった。）&#13;&lt;br&gt;
-------------------------------------------------------&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
○「ドナルド・トランプ米大統領就任記念」フィガロ・インタヴュー&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
１）ル・フィガロ――ドナルド・トランプは就任前演説の中で、パナマ運河を取り戻しグリーンランドを併合したいという願望をあらためて示しました。そしてカナダに経済的圧力をかけると脅し、アメリカの51番目の州になってはどうかとも言いました。あなたはこうした発言に驚きましたか？あなたはそれを、ご著書で描き出されている合州国の古い帝国的野心の再燃と見ますか？&#13;&lt;br&gt;
  &#13;&lt;br&gt;
西谷修――いかにも厚顔な言い方ですが、トランプ氏は自分がアメリカ大統領である以上、こんなふうに言って当然だと思っているのでしょう。彼のとっては、他国を脅したり空かしたりできるのも、アメリカの「偉大さ」の証なのでしょう。これがショッキングに聞こえる理由は、彼が新しい領土や運河の支配を、国際法の問題ではなく私法（権）の問題であるかのように語っているからです。じつはそれがアメリカの伝統に沿ったものでもあるのですが。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
注意すべきことは、アメリカの「帝国主義」は、一般的なモデルになっているヨーロッパのそれとは根本的に異なるということです。それは、領土化し植民地にするためにある地域の住民を服従させるのではなく、土着の住民を抹消してそこを空にし、領土を「解放」するというものです。だいかいアメリカ自体が、先住民を排除してそれを自らの「自由」の（フリーな）領域にするということから始まりました。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
この「解放」の力学は、その後海外にも広がっていった。アメリカが1898年に「帝国支配からの解放」の名のもとに行った対スペイン戦争によって、フィリピン、グアム、プエルトリコの支配権を2000万ドルで獲得することができたのです。こうして、これらの旧植民地は「古い西洋」の支配から「解放」され、私有財産権に基づく「自由の体制」に服して、アメリカ市場の領域に組み込まれました。こうして、「所有権に基づく自由の帝国主義」はアメリカ大陸を越えて広がり始めました。それが、「古いヨーロッパ」の帝国的支配から領土を「解放」し、アメリカの支配圏に統合するという新しい世界統治の方法なのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
この新しい手法はじつは不動産業者が使うものと似ており（地上げや転がし）、ドナルド・トランプが政界入りする前にこの職業で財を成したことを忘れてはなりません。国際政治へのこの手法の導入は、彼の最初の任期中には多くの障害に遭遇しました。しかし今回の選挙で、彼は正統性を獲得した。&#13;&lt;br&gt;
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選挙というのはドメスティック（国内的）なもので、当然ながらアメリカの有権者が選んだのは自分たちの大統領であって、世界全体の大統領ではありません。ところが、アメリカの影響力が絶大であるため、世界中の市民たちは「世界に開かれた大統領」がホワイトハウスに入ることを期待していました。その期待は、選挙に関する国々のメディアの報道にも表れていました。しかし、米国は再びトランプ氏を大統領に選出した。多くの人が「ＭＡＧＡ」に応えたのです。これはソーシャルネットワークなどの影響もあるでしょうが、いずれにせよ、米国は今後しばらくは自国重視の姿勢を打ち出し、大統領も同じように振る舞うということです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
２）新大統領は、メキシコ湾の名称を「アメリカ湾」に変更することも約束しています。「何て美しい名前だ！まったく相応しいじゃないか」と言いながら。これは、あなたが著書で引用しているステファン・ツヴァイクがアメリゴ・ヴェスプッチの伝記に書いた言葉を思い起こさせます。アメリカという名前は「征服する言葉だ。この言葉のうちには暴力性があり（中略）、年々、より大きな領域を併合していく」。なぜアメリカ合州国は大陸全体の名前をとったのでしょう？これは領土拡大の兆候だったのでしょうか？&#13;&lt;br&gt;
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西谷――確かに、完全母音にはさまれて明るく生き生きとした響きをもつこの名前は美しい。ドイツの若い地理学者ヴァルトゼーミュラーは、この名前を提案した後、自分の「早とちり」を認めて、自身の世界図からこの名前を撤回したのですが、たぶんその響きの良さのため、たちまちヨーロッパに広がり、誰も修正に応じませんでした。そしてこの名称は、ヨーロッパ人が大西洋の彼方に「発見」したすべての土地を覆って指すようになりました。スペインとポルトガルによって大陸南部に植民地化された国々は、ヨーロッパの帝国主義的なやり方で植民地化されました。そして独立後、これらの国々は「ラテンアメリカ」と総称されるようになりますが、どの国も国名に「アメリカ」という修飾語は採用しなかった（多くは現地語を用いた）。&#13;&lt;br&gt;
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一方、北半球では「アメリカ」は、「処女」とみなされた土地の先住民（インディアン）を排除してゼロから作り出されました。つまり、「私有財産に基づく自由」という「制度的空間」が「新世界」としてここに建設された。その「新世界」の名が「アメリカ」だったのです。&#13;&lt;br&gt;
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当初、それぞれ「ステート」を名乗っていた東部の13植民地は連携して独立を宣言し、アメリカ合州国を作りました。その後、フランスからルイジアナを買い取り、先住民を追い出して併合します。それから、メキシコからテキサスとカリフォルニアを奪い、あるいは買い取り、いわゆる「フロンティア」を太平洋岸まで伸ばしました。この「フロンティア」は、実際には「拡大するアメリカ」の前線だったわけです。さらに、アメリカはロシアからアラスカを買い取った。そしてスペインとの戦争時には、ついに太平洋のハワイ諸島を併合しました。それ以来、アメリカ合州国を構成する州（ステート）は50を数えるようになっています[これは開かれていて、さらに増えうるわけです]。&#13;&lt;br&gt;
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ステファン・ツヴァイクは、ナチスに支配された祖国を逃れ、「旧世界」の混沌から遠く離れた「ヨーロッパの未来」を象徴するはずのアメリカ大陸へと向かいました。しかし、ツヴァイクがそこで見たものは、物質的で人工的な文明の繁栄であり、むしろ野蛮で虚栄に満ちたもので、彼が大切にしてきたヨーロッパの未来ではなかった......。同じように、哲学者のアドルノとホルクハイマーは『啓蒙の弁証法』（フランス語では『Dialectique de la raison』という不正確なタイトルで翻訳されている）を書きました。その中で彼らはアメリカ文明を批判し、「過剰な光は目を焼きつぶし、暗黒を作り出す」と言っています。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
ツヴァイクは「アメリカ」を「征服する名前」と呼びました。私はそれが何を意味するのか、この名前は実際には何を指しているのか、それを考えてみたのです。制度的な用語で言えば、この名称はterra nulliusというローマ法の概念を、ヨーロッパ人にとって未知の土地に投影したものです。それは、処女地であり、持ち主がおらず、自由に処分可能であると想像される大地の規定です。それがまず「アメリカ」と呼ばれました。先住民は、自分たちの先祖代々の土地が不動産として商品のように扱われることを想像できなかったから、ヨーロッパ人がそれを獲得し所有権を設定するのは容易でした。彼らは自分たちを土地の所有者と宣言し、権利をもたない「インディアン」を追い出して、文明の「フロンティア」をさらに西へと押し進めました。そのように、大地とそこに属するすべての豊かさを私有財産に変え、譲渡可能で証券化可能な不動産に変えたことが、「アメリカ」を特徴づけています。「新世界」とはそういうものだったのですね。大地を商品に転換して売買することが不動産業者のコアビジネスです。だから、トランプ氏が大統領になったときには、アメリカに新たな土地を割り当て、その土壌を執拗に掘って、掘って、掘りまくる（ドリル、ドリル、ドリル！）と呼びかけるのは容易に理解できます。 &#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
３）ドナルド・トランプやイーロン・マスクも最近、ヨーロッパにさかんに圧力をかけています。これは、アメリカがつねに自らを「新しい西洋」として提示し、人類を「旧世界」のくびきから「解放」したいという願望を公言してきたことをあらためて示すものなのでしょうか？合州国とヨーロッパとの最近の関係と力関係をどのように考えておられますか。 &#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
西谷――その問いにはまず別の問いを立てることで答えましょう。なぜトランプはイーロン・マスクと手を組んだのか？トランプは元不動産業者であるだけでなく、ひとつのポストを求める希望者同士を戦わせ、徐々に排除していくリアリティ番組『アプレンティス』の司会をしていました。一方マスクはデジタル・テクノロジー企業のオーナーであり、プロモーターです。[ほんとうはトランプがプロレスリングの興行者だったことを使いたかったが、フランスではプロレスの話は通じないので、テレビのリアリティー・ショーの話にした。要は、リアルとフェイクの境を取っ払った見世物である。]&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
イーロン・マスクは、さまざまな技術のフロンティア、特にヴァーチャル化技術で開かれつつある空間、あるいはそのコントロールを私的に独占しようとしているのです。彼は（他のテック企業のオーナーたちと同様）「表現の自由」を楯にとります。そしてそれに関するあらゆる規制を撤廃しようとする。政府効率化省の話もありますが、これは結局のところ、コンピューター化、デジタル化された時代における人間の私的な欲望追求に関するあらゆる制限を無力化するための彼の戦略なのではないでしょうか？&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
このような「自由」の概念は、典型的にアメリカ的なものです。それは「フリーパス」の要求であって、私権や私物化を優先して公的な制約をすべて取り払うための権限です。実際もうアメリカではあらゆるテクノロジーがすべて「プライバタイズ」で推進されているわけですが、身体を自由にするバイオテクノロジー、人間の思考を無用にする人工知能技術、第二の惑星への新たな「脱出（エグゾダス）」を目指した宇宙開発技術など…。彼は、デジタル化され、ヴァーチャル化されるすべての新資源を自分が「自由に」開発利用できる権利を要求しているのです。このようなプロジェクトは、「新世界」創出（草創期のアメリカ）に関するトランプの願望と一致していると言えます&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
EUはアメリカ連邦政府に匹敵する規模と経済力を持つ国々の連合体です。だから、トランプ氏はそれを無視して、欧州各国に個別に脅しをかけ、自らの「取引術（ディールの闘技場）」に引き込もうとしているわけです。イーロン・マスクに関しては、欧州諸国のいわゆる極右勢力に公然と肩入れしています。「極右」という定義が今日でも有効かどうかについては疑問ですが、いずれにせよ、彼はトランプ主義者のスローガン「自国第一」に共鳴するすべての人々に呼びかけており、それはEUの軛から抜け出よと言っているようなものです。あたかもEUが彼らにとっての「古い帝国」だと言うかのように。ヨーロッパを揺るがすこの状況は、ソ連崩壊時の旧東欧圏諸国を彷彿とさせます。彼らはヨーロッパ連合への加盟を要求しながらも、「古いヨーロッパ」を嫌ってよりアメリカ的な「新しいヨーロッパ」を要求していました。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
４）暗殺未遂事件後、ドナルド・トランプは自身の当選が宗教的で預言的な次元にあることを主張しました。あなたは著書の中で、現代アメリカの神学的・政治的起源を喚起しています。ドナルド・トランプが政権に返り咲いたことで、米国の「明白な運命」の思い込みはさらに強化されると感じますか？ &#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
西谷――トランプへの狙撃は、おそらくトランプ氏自身にとっては一種の啓示的意味をもったでしょうが、それは非常に個人的なものにとどまったと思います。彼はもう少しで命を落とすところだった。だから彼は神が自分を守ってくれていると思ったのかもしれない。しかしこの出来事によって、彼が救世主的運命に目覚めたとは思えません。この出来事は、「不当に」奪われた大統領の座を取り戻したいという彼の願望を正当化するとともに、より強化されたことは確かでしょう。そこで果ててしまっては、汚名を被ったままで、そのままにしておくわけにはいけません。それにあの「不屈の男」を絵にかいたような写真があります。あれは印象的だったでしょう。たしかに、トランプは就任演説で、「マニフェスト・デスティニー（明白な運命）を星まで追い求める」と宣言しました（&amp;quot;We will pursue our Manifest Destiny into the Stars&amp;quot;）。ただし、彼はそのとき聖書に手を置いていませんでした[彼に信仰心などないということ]。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
５）ご著書のなかで、あなたは「北米では最初の入植が失敗した後、ヴァージニア植民会社が設立されて、植民地の設営は民間の商業的企業のイニシアチヴで行われた」ということを指摘しています。この歴史に照らして、トランプ大統領と彼の &amp;quot;Art of the Deal &amp;quot;によってアメリカ外交に商業論理が戻ってきたことをどう分析されますか。これはまさに回帰ということなのでしょうか？&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
西谷――その通りと言うか、そこは大事な点です。アメリカ植民地の開発は、基本的に私的セクターの主導で行われました。マサチューセッツ植民会社、ニューイングランド植民会社…、みな国王の特許状をもって植民地建設を行いました。特許のもとで数年間開墾すると、そこは私有地になる。&#13;&lt;br&gt;
そうして開発され、発展した各植民地は、王権の軛（課税）をきらって独立することになったわけです。&#13;&lt;br&gt;
だからアメリカ植民地の独立とは、王の帝国的権力を除去して、市民の共和国を作る、言いかえれば私企業が連合して政治権力を排除したようなものです。それがアメリカ国家の基本的性格を規定しています。つまり私企業の連合国家、組合国家だということです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
アメリカは戦後、国際秩序の盟主になることで、秩序のパートナーとして責任も負うことになりました。冷戦期には社会主義圏と対抗する上でそれは必要な負担でもありました。ところがその束縛が解けると、つまり世界全体がアメリカの覇権のもとに置かれると（冷戦の勝利）、もはやアメリカはみずからの国家的本質を全世界の規範とすることができます。それが国家の私企業化です。&#13;&lt;br&gt;
アメリカは私企業の連合体であったときに大発展し、世界の主導国になりました。しかし国際秩序の制約と責任で衰退した。だから「MAGA」というわけですが、それは私企業の神輿という性格を取り戻すということでもあるでしょう。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
そして、忘れてはならないのは、アメリカの企業は「法人」ですが、アメリカでは「法人」は生身の人間とまったく同じ権利を享受すると定められています。そして企業の目的は株主の利益を守り促進することと定められています。いわゆる「新自由主義」の大原則ですが、その「自由」とは私的存在の欲望追及の自由であり、その自由が法権利として保障されているというのが「新世界」の特徴なのです。だから新自由主義の「新」とは、「新世界」の「新」でもあるのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
トランプ氏は企業家といっても、前に言ったように不動産屋です。つまり「自然物」を法権利の対象とし、その転換を媒介するのが仕事でした。イーロン・マスクを始めとする「ビッグ・テック」のリーダーたちは、情報革命とインターネット解放後の、あらゆる財のデジタル・ヴァーチャル化で、人間世界に新たなフロンティア、言いかえれば市場の沃野を作り出し、その開発で天文学的利益を独占的に挙げる新しい企業家たちです。彼らの独占的利益は、デジタル・テクノロジーとその活用の私物化によってしか保証されません。だから彼らは、トランプの乱暴な「私権の自由」を標榜する統治（ディール）に合流するわけです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
６）長い孤立主義の伝統を持つ日本から見て、ドナルド・トランプ氏のホワイトハウス復帰はどのように映りますか？&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
西谷――何世紀もの間、日本は西洋の膨張主義的で「解放する」文明から身を守るために、自国に引きこもる道を選びました。しかし、そのような時代は過ぎ去り、私たちは西洋の近代性を受け入れて久しく、むしろその恩恵を十分に受けてきました。だからもはや昔の伝統に戻ることはできません。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
しかし、アメリカの大統領にトランプ氏が返り咲いたことは、アメリカの属国であることに慣れすぎてしまった（アメリカの51番目の州だと言われたこともあります）我が国にとって、歴史的なチャンスとなるかもしれません。このような依存的な関係がアメリカにとって負担が大きすぎるというのであれば、現在200以上の国が存在するこのグローバル化した世界にあって、私たちは依存し・束縛される立場を脱して自立することを学ぶべきでしょう。すでに冷戦が終わったとき、私たちは変化した世界のなかで新たな立ち位置を求めるべきでした。ところが、私たちがしたことは勝利に酔いしれる「帝国」アメリカにひたすら追従しただけでした。それから30年以上が経ち、日本ではしばしば「失われた30年」が語られました。戦後のある時期にアメリカの保護下で獲得した経済的・技術的名声をこの30年間ですっかり失ってしまったということです（公式の理解は逆ですが）。 &#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
今日求められているのは、アメリカ合州国との関係を「正常化」すること、そしてそれは必然的に、中国、ロシアだけでなくアジアやアフリカの国々との関係も「正常化」することです。もし米国がもはや国際的な責任を負わないということならば、我々は米国の優位性のない世界に備えなければなりません。これは私たちにとってとてもよい機会です。日本政府はたいへん臆病ながら、それでもその準備をしているように見えます。&lt;br&gt;
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    </item>
    <item>
      <title>仏誌「マリアンヌ」インタヴュー、「アメリカの自由」について</title>
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      <pubDate>Wed, 08 Jan 2025 18:16:15 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2025-01-08T18:19:33+09:00</dcterms:modified>
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      <description>西谷修：「地球を商品と考えたのはアメリカ人が最初」&#13;&lt;br&gt;
インタビュー：サミュエル・ピケ &#13;&lt;br&gt;
公開日時：2025/01/07 21:00&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
＊DeepLの自動翻訳にだいぶ手を入れました（とくに後半）。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
日本の哲学者である西谷修は、そのエッセイ《L&amp;#39;impérialisme de la liberté, Un autre regard sur l&amp;#39;Amérique》（Seuil）――邦題『アメリカ、異形の制度空間』（講談社メチエ）――の中で、西洋、とりわけ米国に鏡を差し出しているが、そこに映った像はいささか心乱すものである。 ドナルド・トランプが大統領に就任しようとしている今、この本は示唆に富んでいる。「マリアンヌ」は彼にインタビューした。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
《L&amp;#39;Imperialisme de la liberte》（Seuuil）の中で、日本の哲学者である西谷修は、アメリカ合州国の誕生と、自ら主張する所有権に基づくアメリカ・モデルの輸出について、非常に批判的な視線を向けている。 キリスト教ヨーロッパも免除されているわけではないが、著者はアメリカの例外性、つまり現地住民の同化の試みもなく、自由という偽りの理念を広めるために好戦的な拡張主義をとったことを強調している。 マリアンヌが彼にインタビューした。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
マリアンヌ：クリストファー・コロンブスが上陸した大陸が &amp;quot;アメリカ &amp;quot;と呼ばれていたという事実は、なぜその発展を理解する上で重要なのでしょうか？&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
西谷修：アメリカとは何よりまず、ヨーロッパ人によって発見された未踏の地、「新大陸」という西洋の想像上の存在を指す名前だからです。何千年来そこに住んでいた人びとは、自分たちを「アメリカ人」だとは、ましてや「インディアン」だとは認識していませんでした。アメリカは、彼らを追い出すか絶滅させることでしか築けなかったのです。ヨーロッパ人到来以前のあらゆる人びとの生活は「新大陸」の「新しさ」に反するものでした。「アメリカ」という名づけそのものが、「新大陸」の発見をフィレンツェの航海士アメリゴ・ヴェスプッチによるものと早とちりしたドイツ人地図製作者の思い込みの産物でした。それに、誰がアメリカ人なのか？ それはこの新大陸に定住したヨーロッパ人とその子孫たちであって、「インディアン」ではない。彼らにとって「アメリカ人」とは、彼ら自身を父祖から受け継いだ土地を奪いそこから追い出した連中だったのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
彼らは虐殺され、あるいは有名な「フロンティア」を越えて西へ西へとどんどん押し出されていった。なぜなら、フロンティアは、フランス語のそれとはいささか違って、アメリカ人の領土拡張に限界（国境）を設けるどころか、先住民の「野蛮さ」に対抗する「文明」の前線を示すものだったからです。 この前線が太平洋岸に達したとき、北の大陸の「アメリカ化」は完了しました。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
マリアンヌ：あなたは「アメリカ・インディアン」の運命を説明するのに、「強制的かつ合法的に追放された」という表現を使っていますが、この明らかな矛盾をどう説明するのですか？&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
西谷：「インディアン」はアメリカ人に「法主体」として認められていませんでした。「法」というのはローマ法に由来する概念で、いまでも多くの非ヨーロッパ言語へは翻訳しにくいものですが、いったん彼らが「法」の外に置かれると、その扱いはもっぱら力関係に左右されます。そして「インディアン」は「法の外」にいるのだから、アメリカ人が土地を所有することを妨げるものは何もありません。一方、彼らの「野蛮人」の観点からは大地は誰のものでもなく、翻って誰もそこに住むことを禁じられてはいないわけです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
言い換えれば、先住民は土地の私的所有という考えを持っていなかった。彼らの目には、自然や生存のための環境は誰かが占有すべきものではなく、逆に生きる人間にあらゆる恩恵を与えてくれるものでした。だから彼らは新参者を頭から拒絶せず、むしろ受け入れて定住を許した。けれども、やがてアメリカ人となる入植者たちは、土地を所有の対象とし（初めは国王の領有）、法的・経済的資産として、その排他的な占有と開拓をもって、いわゆる個人の「自由」の基盤としたのです。入植者の数が増え続けるにつれて、土地の独占所有を受け入れない「インディアン」との公然の衝突は避けられなくなり、それがまた、彼らの「野蛮で無法」な性質が確認されることになり、野生動物と同じように「合法的かつ力づくで追放」されるようになったのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
そこは、アメリカのいわゆる帝国主義がヨーロッパ列強の帝国主義から根本的に逸脱している点でもあるでしょう。 基本的に、ヨーロッパ諸国は世界の他の地域を征服し、統治し、同化させ、統合し、自国の領土に併合しようとしました。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
屈服させるだけでなく、植民地化した民族の習慣や風習を勘案しながら（これが人類学の第一の目的だったわけです）、自分たちの文化、西洋文化を押し付けようとした。だから、フランスが残した刻印は、イギリス、スペイン、ポルトガル、オランダ、ロシアが残したものと同じではありません。だが、アメリカ人は大地を最初に商品化した。彼らの最初の行動は、植民地化された土地を「処女地」と宣言し、「テラ・ヌリウス」という法規定を適用することでした。ローマ法に由来するこの概念は、人が住んでおらず、開発もされていない土地を指します。だから、最初に手をつけた者が正当な所有権を主張できる（先占取得）。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
だからアメリカは、そこに住み着くようになったヨーロッパ人にとって、「自由（空いている）」で、個人的自由に好都合な世界だとみなされたのです。所有者もいないし、ヨーロッパの土地関係を支配していた封建的なしがらみもない世界でしたから。ドナルド・トランプ大統領自身、不動産業で財を成した人物ですが、彼が米国はグリーンランドを領有すべきだと主張するとき、このような歴史と完全に軌を一にしているわけです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
マリアンヌ：あなたはしばしばヨーロッパを「キリスト教徒」や「キリスト教」という言葉で定義します。なぜですか？&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
西谷：1492年にクリストファー・コロンブスがグアナハニ島に上陸したとき、何世代にもわたってこの島に住んでいたタイノ人は、自分たちを「発見」しにきたヨーロッパ人を素朴ながら手厚く歓迎しました。一方、コロンブスは、彼らの先祖代々の土地を領有すると宣言し、サンサルバドル島（聖救世主）というキリスト教的な新しい名前を付けたのです（キリスト教徒はそれを「洗礼」と言う）。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
コロンブスの目には、ローマ教皇やスペイン国王の目と同様に、カトリックの信仰を広めることが、こうして発見された、あるいはまだ発見されていない大地の植民地化を正当化するものとして映りました。ラテンアメリカでは、「征服者」たちによって「発見」された土地は、ヨーロッパの神学的・政治的秩序に強制的に併合されたわけです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
北アメリカでは事情が異なって、征服はヨーロッパ的な「旧世界」から脱却して「新世界」を建設するという救済史的な意味を与えられました。英国国教会の迫害から逃れるために17世紀に入植した清教徒たちは、北米を新たな「約束の地」と見なしていたのです。紅海を渡った選ばれし民のように、彼らは「キリスト教の自由」という新しい掟を確立することを自分たちの使命としていました。1620年にメイフラワー号で大西洋を横断したピルグリム・ファーザーズは、19世紀にはアメリカの建国神話となり、やがて「明白な運命」の象徴となりました。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
これらの歴史はすべて、宗教、政治、法律、経済が密接に結びついていることを明らかにしています。その結びつきがその思考のシステム自体の特徴なのですが、ヨーロッパでは「世俗化」以来、そのことがしばしば忘れられています。ともかく、ヨーロッパ人は常に、他の「野蛮な」民族に対して、キリスト教的であること、あるいは文明的であることで自分たちを正当化してきたのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
マリアンヌ：米国が誇る「自由」を支えているのは、どのような概念だと思われますか？&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
西谷：清教徒たちは二つの理由から、アメリカが自由の地であると思い描きました。まず、英国国教会のくびきから自由であり、そこを耕し、実り豊かにすれば、完全に占有することができたからです。すべての個人がそこでは自由に信仰ができるし、大地を耕すことで自分のものにすることができます。耕せば権利が生ずる、それも聖書に書いてあって、経済学者たち、とくにジョン・ロック（1632-1704）が「自由」のベースとしたことです。&#13;&lt;br&gt;
イギリスからの独立闘争において、自由はこうして「私的所有に基づく個人の自由」として肯定されました。このように考えられた自由は、人や物を本来の状態から解放し、商業的交換に適した経済的存在（財）に変えます。これが、インディアンの土地を取引可能な「不動産」に転換し、その最初の「証券化」の場がウォール街だったわけです。そしてその後、この原理（自由化と解放）は、水、知的財産、遺伝子など、考えうるあらゆる「資源」に適用・拡大してゆきます。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
北アメリカを発祥の地とし、それ以来世界のあらゆる地域に広がり続けている「所有権に基づく自由の空間システム」の基本構造はこのようなものです。西部のフロンティアが太平洋にまで到達すると、この「自由のシステム」はラテンアメリカ諸国を古いヨーロッパの帝国主義から解放しますが、それは言いかえればアメリカが支配する「自由市場」に統合するということで、モンロー・ドクトリンとは、「古いヨーロッパ」を離れて西半球に「自由世界」を開くという、その教書だったわけです。だからその動きは南へと向かいますが、世界戦争後は、今度は太平洋を越えて、まず日本を呑み込みます。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
「アメリカの本当の原罪は奴隷制度ではなく、原住民の排除だった」。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
ヨーロッパ型の日本帝国主義が広島と長崎で粉砕されて以来、日本は欧州連合（EU）のように、アメリカの意向に従う「自由の帝国主義」のアジアにおける代理人になりました。けれども、この「自由」を、世界人権宣言がすべての人間に認めている自由や人権と混同してはならないでしょう。私有財産に基づくものである以上、この「自由」は弱者の権利によって妨げられてはならず、所有者一人ひとりに、それを守るために武装する権利を与えているのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
マリアンヌ：あなたは「 アメリカの自由には『原罪』がある」と書いています  。それは何ですか？&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
西谷：バラク・オバマ大統領は2008年の演説で、奴隷制度はアメリカの「原罪」であると言い、憲法の宗教的側面を再活性化させました。しかし、黒人奴隷貿易が忌むべきものであったことは事実ですが、この「罪」は米国だけのものではありません。三角貿易に従事したヨーロッパの船主たちや、自らの同朋を売ったアフリカの首長たちによって可能になったもので、アメリカはその最大の「消費地」でした。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
アメリカの本当の「原罪」は先住民の抹殺であり、それなしには「私的所有権に基づく自由」は太平洋岸まで広がることはできず、さらにその先に、グローバリゼーションによって全世界に押し付けようとすることもできなかったでしょう。その先に、今では、イーロン・マスクの企てる宇宙空間の私的（民間）開発があります。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
マリアンヌ：今日、アメリカは世界でどのように受け止められているのでしょう？そのオーラは失われたのか？日本ではどう見られているのでしょうか？&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
西谷：他の国と同様、日本においても、米国はかつてのオーラを失っています。ベトナム戦争ですでに失い、ソビエト連邦崩壊後に部分的に取り戻しましたが、その後、アフガニスタンからの無様な撤退は、全世界を解放する（自由化する）ことで「原罪」を贖うというアメリカの衝動の決定的な挫折を意味するものだと思います。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
先住民を抹殺することで「約束の地」を解放するというこのダイナミックな衝動にいまだに関与しているのは、アメリカの支援の下にあるイスラエルの極右とそのシンパだけでしょう。MAGA［「アメリカを再び偉大に」］の波の高まりは、この失敗の認識と、新自由主義的・新保守主義的グローバリズムの放棄を物語ってもいます。&#13;&lt;br&gt;
ドナルド・トランプ大統領は、この事業がアメリカ人を犠牲にしすぎたと考え、栄光を取り戻すためには、アメリカは自国の利益の追及保持と、そのために障害となる中国という唯一の「敵」に焦点を当てているようですが、それを打ち負かすのはどう見ても不可能です。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
日本では、ヨーロッパ主要国と同様、多くの人々が自国の運命がアメリカのそれと切り離しうるとは考えておらず、それゆえ「ポスト・アメリカ」の世界における自国の位置どりなどを考えてもいないようです。たしかに、アメリカの支配がない世界を想像するのは難しいですが、じつはそれが現代のもっとも枢要な課題でしょう。&lt;br&gt;
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    </item>
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      <title>「ボスト・トゥルース」勝利の時代――兵庫県知事選</title>
      <link>https://fushinohito.asablo.jp/blog/2024/11/18/9732702</link>
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      <pubDate>Mon, 18 Nov 2024 00:47:17 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2024-11-18T01:06:41+09:00</dcterms:modified>
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      <description>　ことの起こりは、３月に元西播磨県民局長が、斉藤知事（当時）のバワハラや贈答品受け取りなどの疑惑を匿名で内部告発。知事は告発者を特定しようとし、県幹部を叱責。追いつめられた県民局長はなぜか「死亡」（内部告発者は法的に保護されることになっているが、ここでは告発された知事が職権でまず告発者の特定を部下に命じた――明らかな法令違反）。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　疑惑内容などを調査するため、県議会は調査特別委員会（百条委員会）を設置。県議会は86人の全会一致で不信任案を議決。しかし斉藤知事は辞職せず、失職することを選んだ。不信任議決を受けて辞職すると次の県知事選には出にくいが、「意に反して辞めさせられた」なら出直し選に出られる。議会より自分が正しかったのだと主張して。&#13;&lt;br&gt;
　失職当日の朝から、斉藤元知事はJR須磨駅前に立って通勤客に１人で頭を下げた。&#13;&lt;br&gt;
　そこで始まった「県政出直し選挙」。&#13;&lt;br&gt;
　選挙には稲村和美元尼崎市長が立候補、斉藤前知事を組織的に推した維新の会からは元参議院議員の清水貴之が立ち、その他４人が立候補したが、なかでもＮＨＫ党創設以来選挙荒らしを続けてきた立花孝志が、斉藤を勝たせるためといって出てきた。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　この選挙は、パワハラ等内部告発者を追い詰めて自殺させるような知事は辞めてもらって代わりにまともな知事を選ぶための選挙だったはずだ。ところが私は悪くなかったという知事（改心のかけらもない）が、途中から実は悪くなかった、はめられたのだ、彼の志を遂げさせよう、という機運がしだいに盛り上がり、斉藤前知事が汚名を晴らす選挙になってしまった。&#13;&lt;br&gt;
　&#13;&lt;br&gt;
　どうしてこんなことになったのか？&#13;&lt;br&gt;
　「斎藤は、失職したその日からほぼ毎日、県内各地の駅前に立った。&#13;&lt;br&gt;
スーツ姿で多くは語らず、駅へ向かう人にただひたすら深々と頭を下げ続けた。&#13;&lt;br&gt;
　最初のころは立ち止まる人がまばらだったが、斎藤の街頭活動をよく見に来る10人ほどがいた。のちにこのメンバーを中心に斎藤を支援するボランティアグループが結成された。&#13;&lt;br&gt;
　メンバーによると、SNSで斎藤の活動の様子や失職の経緯などを積極的に拡散したのだという。また別のグループでも斎藤の動画や写真を頻繁に投稿する動きがあったと話した。&#13;&lt;br&gt;
　失職から1週間ほどたったころには、神戸などの都市部では斎藤のまわりに多くの人が詰めかけるようになり、サインを求める人まで相次いだ。」（NHK WEB特集）&#13;&lt;br&gt;
　&#13;&lt;br&gt;
　具体的には、立花孝志が斉藤の前後の演説で「マスコミはウソばかり」「斉藤さんは県議にはめられた」と訴え、「パワハラなどなかった、告発した県職員は調査で自分の不倫問題がバレるのを恐れて自殺した…」などと主張し――内部告発者を誹謗中傷するのはいつも権力が使う違法手段――、それをYoutubeで発信するだけでなく、例の統一教会系の『世界日報』が印刷媒体で広めた。そう、統一教会だ。&#13;&lt;br&gt;
　「斉藤を支援するボランティアグループが結成された」というが、このグループには「同級生」だけでなく、選挙を技術戦略的にサポートする集団も入っていただろう。たとえば、東京都知事選で石丸某を押し立てて蓮舫を一敗地に塗れさせた選挙プランナーのような。&#13;&lt;br&gt;
　&#13;&lt;br&gt;
　斉藤は一見ワルのようには見えない。それに自分が悪いとは思っていない。自分は適切に振舞ってきた。知事になったらその地位・権力は当然備わっているものなのだから、部下（単なる職員）が自分の意向に従うのは当然だ。それに自分は賢い。そう言われてきたし率直だとも言われてきた。だから物わかりの悪い（あるいは旧弊にばかり従う）部下を叱ったり足蹴にしたりするのは「教育」だ…。そう素直に（？）思っているから、腹に含むところのあるワルには見えない。ただ、「反省」というものが根っから欠けているだけなのだ。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　だから、「県議の陰謀にはめられた」とか、県民のためによいことをやろうとしたから邪魔されたんだ、「内部タレこみなんかするのはロクな奴じゃない」とか言われると、同じく素直な選挙民は、えっ、そうなのか、じゃ、サイトウがんばれ、とついついなる。最初一人二人だった演説の場にも、十人、二十人と熱心な聴衆が集まる（それはいわゆるサクラだろう、そして動員力があるのは…）。それはやがて数百人、千人となる。これは、石丸現象のときにも使われた手だ。&#13;&lt;br&gt;
　そうこうするうちに、危うい雲行きに焦った対抗陣営は、斉藤批判を強め、知事としての資質を問題にする。そうなると斉藤推し陣営の思うつぼだ。そうやって斉藤を陥れたんじゃないかと疑われ。&#13;&lt;br&gt;
　これが選挙期間内にできれば、斉藤、雪辱の凱旋である。&#13;&lt;br&gt;
　&#13;&lt;br&gt;
　しかしこの当選は斉藤自身の力によるものではまったくない。斉藤をサポートする「ボランティア・グループ」というのが、この人物を再当選させることで、日本の選挙政治を自分たちの意のままに操作し、そういう人物を使って日本の政治の動向に大きな影響力をもつ、そのような利害が一致していただけである。つまりＳＮＳと生劇場の相乗効果でブームを作る選挙プロ、いわば公共的正義の論理で失職させられた人物を、フェイク情報汚染で掻き乱して逆に当選させる、そのことで正義の論理を攪乱し、その攪乱を影響力にする立花のような人物、それにカルト動員で支援して、いわゆる左翼潰しをはかる統一教会、彼らは示し合わせていなくても連携プレーができたのである。斉藤はその神輿にすぎない（政策論義などにはほとんど意味がない）。『世界日報』はXで折も折、こんな投稿もしている、「トランプ圧勝、日本も左翼思想を押し返せ、トランプが巻き起こす保守主義の潮流に我が国も乗り遅れるな…」。&#13;&lt;br&gt;
　&#13;&lt;br&gt;
　この選挙は県知事選挙ながら、日本の選挙政治の歴史を画するものになる。選挙は今まで、いわゆる「民主主義」の実効メカニズムだと思われてきた。しかし「民意」はいかようにでも操作される。人びとは進んで操作されるのだ。SNSコミュニケーションに侵蝕されたメディア網を通じて。その最大の特徴は「真実（ほんとうのこと）」にはもはや何の価値もないということだ。ウソだろうがデタラメだろうが、必死で訴える「真実」だろうが、断片的に受け取る人びとにとっては違いがなく、ほんとうらしいこと、受けとめたいこと（願望に適うこと）だけが、イイネつきで拡散される。そして「推し」の頻度が高いものだけが（質とか何とかには関係なく）流通力・伝搬力をもつ。それをもう15年以上前に「ポスト・トゥルース」状況と呼んだ人がいるが、その語を「ほんとかどうかにはもはや意味も価値もない」という情報流通のレジームだと理解するなら、今度の知事選は日本の「ポスト・トゥルース状況」の勝利を画する選挙だった。&#13;&lt;br&gt;
　&#13;&lt;br&gt;
　『世界日報』が引きつけているように、アメリカの「トランプ現象」もそれと無縁ではないが、簡単に同一視することはできない。Ｘの社主であるイーロン・マスクがトランプ現象に公然と参画していることにも表れているように、アメリカでは「ポスト・トゥルース」はすでに「リアル」と一体化してしまっているからだ（トランプはウソを言いまくっているわけではない、バンスが道化に過ぎないとしても「ヒルビリー」にも響いてしまっている）。&lt;br&gt;
</description>
    </item>
    <item>
      <title>11月3日『ガザ・ストロフ――パレスチナの吟(ｳﾀ)』上映後トーク</title>
      <link>https://fushinohito.asablo.jp/blog/2024/11/05/9729241</link>
      <guid>https://fushinohito.asablo.jp/blog/2024/11/05/9729241</guid>
      <pubDate>Tue, 05 Nov 2024 15:16:34 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2024-11-09T09:15:19+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2024-11-05T15:18:49+09:00</dcterms:created>
      <description>・サミール・アブダラ／ケリディン・マブルーク監督、2011年仏バ合作&#13;&lt;br&gt;
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＊見てくれる人はごく少ないと知りつつ、いつもは一応ひとまとまりになるように書いている。今回は内容が今までに書いてきたことと重なることもあり、途中からメモ書きのまま掲示してしまった。それでも掲示したのは、この映画を配給しているグループの人たちがこのブログをときどき見てくれていたということ。そしてアフタートークでは用意していったことの半分も語れなかったということもあって、その埋め合わせに未完のままの草稿を掲示することにした。&#13;&lt;br&gt;
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　この映画が日本で上映されるようになったいきさつの中に、すでにこの作品の意義とインパクトが織り込まれているが、それについては配給グループShkranの二口愛莉さん、大谷直子さんの対談（&lt;a href="https://diceplus.online/feature/482"&gt;https://diceplus.online/feature/482&lt;/a&gt;）に譲り、ここでは、イスラエルによるガザ住民殺戮と抹消の作戦がもはや期限なしに続けられており（米大統領選までは）、過去の映画など観ている時間はないと状況が切迫する中でも、それでも古くないタイムカプセルのようにここに開かれた映像とことばが、何を開示してくれるかをだけ、記すことにしよう。それが映像とともに別の時間にいる人びとにも分かち合われることを願って。&#13;&lt;br&gt;
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　2008年12月27日、イスラエル軍がガザ地区を空爆・砲撃（イスラエルの安全を脅かすテロリスト集団ハマスを掃討するという口実で）、翌1月3日には地上軍が進行し、二週間で一応撤退した。この映画は直後にパレスチナ救援センターのスタッフとともにガザに入って、破壊の後に残された人びとの証言を集めてそれをもとに構成されたものだ。イスラエルはこれを「キャストリード作戦」と名づけ、当時としてはガザにおける最大・最悪の軍事侵攻だった。それでも部分的だったため、ガザの推定死者は約1500人（対してイスラエル市民は13人）だった。&#13;&lt;br&gt;
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　今日に較べれば、軽い前菜のようなものである。だが、この出来事をガザに生きる人びとは「黙示録」的戦争、つまり世界終末の「啓示」のように生きていた。ただし戦争といってもガザ武器も持たないガザ住民にとっては応戦することもできない一方的な攻撃で、彼らにとっては受難以外のなにものでもない（受難、この用語をユダヤ・キリスト教徒たちはバビロン捕囚や、とりわけイエスの刑死と殉教に宛ててのみ使うが）。&#13;&lt;br&gt;
　この時には一応の停止があった。20日ばかりで天から火の玉が落ちてくる日々は終わったのだ。それを人びとは「勝利」つまり「平和」の回復として地獄の悲嘆と闇の空虚にあっても言祝ぐ。ただし、その脇からは、あと二回勝利したらガザには人間はいなくなるだろう、と笑う声が聞こえる。&#13;&lt;br&gt;
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　この人びとの声を聴いて、2024年10月の今、ガザの人びとは二度とこのような「勝利」を語れないように、終わりのない地獄（2000ポンド爆弾で口をあけたクレーターのように底の抜けた地獄）に追い落とされているのだということを知る。ネタニヤフの言う「ガザ最終戦争」とは、どれだけ雪隠詰めにされ押し潰されても、生きかえって子を産み育て、またオリーブの樹を飢えて生き続けるガザの人びとが、二度とこのような「勝利」を語ることができないよう口を封じ、命を封じるための、生きる人間の「絶滅戦争」なのだ（ちなみに、15年前ガザの人口は16、70万だったが、2023年秋には230万と言われた。ここは西洋型近代社会ではない）。&#13;&lt;br&gt;
　15年近く前に作られたこの映像は、当時のイスラエル軍による侵攻がガザの人びとによって「世界終末戦争（ハルマゲドン）」のように生きられたことを伝えているが、その進攻は終末ではなく、さらにその先があったのだということを、今、観る者に思い知らせる。つまり、今起こっていることは、「世の終り」という「終り」の枠を突き崩して果てしない殺戮（あるいは抹消）に道を開いたイスラエルの国家的暴力の大氾濫なのだと。&#13;&lt;br&gt;
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　アメリカ（米国）はこの暴力の奔流に強力兵器を不断に供給し、西洋諸国はこの洪水を後押しし、周辺諸国もみずから濁流の氾濫に呑み込まれることを恐れて身を護りながらわずかに抗議の声を上げるだけだ。&#13;&lt;br&gt;
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映画の中で、オリーブの樹を植えイチゴを栽培する農夫は、空爆の合間に仲間の農夫たちと闇の中でわずかな電灯を囲んで語り合う。ペスト猖獗による「世の終り」を避けて田舎に籠り、この世の名残りに艶笑潭を語り合ったのはデカダンス貴族の『デカメロン』だったが、ガザの農夫は「神の勝利」の夢ではなくリアルを語る（吟ずる――じつは私は詩吟をたしなむ）。&#13;&lt;br&gt;
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ここで一言注釈しておけば、イスラームは〈神〉をユダヤ・キリスト教と分かち合っているが（アブラハムの信仰）、民衆のイスラームは人間の共同生活の基本的規範の維持とその儀礼化で成り立っている。だから西洋的近代化の圧力が巨大なブルドーザーのように土着の貧しいながらも素朴な生活環境を崩してゆくときに、彼らの生存の最後の支えがウンマ共同性であり、アメリカによるイランの強引な西洋化（当時は反共政策）が地域住民を路頭に迷わせたとき、それに対する抵抗と「革命」は、イスラーム革命になってしまったのである。ユダヤ・キリスト教は科学技術とそれをもとにした軍事力で「世界を変え」ようとする。そしてそれを「文明の進歩」「開花」と言う。それが「政教分離」で世俗化した西洋における「神の摂理」の合理化であり、他の地域の人びとの生き方を、遅れたとか愚かなとか野蛮だと蔑んで否定し、果ては悪魔化して「文明」という名の独善の暴力で破壊しようとする「西洋」の振舞いである。その自信の絶対性を象徴するのが核兵器であり、それで世界を屈服させようとする「抑止力」である。&#13;&lt;br&gt;
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それに対してパレスチナの人びとは、「無力」に、仕掛けられる「ハルマゲドン（最終戦争）」の後の「勝利」を信じる。その勝利の名こそ「平和」である。たとえ今の自分たちが死に果てても、オリーブの樹はまた生え、自分たちの子供たちもまたその樹に養われて生きる。それが「平和」であり、「神の勝利」だ。この地のイスラームとは、そのようなアラブの土着の民の不壊の希望を支える「信仰」、生活そのものの土壌なのだ（原理主義とは、近代のキリスト教原理主義の非人間的な攻撃に対する狂気の反動に過ぎない）。&#13;&lt;br&gt;
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―具体的に語ろう。今回は、米欧（西洋）がウクライナで「異教徒」退治に大わらわになる中、訴追逃れのネタニヤフ政権がヨルダン川西岸のイスラエル化を推進、それに危機感を抱いた抵抗組織ハマスが、イスラエルに未曾有の越境攻撃をしかけた。それが2024年10月17日。それを待ってましたとばかり「ホロコースト以後最大のユダヤ人の受難」と喧伝して、イスのネタニヤフは「ガザ最終戦争」を打ち出した。&#13;&lt;br&gt;
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　以来、すでに１年以上、封鎖されたガザ地区を破壊と殺戮と飢餓で消滅させようとするこの「戦争」は終わることなく、国連機関や世界世論のジェノサイド非難をよそに、イスラエルは戦線をレバノンにも拡大、イランを引き込もうとかけ引きする一方で、ガザ掃討を続けている。&#13;&lt;br&gt;
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　イスラエルは「ハマス殲滅」と「人質解放」が目標だと主張し、ハマスとの戦争だと主張するが、大規模な爆撃や砲撃で犠牲になるのは住民ばかり（それも女性・子供が６割以上、すでに4万5千人？の犠牲者）。そこで生きている（生活している）こと自体が悪いとみなされ、破壊の対象とされる。初めから水も電気も食糧も、医薬品も搬入遮断され、国連運営の学校・病院も避難所なればこそ攻撃対象にされる（保育器を出された赤子たち…）。何人死のうと（すでにインフラ破壊で生きられない状態）かまわない、そこにいるのが悪い、それがアメリカと共有する「テロとの戦争」の論理だ。&#13;&lt;br&gt;
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　メディアは「ハマスとの戦争」と言い、「停戦交渉」云々と言うが、イスラエルはその交渉相手であるはずのハマスの指導者を――国外にいても――次々に暗殺（爆殺）してゆく。はじめから「交渉」の意志などないのだ（「テロリストとは交渉しない」、それが「テロとの戦争」の論理）。&#13;&lt;br&gt;
実際に起こっているのはどういう事態か？それは他所（ヨーロッパ）からの移住者が、土地を奪って建国し、先住民を追放（パレスチナ人の発祥）、それが居住権を求めて帰ってくると国家の安全を脅かすものとして殲滅しようとする、そういう専横国家の「先住民抹消」衝動の激発ということである。&#13;&lt;br&gt;
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映画でガザの人びとは何と言っているか？「どれだけ殺されても、我々はこの地を去らない、けっして売り渡さない」と。イスラエルはこの「最終戦争」で、かれらの「地上の天国」（自由の国）を築こうとしている。&#13;&lt;br&gt;
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イスラエルの国家暴力は「ホロコースト」を受けた民の国が「安全安心」を得る権利として主張され擁護される（米欧諸国のいう「自衛権」、しかし占領建国は誰が？）。&#13;&lt;br&gt;
　だが歴史的な「ユダヤ人差別・迫害」は普遍的なものではなく、キリスト教ヨーロッパに特有のことだ（「ベニスの商人」から「マラーノ」そして東欧「ポグロム」まで）。&#13;&lt;br&gt;
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　そして「反ユダヤ主義」とは、その世俗化版であり、近代ヨーロッパ（ナショナリズム国家）の縮痾である。「国なき民」（ユダヤ人）への蔑視・憎悪、その果てがナチズムと「アウシュヴィッツ」だった。&#13;&lt;br&gt;
　シオニストは聖書の記述にしたがい、中東パレスチナの地（シオンの地）にユダヤ人国家を作ろうとした。それを英欧は「ユダヤ人問題の最終的解決」として後押ししたのである。これで自分の縮痾（癒しがたい持病）を中東に移転させることができるということで。そして世界戦争が終わると、「イスラエル」建国、それは当時の英仏の中東管理政策にとってはやっかいだったが――石油産出アラブ諸国との関係で――、イスラエルはパレスチナ人の追放・抹消を強行（1948年、「ナクバ」）、それを追認せざるをえなかった。&#13;&lt;br&gt;
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イスラエル国家は、ユダヤ人が「国なき民（自由人）」であることを否定してヒトラーもうらやむ最強民族国家を作ろうとしたという点で、国家に帰属しないがゆえに受難の中でも豊かに育まれたユダヤ的伝統を、唾棄し嫌悪する傾向をもち、とりわけ新たに生れた「国なき民」パレスチナ人を恐れ憎悪する。&#13;&lt;br&gt;
そのときから、パレスチナ人の長い受難とサバイバルの苦闘が始まった。&#13;&lt;br&gt;
段階としては、冷戦下の中東戦争時代、そしてアラブ民族主義が米英に屈する冷戦後期（1974年エジプト離脱/軍事政権化以降）、さらに冷戦終結後のオスロ合意（1992年）以降、と国際政治の変容のなかで変化するが、社会主義圏の崩壊後、パレスチナ人の抵抗を支えるものはいわば土着のイスラーム共同体しかなくなる。それが民衆の生存の支えだったから。そこで抵抗運動はイスラーム化する。イランが後ろ楯と言われるのはそれ以後のことだ。&#13;&lt;br&gt;
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あとは駆け足でたどろう。&#13;&lt;br&gt;
ヨーロッパ諸国（とくに英仏独）はアラブ・イスラームの側から出るイスラエルへ反発と抵抗を「反ユダヤ主義」として非難する。戦後ヨーロッパはナチスを倒したというのがＥＵ諸国の正義規範で、国内では「反ユダヤ主義」の表明を法的に禁止している。だからと言って、「反ユダヤ主義」がキリスト教ヨーロッパの専売特許であることは消せない。ナチズムも近代ヨーロッパが生み出した鬼子だ。それをヨーロッパはイスラエルとともに中東に「輸出」して、アラブ・イスラームの「反シオニズム」を「反ユダヤ主義」と呼んで厄介払いしている。これに関する当のドイツの倒錯ははなはだしい（詳しくは市野川溶孝の諸論考を参照）。&#13;&lt;br&gt;
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アメリカはなぜ全世界から孤立してもイスラエルを擁護するのか？&#13;&lt;br&gt;
　（対アラブ・イスラーム管理政策、ユダヤ人ビュローの要求もある…、メディアの言）&#13;&lt;br&gt;
　しかし根本は、イスラエルの「戦争」がアメリカ国家の「建国」原理と基本的に同じだから。&#13;&lt;br&gt;
　ピルグリム・ファーザーズ以来のアメリカの建国神話は以下の通り――&#13;&lt;br&gt;
本国（英）での宗教弾圧―→信仰の自由を求めて大洋越え「エグゾダス（出エジプト）」―→「新しいイスラエル」、「（世界が仰ぎ見る）丘の上の町を創る」（J・ウィンスロップ）&#13;&lt;br&gt;
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土地を私的所有権の下に置き、先住民を「無権利者」として締出し、抗議や反抗を野蛮な暴力として制圧、所有権制度、建国から100年足らずで「フロンティア消滅」&#13;&lt;br&gt;
先住民抹消の上に白紙（自由）の大地を不動産・資産化、自然収奪・社会の産業化、&#13;&lt;br&gt;
黒人奴隷の導入―→世界一の産業国・消費国・軍事大国へ＝「自由の帝国」&#13;&lt;br&gt;
これがアメリカ合州国（United States of America）@新世界&#13;&lt;br&gt;
ヨーロッパ方式：征服・植民地支配、アメリカ新方式：先住民掃討・自由の新世界&#13;&lt;br&gt;
＊前者の征服支配の「民（私）営化」から後者が生れる。&#13;&lt;br&gt;
（以上、『アメリカ、異形の制度空間』を参照のこと）&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
だとすると、「イスラエル」は世界戦争後に中東に作られた新しい「小アメリカ」&#13;&lt;br&gt;
　むしろ「先祖返り」の新国家（ともに旧約聖書：ユダヤ・キリスト教にもとづく）&#13;&lt;br&gt;
　冷戦後、国家（連合）的「敵」を失ったアメリカは非国家的「敵」を名指して戦争&#13;&lt;br&gt;
　＝「テロとの戦争」&#13;&lt;br&gt;
　イスラエルはこれに合流して「先住民掃討・絶滅」を正当化。&#13;&lt;br&gt;
　追われた先住民の反発や抵抗は国家の「安全保障」の敵―→根絶へ&#13;&lt;br&gt;
　アメリカはそれをイスラエルの基本権として承認（トランプもバイデンも）&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
―この映画の語り手たちは、このような国際歴史状況に巻き込まれていることを知悉&#13;&lt;br&gt;
　だが、求めるのはイスラエルの滅亡でも何でもなく、ただ「平和」、人びとが共に（多少はこづき合いながらも）生きてゆける「平和」。&#13;&lt;br&gt;
それが彼らの祈る「神（アッラー）」の真の名←―西洋キリスト教世界（政教分離社会）による癒しがたいイスラーム偏見。&#13;&lt;br&gt;
　「ガザ最終戦争」「ハルマゲドン」はユダヤ・キリスト教の『聖書』にしかない。&#13;&lt;br&gt;
　彼ら（西洋ユダヤ・キリスト教徒）にとってはその後に「神の国」が降臨するが（＝ガザを「中東のドバイ」にする計画！）&#13;&lt;br&gt;
　パレスチナの人びとにとっては、またオリーブの樹（私たちの糧）が生える。それが彼らの「神（アッラー）の栄光」。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
[参考文献]&#13;&lt;br&gt;
・マフムード・ダルウィーシュ『パレスチナ詩集』（四方田犬彦訳、ちくま文庫、2024年）&#13;&lt;br&gt;
・西谷修『アメリカ、異形の制度空間』（講談社メチエ、2016年）&#13;&lt;br&gt;
・西谷修対談集『いま「非戦」を掲げる』、「非戦争化する戦争」（青土社、2018年）&#13;&lt;br&gt;
・西谷修『戦争論・Ｒ・カイヨワ、文明という果てしない暴力』（NHK出版、2024年）&lt;br&gt;
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