トランプを制することができるのは国際法ではなく合州国憲法 ― 2026/03/05
3月4日にトランプは前日の予告どおりまたイランに爆撃の「大波」を被らせた。
最初にハメネイ師とその家族、会議に集まった軍幹部40人を一挙に爆殺し(イスラエルの情報提供で、ついでに女学校も爆撃)、それでもすぐに反撃があったから5日後には今度は「指導者後継選び」の会議を目がけて大空爆(B52も参加)、要するにイランの統治指導層とその候補らを文字どおり「殲滅」。これでイラン(人口9千万超、テヘラン900万)の人びとが「大混乱」に陥らない方がおかしい。トランプはその「始末」をどうつけるつもりなのか?(プランがないとは言われている)。
だがトランプは「鎮圧・制圧」のための地上軍は送れない。去年6月に核施設(だけか?)破壊でやったように「外科的介入」だけですむと思っていたのだ(トランプもヘグゼスも戦争はシロウト)。地上軍派遣となれば、正真正銘の「戦争」であり、議会に諮る必要がある。議会を超えて「開戦」したということになれば、ただちに大統領越権の「弾劾」が始まることになるだろう(始まらなかったら、アメリカはトランプをアンタッチャブルな主人と認めたことになる)。
トランプにとっては国連も国際法も何ものでもない(だから国連安保理会合の議長にメラニアを送り込んだりする)。アメリカは「例外的」最強国なのだから、弱者のための国際法など守る必要もない(じっさいこの間、対ベネズエラ、対キューバでもそう振舞ってきた)。だがアメリカの「大統領」(職務)である以上、合州国の憲法や法律には従わなければならないのだ(憲法はそのためにある)。
アメリカでは宣戦布告の権利は議会にある。緊急だったとしてもすみやかに事後承認をえなければならない。わずか5日でこんな惨状(敵の指導部――つまり交渉相手――殲滅、イランの反撃で戦争周辺に拡大、エネルギー地帯で世界経済大混乱、そしてイランは踏みにじられる…)を生み出した「軍事行動」(交渉途中で不意打ち攻撃)を議会が認め、トランプの大統領としての行動を追認したら、そのときには世界は、アメリカが最大の「無法国家」とみなすだろう。そして国際法秩序・国連体制は事実上瓦解する。*逆にいえば、今、世界の安定のために国際法秩序を必要とし、支えようとしているのは事実上「非米・非西側」の国々なのだ。
だが最近、「トランプ関税」も「その権限なし」と連邦最高裁に判定され、トランプは経済的威圧のために他の手段を探らざるをえなくなった。この「戦争」に関しても、「越権」ないし「権限逸脱」で国家に損害を与えたということになれば、トランプは「弾劾」されることだろう(前の任期末での「議事堂乱入使嗾」に続いて)。ただ、そのときアメリカ国家が大統領の不法行為によってイランとイランの人びとに引き起こした「甚大な損害」に対し、どのような「保証」をできるのかはまた大問題だが、アメリカはそれを果たさなければ、金輪際「国際社会のリーダー」などとは言えなくなるだろう。
もちろん、今回の「イラン破壊作戦」が不正行為だったなどということは、イスラエルが(アメリカ議会にも)認めさせないだろう。アメリカが「海外派兵して戦争するなどバカバカしい浪費だ」と言っていた(そしてノーベル平和賞をよこせと言っていた)トランプを唆して、この「破壊作戦」をやらせたのはネタニヤフのイスラエルであって(証拠も挙がっている)、何としてでもイランを潰す(イランの存在自体が「存立危機事態」)というのは、けっして「ふつうの国」にはなれない選民国家イスラエルの執念だ。その要請をトランプはかわすことはできないだろう(「エプスタインの罠」も関係している)。
唯一のよき兆候は、アメリカ国際法学会の次期会長(4月就任)が、すでにベネズエラ・ハイテク軍事強盗・大統領拉致事件のときに、このトランプ政権の行為があからさまな国際法違反だと表明している。そしてこの2日には、同学会現会長が今回のイラン攻撃がはっきりと国際法違反だと表明したことである。アメリカ大統領の国際法違反(無視・蹂躙)を、国際社会(国連)は裁くことができない――強者の力が事実を作る(アメリカ例外主義)というのだから――が、トランプも合州国の法には従わねばならないのである(従わねばクーデターになる)。
・ついでに言っておけば、フランスのマクロン大統領はバカである。この事態を受けて(あるいはウクライナ問題も重ねて)、ヨーロッパの「抑止力」のためにフランスの核弾頭を増やすという。そして今度は地中海に原子力空母を派遣するという。
「抑止力」とは「核の脅し」で「敵」が攻撃を控えるという都合のよい妄想だが、そんなものに意味がないというのを示したのが「九・一一」だったし、ロシアもNATOの「抑止力」に挑戦してウクライナに侵攻した。相手の「核」を「使わせない」という想定の下で、やたらに戦費をつぎ込むだけが戦争国家の妄執である。だが、軍需産業というのは、人を殺し街や村を破壊してそれだけのために「消費」される製品作りであり、戦争がないと維持できない。そしてその製品は戦争で人間社会を消耗させるためにしか役立たないのだ。それが「役に立つ」と思わせ、人間社会の命運を無視して「経済システム」を「成長」させるという妄想を支えるのが「抑止力」理論だ。
フランスは、いま地中海に原子力空母を派遣して何になるのか?アメリカとイスラエルを「抑止する」つもりか?まさか、そんなことはありえない。だとしたらイランの混乱した「反撃」を制圧するためか?だったら初めからそう言えばいい。この先の中東利権確保のためだと(イギリスでさえ今度の米イの戦争には加わらないと言っているし、スペインははっきり米イの戦争への加担を拒否した)。
※アメリカにおいて宣戦布告の権利が議会(連邦議会)に属することは、アメリカ合衆国憲法 第1条 第8節(Article I, Section 8, Clause 11)で明確に規定されている。
最初にハメネイ師とその家族、会議に集まった軍幹部40人を一挙に爆殺し(イスラエルの情報提供で、ついでに女学校も爆撃)、それでもすぐに反撃があったから5日後には今度は「指導者後継選び」の会議を目がけて大空爆(B52も参加)、要するにイランの統治指導層とその候補らを文字どおり「殲滅」。これでイラン(人口9千万超、テヘラン900万)の人びとが「大混乱」に陥らない方がおかしい。トランプはその「始末」をどうつけるつもりなのか?(プランがないとは言われている)。
だがトランプは「鎮圧・制圧」のための地上軍は送れない。去年6月に核施設(だけか?)破壊でやったように「外科的介入」だけですむと思っていたのだ(トランプもヘグゼスも戦争はシロウト)。地上軍派遣となれば、正真正銘の「戦争」であり、議会に諮る必要がある。議会を超えて「開戦」したということになれば、ただちに大統領越権の「弾劾」が始まることになるだろう(始まらなかったら、アメリカはトランプをアンタッチャブルな主人と認めたことになる)。
トランプにとっては国連も国際法も何ものでもない(だから国連安保理会合の議長にメラニアを送り込んだりする)。アメリカは「例外的」最強国なのだから、弱者のための国際法など守る必要もない(じっさいこの間、対ベネズエラ、対キューバでもそう振舞ってきた)。だがアメリカの「大統領」(職務)である以上、合州国の憲法や法律には従わなければならないのだ(憲法はそのためにある)。
アメリカでは宣戦布告の権利は議会にある。緊急だったとしてもすみやかに事後承認をえなければならない。わずか5日でこんな惨状(敵の指導部――つまり交渉相手――殲滅、イランの反撃で戦争周辺に拡大、エネルギー地帯で世界経済大混乱、そしてイランは踏みにじられる…)を生み出した「軍事行動」(交渉途中で不意打ち攻撃)を議会が認め、トランプの大統領としての行動を追認したら、そのときには世界は、アメリカが最大の「無法国家」とみなすだろう。そして国際法秩序・国連体制は事実上瓦解する。*逆にいえば、今、世界の安定のために国際法秩序を必要とし、支えようとしているのは事実上「非米・非西側」の国々なのだ。
だが最近、「トランプ関税」も「その権限なし」と連邦最高裁に判定され、トランプは経済的威圧のために他の手段を探らざるをえなくなった。この「戦争」に関しても、「越権」ないし「権限逸脱」で国家に損害を与えたということになれば、トランプは「弾劾」されることだろう(前の任期末での「議事堂乱入使嗾」に続いて)。ただ、そのときアメリカ国家が大統領の不法行為によってイランとイランの人びとに引き起こした「甚大な損害」に対し、どのような「保証」をできるのかはまた大問題だが、アメリカはそれを果たさなければ、金輪際「国際社会のリーダー」などとは言えなくなるだろう。
もちろん、今回の「イラン破壊作戦」が不正行為だったなどということは、イスラエルが(アメリカ議会にも)認めさせないだろう。アメリカが「海外派兵して戦争するなどバカバカしい浪費だ」と言っていた(そしてノーベル平和賞をよこせと言っていた)トランプを唆して、この「破壊作戦」をやらせたのはネタニヤフのイスラエルであって(証拠も挙がっている)、何としてでもイランを潰す(イランの存在自体が「存立危機事態」)というのは、けっして「ふつうの国」にはなれない選民国家イスラエルの執念だ。その要請をトランプはかわすことはできないだろう(「エプスタインの罠」も関係している)。
唯一のよき兆候は、アメリカ国際法学会の次期会長(4月就任)が、すでにベネズエラ・ハイテク軍事強盗・大統領拉致事件のときに、このトランプ政権の行為があからさまな国際法違反だと表明している。そしてこの2日には、同学会現会長が今回のイラン攻撃がはっきりと国際法違反だと表明したことである。アメリカ大統領の国際法違反(無視・蹂躙)を、国際社会(国連)は裁くことができない――強者の力が事実を作る(アメリカ例外主義)というのだから――が、トランプも合州国の法には従わねばならないのである(従わねばクーデターになる)。
・ついでに言っておけば、フランスのマクロン大統領はバカである。この事態を受けて(あるいはウクライナ問題も重ねて)、ヨーロッパの「抑止力」のためにフランスの核弾頭を増やすという。そして今度は地中海に原子力空母を派遣するという。
「抑止力」とは「核の脅し」で「敵」が攻撃を控えるという都合のよい妄想だが、そんなものに意味がないというのを示したのが「九・一一」だったし、ロシアもNATOの「抑止力」に挑戦してウクライナに侵攻した。相手の「核」を「使わせない」という想定の下で、やたらに戦費をつぎ込むだけが戦争国家の妄執である。だが、軍需産業というのは、人を殺し街や村を破壊してそれだけのために「消費」される製品作りであり、戦争がないと維持できない。そしてその製品は戦争で人間社会を消耗させるためにしか役立たないのだ。それが「役に立つ」と思わせ、人間社会の命運を無視して「経済システム」を「成長」させるという妄想を支えるのが「抑止力」理論だ。
フランスは、いま地中海に原子力空母を派遣して何になるのか?アメリカとイスラエルを「抑止する」つもりか?まさか、そんなことはありえない。だとしたらイランの混乱した「反撃」を制圧するためか?だったら初めからそう言えばいい。この先の中東利権確保のためだと(イギリスでさえ今度の米イの戦争には加わらないと言っているし、スペインははっきり米イの戦争への加担を拒否した)。
※アメリカにおいて宣戦布告の権利が議会(連邦議会)に属することは、アメリカ合衆国憲法 第1条 第8節(Article I, Section 8, Clause 11)で明確に規定されている。
2/4.日本記者クラブでのイシカワ駐日ベネズエラ大使の会見についての所見 ― 2026/02/05
2月4日に日本記者クラブでイシカワ駐日ベネズエラ大使の会見が行われた。ベネズエラの首都カラカスが米軍の特殊作戦で襲われ、マドゥロ大統領夫妻が拉致されアメリカに連行さるという、米トランプ政権による前代未聞の狼藉があってから1月目にあたる。イシカワ大使の会見は、「強権」のマドゥロ政権がなくなってよかったが、後継のロドリゲス暫定大統領はマドゥロ側近で、ベネズエラにはまだ「自由」が回復していない、といった論調が跋扈する日本のメディアに、アメリカによるこのような国際法無視どころかあからさまな「主権蹂躙」の被害に遭い、かつそれを追認するような西側メディアの歪曲報道にさらされながら、ベネズエラ現政権がどのようにその尊厳を守り、主権の保持に屈することなく努めているかを訴えるためのものだった(と言うことができるだろう)。
日本記者クラブは先週、アジア経済研究所の坂口安紀氏を招いて「ベネズエラはまだ変わっていない、自由の抑圧は続いている…」といった、米国による強引な「体制転換」の試みを後押しするような会見を垂れ流した――坂口氏は「強権」体制の「民主化」を求めるようなことを言うが、トランプ大統領は「民主主義など関係ない、われわれはもともとアメリカのものだった石油を取り戻すだけだ」とはっきり言っている。それに対して、日本記者クラブは、被害国であるベネズエラ側の言い分を聞く必要があったということだろう。
イシカワ大使は、米軍攻撃の最初の衝撃と混乱をのりこえ、ベネズエラ市民が平静を取り戻し、市民生活も落ち着いて、マーケットに食料品なども十分に行き渡っている状況を示し、その一方で大勢の民衆が日々アメリカによる大統領夫妻拉致に講義してデモを行っていること、一部で言われるような「90%の市民がマドゥロ大統領の失脚」を喜んでいるといったニュースとは正反対に、野党勢力も含めて90%を超える人びとが大統領拉致に反対しているといった、ベネズエラ調査機関(アメリカの調査機関ではなく)の調査結果を紹介した。そして不測の大統領不在の間職務を代行するロドリゲス暫定大統領のもと、一方で国際法遵守を訴えながら、対話による交渉を通してであればベネズエラはどの国とも交渉する用意があることを迅速な実践によって示しているのだと。そして事実上成立したアメリカとの石油輸出は、アメリカの暴力に屈したからではなく、平和裡になら交渉を行うことができるし、アメリカは石油を得る一方、ベネズエラはその利益をただちに労働者の賃上げや困窮者対策に充てることができるということを示した。
(その言外を読めば、この間、石油メジャーもそのような交渉ができなかったのは、アメリカが一方的に経済制裁を課し、ベネズエラとの取引を一切禁じていたからであり、そのような一方的なことをしなければ交渉はできるということだ。)
ところが、その後の質疑応答で露呈したのは、参加していた記者たちの押しなべての無理解と質の低さだ。だいたい司会者からしておかしかった。最初の紹介で「…マドゥロ大統領がいなくなったあと、アメリカの承認を受けて就任したロドリゲス暫定大統領は…」という始末。マドゥロが不法にアメリカに強奪拉致されたとも言わず、ロドリゲスはアメリカに認められて就任した、という。すでに恐るべき偏見である。
それに関する質問もあった。つまりロドリゲス暫定大統領の「合法性」問題であり、ほんとうはすぐに新大統領を選ぶ選挙をやらなければならないのではないか(そうしたらノーベル賞を受けたマチャードが大統領になれるのではないのか…)、(実際には副大統領だったロドリゲスは憲法規定にしたがって代行となり、最高裁で暫定大統領に任命された)、あるいは、前回選挙でマドゥロの当選は不正によるものであって、もともと「正統性」がないのではないか、といった質問。これに関しては、前々回もそうだし、19年にグワイド某(当時の輪番による国会議長)が対抗大統領を名乗り、それをただちにアメリカが承認して、グワイドはその後クーデターに失敗してアメリカに逃亡したことからも分かるように、対抗候補(いわゆる野党候補)が選挙に勝ったという情報そのものが胡乱な主張で、それが世界に広まったのはその「選挙不正」を直ちにアメリカ(とEU諸国)が承認したからに過ぎない。ベネズエラにはしっかりした三権分立の仕組みがあり、選挙管理委員会はそれからもまた独立している。それが認めたのはマドゥロの当選だとイシカワ大使は強調した。
要するにほとんどの質問は、マドゥロは選挙不正で当選し、正統性がないのだから、トランプが拉致したのはその正統性の回復、言いかえれば民主主義の回復にはよかったのではないか、といった「国際法などどうでもいい」「国家主権なんて世界の民主主義のためには…」といった、トンデモな思い込みからなされていた。
あきれ果ててものも言えないとはこのことである。産経新聞の記者がおおく当てられて発言していたが、おしなべてこの調子。時事通信、共同通信の記者も。朝日の退職記者というのに至っては、「大使、この報道の自由のある日本の記者クラブで、強権体制の代弁をするというたいへん窮屈なお役目、ごくろうさまです」みたいな口上で質問を始めた。どこまで間抜けの自覚のない尊大な大新聞の元記者かと、後ろから冷や水を浴びせてやりたかったが、かえってイシカワ大使の居心地を悪くしてもと思いとどまった。
唯一、元TBSの金平氏が、マドゥロ拉致に関しての賛否のアンケートが坂口氏の挙げたものとイシカワ大使の挙げたものとでは真逆だが、どうしてこういうことになるのかと質問していたが、ほんとうはそんなことはイシカワ大使に聞くべきことではないのだ。イシカワ大使は自分だ客観的で事実を示しているというデータを挙げている。真逆のデータを挙げた方が説明すべきだし、その当否を判断するのはジャーナリストの役目ではないのか。
最後にトランプの「ドンロー主義」についてウェブ参加者からの質問があったが、これもイシカワ大使に聞いてもしかたがない。これへの答えの中で大使は「プロフェサー・オサム・ニシタニが"長周新聞"に書いた記事がとても興味深かったから参照されたい」と、記者たちに"勉強"を促した。ちなみに、もう長時間慣れない話で疲れていたらしい通訳の人は、「長周新聞」など知らないらしく「中日新聞」と訳していた。それは後でユーチューブか何かで確かめたのだが(その直前に所用があって中座した)、この分ではその前にもご当人の知らないことはかなり勝手に訳していたのではないかと心配になった。たとえば司会者が初めに述べたことなど、日本語では露骨なニュアンスが出ていたのだが、これなど正確にスペイン語に訳していたのだろうか(訳していたとしたら、イシカワ大使冒頭からムッとしたかもしれない)。
日本記者クラブは先週、アジア経済研究所の坂口安紀氏を招いて「ベネズエラはまだ変わっていない、自由の抑圧は続いている…」といった、米国による強引な「体制転換」の試みを後押しするような会見を垂れ流した――坂口氏は「強権」体制の「民主化」を求めるようなことを言うが、トランプ大統領は「民主主義など関係ない、われわれはもともとアメリカのものだった石油を取り戻すだけだ」とはっきり言っている。それに対して、日本記者クラブは、被害国であるベネズエラ側の言い分を聞く必要があったということだろう。
イシカワ大使は、米軍攻撃の最初の衝撃と混乱をのりこえ、ベネズエラ市民が平静を取り戻し、市民生活も落ち着いて、マーケットに食料品なども十分に行き渡っている状況を示し、その一方で大勢の民衆が日々アメリカによる大統領夫妻拉致に講義してデモを行っていること、一部で言われるような「90%の市民がマドゥロ大統領の失脚」を喜んでいるといったニュースとは正反対に、野党勢力も含めて90%を超える人びとが大統領拉致に反対しているといった、ベネズエラ調査機関(アメリカの調査機関ではなく)の調査結果を紹介した。そして不測の大統領不在の間職務を代行するロドリゲス暫定大統領のもと、一方で国際法遵守を訴えながら、対話による交渉を通してであればベネズエラはどの国とも交渉する用意があることを迅速な実践によって示しているのだと。そして事実上成立したアメリカとの石油輸出は、アメリカの暴力に屈したからではなく、平和裡になら交渉を行うことができるし、アメリカは石油を得る一方、ベネズエラはその利益をただちに労働者の賃上げや困窮者対策に充てることができるということを示した。
(その言外を読めば、この間、石油メジャーもそのような交渉ができなかったのは、アメリカが一方的に経済制裁を課し、ベネズエラとの取引を一切禁じていたからであり、そのような一方的なことをしなければ交渉はできるということだ。)
ところが、その後の質疑応答で露呈したのは、参加していた記者たちの押しなべての無理解と質の低さだ。だいたい司会者からしておかしかった。最初の紹介で「…マドゥロ大統領がいなくなったあと、アメリカの承認を受けて就任したロドリゲス暫定大統領は…」という始末。マドゥロが不法にアメリカに強奪拉致されたとも言わず、ロドリゲスはアメリカに認められて就任した、という。すでに恐るべき偏見である。
それに関する質問もあった。つまりロドリゲス暫定大統領の「合法性」問題であり、ほんとうはすぐに新大統領を選ぶ選挙をやらなければならないのではないか(そうしたらノーベル賞を受けたマチャードが大統領になれるのではないのか…)、(実際には副大統領だったロドリゲスは憲法規定にしたがって代行となり、最高裁で暫定大統領に任命された)、あるいは、前回選挙でマドゥロの当選は不正によるものであって、もともと「正統性」がないのではないか、といった質問。これに関しては、前々回もそうだし、19年にグワイド某(当時の輪番による国会議長)が対抗大統領を名乗り、それをただちにアメリカが承認して、グワイドはその後クーデターに失敗してアメリカに逃亡したことからも分かるように、対抗候補(いわゆる野党候補)が選挙に勝ったという情報そのものが胡乱な主張で、それが世界に広まったのはその「選挙不正」を直ちにアメリカ(とEU諸国)が承認したからに過ぎない。ベネズエラにはしっかりした三権分立の仕組みがあり、選挙管理委員会はそれからもまた独立している。それが認めたのはマドゥロの当選だとイシカワ大使は強調した。
要するにほとんどの質問は、マドゥロは選挙不正で当選し、正統性がないのだから、トランプが拉致したのはその正統性の回復、言いかえれば民主主義の回復にはよかったのではないか、といった「国際法などどうでもいい」「国家主権なんて世界の民主主義のためには…」といった、トンデモな思い込みからなされていた。
あきれ果ててものも言えないとはこのことである。産経新聞の記者がおおく当てられて発言していたが、おしなべてこの調子。時事通信、共同通信の記者も。朝日の退職記者というのに至っては、「大使、この報道の自由のある日本の記者クラブで、強権体制の代弁をするというたいへん窮屈なお役目、ごくろうさまです」みたいな口上で質問を始めた。どこまで間抜けの自覚のない尊大な大新聞の元記者かと、後ろから冷や水を浴びせてやりたかったが、かえってイシカワ大使の居心地を悪くしてもと思いとどまった。
唯一、元TBSの金平氏が、マドゥロ拉致に関しての賛否のアンケートが坂口氏の挙げたものとイシカワ大使の挙げたものとでは真逆だが、どうしてこういうことになるのかと質問していたが、ほんとうはそんなことはイシカワ大使に聞くべきことではないのだ。イシカワ大使は自分だ客観的で事実を示しているというデータを挙げている。真逆のデータを挙げた方が説明すべきだし、その当否を判断するのはジャーナリストの役目ではないのか。
最後にトランプの「ドンロー主義」についてウェブ参加者からの質問があったが、これもイシカワ大使に聞いてもしかたがない。これへの答えの中で大使は「プロフェサー・オサム・ニシタニが"長周新聞"に書いた記事がとても興味深かったから参照されたい」と、記者たちに"勉強"を促した。ちなみに、もう長時間慣れない話で疲れていたらしい通訳の人は、「長周新聞」など知らないらしく「中日新聞」と訳していた。それは後でユーチューブか何かで確かめたのだが(その直前に所用があって中座した)、この分ではその前にもご当人の知らないことはかなり勝手に訳していたのではないかと心配になった。たとえば司会者が初めに述べたことなど、日本語では露骨なニュアンスが出ていたのだが、これなど正確にスペイン語に訳していたのだろうか(訳していたとしたら、イシカワ大使冒頭からムッとしたかもしれない)。
トランプの「ドンロー主義」と国際法秩序 (ルモンド・ディプロ日本版) ― 2026/01/26
○世界の「危機」――アメリカの「無法」
いま、アメリカのトランプ大統領の言動をめぐって起きている事柄を、国際政治や解釈理論の常套句・常套論理を離れて、突っ込んで適確な用語で語ってみたい。
まず、トランプの言動は本人がそう言うようにあらゆる国際法を無視している。それでもベネズエラの大統領夫妻を特殊攻撃で拉致して、アメリカ法下の罪人として裁こうとしたり、ベネズエラを「統治」すると公言したり、その資源を我が物として強奪するそぶりをしたりすることが「可能」なのは(事実上やっている)、アメリカがその軍事力と諜報組織、金融システムとグロバールなPR手段をもっていて、それを「無制約」に使っているからである。当然ながらこの種の行為は、強大国家の「権力」の見境のない発露、すなわち力任せの「暴力」行為であり、国家権力の相互抑制システムである「国際法秩序」のあられもない蹂躙である。そのことをまずは国際社会は明言しなければならない。
それと、トランプ大統領のこの「異常さ」は、私的な欲望・願望と公的職務権限とに区別がないことにある(一期目にはこの融合が妨げられたので、二期目は人事でその障害を取り除いた)。これは社会的に診断するならすでに「狂気」と言わざるをえない。「私が大統領なのだから、私の言明・命令は、アメリカ国家の意志遂行の行為である」というのは、私的願望主体と「職務権限」との区別のつかない反社会的「病理」である。
だが、それが通ってしまうのは、現代社会のコミュニケーション・インフラがSNSであるからだ。SNSの基本的特徴は、私的メッセージが、そのままヴァーチャルな「公共」空間に流れることだ。それが「言論の自由」を広げるとして、売りに出されているのがこの主のメディアだ。そしてそこでは「真理にもはや価値はない」(ポスト・トゥルース)。「良貨は悪貨を駆逐する」と言われるように、「受け」さえすればそれが「選ばれたメッセージ」だということになる。そのうえ権力者がそれを使えば、そのメッセージは私的であっても公共的ステイタスをもって流通する。そんなメディア・インフラの性格が、現代政治にトランプ的「病理」を助長することになっている。この「見境がない」という個人的資質と、メディア・インフラの「解放系」とが相まって、トランプの「無規範性・無法性」に実際的効果をもたせている。
だから、いま世界に「危機」があるとすれば、それはパレスチナでもウクライナでもベネズエラでもなく、「最強国」(じつはそれ自体が今では「妄想」なのだが)が「無法者」と化しているというその事態にある。要するに現代世界が直面しているのは、「専制主義国の脅威」などではもはやなく、「アメリカが無法者になった」というこの「問題」なのである(その背景にあるのは、枯渇資源確保の妄執と、ヴァ―チャル世界へのエグジット妄想だが、これについては別に扱おう)。
○「自由の西半球」――ウェストファリア体制からの離脱
しかしじつはこの「無法」はトランプ個人の問題ではない。アメリカ合州国という「国」がいかにして形成されたのかを考えれば、ヨーロッパからの離脱を宣言したいわゆる「モンロー主義」がアメリカの建国原理に根ざしたものであることが分かる。
もともと国際法秩序とはヨーロッパでできたものである。ヨーロッパ全域を戦争に巻き込んだ30年戦争(17世紀前半)の後で、もう宗教を戦争の口実にしない、領土を一元統治する主権国家だけが戦争をすることができる、ただし戦争は正当な決まりに従って行う(戦争を平時とは別の法状態におく)等々 を決めて国家間関係を約定した。これが「戦争と平和」の国際法秩序であり、ウェストファリア体制と呼ばれるものだ。
ところが、ここに場を見出さなかったイギリス清教徒たちが、「海の彼方は自由」という当時のヨーロッパ法理(グロチウス)に期待して大西洋を越えて移住し、そこに「信仰の自由な地」を開こうとした。彼らは英国王の特許のもと、先住民を無視して土地を取得し開発し、いくつかの植民地(州)を作り上げた。その事業はじつは、植民会社という民間企業の事業として展開された(植民者はこの会社の株主でもあり、特許に従って土地を私的所有し、それをもとに「解放された」地域を開発、町や港湾や砦を作る)。この企業は先住民を「不法居住者」として追い立て、反抗を受けると「無法な野蛮人」として掃討し、そこにできた空白を自らの「自由」な事業展開の場として発展した。これが「新しいイスラエル」と称えられた(初代ニューイングランド総督)「新世界アメリカ」である。
そしてやがてそれに税金を課す王権を「特許状違反」と嫌って、英領十三の州が連合して「独立」をめざすようになる。そのために連邦政府ができるが、それは私企業の「統治経営」によってできた各州が、その自由経営権を守るための連合、いわば武装した「持ち株会社」のようなものだった。そして英王権を排して、アメリカ合州国はその自由経営統治権を確立したのである。そしてその仕組みが株主たち(私的所有権者たち)の「民主主義」なのである――そこには所有権の観念をもたない先住民や貧民にはまったく権利がない。
その意味で、アメリカ合州国とは、私企業の連合統治体であり、ヨーロッパ国際秩序を作った主権領邦国家とは成立ちがまったく違う。そのため、合州国に刺激されてラテンアメリカでも独立運動が起こると、「古い帝国」支配下にあったラ米諸国の独立を支持して、合州国はヨーロッパとの相互不干渉政策、いわゆるモンロー宣言を打ち出す。つまり、アメリカはヨーロッパ的な国際法秩序に従わないとして、「自由の西半球」を宣言したわけである。
○アメリカの対外戦争
アメリカには初めから「原資」があった。先住民から奪った土地がそのまま不動産という資産となり、それに付属する資源も何もすべて企業家の私有財産になったからだ。
こうして封建制のしがらみもなく、建国半世紀で北米大陸中央のすべてが資産となり、初めから近代産業体制が成立して(黒人や後の移民が豊富な労働力)、一九世紀末には世界一の工業国になった。「フロンティアの消滅」で先住民掃討の主役だった騎兵隊の仕事がなくなると、それを海外上陸用の部隊・海兵隊に組み替えて、まずスペインの植民地だったキューバ(ついでにフィリピン)を「解放」、つまり「自由市場」に解放して属国化し、ラテンアメリカ全域を「アメリカ化」しようとする矢先、ヨーロッパが植民地獲得競争(帝国主義)の仲間割れから「欧州大戦」に陥った。そこでアメリカ合州国はモンロー主義を捨てて、西洋的世界秩序にかぶさり、以後、世界統治に関与するようになる。
ただしそのとき、国内での抵抗が強かったため(古いヨーロッパなど捨ておけ、西半球の解放で十分だ…)、ウィルソン政権は参戦(海外派兵)のための強力なイデオロギーを打ち出さざるをえなかった。それが「アメリカの民主主義をヨーロッパへ」だった(アメリカの民主主義とは、国王や帝権を廃した民間企業家たちの独自政体だ)。
それ以来、アメリカの戦争(海外派兵)はたんなる権益をめぐる抗争ではなくイデオロギー戦争になる(そのためPR会社が活躍する)。第二次世界大戦は「ファシズムから民主主義を守る」、冷戦期は「共産主義対自由主義」(国家管理対私的所有権体制)、そうして冷戦後「西側の自由と民主主義」が勝利したことになって、グローバル市場一元化が達成されるとアメリカ原理(新自由主義)が規範のバッスク・アメリカーナの時代になる。だが、9・11で初めてアメリカ本土が襲撃され、「核抑止」体制そのものが破られたため、アメリカは「新たな敵」を「テロリスト」と指定し、人権の埒外においてグローバル規模でその殲滅戦を始める。いわゆる「テロとの戦争」だが、その構造はグローバル規模での「インディアン戦争」であり、無法を法とする超法規戦争だった。しかし、そのコストがあまりに高かったため(敵が見えないので限界も見えない)、バイデン政権のときにアメリカは、冷戦秩序を焼き直して「民主主義対専制主義」という対立図式を作り、「専制主義国の危険」で世界を戦争管理しようとする。
それが国際法秩序を抱え込んだアメリカ合衆国の振舞いだった。
○国連(UN)、第三世界、NATO
この間に国際法秩序の行方に関して重要なことが三つあった。
ひとつは国際連合の形成。これは破綻したウェストファリア体制の原理を変更して普遍化しようとするものだった。この西洋的国際法秩序は、主権国家の戦争権を軸に作られていたが、主要国がすべて産業化され、戦争になれば総動員・総力戦で双方に甚大な被害が出るうえに、原爆まで開発されてしまった。だから戦争を前提としては破滅の秩序しかできないというわけで、新しい国際法体制は「非戦」を原理とすることになった(ただし、それを最強国は受け入れないので「自衛のための戦争」だけは可とする)。さらに各国は国を超えて「人権」を擁護しなければならないことになった。そこから、相互承認・協調・互恵の原則が生まれる。
ただし、この体制は米ソの「冷戦」対立によって骨抜きにされていた。それを実質化しようとしたのが、旧西洋植民地から続々と独立したアジア・アフリカの国々だった。AA諸国は1955年に初めての会合を開く(バンドン会議)。そこにやがて、アメリカ合州国の「裏庭」とされた国々が加わり、「アジア・アフリカ・ラテンアメリカ諸国会議」となる。それまで世界秩序形成の主体となったことのなかったこの国々は、米ソいずれの超大国にも与せず「非同盟」の連携でそれぞれの国の独立・協調・発展のために協力する形をとった。後に言われる「第三世界」である。
その数の多さで国連体制のなかで重きを増してくると、ソ連の崩壊を見越した西側主要国は国連の外に「G7」を結成し、冷戦後の世界の「管理・運営」にあたろうとした。「西側」はそうて冷戦後にはその存在意義をなくそうとしたのである。その一方でアメリカは冷戦後も反ソ同盟NATOを解消しようとしなかった。それはEU諸国がロシア・中国と新たな関係を作り出して合州国を海の向こうに孤立させるようなことにならないよう、EUをつなぎとめるためである。だから冷戦後も「北大西洋同盟」は残って「西側」を支えることになった。
○トランプの「ドンロー主義」とは何か?
トランプ政権は「アメリカ・ファースト」を掲げて登場した。これは他の小国の「自国ファースト」と似ているようでじつはまったく違う。アメリカは「古いヨーロッパを延命させる世界統治などに関わって、持ち出しだけが多く自国の豊かさ強さは蝕まれてしまった。もう世界統治などには関わらない。国際法秩序などは関係ないのだ。アメリカはもともとその外部に出て、束縛を受けない"自由"を獲得したのだから」というモンロー主義回帰宣言なのである。
他の言い方をすれば、もはやイデオロギーで戦争の管理はやらない、強奪が「力の正義」だからだということだ(力で粉砕すれば敵はおとなしくなる。つまり「平和」になる。だからトランプは「ノーベル平和賞」を受ける資格があると思っている)。
「アメリカの衰退」はどこに現れているのか?アメリカ社会内部の脆弱化がその表れだが、何よりも明らかなのは、アメリカが「西側」の面倒を見ているうちに、古いチャイナが強く大きくなってしまったではないか、バイデンたちは「東アジア危機」とかを作って封じ込めようとしてきたけれど、もはや中国には関税もかけられないのが実情だ。つまり中国はもうアメリカが国際法のイデオロギーで抑え込める「敵」ではない。だからもう山賊・海賊同士のディールしかない、というわけだ。
だからアメリカは今や本来の「西半球」に注力する。そして「西半球」が「自由の領域」であることを足場に海賊船を出す、ということだ。ついでに言えば、中東は石油確保(国家としてというよりメジャー企業がそれで儲ける)ができればよいから、統治支配はイスラエルに任せる。何よりイスラエルは、先住民抹殺の上に「自由の国」を作ったアメリカと同じ原理を押し通す国だから。
カナダは51番目の州にするし、グリーンランドは北極圏を抑えるための要所、西半球の一部だ。これはEUが何といおうと(どうせ植民地支配じゃないか)金で「解放する」(ダボス会議でゴタゴタ言う連中をこうして初めから脅しておく)。
ベネズエラの石油は当然アメリカのもの、どんなことをしてでも「取り戻す」。力で脅せばみんなトランプ・アメリカになびかざるをえないだろうと。
○新たな「国際法秩序」の担い手
要するにトランプ・アメリカとは、その国家形成原理に立ち戻り、国際法秩序の「外」に出たアメリカなのである。
それを、「手のひらを返された」と思うEUは「法と秩序」とか「自由貿易」とか今さらのように言う。しかし、合州国の庇護のもとにEU諸国は世界ヘゲモニーを維持しようとしてきたが、植民地支配の遺産を食いつぶしてからは、地球温暖化の問題やデジタルIT化による社会解体などで、じつはもう世界をリードする力を実質的には失っている。にもかかわらず、G7などと称して世界統治のかじ取りを担うと主張してきたのである。
いま世界史規模で起きているのは米・欧が結んだ「西洋」の分裂と崩壊である。
そこで「国際法秩序」を最も必要として、それを尊重し尊重させざるを得ないのは、力で世界を制覇したことのない国々、するべくもない国々、「西洋的秩序」につごうよくとり込まれるか・あるいは締め出されてきた旧「第三世界」の国々である。それだけが今、国連を必要とし、国連を支えようとする(国連総会を軸にして)国々であり、「核抑止力」など持たないがゆえに国際法秩序を正統的に要求しうる勢力である。
いま、アメリカのトランプ大統領の言動をめぐって起きている事柄を、国際政治や解釈理論の常套句・常套論理を離れて、突っ込んで適確な用語で語ってみたい。
まず、トランプの言動は本人がそう言うようにあらゆる国際法を無視している。それでもベネズエラの大統領夫妻を特殊攻撃で拉致して、アメリカ法下の罪人として裁こうとしたり、ベネズエラを「統治」すると公言したり、その資源を我が物として強奪するそぶりをしたりすることが「可能」なのは(事実上やっている)、アメリカがその軍事力と諜報組織、金融システムとグロバールなPR手段をもっていて、それを「無制約」に使っているからである。当然ながらこの種の行為は、強大国家の「権力」の見境のない発露、すなわち力任せの「暴力」行為であり、国家権力の相互抑制システムである「国際法秩序」のあられもない蹂躙である。そのことをまずは国際社会は明言しなければならない。
それと、トランプ大統領のこの「異常さ」は、私的な欲望・願望と公的職務権限とに区別がないことにある(一期目にはこの融合が妨げられたので、二期目は人事でその障害を取り除いた)。これは社会的に診断するならすでに「狂気」と言わざるをえない。「私が大統領なのだから、私の言明・命令は、アメリカ国家の意志遂行の行為である」というのは、私的願望主体と「職務権限」との区別のつかない反社会的「病理」である。
だが、それが通ってしまうのは、現代社会のコミュニケーション・インフラがSNSであるからだ。SNSの基本的特徴は、私的メッセージが、そのままヴァーチャルな「公共」空間に流れることだ。それが「言論の自由」を広げるとして、売りに出されているのがこの主のメディアだ。そしてそこでは「真理にもはや価値はない」(ポスト・トゥルース)。「良貨は悪貨を駆逐する」と言われるように、「受け」さえすればそれが「選ばれたメッセージ」だということになる。そのうえ権力者がそれを使えば、そのメッセージは私的であっても公共的ステイタスをもって流通する。そんなメディア・インフラの性格が、現代政治にトランプ的「病理」を助長することになっている。この「見境がない」という個人的資質と、メディア・インフラの「解放系」とが相まって、トランプの「無規範性・無法性」に実際的効果をもたせている。
だから、いま世界に「危機」があるとすれば、それはパレスチナでもウクライナでもベネズエラでもなく、「最強国」(じつはそれ自体が今では「妄想」なのだが)が「無法者」と化しているというその事態にある。要するに現代世界が直面しているのは、「専制主義国の脅威」などではもはやなく、「アメリカが無法者になった」というこの「問題」なのである(その背景にあるのは、枯渇資源確保の妄執と、ヴァ―チャル世界へのエグジット妄想だが、これについては別に扱おう)。
○「自由の西半球」――ウェストファリア体制からの離脱
しかしじつはこの「無法」はトランプ個人の問題ではない。アメリカ合州国という「国」がいかにして形成されたのかを考えれば、ヨーロッパからの離脱を宣言したいわゆる「モンロー主義」がアメリカの建国原理に根ざしたものであることが分かる。
もともと国際法秩序とはヨーロッパでできたものである。ヨーロッパ全域を戦争に巻き込んだ30年戦争(17世紀前半)の後で、もう宗教を戦争の口実にしない、領土を一元統治する主権国家だけが戦争をすることができる、ただし戦争は正当な決まりに従って行う(戦争を平時とは別の法状態におく)等々 を決めて国家間関係を約定した。これが「戦争と平和」の国際法秩序であり、ウェストファリア体制と呼ばれるものだ。
ところが、ここに場を見出さなかったイギリス清教徒たちが、「海の彼方は自由」という当時のヨーロッパ法理(グロチウス)に期待して大西洋を越えて移住し、そこに「信仰の自由な地」を開こうとした。彼らは英国王の特許のもと、先住民を無視して土地を取得し開発し、いくつかの植民地(州)を作り上げた。その事業はじつは、植民会社という民間企業の事業として展開された(植民者はこの会社の株主でもあり、特許に従って土地を私的所有し、それをもとに「解放された」地域を開発、町や港湾や砦を作る)。この企業は先住民を「不法居住者」として追い立て、反抗を受けると「無法な野蛮人」として掃討し、そこにできた空白を自らの「自由」な事業展開の場として発展した。これが「新しいイスラエル」と称えられた(初代ニューイングランド総督)「新世界アメリカ」である。
そしてやがてそれに税金を課す王権を「特許状違反」と嫌って、英領十三の州が連合して「独立」をめざすようになる。そのために連邦政府ができるが、それは私企業の「統治経営」によってできた各州が、その自由経営権を守るための連合、いわば武装した「持ち株会社」のようなものだった。そして英王権を排して、アメリカ合州国はその自由経営統治権を確立したのである。そしてその仕組みが株主たち(私的所有権者たち)の「民主主義」なのである――そこには所有権の観念をもたない先住民や貧民にはまったく権利がない。
その意味で、アメリカ合州国とは、私企業の連合統治体であり、ヨーロッパ国際秩序を作った主権領邦国家とは成立ちがまったく違う。そのため、合州国に刺激されてラテンアメリカでも独立運動が起こると、「古い帝国」支配下にあったラ米諸国の独立を支持して、合州国はヨーロッパとの相互不干渉政策、いわゆるモンロー宣言を打ち出す。つまり、アメリカはヨーロッパ的な国際法秩序に従わないとして、「自由の西半球」を宣言したわけである。
○アメリカの対外戦争
アメリカには初めから「原資」があった。先住民から奪った土地がそのまま不動産という資産となり、それに付属する資源も何もすべて企業家の私有財産になったからだ。
こうして封建制のしがらみもなく、建国半世紀で北米大陸中央のすべてが資産となり、初めから近代産業体制が成立して(黒人や後の移民が豊富な労働力)、一九世紀末には世界一の工業国になった。「フロンティアの消滅」で先住民掃討の主役だった騎兵隊の仕事がなくなると、それを海外上陸用の部隊・海兵隊に組み替えて、まずスペインの植民地だったキューバ(ついでにフィリピン)を「解放」、つまり「自由市場」に解放して属国化し、ラテンアメリカ全域を「アメリカ化」しようとする矢先、ヨーロッパが植民地獲得競争(帝国主義)の仲間割れから「欧州大戦」に陥った。そこでアメリカ合州国はモンロー主義を捨てて、西洋的世界秩序にかぶさり、以後、世界統治に関与するようになる。
ただしそのとき、国内での抵抗が強かったため(古いヨーロッパなど捨ておけ、西半球の解放で十分だ…)、ウィルソン政権は参戦(海外派兵)のための強力なイデオロギーを打ち出さざるをえなかった。それが「アメリカの民主主義をヨーロッパへ」だった(アメリカの民主主義とは、国王や帝権を廃した民間企業家たちの独自政体だ)。
それ以来、アメリカの戦争(海外派兵)はたんなる権益をめぐる抗争ではなくイデオロギー戦争になる(そのためPR会社が活躍する)。第二次世界大戦は「ファシズムから民主主義を守る」、冷戦期は「共産主義対自由主義」(国家管理対私的所有権体制)、そうして冷戦後「西側の自由と民主主義」が勝利したことになって、グローバル市場一元化が達成されるとアメリカ原理(新自由主義)が規範のバッスク・アメリカーナの時代になる。だが、9・11で初めてアメリカ本土が襲撃され、「核抑止」体制そのものが破られたため、アメリカは「新たな敵」を「テロリスト」と指定し、人権の埒外においてグローバル規模でその殲滅戦を始める。いわゆる「テロとの戦争」だが、その構造はグローバル規模での「インディアン戦争」であり、無法を法とする超法規戦争だった。しかし、そのコストがあまりに高かったため(敵が見えないので限界も見えない)、バイデン政権のときにアメリカは、冷戦秩序を焼き直して「民主主義対専制主義」という対立図式を作り、「専制主義国の危険」で世界を戦争管理しようとする。
それが国際法秩序を抱え込んだアメリカ合衆国の振舞いだった。
○国連(UN)、第三世界、NATO
この間に国際法秩序の行方に関して重要なことが三つあった。
ひとつは国際連合の形成。これは破綻したウェストファリア体制の原理を変更して普遍化しようとするものだった。この西洋的国際法秩序は、主権国家の戦争権を軸に作られていたが、主要国がすべて産業化され、戦争になれば総動員・総力戦で双方に甚大な被害が出るうえに、原爆まで開発されてしまった。だから戦争を前提としては破滅の秩序しかできないというわけで、新しい国際法体制は「非戦」を原理とすることになった(ただし、それを最強国は受け入れないので「自衛のための戦争」だけは可とする)。さらに各国は国を超えて「人権」を擁護しなければならないことになった。そこから、相互承認・協調・互恵の原則が生まれる。
ただし、この体制は米ソの「冷戦」対立によって骨抜きにされていた。それを実質化しようとしたのが、旧西洋植民地から続々と独立したアジア・アフリカの国々だった。AA諸国は1955年に初めての会合を開く(バンドン会議)。そこにやがて、アメリカ合州国の「裏庭」とされた国々が加わり、「アジア・アフリカ・ラテンアメリカ諸国会議」となる。それまで世界秩序形成の主体となったことのなかったこの国々は、米ソいずれの超大国にも与せず「非同盟」の連携でそれぞれの国の独立・協調・発展のために協力する形をとった。後に言われる「第三世界」である。
その数の多さで国連体制のなかで重きを増してくると、ソ連の崩壊を見越した西側主要国は国連の外に「G7」を結成し、冷戦後の世界の「管理・運営」にあたろうとした。「西側」はそうて冷戦後にはその存在意義をなくそうとしたのである。その一方でアメリカは冷戦後も反ソ同盟NATOを解消しようとしなかった。それはEU諸国がロシア・中国と新たな関係を作り出して合州国を海の向こうに孤立させるようなことにならないよう、EUをつなぎとめるためである。だから冷戦後も「北大西洋同盟」は残って「西側」を支えることになった。
○トランプの「ドンロー主義」とは何か?
トランプ政権は「アメリカ・ファースト」を掲げて登場した。これは他の小国の「自国ファースト」と似ているようでじつはまったく違う。アメリカは「古いヨーロッパを延命させる世界統治などに関わって、持ち出しだけが多く自国の豊かさ強さは蝕まれてしまった。もう世界統治などには関わらない。国際法秩序などは関係ないのだ。アメリカはもともとその外部に出て、束縛を受けない"自由"を獲得したのだから」というモンロー主義回帰宣言なのである。
他の言い方をすれば、もはやイデオロギーで戦争の管理はやらない、強奪が「力の正義」だからだということだ(力で粉砕すれば敵はおとなしくなる。つまり「平和」になる。だからトランプは「ノーベル平和賞」を受ける資格があると思っている)。
「アメリカの衰退」はどこに現れているのか?アメリカ社会内部の脆弱化がその表れだが、何よりも明らかなのは、アメリカが「西側」の面倒を見ているうちに、古いチャイナが強く大きくなってしまったではないか、バイデンたちは「東アジア危機」とかを作って封じ込めようとしてきたけれど、もはや中国には関税もかけられないのが実情だ。つまり中国はもうアメリカが国際法のイデオロギーで抑え込める「敵」ではない。だからもう山賊・海賊同士のディールしかない、というわけだ。
だからアメリカは今や本来の「西半球」に注力する。そして「西半球」が「自由の領域」であることを足場に海賊船を出す、ということだ。ついでに言えば、中東は石油確保(国家としてというよりメジャー企業がそれで儲ける)ができればよいから、統治支配はイスラエルに任せる。何よりイスラエルは、先住民抹殺の上に「自由の国」を作ったアメリカと同じ原理を押し通す国だから。
カナダは51番目の州にするし、グリーンランドは北極圏を抑えるための要所、西半球の一部だ。これはEUが何といおうと(どうせ植民地支配じゃないか)金で「解放する」(ダボス会議でゴタゴタ言う連中をこうして初めから脅しておく)。
ベネズエラの石油は当然アメリカのもの、どんなことをしてでも「取り戻す」。力で脅せばみんなトランプ・アメリカになびかざるをえないだろうと。
○新たな「国際法秩序」の担い手
要するにトランプ・アメリカとは、その国家形成原理に立ち戻り、国際法秩序の「外」に出たアメリカなのである。
それを、「手のひらを返された」と思うEUは「法と秩序」とか「自由貿易」とか今さらのように言う。しかし、合州国の庇護のもとにEU諸国は世界ヘゲモニーを維持しようとしてきたが、植民地支配の遺産を食いつぶしてからは、地球温暖化の問題やデジタルIT化による社会解体などで、じつはもう世界をリードする力を実質的には失っている。にもかかわらず、G7などと称して世界統治のかじ取りを担うと主張してきたのである。
いま世界史規模で起きているのは米・欧が結んだ「西洋」の分裂と崩壊である。
そこで「国際法秩序」を最も必要として、それを尊重し尊重させざるを得ないのは、力で世界を制覇したことのない国々、するべくもない国々、「西洋的秩序」につごうよくとり込まれるか・あるいは締め出されてきた旧「第三世界」の国々である。それだけが今、国連を必要とし、国連を支えようとする(国連総会を軸にして)国々であり、「核抑止力」など持たないがゆえに国際法秩序を正統的に要求しうる勢力である。
アメリカという裁き手を名乗る強盗国家――「体制転換」のあられもない実態 ― 2026/01/04
権力の行使に歯止めがないトランプならほんとうにやりそうだが、軍事圧力をかけてベネズエラ国内の動揺と混乱を誘い(そのためにすでにCIAに作戦命令を出してある)、それを口実に米軍が「人道的介入」と称してマドゥロ政権制圧に乗り出してゆくのだろうと思っていたが、体裁を気にしない「無頼」の不動産屋トランプは、新年早々首都カラカス他に「大規模な」攻撃をしかけて、マドゥロ大統領夫妻を拘束し国外に拉致したという(発表はトランプがSNSで、ルビオは米国内で裁くと言っている――1989年のバナマのノリエガのときのように)。
これだけのことをされても(大国が強盗のように国に押し入って大統領を拉致した)、ベネズエラ(政府)はアメリカに対して宣戦布告するなどできない(圧倒的な軍事力の差、公式に戦争状態になればベネズエラはひとたまりもない)。国連に訴え、国際社会に米国のこの暴挙を抑えてもらうしかない。だが、ロシアがウクライナに侵攻したとき万雷の拍手でロシア非難を議決したように、とりわけ影響力をもつはずの「西側」諸国は米国を弾劾するだろうか? それにもともとアメリカは国連のパトロンのように振舞っている。
では、どうなるのか?ベネズエラ政府がマドゥロの臨時代行を立てても、アメリカがそれを認めなければ、軍事圧力や経済制裁が続き、統治機構がうまく働かなくなる。そこでノーベル賞のマチャドが、去年の大統領選で「勝った」と主張するスペイン亡命中のゴンザーレスを連れ戻して「正統大統領」とし、それをアメリカが承認して(すでに承認している)ベネズエラの「民主化」が果たされたとして、石油利権なども含めた新「安保」条約を結んで庇護下におく。そうすればベネズエラはチャベス登場以前の「親米国」になる。それがアメリカの描いている筋書きだろう(トランプのやり方は酷いが、ことがこう進めば誰も基本的に文句は言わない)。
コロンビアやメキシコが「主権侵害」を訴えトランプを非難してもトランプには痛くも痒くもない。ロシアやイランが批判しても両国はもともとアメリカにとって制裁の対象だ。では中国は?中国とてアメリカを抑える有効な手はないだろう(トランプを個人的に脅すことはできるかもしれないが)。エプスタイン文書問題や経済失政問題を抱えるトランプに「偉大なアメリカ」を示す格好のチャンスであるこのベネズエラ案件を諦めさせるのは至難のわざだろう。
となると、アメリカの筋書き通りになるしかないのか?だが、今のマドゥロ体制を支えてきたのは、その「強権支配」でも「独裁」でもなく、主権意識に目ざめた全国幾千ものコムーナに集う人々の活動である。コムーナは地域生活共同体で、その相互協力で多くの人びとの生活が成立ち、だからアメリカによる強力な経済制裁やコロナ封鎖があっても、多くの人びとが生き残ることができたのだ。個人の持てる者の自由の体制の下では貧困にあえぐしかなった貧民窟や地方の荒廃した農村の人びとは、小規模の地域生活共同体を組織することで、通常の経済システムとは相対的に自立した地域で社会生活を営むことができるようになったのだ。彼らはマチャドのような「野党」勢力代表がアメリカの後ろ盾で戻ってきたら、それこそ2002年にチャベスがクーデター派に拉致された時のように、全国から集まってその政権を倒すことだろう。だがその時には、アメリカに武装された「自由派政権」とコムーナの民衆との間で再び「内戦」が起こるだろう。その戦いにアメリカが「テロとの戦争」と称して再介入したら、ベネズエラの混乱は長く続くことになる(現代のベトナム戦争のようになるのだ)。
だからここは、アメリカが引くしかない(マドゥロ夫妻を返し、カリブ海に展開する軍も撤収する)が、トランプ(とルビオ、ヘグゼス)にかぎってそれはないだろう。アメリカ国内でその横紙破りの「違法性」に非難が高まり、エプスタイン文書の追及も相まってトランプが進退窮まらないかぎり。国連でも、ヨーロッパ諸国は「西半球」のことには口出ししにくいという米欧関係の歴史的事情もあり、ウクライナ問題と違ってヨーロッパの利害にじかに関わるわけではないから、トランプの機嫌をいたずらに損ねるのには躊躇するといったところだろう(それに以前から、ベネズエラの体制を「強権支配」だとして批判してきた)。
こんなことは、トランプ政権でマイアミ・マフィアのマルコ・ルビオが国務長官になったときから、そして夏以降カリブ海での動きが不穏になったときにはほぼ確実に予測されたことだ。とはいえトランプがこれほどあられもなく見境もなく抜け抜けとアメリカ大統領として「強盗行為」を仕掛けるとはさすがに思わなかった。それほどトランプが焦っている(歳も歳)ということでもあるだろうが、どんなに自分が見越していても、世に訴える手段もなく(メディアでは西側フェイクの情報ばかりが流れる)、この暴挙を実行を前に悲憤慨嘆するとともに、ただただベネズエラの人びとの巻き込まれる混乱を思うと、非力に胸潰れるばかりである。
*長周新聞「アメリカはなぜベネズエラを嫌うのか――ボリバル革命とコムーナ」(2025年11月7日)をぜひ参照されたい。
https://www.chosyu-journal.jp/kokusai/36290
これだけのことをされても(大国が強盗のように国に押し入って大統領を拉致した)、ベネズエラ(政府)はアメリカに対して宣戦布告するなどできない(圧倒的な軍事力の差、公式に戦争状態になればベネズエラはひとたまりもない)。国連に訴え、国際社会に米国のこの暴挙を抑えてもらうしかない。だが、ロシアがウクライナに侵攻したとき万雷の拍手でロシア非難を議決したように、とりわけ影響力をもつはずの「西側」諸国は米国を弾劾するだろうか? それにもともとアメリカは国連のパトロンのように振舞っている。
では、どうなるのか?ベネズエラ政府がマドゥロの臨時代行を立てても、アメリカがそれを認めなければ、軍事圧力や経済制裁が続き、統治機構がうまく働かなくなる。そこでノーベル賞のマチャドが、去年の大統領選で「勝った」と主張するスペイン亡命中のゴンザーレスを連れ戻して「正統大統領」とし、それをアメリカが承認して(すでに承認している)ベネズエラの「民主化」が果たされたとして、石油利権なども含めた新「安保」条約を結んで庇護下におく。そうすればベネズエラはチャベス登場以前の「親米国」になる。それがアメリカの描いている筋書きだろう(トランプのやり方は酷いが、ことがこう進めば誰も基本的に文句は言わない)。
コロンビアやメキシコが「主権侵害」を訴えトランプを非難してもトランプには痛くも痒くもない。ロシアやイランが批判しても両国はもともとアメリカにとって制裁の対象だ。では中国は?中国とてアメリカを抑える有効な手はないだろう(トランプを個人的に脅すことはできるかもしれないが)。エプスタイン文書問題や経済失政問題を抱えるトランプに「偉大なアメリカ」を示す格好のチャンスであるこのベネズエラ案件を諦めさせるのは至難のわざだろう。
となると、アメリカの筋書き通りになるしかないのか?だが、今のマドゥロ体制を支えてきたのは、その「強権支配」でも「独裁」でもなく、主権意識に目ざめた全国幾千ものコムーナに集う人々の活動である。コムーナは地域生活共同体で、その相互協力で多くの人びとの生活が成立ち、だからアメリカによる強力な経済制裁やコロナ封鎖があっても、多くの人びとが生き残ることができたのだ。個人の持てる者の自由の体制の下では貧困にあえぐしかなった貧民窟や地方の荒廃した農村の人びとは、小規模の地域生活共同体を組織することで、通常の経済システムとは相対的に自立した地域で社会生活を営むことができるようになったのだ。彼らはマチャドのような「野党」勢力代表がアメリカの後ろ盾で戻ってきたら、それこそ2002年にチャベスがクーデター派に拉致された時のように、全国から集まってその政権を倒すことだろう。だがその時には、アメリカに武装された「自由派政権」とコムーナの民衆との間で再び「内戦」が起こるだろう。その戦いにアメリカが「テロとの戦争」と称して再介入したら、ベネズエラの混乱は長く続くことになる(現代のベトナム戦争のようになるのだ)。
だからここは、アメリカが引くしかない(マドゥロ夫妻を返し、カリブ海に展開する軍も撤収する)が、トランプ(とルビオ、ヘグゼス)にかぎってそれはないだろう。アメリカ国内でその横紙破りの「違法性」に非難が高まり、エプスタイン文書の追及も相まってトランプが進退窮まらないかぎり。国連でも、ヨーロッパ諸国は「西半球」のことには口出ししにくいという米欧関係の歴史的事情もあり、ウクライナ問題と違ってヨーロッパの利害にじかに関わるわけではないから、トランプの機嫌をいたずらに損ねるのには躊躇するといったところだろう(それに以前から、ベネズエラの体制を「強権支配」だとして批判してきた)。
こんなことは、トランプ政権でマイアミ・マフィアのマルコ・ルビオが国務長官になったときから、そして夏以降カリブ海での動きが不穏になったときにはほぼ確実に予測されたことだ。とはいえトランプがこれほどあられもなく見境もなく抜け抜けとアメリカ大統領として「強盗行為」を仕掛けるとはさすがに思わなかった。それほどトランプが焦っている(歳も歳)ということでもあるだろうが、どんなに自分が見越していても、世に訴える手段もなく(メディアでは西側フェイクの情報ばかりが流れる)、この暴挙を実行を前に悲憤慨嘆するとともに、ただただベネズエラの人びとの巻き込まれる混乱を思うと、非力に胸潰れるばかりである。
*長周新聞「アメリカはなぜベネズエラを嫌うのか――ボリバル革命とコムーナ」(2025年11月7日)をぜひ参照されたい。
https://www.chosyu-journal.jp/kokusai/36290
グローバル世界の「パパ」―-「帝国」における神の代理人(2) ― 2025/04/26
グローバル世界の「パパ」―-「帝国」における神の代理人(2)
--ヨハネ・パウロ二世、カロル・ポイチワの墓銘に
(『世界』、2005年6月号掲載)
□カトリック教会の自己改革--第二バチカン公会議
ヨハネ・パウロ二世とは何だったのかといえば、彼は世界がグローバル化する時代に、カトリック教会のもてる潜在力を最大限に引き出し、教皇の地位と権威を担いきった人、ということになるだろう。もちろん彼は、キリスト教世界を越えて声望をかちえた。けれども、このような教皇を選んだのはバチカン自体なのである。その意味ではバチカンは、二〇世紀末に向かう世界でみずからが何をすればよいかを知っていたということである。事実、ヨハネ・パウロ二世の推進した諸宗教融和による平和の希求は、第二バチカン公会議で決定されたカトリック教会の大方針でもあった。
カトリック教会も戦争の世紀に大きな試練を受けた。ムッソリーニの時代にバチカンは主権国家(バチカン市国)としての地位を確保するが、第二次世界大戦では状況に翻弄されるだけだった。そして戦後、破滅の前に沈黙した神への失意から人びとは教会を離れ、かつての布教地だった旧植民地も次々に独立してゆく。その一方で核戦争の現実味が増し、人類の危機が論じられるようになった。そのようなときに、カトリック教会は命運をかけて「アジョルナメント(刷新)」を企てたのである。それが一九六二年に召集された第二バチカン公会議の目標だった。そこでは、現代の世界でカトリック教会は何でありうるのか、キリストを生き生きと証しすることができるのか、といった問いが真剣に論じられた。もちろん、教会の「現代化」の試みに対しては、改革派と保守派の対立はあり、その間の確執もあったようだが、会議途中で不帰の人となったヨハネ二三世の後を襲ったパウロ六世も、この方針を引き継いで公会議を終わりに導き、そこでキリスト教諸教会(カトリック、プロテスタント、東方オーソドクス)と、さらに輪を広げた諸宗教融和(エキュメニズム)の大方針がバチカンの公式に路線となった。
みずからの深刻な危機のなかで、これだけの自己改革を成しえたのはカトリック教会のもつ底力である。そのバチカンがパウロ六世の死後、ヨハネ・パウロ一世のわずか三ヶ月という短い在位を経て、若くして第二バチカン公会議に参加したポーランドの枢機卿カロル・ポイチワを「カトリック教会を新世紀に導く教皇」として選んだのである。
かつてはロシア正教に対峙するカトリックの北の牙城であり、ナチズムと戦争の惨禍を経験し、ヤルタ会談でソ連支配下に置かれたという、西洋の現代史を集約するような国、ポーランドから選ばれたこの教皇は、教会の危機を世界の危機に同調させうる資質をもち、グローバル化の波の中で指針を失う世界に、ひとつの灯明を掲げることができた。
もちろん、彼でなくてはなしえなかっただろうこともある。登位後の祖国訪問でわざわざアウシュヴィッツを訪れ、キリスト教世界が千年を超えてひきずってきた反ユダヤ主義を省みるという所作をとったのは、その地からほど遠くないクラカウ近郊に生まれ、ユダヤ人迫害を癒せぬ痛みとともに身近に経験してきたこの教皇ならではのことだっただろう。
また、キリスト教世界にとって「大聖年」とされた二千年の年、「記憶の浄化」の標語のもとに、かつて教皇の呼びかけで行われた十字軍によるイスラーム世界の侵略とその残虐行為を謝罪するという挙措は、厳密に言えば、教皇の責任を認めたものではないし、謝罪もイスラーム世界に対するというより、神に対して過ちを犯したというキリスト者としての謝罪であるとはいえ、バチカンによる公式の「罪の告白」であり、それ自体が世界を震撼させるに足るものだった。
ヨハネ・パウロ二世はこのように、キリスト教徒を代表してその過ちを神に謝罪することで、信仰することの根拠を守りつつ、この内向きの儀礼をバチカンの行事として公開することで、世界にカトリック教会の「自浄能力」を示し、イスラーム世界に向けてのメッセージとしたのである。だからこの挙措は、カトリックの信仰を高めると同時に、諸宗教融和に向けての呼びかけとなった。
それだけではない。二〇世紀の最後の十年は世界のいたるところ(とりわけ戦争の世紀の主役だった先進諸国)で、「戦争の記憶」が問われた時期だった。その中で、バチカンの示したこの挙措は、「過ち」をみずから認めることで自己刷新をはかり、それによって国際社会で正統性の認知をうるという範を示すことになった。教皇はそのような意味でも「正義」を体現することができたのである。それがヨハネ・パウロ二世の傑出した名声に寄与しいてる。
□唯一無二の「神の代理人」
けれども、このように諸宗教融和を説くことのできるのはカトリックの教皇だけだということに留意しておくべきだろう。キリスト教のうちでもカトリックだけが歴史に根ざしたこのような組織基盤をもち、教皇を擁している。プロテスタントは神との仲介を独占するカトリック教会のあり方を批判して、信仰の私事化をはかった。そのため統一的な組織基盤をもたない。また東方教会は、もともと各地の正教会が分立しており、ビザンツ帝国崩壊の後、ロシアがもっとも強力な正教会となったが、その総主教は単ロシア正教会の代表であるにすぎない。となると、全キリスト教会を代表して発言できるのはローマの教皇だけだとういことである。
それにまた他の諸宗教を見てみても、もともと神へと向かうヒエラルキーを組込んだ教会のような信者の組織をもつ宗教は他にはない(新興のカルト宗教は、その意味ではみなカトリック教会を模倣しているといってもよい)。教会とはキリスト教の比類ない発明なのである。たとえばイスラームは、教会ばかりか神に仕える聖職者というものをもたない。いるのは神の掟を解釈する法学者で、それには位階があるが、「神の代理人」をもって任ずる代表というものはいない。ユダヤ教にしてもそうである。
教皇が諸宗教の融和を説くときに、二つの段階がある。それはまずキリスト教の諸教会であり、ついでアブラハムの神に帰依する他の「経典の民」、つまりユダヤ教とイスラームであり、それは同じ唯一神を仰ぐ「信仰上の兄弟」とみなされる。エキュメニズムはそのように拡大されるが、さらにその末端に「信仰なき者たち」が並べられる。けれども「信仰なき者たち」というのは、裏を返せば「いつか神に(それもひとつの神に)帰依すべき者たち」でもある。つまりこの「エキュメニズム」の同心円は、あくまでキリスト教を中心に置いており、そのなかでも中心を占めるのが、唯一キリスト信仰を統括す正統組織たるカトリック教会であって、教皇はそのヒエラルキーの頂点にいる。そして教皇だけが、このような組織に支えられて「神の代理人」を任じている。世界を見わたしてもこのような抜きん出た資格をもつ宗教代表者は他にいない。言い換えれば、諸宗教融和をあらゆる宗教諸派に呼びかけ、みずからその集いを主宰できるのは、他のどんな宗派の代表者でもなく、ローマ教皇ただ一人なのである。
それほど教皇の地位は特権的である。そしてこの地位はグローバル化した世界でとりわけ有効にはたらく。というのも、近代の国民国家が「祖国のために死ぬ」を信仰箇条とするナショナリズムという世俗的「信仰」の「教会=信仰共同体」であったとするならば、国民国家への「帰依」によって信者を奪われていたカトリック教会は、グローバル化のなかで国家が求心力を減衰させ、市場と国際機関とに権力を委ねてゆく状況のなかで、国家を超えた普遍的権威として再びその存在理由を見出すからである。国家が経済の調整や安全管理にその役割を限定しようとしてゆくとき、競争に委ねられる人びとに希望や保護を与える役割は放棄されるから。そこに国境を越えた救済のための共同体として、カトリック教会はみずからに相応しい役割を見出すことにな。だからバチカンは、いわゆる市場原理主義を批判して、貧困や不正に打ち棄てられる人びとを保護しようとするのである。
□「世界を作り変える」--グローバル化の先駆
それに実は「グローバル化」とは、元来カトリック教会が構想したものだった。フランスの法制史家ピエール・ルジャンドルがしばしば喚起しているように、「世界を根底から作り変える」とは、中世の教皇権の絶頂期にカトリック教会の謳った使命だった。信仰の用語で言えば「全世界を改宗させる」ということになる。その大事業は宗教改革と「新大陸の発見」の二重の衝撃のもとで、本格的に始まったのである。その結果、南アメリカもアフリカもアジアの一部もカトリックに帰依することになり、教会はそれらの地域に神の光をもたらすとともに、その地の「無信仰者」たちを神のもとにひざまづかせたのである。カトリックは単に世界に広まっただけではなく、神の「真理」によって「世界を作り変えた」のであり、その後西洋から世界に広まる「革命」の思想や「民主化」の思想は、みなこの「世界改造」のモデルに従っている。二十一世紀の今、ブッシュ政権が公然と掲げる「民主化」の戦略の背後にも、このように「世界を作り変えることができる」という想定がある。
もちろんこの「世界改造」は、単なる武力による征服ではなく、「神の啓示」による「普遍的(カトリックの)真理」のもとに世界を書き換えてゆくことだ。すでに西洋の普遍化によって、世界は半ば書き換えられている。要は現代の世界に、キリストをいかに生き生きと証してみせるかということだが、その務めを「空飛ぶ教皇」は、世界のいたるところに臨在することで果たしたのである。これだけの思想と戦略をもち、長い歴史の遺産を散逸させることなく、自己刷新によってそれを再び賦活しえた組織はもちろん他にはない。まさしくただ一人の「パパ」は、「キリスト教徒すべてのパパ」なのだが、原理的には「人類すべてのパパ」なのである。
その「パパ」に対して日本の歴史学者が作り出した「教皇」という呼称は、「パパ」の制度的本質を言い当てていて妙である。つまりこの地位は、中世に西ヨーロッパでローマ法の復興が起こったとき、教会の最高権威をかつてのローマ帝国の皇帝になぞらえて作られたものだからだ(ルジャンドル『西洋が西洋について見ずにいること』など参照)。信仰の世界(教会)における皇帝、というその地位を、教皇という呼称は的確に表現している。そしてそこには、信仰の「真理」の領する広がりが「帝国」とみなされることも示唆されている。
だとすると、市場のグローバル化をベースに、世界がひとつの力の秩序に統合されようとしているとき、その市場の「平和」のために不断の戦争(「テロとの戦争」)を展開する軍事的権力が一方にあるとすると、その力の論理を牽制するもうひとつの権威があるという構図が浮かび上がってくる。力によって一元化される世界の内的秩序を「帝国」と呼ぶとするなら、この「帝国」には二つの車輪があり、ひとつがアメリカ大統領、もうひとつがローマの教皇ということになる。それが当を得た言い方かどうかはわからないが、少なくともカトリック教会は、市場よりも先にひとつの原理によるグローバル化に乗り出しており、数世紀にわたってその動きを先導していたのである。
教皇ヨハネ・パウロ二世は、カトリック教会の「アジョルナメント」の意味をおそらくもっともよく理解した人物でもあった。それは単に、教会の方針を時代の趨勢に合わせて変えてゆくことではない。そうではなく、ドグマ性に支えられる教会の本質を理解しつつ、世界の深い要請(人びとの救済の要請)にあくまでカトリックの長として対応してゆくということだ。
□カロル・ボイチワの墓
ヨハネ・パウロ二世の「功績」を、傑出した一個人のそれとして語ることはできない。彼はあくまで無比の信仰の制度に支えられ、それを担った存在だった。ただ、その背後には、「聖座」に身を捧げることで「墓場なき死者」となったカロル・ポイチワという一人の人物がいた。
コンクラーベ(教皇選出選挙)のためにローマに発つ前夜、ボイチワ枢機卿は、通いなれたワルシャワのとある教会の冷たい石の床に身を横たえて、両腕を広げ十字に伏せって一夜そのままの姿で祈り続けたという。それは、教皇に選ばれる(あるいは教皇を選ぶ)とほうもない責任に備え、身を打ちひしぐ苦悩に耐えて世界の重みを測る姿であったようにも思われる。その夜を境として、カロル・ポイチワというひとりの人物は死んだと言っていいだろう。教皇になるとは、おそらく彼にとって、キリスト教世界を睥睨するバチカンの頂点に昇りつめるということであるよりも、一一億といわれる信者の集うカトリックの全組織を担いその権威を維持し高めねばならない、唯一無二の重大な職務に身を捧げきることだった。つまり教皇になること自体が、カロル・ポイチワにとってはほかならぬ教会への殉教だったと言ってもよく、ヨハネ・パウロ二世とはすでに彼の「死後」の姿だったのである。
無私の教皇として、凶弾を受けても世界を旅し続け、命あるかぎり「神の代理人」としての姿を人びとに見せ続けたのは、ヨハネ・パウロ二世であってカロル・ボイチワではない。そして、教皇ヨハネ・パウロ二世の墓は作られるが、カロル・ポイチワに墓はない。
--ヨハネ・パウロ二世、カロル・ポイチワの墓銘に
(『世界』、2005年6月号掲載)
□カトリック教会の自己改革--第二バチカン公会議
ヨハネ・パウロ二世とは何だったのかといえば、彼は世界がグローバル化する時代に、カトリック教会のもてる潜在力を最大限に引き出し、教皇の地位と権威を担いきった人、ということになるだろう。もちろん彼は、キリスト教世界を越えて声望をかちえた。けれども、このような教皇を選んだのはバチカン自体なのである。その意味ではバチカンは、二〇世紀末に向かう世界でみずからが何をすればよいかを知っていたということである。事実、ヨハネ・パウロ二世の推進した諸宗教融和による平和の希求は、第二バチカン公会議で決定されたカトリック教会の大方針でもあった。
カトリック教会も戦争の世紀に大きな試練を受けた。ムッソリーニの時代にバチカンは主権国家(バチカン市国)としての地位を確保するが、第二次世界大戦では状況に翻弄されるだけだった。そして戦後、破滅の前に沈黙した神への失意から人びとは教会を離れ、かつての布教地だった旧植民地も次々に独立してゆく。その一方で核戦争の現実味が増し、人類の危機が論じられるようになった。そのようなときに、カトリック教会は命運をかけて「アジョルナメント(刷新)」を企てたのである。それが一九六二年に召集された第二バチカン公会議の目標だった。そこでは、現代の世界でカトリック教会は何でありうるのか、キリストを生き生きと証しすることができるのか、といった問いが真剣に論じられた。もちろん、教会の「現代化」の試みに対しては、改革派と保守派の対立はあり、その間の確執もあったようだが、会議途中で不帰の人となったヨハネ二三世の後を襲ったパウロ六世も、この方針を引き継いで公会議を終わりに導き、そこでキリスト教諸教会(カトリック、プロテスタント、東方オーソドクス)と、さらに輪を広げた諸宗教融和(エキュメニズム)の大方針がバチカンの公式に路線となった。
みずからの深刻な危機のなかで、これだけの自己改革を成しえたのはカトリック教会のもつ底力である。そのバチカンがパウロ六世の死後、ヨハネ・パウロ一世のわずか三ヶ月という短い在位を経て、若くして第二バチカン公会議に参加したポーランドの枢機卿カロル・ポイチワを「カトリック教会を新世紀に導く教皇」として選んだのである。
かつてはロシア正教に対峙するカトリックの北の牙城であり、ナチズムと戦争の惨禍を経験し、ヤルタ会談でソ連支配下に置かれたという、西洋の現代史を集約するような国、ポーランドから選ばれたこの教皇は、教会の危機を世界の危機に同調させうる資質をもち、グローバル化の波の中で指針を失う世界に、ひとつの灯明を掲げることができた。
もちろん、彼でなくてはなしえなかっただろうこともある。登位後の祖国訪問でわざわざアウシュヴィッツを訪れ、キリスト教世界が千年を超えてひきずってきた反ユダヤ主義を省みるという所作をとったのは、その地からほど遠くないクラカウ近郊に生まれ、ユダヤ人迫害を癒せぬ痛みとともに身近に経験してきたこの教皇ならではのことだっただろう。
また、キリスト教世界にとって「大聖年」とされた二千年の年、「記憶の浄化」の標語のもとに、かつて教皇の呼びかけで行われた十字軍によるイスラーム世界の侵略とその残虐行為を謝罪するという挙措は、厳密に言えば、教皇の責任を認めたものではないし、謝罪もイスラーム世界に対するというより、神に対して過ちを犯したというキリスト者としての謝罪であるとはいえ、バチカンによる公式の「罪の告白」であり、それ自体が世界を震撼させるに足るものだった。
ヨハネ・パウロ二世はこのように、キリスト教徒を代表してその過ちを神に謝罪することで、信仰することの根拠を守りつつ、この内向きの儀礼をバチカンの行事として公開することで、世界にカトリック教会の「自浄能力」を示し、イスラーム世界に向けてのメッセージとしたのである。だからこの挙措は、カトリックの信仰を高めると同時に、諸宗教融和に向けての呼びかけとなった。
それだけではない。二〇世紀の最後の十年は世界のいたるところ(とりわけ戦争の世紀の主役だった先進諸国)で、「戦争の記憶」が問われた時期だった。その中で、バチカンの示したこの挙措は、「過ち」をみずから認めることで自己刷新をはかり、それによって国際社会で正統性の認知をうるという範を示すことになった。教皇はそのような意味でも「正義」を体現することができたのである。それがヨハネ・パウロ二世の傑出した名声に寄与しいてる。
□唯一無二の「神の代理人」
けれども、このように諸宗教融和を説くことのできるのはカトリックの教皇だけだということに留意しておくべきだろう。キリスト教のうちでもカトリックだけが歴史に根ざしたこのような組織基盤をもち、教皇を擁している。プロテスタントは神との仲介を独占するカトリック教会のあり方を批判して、信仰の私事化をはかった。そのため統一的な組織基盤をもたない。また東方教会は、もともと各地の正教会が分立しており、ビザンツ帝国崩壊の後、ロシアがもっとも強力な正教会となったが、その総主教は単ロシア正教会の代表であるにすぎない。となると、全キリスト教会を代表して発言できるのはローマの教皇だけだとういことである。
それにまた他の諸宗教を見てみても、もともと神へと向かうヒエラルキーを組込んだ教会のような信者の組織をもつ宗教は他にはない(新興のカルト宗教は、その意味ではみなカトリック教会を模倣しているといってもよい)。教会とはキリスト教の比類ない発明なのである。たとえばイスラームは、教会ばかりか神に仕える聖職者というものをもたない。いるのは神の掟を解釈する法学者で、それには位階があるが、「神の代理人」をもって任ずる代表というものはいない。ユダヤ教にしてもそうである。
教皇が諸宗教の融和を説くときに、二つの段階がある。それはまずキリスト教の諸教会であり、ついでアブラハムの神に帰依する他の「経典の民」、つまりユダヤ教とイスラームであり、それは同じ唯一神を仰ぐ「信仰上の兄弟」とみなされる。エキュメニズムはそのように拡大されるが、さらにその末端に「信仰なき者たち」が並べられる。けれども「信仰なき者たち」というのは、裏を返せば「いつか神に(それもひとつの神に)帰依すべき者たち」でもある。つまりこの「エキュメニズム」の同心円は、あくまでキリスト教を中心に置いており、そのなかでも中心を占めるのが、唯一キリスト信仰を統括す正統組織たるカトリック教会であって、教皇はそのヒエラルキーの頂点にいる。そして教皇だけが、このような組織に支えられて「神の代理人」を任じている。世界を見わたしてもこのような抜きん出た資格をもつ宗教代表者は他にいない。言い換えれば、諸宗教融和をあらゆる宗教諸派に呼びかけ、みずからその集いを主宰できるのは、他のどんな宗派の代表者でもなく、ローマ教皇ただ一人なのである。
それほど教皇の地位は特権的である。そしてこの地位はグローバル化した世界でとりわけ有効にはたらく。というのも、近代の国民国家が「祖国のために死ぬ」を信仰箇条とするナショナリズムという世俗的「信仰」の「教会=信仰共同体」であったとするならば、国民国家への「帰依」によって信者を奪われていたカトリック教会は、グローバル化のなかで国家が求心力を減衰させ、市場と国際機関とに権力を委ねてゆく状況のなかで、国家を超えた普遍的権威として再びその存在理由を見出すからである。国家が経済の調整や安全管理にその役割を限定しようとしてゆくとき、競争に委ねられる人びとに希望や保護を与える役割は放棄されるから。そこに国境を越えた救済のための共同体として、カトリック教会はみずからに相応しい役割を見出すことにな。だからバチカンは、いわゆる市場原理主義を批判して、貧困や不正に打ち棄てられる人びとを保護しようとするのである。
□「世界を作り変える」--グローバル化の先駆
それに実は「グローバル化」とは、元来カトリック教会が構想したものだった。フランスの法制史家ピエール・ルジャンドルがしばしば喚起しているように、「世界を根底から作り変える」とは、中世の教皇権の絶頂期にカトリック教会の謳った使命だった。信仰の用語で言えば「全世界を改宗させる」ということになる。その大事業は宗教改革と「新大陸の発見」の二重の衝撃のもとで、本格的に始まったのである。その結果、南アメリカもアフリカもアジアの一部もカトリックに帰依することになり、教会はそれらの地域に神の光をもたらすとともに、その地の「無信仰者」たちを神のもとにひざまづかせたのである。カトリックは単に世界に広まっただけではなく、神の「真理」によって「世界を作り変えた」のであり、その後西洋から世界に広まる「革命」の思想や「民主化」の思想は、みなこの「世界改造」のモデルに従っている。二十一世紀の今、ブッシュ政権が公然と掲げる「民主化」の戦略の背後にも、このように「世界を作り変えることができる」という想定がある。
もちろんこの「世界改造」は、単なる武力による征服ではなく、「神の啓示」による「普遍的(カトリックの)真理」のもとに世界を書き換えてゆくことだ。すでに西洋の普遍化によって、世界は半ば書き換えられている。要は現代の世界に、キリストをいかに生き生きと証してみせるかということだが、その務めを「空飛ぶ教皇」は、世界のいたるところに臨在することで果たしたのである。これだけの思想と戦略をもち、長い歴史の遺産を散逸させることなく、自己刷新によってそれを再び賦活しえた組織はもちろん他にはない。まさしくただ一人の「パパ」は、「キリスト教徒すべてのパパ」なのだが、原理的には「人類すべてのパパ」なのである。
その「パパ」に対して日本の歴史学者が作り出した「教皇」という呼称は、「パパ」の制度的本質を言い当てていて妙である。つまりこの地位は、中世に西ヨーロッパでローマ法の復興が起こったとき、教会の最高権威をかつてのローマ帝国の皇帝になぞらえて作られたものだからだ(ルジャンドル『西洋が西洋について見ずにいること』など参照)。信仰の世界(教会)における皇帝、というその地位を、教皇という呼称は的確に表現している。そしてそこには、信仰の「真理」の領する広がりが「帝国」とみなされることも示唆されている。
だとすると、市場のグローバル化をベースに、世界がひとつの力の秩序に統合されようとしているとき、その市場の「平和」のために不断の戦争(「テロとの戦争」)を展開する軍事的権力が一方にあるとすると、その力の論理を牽制するもうひとつの権威があるという構図が浮かび上がってくる。力によって一元化される世界の内的秩序を「帝国」と呼ぶとするなら、この「帝国」には二つの車輪があり、ひとつがアメリカ大統領、もうひとつがローマの教皇ということになる。それが当を得た言い方かどうかはわからないが、少なくともカトリック教会は、市場よりも先にひとつの原理によるグローバル化に乗り出しており、数世紀にわたってその動きを先導していたのである。
教皇ヨハネ・パウロ二世は、カトリック教会の「アジョルナメント」の意味をおそらくもっともよく理解した人物でもあった。それは単に、教会の方針を時代の趨勢に合わせて変えてゆくことではない。そうではなく、ドグマ性に支えられる教会の本質を理解しつつ、世界の深い要請(人びとの救済の要請)にあくまでカトリックの長として対応してゆくということだ。
□カロル・ボイチワの墓
ヨハネ・パウロ二世の「功績」を、傑出した一個人のそれとして語ることはできない。彼はあくまで無比の信仰の制度に支えられ、それを担った存在だった。ただ、その背後には、「聖座」に身を捧げることで「墓場なき死者」となったカロル・ポイチワという一人の人物がいた。
コンクラーベ(教皇選出選挙)のためにローマに発つ前夜、ボイチワ枢機卿は、通いなれたワルシャワのとある教会の冷たい石の床に身を横たえて、両腕を広げ十字に伏せって一夜そのままの姿で祈り続けたという。それは、教皇に選ばれる(あるいは教皇を選ぶ)とほうもない責任に備え、身を打ちひしぐ苦悩に耐えて世界の重みを測る姿であったようにも思われる。その夜を境として、カロル・ポイチワというひとりの人物は死んだと言っていいだろう。教皇になるとは、おそらく彼にとって、キリスト教世界を睥睨するバチカンの頂点に昇りつめるということであるよりも、一一億といわれる信者の集うカトリックの全組織を担いその権威を維持し高めねばならない、唯一無二の重大な職務に身を捧げきることだった。つまり教皇になること自体が、カロル・ポイチワにとってはほかならぬ教会への殉教だったと言ってもよく、ヨハネ・パウロ二世とはすでに彼の「死後」の姿だったのである。
無私の教皇として、凶弾を受けても世界を旅し続け、命あるかぎり「神の代理人」としての姿を人びとに見せ続けたのは、ヨハネ・パウロ二世であってカロル・ボイチワではない。そして、教皇ヨハネ・パウロ二世の墓は作られるが、カロル・ポイチワに墓はない。
グローバル世界の「パパ」―-「帝国」における神の代理人(1) ― 2025/04/26
今日、教皇フランシスコの葬儀が行われている。ローマ教皇の代替わりは今ではこれほどの出来事になる。これは世紀を超えて教皇座にあったヨハネ・パウロ二世以来のことである。ヨハネ・パウロ二世の逝去に際して、世界がグローバル化と言われる現代において、不思議な復活を果たしたローマ教皇の地位について、一考をまとめたことがある。これを再掲しておきたい。二回に分ける。
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グローバル世界の「パパ」―-「帝国」における神の代理人(1)
--ヨハネ・パウロ二世、カロル・ポイチワの墓銘に
(『世界』、2005年6月号掲載)
□「空飛ぶ聖座」
四月八日にバチカンで執り行われたヨハネ・パウロニ世の葬儀では、世界の主要国の元首や諸宗教の指導者たちをはじめとして、三百万におよぶ人びとがローマに集ったと伝えられる。この異例の参集を見ると、亡くなった教皇の傑出した存在があらためて際立ってくる。けれどもこれは、考えてみれば不思議なことでもある。
近代は世俗化の時代だと言われた。キリスト教的伝統に立つ社会では、信仰は私事とされて公共の政治の場からは退き、教会の役割も後退して、とりわけ二〇世紀の世界の動向にはほとんど影響力をもたなかった。ところが、最近のこの教皇は、グローバル化の進む世界で、あらゆる国の政治指導者をしのぐほどの声望をもつにいたったのである。
世界的に「宗教の回帰」が語られるが、そのときしばしば話題になるのはイスラーム原理主義の台頭と、それによる政治の宗教化だ。けれども、宗教が回帰しているのはイスラーム世界ばかりでなく、「文明」を自称するキリスト教世界でも同じだということが、この教皇のもちえた影響力に表れている。ヨハネ・パウロ二世はひとりの人格として声望を集めたわけではない。彼はカトリック教会の首長であり、信仰に支えられた一世界の代表者だったのである。
「空飛ぶ聖座」という表現がある。バチカンの聖座はもともとバチカンにあり、人びとがそこに足を運んで謁見を求めるべきものだった。けれども五八歳で登位したこの教皇は、百回を超える空の旅をし、世界のいたるところにみずから体を運んだ。そうして彼は、信仰の希薄化が言われる世界の各地に「聖座」を臨在させたのである。ヨハネ・パウロ二世の「革新性」があるとすれば、他のどこにでもなくこの点にあるといってよいだろう。教皇がここにいるという出来事は、そのつどその地のカトリック(だけでなくラテン・キリスト教)信仰を賦活し、救済の希望に息を吹き込んで、バチカンの存在を世界の表面に浮上させた。
多くの信者たちの集まる教皇の訪問は、そのつど大きなイヴェントとなって世界に放映された。この教皇はいつも、権威を表す荘重な装束ではなく、軽やかな明るい色の法衣をまとって登場する。そして何を語るかということにもまして、彼がそこに身を運ぶということ、そこで祈るということ自体が、強い象徴的な意味をもって作用した。アイドルという言葉はもともと神の像を意味するギリシア語由来の宗教用語だが、ヨハネ・パウロ二世こそは文字通りの「アイドル」であり、現代最高のスーパー・スターだったとも言える。その生身の体の移動は最上のスペクタクルとなり、それがカトリック教会の求心力を高めるのにこの上なく貢献したのである。
各地の歴訪によって彼はいたるところに救済の希望をもち運んだ。その影響力がカトリック圏ばかりかキリスト教世界を越えて広まったのは、彼が冷戦後の世界でとりわけ諸宗教の融和や和解を説いて平和を訴え、みずからの祈りを、現代世界の多くの人びとの願いや希望と重ね合わせることができたからである。もちろん、そのような教皇は史上に類を見ない。
□ドグマの体現者としての教皇
けれどもその教皇は、一方ではきわめて保守的で、女性が聖職者になることを頑なに拒み、人工妊娠中絶や、エイズを避けるための避妊も認めず、同性愛も容認しなかった。そのため、若者たちを教会から離反させているといった批判を受けてきた。一方で、世界に向けては「開かれた」融和の姿勢を示し、「力の正義」に対して「言葉の正義」をあくまで貫くことで、イラク戦争開戦時には世界の反戦的世論の後ろ盾ともなったこの教皇が、教義に関して強固な保守性を示すのは、一見すると相容れないと見えるかもしれない。けれども、それが「矛盾」と見えるのは、「進歩的」ないしは「民主的」であることを、そのまま「世情に照らして望ましい」とみなす、一般的風潮への「順応主義」にとってだけだろう。教皇にとっては「正義」を果たすことと、教義の根本原則を守ることとは、同じひとつのことだったのだ。
ヨハネ・パウロ二世が、出身地ポーランドのカトリックの特質を引き継いでマリア信仰を重んじ、「秘蹟」を信じる神秘主義的傾向をもっていたことはよく知られている。聖母出現の伝説の地ルルドを神聖視し、ポルトガルのファティマの予言にも重要な意味を与えていた。八一年五月に起こった教皇狙撃事件についても、最近になって旧東側の諜報機関の関与が明らかにされたが、世俗的な事実関係がどうであれ、教皇はそれを超える解釈体系をもち(封印されていたファティマの予言の三つ目のものがそれだということ)、彼が深く信じていたのはそちらの方だった。だから彼は、運命の「手」となって罪を犯した犯人を心の底から赦すことができ、そのことに犯人もまた動かされたのである。
そうした深い信仰があればこそ、彼は老いてなお各地に赴き、病を抱えたその身を受難の具現のごとくさらしながら、世界に臨在する教皇としての務めを果たしえたのだろう。そしてその信念によって、イラク戦争前夜には、その影響力とバチカンのもてるあらゆる手段を動員し、アメリカの力の政策の前に立ちふさがった。それができたのは、「教皇」なればこそのことだ。そして教皇とは、カトリック教会の最高権威であり、カトリックとは他でもない、ドグマに対する信仰を軸とした制度的組織なのである。
キリスト教は典型的にドグマ的な宗教だが、神と子と聖霊の「三位一体」という基本的ドグマの背後には、マリアの「無原罪懐妊」というもうひとつのドグマが控えている。ここに言う「原罪」とは生殖行為のことである。つまり、人が生まれながらに負っている「原罪」とは、あらゆる人間が男女の性行為によって生まれてきたということである。そのことを免れえない「原罪」とみなし、万人に罪びとの条件を課しておいて、そこからの救済を約束するのが神への信仰だとするのがキリスト教の基本教義である。
そのドグマを「不合理ゆえに我信ず」として呑み込むところに信仰は成立する。合理的に理解できることなら、それは理解することで足り、信じる必要はない。理解を超えた不合理だからこそ信じなければならず、それを信じる者たちによって「教会」は構成されるのである。つまり教会とは不合理なドグマを担うことで成り立つ信仰の組織なのであり、だとすれば、信仰厚く、それゆえに比類ない信望をえたヨハネ・パウロ二世が、かつてキリスト教会の不倶戴天の敵だった啓蒙思想の延長にある「性の自由化」や「男女平等」を、「誤った道」として認めないのは当然のことだろう。
日本ではバチカンの聖座に座る者を「教皇」とか「ローマ法王」と呼び、そこに性別の明示はない。けれどもこの人物はイタリアでは「パパ」と呼ばれ、フランス語では「パップ」、英語なら「ポープ」である。「パパ」はもとはギリシア語の「パパス(父)」からきており、ラテン語の「パーテル(父)」ともつながっている。それだけでなく、「パパ」の権威のもとにある教会の聖職者はみな「パーテル(父、日本では教父とか神父と呼ぶ)」である。そしてなにより神はキリストの「父」とされている。ここにはもともと「女」の入る余地はなく、それがこの「教会」という秩序、神と救いを求める人びととの仲立ちをする「教会」という組織の基本的なあり方なのである。
ヨハネ・パウロ二世は敬愛するが、彼の「保守性」は認められない、といった見方は、「教会」というものと「教皇」のなんたるかを見誤っていると言うべきだろう。彼はあくまでカトリック教会の長であり、カトリック教会は信仰のドグマの上に成り立つ組織であって、単なる慈善団体でも社会福祉機関でもない。カトリック教会が「性の自由」に寛容になったとすれば、それは教会の拠って立つ根拠そのものを揺るがせにすることになり、結局は信仰の秩序を弛緩させてカトリック教会の衰弱を招くことになるだろう。(つづく)
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グローバル世界の「パパ」―-「帝国」における神の代理人(1)
--ヨハネ・パウロ二世、カロル・ポイチワの墓銘に
(『世界』、2005年6月号掲載)
□「空飛ぶ聖座」
四月八日にバチカンで執り行われたヨハネ・パウロニ世の葬儀では、世界の主要国の元首や諸宗教の指導者たちをはじめとして、三百万におよぶ人びとがローマに集ったと伝えられる。この異例の参集を見ると、亡くなった教皇の傑出した存在があらためて際立ってくる。けれどもこれは、考えてみれば不思議なことでもある。
近代は世俗化の時代だと言われた。キリスト教的伝統に立つ社会では、信仰は私事とされて公共の政治の場からは退き、教会の役割も後退して、とりわけ二〇世紀の世界の動向にはほとんど影響力をもたなかった。ところが、最近のこの教皇は、グローバル化の進む世界で、あらゆる国の政治指導者をしのぐほどの声望をもつにいたったのである。
世界的に「宗教の回帰」が語られるが、そのときしばしば話題になるのはイスラーム原理主義の台頭と、それによる政治の宗教化だ。けれども、宗教が回帰しているのはイスラーム世界ばかりでなく、「文明」を自称するキリスト教世界でも同じだということが、この教皇のもちえた影響力に表れている。ヨハネ・パウロ二世はひとりの人格として声望を集めたわけではない。彼はカトリック教会の首長であり、信仰に支えられた一世界の代表者だったのである。
「空飛ぶ聖座」という表現がある。バチカンの聖座はもともとバチカンにあり、人びとがそこに足を運んで謁見を求めるべきものだった。けれども五八歳で登位したこの教皇は、百回を超える空の旅をし、世界のいたるところにみずから体を運んだ。そうして彼は、信仰の希薄化が言われる世界の各地に「聖座」を臨在させたのである。ヨハネ・パウロ二世の「革新性」があるとすれば、他のどこにでもなくこの点にあるといってよいだろう。教皇がここにいるという出来事は、そのつどその地のカトリック(だけでなくラテン・キリスト教)信仰を賦活し、救済の希望に息を吹き込んで、バチカンの存在を世界の表面に浮上させた。
多くの信者たちの集まる教皇の訪問は、そのつど大きなイヴェントとなって世界に放映された。この教皇はいつも、権威を表す荘重な装束ではなく、軽やかな明るい色の法衣をまとって登場する。そして何を語るかということにもまして、彼がそこに身を運ぶということ、そこで祈るということ自体が、強い象徴的な意味をもって作用した。アイドルという言葉はもともと神の像を意味するギリシア語由来の宗教用語だが、ヨハネ・パウロ二世こそは文字通りの「アイドル」であり、現代最高のスーパー・スターだったとも言える。その生身の体の移動は最上のスペクタクルとなり、それがカトリック教会の求心力を高めるのにこの上なく貢献したのである。
各地の歴訪によって彼はいたるところに救済の希望をもち運んだ。その影響力がカトリック圏ばかりかキリスト教世界を越えて広まったのは、彼が冷戦後の世界でとりわけ諸宗教の融和や和解を説いて平和を訴え、みずからの祈りを、現代世界の多くの人びとの願いや希望と重ね合わせることができたからである。もちろん、そのような教皇は史上に類を見ない。
□ドグマの体現者としての教皇
けれどもその教皇は、一方ではきわめて保守的で、女性が聖職者になることを頑なに拒み、人工妊娠中絶や、エイズを避けるための避妊も認めず、同性愛も容認しなかった。そのため、若者たちを教会から離反させているといった批判を受けてきた。一方で、世界に向けては「開かれた」融和の姿勢を示し、「力の正義」に対して「言葉の正義」をあくまで貫くことで、イラク戦争開戦時には世界の反戦的世論の後ろ盾ともなったこの教皇が、教義に関して強固な保守性を示すのは、一見すると相容れないと見えるかもしれない。けれども、それが「矛盾」と見えるのは、「進歩的」ないしは「民主的」であることを、そのまま「世情に照らして望ましい」とみなす、一般的風潮への「順応主義」にとってだけだろう。教皇にとっては「正義」を果たすことと、教義の根本原則を守ることとは、同じひとつのことだったのだ。
ヨハネ・パウロ二世が、出身地ポーランドのカトリックの特質を引き継いでマリア信仰を重んじ、「秘蹟」を信じる神秘主義的傾向をもっていたことはよく知られている。聖母出現の伝説の地ルルドを神聖視し、ポルトガルのファティマの予言にも重要な意味を与えていた。八一年五月に起こった教皇狙撃事件についても、最近になって旧東側の諜報機関の関与が明らかにされたが、世俗的な事実関係がどうであれ、教皇はそれを超える解釈体系をもち(封印されていたファティマの予言の三つ目のものがそれだということ)、彼が深く信じていたのはそちらの方だった。だから彼は、運命の「手」となって罪を犯した犯人を心の底から赦すことができ、そのことに犯人もまた動かされたのである。
そうした深い信仰があればこそ、彼は老いてなお各地に赴き、病を抱えたその身を受難の具現のごとくさらしながら、世界に臨在する教皇としての務めを果たしえたのだろう。そしてその信念によって、イラク戦争前夜には、その影響力とバチカンのもてるあらゆる手段を動員し、アメリカの力の政策の前に立ちふさがった。それができたのは、「教皇」なればこそのことだ。そして教皇とは、カトリック教会の最高権威であり、カトリックとは他でもない、ドグマに対する信仰を軸とした制度的組織なのである。
キリスト教は典型的にドグマ的な宗教だが、神と子と聖霊の「三位一体」という基本的ドグマの背後には、マリアの「無原罪懐妊」というもうひとつのドグマが控えている。ここに言う「原罪」とは生殖行為のことである。つまり、人が生まれながらに負っている「原罪」とは、あらゆる人間が男女の性行為によって生まれてきたということである。そのことを免れえない「原罪」とみなし、万人に罪びとの条件を課しておいて、そこからの救済を約束するのが神への信仰だとするのがキリスト教の基本教義である。
そのドグマを「不合理ゆえに我信ず」として呑み込むところに信仰は成立する。合理的に理解できることなら、それは理解することで足り、信じる必要はない。理解を超えた不合理だからこそ信じなければならず、それを信じる者たちによって「教会」は構成されるのである。つまり教会とは不合理なドグマを担うことで成り立つ信仰の組織なのであり、だとすれば、信仰厚く、それゆえに比類ない信望をえたヨハネ・パウロ二世が、かつてキリスト教会の不倶戴天の敵だった啓蒙思想の延長にある「性の自由化」や「男女平等」を、「誤った道」として認めないのは当然のことだろう。
日本ではバチカンの聖座に座る者を「教皇」とか「ローマ法王」と呼び、そこに性別の明示はない。けれどもこの人物はイタリアでは「パパ」と呼ばれ、フランス語では「パップ」、英語なら「ポープ」である。「パパ」はもとはギリシア語の「パパス(父)」からきており、ラテン語の「パーテル(父)」ともつながっている。それだけでなく、「パパ」の権威のもとにある教会の聖職者はみな「パーテル(父、日本では教父とか神父と呼ぶ)」である。そしてなにより神はキリストの「父」とされている。ここにはもともと「女」の入る余地はなく、それがこの「教会」という秩序、神と救いを求める人びととの仲立ちをする「教会」という組織の基本的なあり方なのである。
ヨハネ・パウロ二世は敬愛するが、彼の「保守性」は認められない、といった見方は、「教会」というものと「教皇」のなんたるかを見誤っていると言うべきだろう。彼はあくまでカトリック教会の長であり、カトリック教会は信仰のドグマの上に成り立つ組織であって、単なる慈善団体でも社会福祉機関でもない。カトリック教会が「性の自由」に寛容になったとすれば、それは教会の拠って立つ根拠そのものを揺るがせにすることになり、結局は信仰の秩序を弛緩させてカトリック教会の衰弱を招くことになるだろう。(つづく)
今、アメリカで何が起こっているのか? ― 2025/03/15
今、世界はバニックに陥っているようだ。アメリカに「専制君主(独裁者)」が出現した?そしてアメリカが「西側(西洋)」を裏切った?アメリカは自由と民主主義の国、繁栄する世界のリーダー、文明の未来だったはずなのに。
世界は「民主主義国と専制主義国」が対立し、専制主義国の野心でヨーロッパでも東アジアでも「戦争の危機」が高まっている、というのが昨日までの「西側」の通念だった。
ところが、それこそが「ばかな戦争にアメリカを巻き込んで、アメリカ人を踏み台に闇で操り儲ける勢力」があって、「彼らがアメリカ没落の元凶」というのがトランプの主張。それで「メイク・アメリカ・グレート・アゲイン(MAGA)」のスローガンで選挙に勝利した。アメリカのグローバル展開の影で辛酸をなめた「ラストベルト」出身の J.D.バンスも、西海岸の「エリート社会」の居心地悪さからトランプの主張に共感する。彼らの「敵」は、アメリカをダメにしたエリートたちのシンジケート「ディープ・ステート」だ。
これにうろたえるのは「民主vs.専制」で「危険な専制から民主世界を守る」というイデオロギーを受け入れてきた人びと、つまり「西側」諸国、EU、日本などの民主派の人びとだ。じつはこの図式は、「自由主義vs.共産主義」ついで「文明vs.テロリスト」の焼き直しで、原型は「ナチズムから自由を守る」という、アメリカのヨーロッパ戦線参入のスローガンにある。それまでアメリカは「古いヨーロッパ」の戦争には関わらなかったから、そのモンロー主義を破る欧州介入には理由が必要だったのだ。
だが、トランプはこの図式を認めない。ヨーロッパの戦争への介入が、アメリカを世界秩序の束縛に絡めとり、それを利用したエリートたちのシンジケートがアメリカを没落させたと考えているからだ。一度、MAGAで大方の予想を裏切って大統領になった。だが国家運営の機構のなかで包囲網はきつく、再選はならなかった。そして今回は「神の加護」もあって、アメリカは再び「偉大な大統領」を選んだ。一期目にトランプを追い落としたのは自分が潰そうとして果たせなかった「ディープ・ステート」である。だから今度は、そのシンジケートの解体から仕事を始めている。
今、アメリカに起こっているのは、だからひとつの「内戦」である。その「内戦」をどういう手順で戦うのか、トランプ陣営には準備があったようだ。それが閣僚の布陣によく表れている(ほぼ全閣僚が議会の承認を得られるかどうかわからないほどだったが、トランプは自分が大統領である以上押し切れるとみていたのだろう)。
*
アメリカの「内戦」に選挙権をもたない我々は介入できない。すべくもない。なぜプロレスの観客よろしく、逆上してトランプをけなさねばならないのか。ロシア寄りだとか、プーチンに弱みを握られているとか。トランプはかつてプロレス興行に関わっていた。自分もリングに上がって見せ場を作るのは得意である。だから彼は大見えを切るし、客のブーイングさえ稼ぎのネタにする。
彼を「暴君」と呼ぶのは、「アメリカ」についてあまりに無知と言わねばならない。彼こそが「アメリカの自由」の権化なのだ。アメリカの場合「自由」は基本的に「私的」である。「他者」を軽んじ傍若無人に振舞う。トランプはアメリカの地金なのである。
アメリカとはどういう国なのか。先住民をいないことにして土地を強奪、私的所有権を金科玉条に、それに基づく「自由の国」を作った。それは「合州国」で、争い合うヨーロッパの諸国家とは成立ちが違う。だからイギリスの支配を排して「独立」し、「古いヨーロッパ」(ウェストファリア体制)に三下り半を突きつけた(モンロー宣言)。
その後は「フロンティアの西進」で自然の大地すべてを「不動産」に転換した。封建制の束縛はなかった。何でも物件化したら自由処分も売買もできる。所有権が大地にある物すべてを財産にする。その「新世界」建設のキーマンが不動産屋だったのである。
*
その頃のアメリカは「偉大」だった。傍若無人でいられたから。ところが「老いたヨーロッパ」は仲間割れで大戦争、イギリスが助けを求める。アメリカは助けに行き、老いぼれに代わって「西洋=西側」の宗主権をもつ。そして世界統治にリーダーとして関与する。初めはよかった。戦争をするのは海外で、アメリカは繁栄する一方だ。ところが冷戦期になると、国がいつの間にか戦争態勢化、軍官学産複合体ができてそれが政治を動かすようになる(アイゼンハワー退任時に警告した)。この複合体は世界に戦争があることで繁栄する。そして世界統治するアメリカ国家を神輿のようにしてしまう。
10年のベトナム戦争、南米各地での政権転覆工作(CIA)、ソ連崩壊後には、EUの自立を抑えてNATO(北大西洋軍事同盟)存続、そして湾岸戦争、以後、世界の警察官が負担になると、皆でやれ!と「テロとの戦争」…。あちこちに戦争地雷をしかけて、その実「民営化・私物化」で儲けるというアメリカ・エリート・シンジケートが、国内の「アメリカ人」の衰退と凋落を招いてきた。その戦争屋連中が、世界にいい顔をするために人権だとか弱者保護とか多様性だとか言う。そのために「アメリカ人」が割を食い見捨てられている。だから「アメリカ・ファースト」、「アメリカを再び偉大に」と言うわけだ。それが見えない有権者たちの支持をえて、トランプはいま彼らのチャンピオンになった。
*
そのトランプの標的は、まず国内の「グローバル民主派」であり、対外的にはヨーロッパなのである。アメリカを「国際秩序」に引き込んで凭れるからだ。トランプは世界を都合よく分断するイデオロギーを認めない(それはエリートたちのすること)。中国と敵対するのは、周辺で「人権抑圧」する専制主義国だからではなく、たんに「アメリカの偉大さ」を曇らせる最大のライバルだからだ。だから宗主国デンマークを無視してグリーンランドを買うという(アラスカも昔ロシアから買ったものだ)。カナダも51番目の州にする。戦争ではなくディールでやるから問題ない、と。
国内の「グローバル民主派」言いかえれば「世界秩序関与派」は、トランプを「危険な獣」のように見る。そしてヨーロッバ(今ではEU)は、アメリカはNATOで縛って冷戦後も自立を許さなかったのに、そのNATOをお荷物だとかタカリだとか言われ、命綱を切られた思いで悲憤憤慨する。さらにウクライナのゼレンスキーに至っては、「戦争をやめろ」というトランプに、「援助がなければ戦争ができない」「止めるから金よこせ」としがみつく(もとはと言えば英米がけしかけた戦争なのに、と)。EUもロシア憎悪で戦争を10年は続けるつもりだった。それでは話にならない、と大混乱。
*
今、アメリカで起こっているのはそういうことだ。
では、日本はどうすればいいのか。これははっきりしている。今アメリカは「同盟国だなんて甘ったれるな、もう凭れるな」と言っているのだから、これを機会に日本はほんとうに「自立」すべきである。じつは冷戦後にその機会があった。ところがその頃は「世界の一強」アメリカに盲従するしか能がなく、構造改革から軍拡まですべて言われるままで、その結果が「失われた30年」。今こそ自立し、グローバル化した世界の中での新しい位置を見出すべきだろう。そのとき間違ってもまたまた「脱亜入欧」をやってはならない。G7(西洋先進国)の一画などと見掛け倒しの難破船に縋りついていては破滅だ。むしろ、BRICS+諸国と新たな関係を構築し、アメリカの頼りにならない世界、ポスト西洋の時代に積極的に貢献すべきだろう。今、アメリカとヨーロッパが再分裂し、西洋の世界制覇の時代が終わろうとしているのだから。
*もうひとつ重要なのは、デジタルIT産業が世界をどこに連れてゆくかということだ。その意味で、イーロン・マスクの役割と振舞いは要注意。それと、AALAとの関係では、マルコ・ルビオが表の権力を得たのが最大の警戒事項だろう。
世界は「民主主義国と専制主義国」が対立し、専制主義国の野心でヨーロッパでも東アジアでも「戦争の危機」が高まっている、というのが昨日までの「西側」の通念だった。
ところが、それこそが「ばかな戦争にアメリカを巻き込んで、アメリカ人を踏み台に闇で操り儲ける勢力」があって、「彼らがアメリカ没落の元凶」というのがトランプの主張。それで「メイク・アメリカ・グレート・アゲイン(MAGA)」のスローガンで選挙に勝利した。アメリカのグローバル展開の影で辛酸をなめた「ラストベルト」出身の J.D.バンスも、西海岸の「エリート社会」の居心地悪さからトランプの主張に共感する。彼らの「敵」は、アメリカをダメにしたエリートたちのシンジケート「ディープ・ステート」だ。
これにうろたえるのは「民主vs.専制」で「危険な専制から民主世界を守る」というイデオロギーを受け入れてきた人びと、つまり「西側」諸国、EU、日本などの民主派の人びとだ。じつはこの図式は、「自由主義vs.共産主義」ついで「文明vs.テロリスト」の焼き直しで、原型は「ナチズムから自由を守る」という、アメリカのヨーロッパ戦線参入のスローガンにある。それまでアメリカは「古いヨーロッパ」の戦争には関わらなかったから、そのモンロー主義を破る欧州介入には理由が必要だったのだ。
だが、トランプはこの図式を認めない。ヨーロッパの戦争への介入が、アメリカを世界秩序の束縛に絡めとり、それを利用したエリートたちのシンジケートがアメリカを没落させたと考えているからだ。一度、MAGAで大方の予想を裏切って大統領になった。だが国家運営の機構のなかで包囲網はきつく、再選はならなかった。そして今回は「神の加護」もあって、アメリカは再び「偉大な大統領」を選んだ。一期目にトランプを追い落としたのは自分が潰そうとして果たせなかった「ディープ・ステート」である。だから今度は、そのシンジケートの解体から仕事を始めている。
今、アメリカに起こっているのは、だからひとつの「内戦」である。その「内戦」をどういう手順で戦うのか、トランプ陣営には準備があったようだ。それが閣僚の布陣によく表れている(ほぼ全閣僚が議会の承認を得られるかどうかわからないほどだったが、トランプは自分が大統領である以上押し切れるとみていたのだろう)。
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アメリカの「内戦」に選挙権をもたない我々は介入できない。すべくもない。なぜプロレスの観客よろしく、逆上してトランプをけなさねばならないのか。ロシア寄りだとか、プーチンに弱みを握られているとか。トランプはかつてプロレス興行に関わっていた。自分もリングに上がって見せ場を作るのは得意である。だから彼は大見えを切るし、客のブーイングさえ稼ぎのネタにする。
彼を「暴君」と呼ぶのは、「アメリカ」についてあまりに無知と言わねばならない。彼こそが「アメリカの自由」の権化なのだ。アメリカの場合「自由」は基本的に「私的」である。「他者」を軽んじ傍若無人に振舞う。トランプはアメリカの地金なのである。
アメリカとはどういう国なのか。先住民をいないことにして土地を強奪、私的所有権を金科玉条に、それに基づく「自由の国」を作った。それは「合州国」で、争い合うヨーロッパの諸国家とは成立ちが違う。だからイギリスの支配を排して「独立」し、「古いヨーロッパ」(ウェストファリア体制)に三下り半を突きつけた(モンロー宣言)。
その後は「フロンティアの西進」で自然の大地すべてを「不動産」に転換した。封建制の束縛はなかった。何でも物件化したら自由処分も売買もできる。所有権が大地にある物すべてを財産にする。その「新世界」建設のキーマンが不動産屋だったのである。
*
その頃のアメリカは「偉大」だった。傍若無人でいられたから。ところが「老いたヨーロッパ」は仲間割れで大戦争、イギリスが助けを求める。アメリカは助けに行き、老いぼれに代わって「西洋=西側」の宗主権をもつ。そして世界統治にリーダーとして関与する。初めはよかった。戦争をするのは海外で、アメリカは繁栄する一方だ。ところが冷戦期になると、国がいつの間にか戦争態勢化、軍官学産複合体ができてそれが政治を動かすようになる(アイゼンハワー退任時に警告した)。この複合体は世界に戦争があることで繁栄する。そして世界統治するアメリカ国家を神輿のようにしてしまう。
10年のベトナム戦争、南米各地での政権転覆工作(CIA)、ソ連崩壊後には、EUの自立を抑えてNATO(北大西洋軍事同盟)存続、そして湾岸戦争、以後、世界の警察官が負担になると、皆でやれ!と「テロとの戦争」…。あちこちに戦争地雷をしかけて、その実「民営化・私物化」で儲けるというアメリカ・エリート・シンジケートが、国内の「アメリカ人」の衰退と凋落を招いてきた。その戦争屋連中が、世界にいい顔をするために人権だとか弱者保護とか多様性だとか言う。そのために「アメリカ人」が割を食い見捨てられている。だから「アメリカ・ファースト」、「アメリカを再び偉大に」と言うわけだ。それが見えない有権者たちの支持をえて、トランプはいま彼らのチャンピオンになった。
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そのトランプの標的は、まず国内の「グローバル民主派」であり、対外的にはヨーロッパなのである。アメリカを「国際秩序」に引き込んで凭れるからだ。トランプは世界を都合よく分断するイデオロギーを認めない(それはエリートたちのすること)。中国と敵対するのは、周辺で「人権抑圧」する専制主義国だからではなく、たんに「アメリカの偉大さ」を曇らせる最大のライバルだからだ。だから宗主国デンマークを無視してグリーンランドを買うという(アラスカも昔ロシアから買ったものだ)。カナダも51番目の州にする。戦争ではなくディールでやるから問題ない、と。
国内の「グローバル民主派」言いかえれば「世界秩序関与派」は、トランプを「危険な獣」のように見る。そしてヨーロッバ(今ではEU)は、アメリカはNATOで縛って冷戦後も自立を許さなかったのに、そのNATOをお荷物だとかタカリだとか言われ、命綱を切られた思いで悲憤憤慨する。さらにウクライナのゼレンスキーに至っては、「戦争をやめろ」というトランプに、「援助がなければ戦争ができない」「止めるから金よこせ」としがみつく(もとはと言えば英米がけしかけた戦争なのに、と)。EUもロシア憎悪で戦争を10年は続けるつもりだった。それでは話にならない、と大混乱。
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今、アメリカで起こっているのはそういうことだ。
では、日本はどうすればいいのか。これははっきりしている。今アメリカは「同盟国だなんて甘ったれるな、もう凭れるな」と言っているのだから、これを機会に日本はほんとうに「自立」すべきである。じつは冷戦後にその機会があった。ところがその頃は「世界の一強」アメリカに盲従するしか能がなく、構造改革から軍拡まですべて言われるままで、その結果が「失われた30年」。今こそ自立し、グローバル化した世界の中での新しい位置を見出すべきだろう。そのとき間違ってもまたまた「脱亜入欧」をやってはならない。G7(西洋先進国)の一画などと見掛け倒しの難破船に縋りついていては破滅だ。むしろ、BRICS+諸国と新たな関係を構築し、アメリカの頼りにならない世界、ポスト西洋の時代に積極的に貢献すべきだろう。今、アメリカとヨーロッパが再分裂し、西洋の世界制覇の時代が終わろうとしているのだから。
*もうひとつ重要なのは、デジタルIT産業が世界をどこに連れてゆくかということだ。その意味で、イーロン・マスクの役割と振舞いは要注意。それと、AALAとの関係では、マルコ・ルビオが表の権力を得たのが最大の警戒事項だろう。
2025.03.01ホワイトハウス、ゼレ・トラ60分一本勝負の観戦記 ― 2025/03/02
トランプは戦争を終わらせたい(アメリカに金がかかるから)。
ゼレンスキーは「今はやめない、勝つまで金(支援)を出せ」」と言う。
トランプはもうこれ以上金を出したくない。
EU、「アメリカが引いたらウクライナが勝てないじゃないか」とブーブー。
- 戦争を止めるということは「ロシアが勝つ」ということ?
- そんなことはないだろう、プーチンはもう死にそう、ロシア軍もボロボロ、経済も青息吐息…ウ軍に領土とられた、石油基地もドローン食らった、とメディアでは盛んに解説していたじゃないか。「ロシアは勝って」いないのでは? じゃ、そろそろ止めたら?
- それではロシアに有利になる。
- えっ、ロシアはボロボロって言ってたじゃない。全部ウソなの?
ウクライナは「ヨーロッパと民主主義(西側的価値)」のために戦っているのか?EUは「侵略者ロシア」を懲らしめるために?
- この15年、ロシアにさんざん嫌がらせし圧迫してきたのは誰だ?(米ブッシュ等とNATO、ロシアからクリミア取って牙を抜く…、ウクライナ人のことなど考えていない。)
- ウクライナを「反ロ親西」にしたのは誰だ?(オリガルヒと民族右派)
- 仕掛けたのは?(V.ヌーランドやマケインやH.バイデンら「民主化工作」派=ネオコン)
トランプは、戦争で儲けてアメリカをダメにしてきた「民主化工作」派と戦って選挙(内戦)に勝ち、「アメリカを取り戻した」。
ウクライナもEUもその「民主化工作」派頼りにロシアに喧嘩を売って「勝とう」とした (「ロシアの侵略がまずはじめ」、というのは端的にウソ)。
しかし、トランプのアメリカは、もう縋りつくな、たかるな、自分で勝てなきゃ喧嘩するな(戦争やめろ)、出した金も返せ(ブツでよこせ)と言うので、アメリカ頼みだったウクライナもEUもバニックで逆上している、の図。
トランプはそのことを見せるために会談を公開でやった(CIAの工作嫌いとプロレス趣味)。
うまくいったか? 西側のひいき役者ゼレンスキー、西側観客あてに悲劇のヒーロー好演。トランプ、セコンド・バンスの介入もあってちょっと悪役にされる。
トランプは「ロシア寄り」なのではなく、アメリカ頼みで戦争する「古いヨーロッパ」EUが嫌い。それがアメリカ衰退の元だと言う。
EUはもう10年支援計画なんか立てたから、戦争やめさせるつもりはない。でもトランプは、もうたくさんだと言う。たしかに、アメリカもEUもその間戦費を膨大に使い、ロシアも使うはずだから、世界的にまったく無駄な浪費。そのうえウクライナは潰れてしまう。人もいなくなってしまう(日本が世銀融資の保証国になっている復興計画なんて「夢のリビエラ」みたいなもの)。
EUとトランプ、この点ではどっちがまともなのか?
*問題はバレスチナ!!
それと陰でマルコ・ルビオがキューバに最後の手を伸ばしている。キューバ、いま戦争でもないのにたいへんみたい。ハバナでも一日数時間しか電気がないとか(長い経済制裁と金融遮断のせい――こっちは西半球でアメリカ、失うものがないから)。
ゼレンスキーは「今はやめない、勝つまで金(支援)を出せ」」と言う。
トランプはもうこれ以上金を出したくない。
EU、「アメリカが引いたらウクライナが勝てないじゃないか」とブーブー。
- 戦争を止めるということは「ロシアが勝つ」ということ?
- そんなことはないだろう、プーチンはもう死にそう、ロシア軍もボロボロ、経済も青息吐息…ウ軍に領土とられた、石油基地もドローン食らった、とメディアでは盛んに解説していたじゃないか。「ロシアは勝って」いないのでは? じゃ、そろそろ止めたら?
- それではロシアに有利になる。
- えっ、ロシアはボロボロって言ってたじゃない。全部ウソなの?
ウクライナは「ヨーロッパと民主主義(西側的価値)」のために戦っているのか?EUは「侵略者ロシア」を懲らしめるために?
- この15年、ロシアにさんざん嫌がらせし圧迫してきたのは誰だ?(米ブッシュ等とNATO、ロシアからクリミア取って牙を抜く…、ウクライナ人のことなど考えていない。)
- ウクライナを「反ロ親西」にしたのは誰だ?(オリガルヒと民族右派)
- 仕掛けたのは?(V.ヌーランドやマケインやH.バイデンら「民主化工作」派=ネオコン)
トランプは、戦争で儲けてアメリカをダメにしてきた「民主化工作」派と戦って選挙(内戦)に勝ち、「アメリカを取り戻した」。
ウクライナもEUもその「民主化工作」派頼りにロシアに喧嘩を売って「勝とう」とした (「ロシアの侵略がまずはじめ」、というのは端的にウソ)。
しかし、トランプのアメリカは、もう縋りつくな、たかるな、自分で勝てなきゃ喧嘩するな(戦争やめろ)、出した金も返せ(ブツでよこせ)と言うので、アメリカ頼みだったウクライナもEUもバニックで逆上している、の図。
トランプはそのことを見せるために会談を公開でやった(CIAの工作嫌いとプロレス趣味)。
うまくいったか? 西側のひいき役者ゼレンスキー、西側観客あてに悲劇のヒーロー好演。トランプ、セコンド・バンスの介入もあってちょっと悪役にされる。
トランプは「ロシア寄り」なのではなく、アメリカ頼みで戦争する「古いヨーロッパ」EUが嫌い。それがアメリカ衰退の元だと言う。
EUはもう10年支援計画なんか立てたから、戦争やめさせるつもりはない。でもトランプは、もうたくさんだと言う。たしかに、アメリカもEUもその間戦費を膨大に使い、ロシアも使うはずだから、世界的にまったく無駄な浪費。そのうえウクライナは潰れてしまう。人もいなくなってしまう(日本が世銀融資の保証国になっている復興計画なんて「夢のリビエラ」みたいなもの)。
EUとトランプ、この点ではどっちがまともなのか?
*問題はバレスチナ!!
それと陰でマルコ・ルビオがキューバに最後の手を伸ばしている。キューバ、いま戦争でもないのにたいへんみたい。ハバナでも一日数時間しか電気がないとか(長い経済制裁と金融遮断のせい――こっちは西半球でアメリカ、失うものがないから)。
フィガロ紙インタヴュー「アメリカ人はトランプが世界で不動産屋として振舞うとは思っていなかった」 ― 2025/01/28
フィガロ紙2025年1月26日付
1)ル・フィガロ――ドナルド・トランプは就任前演説の中で、パナマ運河を取り戻しグリーンランドを併合したいという願望をあらためて示しました。そしてカナダに経済的圧力をかけると脅し、アメリカの51番目の州になってはどうかとも言いました。あなたはこうした発言に驚きましたか?あなたはそれを、ご著書(『アメリカ、異形の制度空間』講談社メチエ、仏語版 L'Imperialisme de la Liberte, Seuil, 2022 で描き出されている合州国の古い帝国的野心の再燃と見ますか?
西谷修――いかにも厚顔な言い方ですが、トランプ氏は自分がアメリカ大統領である以上、こんなふうに言って当然だと思っているのでしょう。彼のとっては、他国を脅したり空かしたりできるのも、アメリカの「偉大さ」の証なのでしょう。これがショッキングに聞こえる理由は、彼が新しい領土や運河の支配を、国際法の問題ではなく私法(権)の問題であるかのように語っているからです。
じつはそれがアメリカの伝統に沿ったものでもあるのですが。注意すべきことは、アメリカの「帝国主義」は、一般的なモデルになっているヨーロッパのそれとは根本的に異なるということです。それは、領土化し植民地にするためにある地域の住民を服従させるのではなく、土着の住民を抹消してそこを空にし、領土を「解放」するというものです。
だいたいアメリカ自体が、先住民を排除してそれを自らの「自由」の(フリーな)領域にするということから始まりました。この「解放」の力学は、その後海外にも広がっていった。アメリカが1898年に「帝国支配からの解放」の名のもとに行った対スペイン戦争によって、フィリピン、グアム、プエルトリコの支配権を2000万ドルで獲得することができたのです。こうして、これらの旧植民地は「古い西洋」の支配から「解放」され、私有財産権に基づく「自由の体制」に服して、アメリカ市場の領域に組み込まれました。こうして、「所有権に基づく自由の帝国主義」はアメリカ大陸を越えて広がり始めました。それが、「古いヨーロッパ」の帝国的支配から領土を「解放」し、アメリカの支配圏に統合するという新しい世界統治の方法なのです。
この新しい手法はじつは不動産業者が使うものと似ており(地上げや転がし)、ドナルド・トランプが政界入りする前にこの職業で財を成したことを忘れてはなりません。国際政治へのこの手法の導入は、彼の最初の任期中には多くの障害に遭遇しました。
しかし今回の選挙で、彼は正当性を獲得した。選挙というのはドメスティック(国内的)なもので、当然ながらアメリカの有権者が選んだのは自分たちの大統領であって、世界全体の大統領ではありません。ところが、アメリカの影響力が絶大であるため、世界中の市民たちは「世界に開かれた大統領」がホワイトハウスに入ることを期待していました。その期待は、選挙に関する国々のメディアの報道にも表れていました。しかし、米国は再びトランプ氏を大統領に選出した。多くの人が「MAGA」に応えたのです。これはソーシャルネットワークなどの影響もあるでしょうが、いずれにせよ、米国は今後しばらくは自国重視の姿勢を打ち出し、大統領も同じように振る舞うということです。
2)新大統領は、メキシコ湾の名称を「アメリカ湾」に変更することも約束しています。「何て美しい名前だ!まったく相応しいじゃないか」と言いながら。これは、あなたが著書で引用しているステファン・ツヴァイクがアメリゴ・ヴェスプッチの伝記に書いた言葉を思い起こさせます。アメリカという名前は「征服する言葉だ。この言葉のうちには暴力性があり(中略)、年々、より大きな領域を併合していく」。なぜアメリカ合州国は大陸全体の名前をとったのでしょう?これは領土拡大の兆候だったのでしょうか?
西谷――確かに、完全母音にはさまれて明るく生き生きとした響きをもつこの名前は美しい。ドイツの若い地理学者ヴァルトゼーミュラーは、この名前を提案した後、自分の「早とちり」を認めて、自身の世界図からこの名前を撤回したのですが、たぶんその響きの良さのため、たちまちヨーロッパに広がり、誰も修正に応じませんでした。そしてこの名称は、ヨーロッパ人が大西洋の彼方に「発見」したすべての土地を覆って指すようになりました。スペインとポルトガルによって大陸南部に植民地化された国々は、ヨーロッパの帝国主義的なやり方で植民地化されました。そして独立後、これらの国々は「ラテンアメリカ」と総称されるようになりますが、どの国も国名に「アメリカ」という修飾語は採用しなかった(多くは現地語を用いた)。
一方、北半球では「アメリカ」は、「処女」とみなされた土地の先住民(インディアン)を排除してゼロから作り出されました。つまり、「私有財産に基づく自由」という「制度的空間」が「新世界」としてここに建設された。その「新世界」の名が「アメリカ」だったのです。
当初、それぞれ「ステート」を名乗っていた東部の13植民地は連携して独立を宣言し、アメリカ合州国を作りました。その後、フランスからルイジアナを買い取り、先住民を追い出して併合します。それから、メキシコからテキサスとカリフォルニアを奪い、あるいは買い取り、いわゆる「フロンティア」を太平洋岸まで伸ばしました。この「フロンティア」は、実際には「拡大するアメリカ」の前線だったわけです。さらに、アメリカはロシアからアラスカを買い取った。そしてスペインとの戦争時には、ついに太平洋のハワイ諸島を併合しました。それ以来、アメリカ合州国を構成する州(ステート)は50を数えるようになっています[これは開かれていて、さらに増えうるわけです]。
ステファン・ツヴァイクは、ナチスに支配された祖国を逃れ、「旧世界」の混沌から遠く離れた「ヨーロッパの未来」を象徴するはずのアメリカ大陸へと向かいました。しかし、ツヴァイクがそこで見たものは、物質的で人工的な文明の繁栄であり、むしろ野蛮で虚栄に満ちたもので、彼が大切にしてきたヨーロッパの未来ではなかった......。同じように、哲学者のアドルノとホルクハイマーは『啓蒙の弁証法』(フランス語では『Dialectique de la raison』という不正確なタイトルで翻訳されている)を書きました。その中で彼らはアメリカ文明を批判し、「過剰な光は目を焼きつぶし、暗黒を作り出す」と言っています。
ツヴァイクは「アメリカ」を「征服する名前」と呼びました。私はそれが何を意味するのか、この名前は実際には何を指しているのか、それを考えてみたのです。制度的な用語で言えば、この名称はterra nulliusというローマ法の概念を、ヨーロッパ人にとって未知の土地に投影したものです。それは、処女地であり、持ち主がおらず、自由に処分可能であると想像される大地の規定です。それがまず「アメリカ」と呼ばれました。先住民は、自分たちの先祖代々の土地が不動産として商品のように扱われることを想像できなかったから、ヨーロッパ人がそれを獲得し所有権を設定するのは容易でした。彼らは自分たちを土地の所有者と宣言し、権利をもたない「インディアン」を追い出して、文明の「フロンティア」をさらに西へと押し進めました。そのように、大地とそこに属するすべての豊かさを私有財産に変え、譲渡可能で証券化可能な不動産に変えたことが、「アメリカ」を特徴づけています。
「新世界」とはそういうものだったのですね。大地を商品に転換して売買することが不動産業者のコアビジネスです。だから、トランプ氏が大統領になったときには、アメリカに新たな土地を割り当て、その土壌を執拗に掘って、掘って、掘りまくる(ドリル、ドリル、ドリル!)と呼びかけるのは容易に理解できます。
[3]アフガニスタンでのアメリカの失敗の後、そしてウクライナでの中途半端なコミットメントにもかかわらず、これはアメリカが19世紀にそうであったように、アメリカ大陸の周辺部に再び焦点を当てようとしていることを意味するのでしょうか?
西谷――イエスでもありノーです。なぜなら、グローバリゼーションの中でその「周辺地域」というのは消えしまうからです。世界情勢には変遷がありました。まず、第一次世界大戦でアメリカは西半球という繭のからを破ってヨーロッパに回帰し、次に第二次世界大戦では主導的な役割を果たして、やがて冷戦が終り、さらにはグローバリゼーションが起こります。アメリカももはや19世紀には戻れません。
トランプはいま、中国やロシアと対峙する姿勢をとっていますが、しかし、それはイデオロギー的対立あるいは理想主義的戦略にもとづくものではありません――それが冷戦時代からのアメリカの姿勢だったのですが。そうではなく、世界統治をめぐって争い合う競合相手として向き合っているのです。その点ではデンマークやカナダも同じ扱いですが、ただ、彼は中国やロシアを買いとったりすることは不可能だと知っているわけです。それはコストがかかりすぎるから、「ディール」になりません。
3)ドナルド・トランプやイーロン・マスクも最近、ヨーロッパにさかんに圧力をかけています。これは、アメリカがつねに自らを「新しい西洋」として提示し、人類を「旧世界」のくびきから「解放」したいという願望を公言してきたことをあらためて示すものなのでしょうか?合州国とヨーロッパとの最近の関係と力関係をどのように考えておられますか。
西谷――その問いにはまず別の問いを立てることで答えましょう。なぜトランプはイーロン・マスクと手を組んだのか?トランプは元不動産業者であるだけでなく、ひとつのポストを求める希望者同士を戦わせ、徐々に排除していくリアリティ番組『アプレンティス』の司会をしていました。一方マスクはデジタル・テクノロジー企業のオーナーであり、プロモーターです。[ほんとうはトランプがプロレスリングの興行者だったことを使いたかったが、フランスではプロレスの話は通じないので、テレビのリアリティー・ショーの話にした。要は、リアルとフェイクの境を取っ払った見世物です。]
イーロン・マスクは、さまざまな技術のフロンティア、特にヴァーチャル化技術で開かれつつある空間、あるいはそのコントロールを私的に独占しようとしているのです。彼は(他のテック企業のオーナーたちと同様)「表現の自由」を楯にとります。そしてそれに関するあらゆる規制を撤廃しようとする。政府効率化省の話もありますが、これは結局のところ、コンピューター化、デジタル化された時代における人間の私的な欲望追求に関するあらゆる制限を無力化するための彼の戦略なのではないでしょうか?
このような「自由」の概念は、典型的にアメリカ的なものです。それは「フリーパス」の要求であって、私権や私物化を優先して公的な制約をすべて取り払うための権限です。実際もうアメリカではあらゆるテクノロジーがすべて「プライバタイズ」で推進されているわけですが、身体を自由にするバイオテクノロジー、人間の思考を無用にする人工知能技術、第二の惑星への新たな「脱出(エグゾダス)」を目指した宇宙開発技術など…。彼は、デジタル化され、ヴァーチャル化されるすべての新資源を自分が「自由に」開発利用できる権利を要求しているのです。このようなプロジェクトは、「新世界」創出(草創期のアメリカ)に関するトランプの願望と一致していると言えます
EUはアメリカ連邦政府に匹敵する規模と経済力を持つ国々の連合体です。だから、トランプ氏はそれを無視して、欧州各国に個別に脅しをかけ、自らの「取引術(ディールの闘技場)」に引き込もうとしているわけです。イーロン・マスクに関しては、欧州諸国のいわゆる極右勢力に公然と肩入れしています。「極右」という定義が今日でも有効かどうかについては疑問ですが、いずれにせよ、彼はトランプ主義者のスローガン「自国第一」に共鳴するすべての人々に呼びかけており、それはEUの軛から抜け出よと言っているようなものです。あたかもEUが彼らにとっての「古い帝国」だと言うかのように。ヨーロッパを揺るがすこの状況は、ソ連崩壊時の旧東欧圏諸国を彷彿とさせます。彼らはヨーロッパ連合への加盟を要求しながらも、「古いヨーロッパ」を嫌ってよりアメリカ的な「新しいヨーロッパ」を要求していました。
4)暗殺未遂事件後、ドナルド・トランプは自身の当選が宗教的で預言的な次元にあることを主張しました。あなたは著書の中で、現代アメリカの神学的・政治的起源を喚起しています。ドナルド・トランプが政権に返り咲いたことで、米国の「明白な運命」の思い込みはさらに強化されると感じますか?
西谷――トランプへの狙撃は、おそらくトランプ氏自身にとっては一種の啓示的意味をもったでしょうが、それは非常に個人的なものにとどまったと思います。彼はもう少しで命を落とすところだった。だから彼は神が自分を守ってくれていると思ったのかもしれない。しかしこの出来事によって、彼が救世主的運命に目覚めたとは思えません。この出来事は、「不当に」奪われた大統領の座を取り戻したいという彼の願望を正当化するとともに、より強化されたことは確かでしょう。そこで果ててしまっては、汚名を被ったままで、そのままにしておくわけにはいけません。それにあの「不屈の男」を絵にかいたような写真があります。あれは印象的だったでしょう。
たしかに、トランプは就任演説で、「マニフェスト・デスティニー(明白な運命)を星まで追い求める」と宣言しました("We will pursue our Manifest Destiny into the Stars")。ただし、彼はそのとき聖書に手を置いていませんでした[彼に信仰心などないということ]。
5)ご著書のなかで、あなたは「北米では最初の入植が失敗した後、ヴァージニア植民会社が設立されて、植民地の設営は民間の商業的企業のイニシアチヴで行われた」ということを指摘しています。この歴史に照らして、トランプ大統領と彼の "Art of the Deal "によってアメリカ外交に商業論理が戻ってきたことをどう分析されますか。これはまさに回帰ということなのでしょうか?
西谷――その通りと言うか、そこは大事な点です。アメリカ植民地の開発は、基本的に私的セクターの主導で行われました。マサチューセッツ植民会社、ニューイングランド植民会社…、みな国王の特許状をもって植民地建設を行いました。特許のもとで数年間開墾すると、そこは私有地になる。
そうして開発され、発展した各植民地は、王権の軛(課税)をきらって独立することになったわけです。
だからアメリカ植民地の独立とは、王の帝国的権力を除去して、市民の共和国を作る、言いかえれば私企業が連合して政治権力を排除したようなものです。それがアメリカ国家の基本的性格を規定しています。つまり私企業の連合国家、組合国家だということです。
アメリカは戦後、国際秩序の盟主になることで、秩序のパートナーとして責任も負うことになりました。冷戦期には社会主義圏と対抗する上でそれは必要な負担でもありました。ところがその束縛が解けると、つまり世界全体がアメリカの覇権のもとに置かれると(冷戦の勝利)、もはやアメリカはみずからの国家的本質を全世界の規範とすることができます。それが国家の私企業化です。
アメリカは私企業の連合体であったときに大発展し、世界の主導国になりました。しかし国際秩序の制約と責任で衰退した。だから「MAGA」というわけですが、それは私企業の神輿という性格を取り戻すということでもあるでしょう。
そして、忘れてはならないのは、アメリカの企業は「法人」ですが、アメリカでは「法人」は生身の人間とまったく同じ権利を享受すると定められています。そして企業の目的は株主の利益を守り促進することと定められています。いわゆる「新自由主義」の大原則ですが、その「自由」とは私的存在の欲望追及の自由であり、その自由が法権利として保障されているというのが「新世界」の特徴なのです。だから新自由主義の「新」とは、「新世界」の「新」でもあるのです。
トランプ氏は企業家といっても、前に言ったように不動産屋です。つまり「自然物」を法権利の対象とし、その転換を媒介するのが仕事でした。イーロン・マスクを始めとする「ビッグ・テック」のリーダーたちは、情報革命とインターネット解放後の、あらゆる財のデジタル・ヴァーチャル化で、人間世界に新たなフロンティア、言いかえれば市場の沃野を作り出し、その開発で天文学的利益を独占的に挙げる新しい企業家たちです。彼らの独占的利益は、デジタル・テクノロジーとその活用の私物化によってしか保証されません。だから彼らは、トランプの乱暴な「私権の自由」を標榜する統治(ディール)に合流するわけです。
6)長い孤立主義の伝統を持つ日本から見て、ドナルド・トランプ氏のホワイトハウス復帰はどのように映りますか?
西谷――何世紀もの間、日本は西洋の膨張主義的で「解放する」文明から身を守るために、自国に引きこもる道を選びました。しかし、そのような時代は過ぎ去り、私たちは西洋の近代性を受け入れて久しく、むしろその恩恵を十分に受けてきました。だからもはや昔の伝統に戻ることはできません。
しかし、アメリカの大統領にトランプ氏が返り咲いたことは、アメリカの属国であることに慣れすぎてしまった(アメリカの51番目の州だと言われたこともあります)我が国にとって、歴史的なチャンスとなるかもしれません。このような依存的な関係がアメリカにとって負担が大きすぎるというのであれば、現在200以上の国が存在するこのグローバル化した世界にあって、私たちは依存し・束縛される立場を脱して自立することを学ぶべきでしょう。すでに冷戦が終わったとき、私たちは変化した世界のなかで新たな立ち位置を求めるべきでした。ところが、私たちがしたことは勝利に酔いしれる「帝国」アメリカにひたすら追従しただけでした。それから30年以上が経ち、日本ではしばしば「失われた30年」が語られました。戦後のある時期にアメリカの保護下で獲得した経済的・技術的名声をこの30年間ですっかり失ってしまったということです(公式の理解は逆ですが)。
今日求められているのは、アメリカ合州国との関係を「正常化」すること、そしてそれは必然的に、中国、ロシアだけでなくアジアやアフリカの国々との関係も「正常化」することです。もし米国がもはや国際的な責任を負わないということならば、我々は米国の優位性のない世界に備えなければなりません。これは私たちにとってとてもよい機会です。日本政府はたいへん臆病ながら、それでもその準備をしているように見えます。
1)ル・フィガロ――ドナルド・トランプは就任前演説の中で、パナマ運河を取り戻しグリーンランドを併合したいという願望をあらためて示しました。そしてカナダに経済的圧力をかけると脅し、アメリカの51番目の州になってはどうかとも言いました。あなたはこうした発言に驚きましたか?あなたはそれを、ご著書(『アメリカ、異形の制度空間』講談社メチエ、仏語版 L'Imperialisme de la Liberte, Seuil, 2022 で描き出されている合州国の古い帝国的野心の再燃と見ますか?
西谷修――いかにも厚顔な言い方ですが、トランプ氏は自分がアメリカ大統領である以上、こんなふうに言って当然だと思っているのでしょう。彼のとっては、他国を脅したり空かしたりできるのも、アメリカの「偉大さ」の証なのでしょう。これがショッキングに聞こえる理由は、彼が新しい領土や運河の支配を、国際法の問題ではなく私法(権)の問題であるかのように語っているからです。
じつはそれがアメリカの伝統に沿ったものでもあるのですが。注意すべきことは、アメリカの「帝国主義」は、一般的なモデルになっているヨーロッパのそれとは根本的に異なるということです。それは、領土化し植民地にするためにある地域の住民を服従させるのではなく、土着の住民を抹消してそこを空にし、領土を「解放」するというものです。
だいたいアメリカ自体が、先住民を排除してそれを自らの「自由」の(フリーな)領域にするということから始まりました。この「解放」の力学は、その後海外にも広がっていった。アメリカが1898年に「帝国支配からの解放」の名のもとに行った対スペイン戦争によって、フィリピン、グアム、プエルトリコの支配権を2000万ドルで獲得することができたのです。こうして、これらの旧植民地は「古い西洋」の支配から「解放」され、私有財産権に基づく「自由の体制」に服して、アメリカ市場の領域に組み込まれました。こうして、「所有権に基づく自由の帝国主義」はアメリカ大陸を越えて広がり始めました。それが、「古いヨーロッパ」の帝国的支配から領土を「解放」し、アメリカの支配圏に統合するという新しい世界統治の方法なのです。
この新しい手法はじつは不動産業者が使うものと似ており(地上げや転がし)、ドナルド・トランプが政界入りする前にこの職業で財を成したことを忘れてはなりません。国際政治へのこの手法の導入は、彼の最初の任期中には多くの障害に遭遇しました。
しかし今回の選挙で、彼は正当性を獲得した。選挙というのはドメスティック(国内的)なもので、当然ながらアメリカの有権者が選んだのは自分たちの大統領であって、世界全体の大統領ではありません。ところが、アメリカの影響力が絶大であるため、世界中の市民たちは「世界に開かれた大統領」がホワイトハウスに入ることを期待していました。その期待は、選挙に関する国々のメディアの報道にも表れていました。しかし、米国は再びトランプ氏を大統領に選出した。多くの人が「MAGA」に応えたのです。これはソーシャルネットワークなどの影響もあるでしょうが、いずれにせよ、米国は今後しばらくは自国重視の姿勢を打ち出し、大統領も同じように振る舞うということです。
2)新大統領は、メキシコ湾の名称を「アメリカ湾」に変更することも約束しています。「何て美しい名前だ!まったく相応しいじゃないか」と言いながら。これは、あなたが著書で引用しているステファン・ツヴァイクがアメリゴ・ヴェスプッチの伝記に書いた言葉を思い起こさせます。アメリカという名前は「征服する言葉だ。この言葉のうちには暴力性があり(中略)、年々、より大きな領域を併合していく」。なぜアメリカ合州国は大陸全体の名前をとったのでしょう?これは領土拡大の兆候だったのでしょうか?
西谷――確かに、完全母音にはさまれて明るく生き生きとした響きをもつこの名前は美しい。ドイツの若い地理学者ヴァルトゼーミュラーは、この名前を提案した後、自分の「早とちり」を認めて、自身の世界図からこの名前を撤回したのですが、たぶんその響きの良さのため、たちまちヨーロッパに広がり、誰も修正に応じませんでした。そしてこの名称は、ヨーロッパ人が大西洋の彼方に「発見」したすべての土地を覆って指すようになりました。スペインとポルトガルによって大陸南部に植民地化された国々は、ヨーロッパの帝国主義的なやり方で植民地化されました。そして独立後、これらの国々は「ラテンアメリカ」と総称されるようになりますが、どの国も国名に「アメリカ」という修飾語は採用しなかった(多くは現地語を用いた)。
一方、北半球では「アメリカ」は、「処女」とみなされた土地の先住民(インディアン)を排除してゼロから作り出されました。つまり、「私有財産に基づく自由」という「制度的空間」が「新世界」としてここに建設された。その「新世界」の名が「アメリカ」だったのです。
当初、それぞれ「ステート」を名乗っていた東部の13植民地は連携して独立を宣言し、アメリカ合州国を作りました。その後、フランスからルイジアナを買い取り、先住民を追い出して併合します。それから、メキシコからテキサスとカリフォルニアを奪い、あるいは買い取り、いわゆる「フロンティア」を太平洋岸まで伸ばしました。この「フロンティア」は、実際には「拡大するアメリカ」の前線だったわけです。さらに、アメリカはロシアからアラスカを買い取った。そしてスペインとの戦争時には、ついに太平洋のハワイ諸島を併合しました。それ以来、アメリカ合州国を構成する州(ステート)は50を数えるようになっています[これは開かれていて、さらに増えうるわけです]。
ステファン・ツヴァイクは、ナチスに支配された祖国を逃れ、「旧世界」の混沌から遠く離れた「ヨーロッパの未来」を象徴するはずのアメリカ大陸へと向かいました。しかし、ツヴァイクがそこで見たものは、物質的で人工的な文明の繁栄であり、むしろ野蛮で虚栄に満ちたもので、彼が大切にしてきたヨーロッパの未来ではなかった......。同じように、哲学者のアドルノとホルクハイマーは『啓蒙の弁証法』(フランス語では『Dialectique de la raison』という不正確なタイトルで翻訳されている)を書きました。その中で彼らはアメリカ文明を批判し、「過剰な光は目を焼きつぶし、暗黒を作り出す」と言っています。
ツヴァイクは「アメリカ」を「征服する名前」と呼びました。私はそれが何を意味するのか、この名前は実際には何を指しているのか、それを考えてみたのです。制度的な用語で言えば、この名称はterra nulliusというローマ法の概念を、ヨーロッパ人にとって未知の土地に投影したものです。それは、処女地であり、持ち主がおらず、自由に処分可能であると想像される大地の規定です。それがまず「アメリカ」と呼ばれました。先住民は、自分たちの先祖代々の土地が不動産として商品のように扱われることを想像できなかったから、ヨーロッパ人がそれを獲得し所有権を設定するのは容易でした。彼らは自分たちを土地の所有者と宣言し、権利をもたない「インディアン」を追い出して、文明の「フロンティア」をさらに西へと押し進めました。そのように、大地とそこに属するすべての豊かさを私有財産に変え、譲渡可能で証券化可能な不動産に変えたことが、「アメリカ」を特徴づけています。
「新世界」とはそういうものだったのですね。大地を商品に転換して売買することが不動産業者のコアビジネスです。だから、トランプ氏が大統領になったときには、アメリカに新たな土地を割り当て、その土壌を執拗に掘って、掘って、掘りまくる(ドリル、ドリル、ドリル!)と呼びかけるのは容易に理解できます。
[3]アフガニスタンでのアメリカの失敗の後、そしてウクライナでの中途半端なコミットメントにもかかわらず、これはアメリカが19世紀にそうであったように、アメリカ大陸の周辺部に再び焦点を当てようとしていることを意味するのでしょうか?
西谷――イエスでもありノーです。なぜなら、グローバリゼーションの中でその「周辺地域」というのは消えしまうからです。世界情勢には変遷がありました。まず、第一次世界大戦でアメリカは西半球という繭のからを破ってヨーロッパに回帰し、次に第二次世界大戦では主導的な役割を果たして、やがて冷戦が終り、さらにはグローバリゼーションが起こります。アメリカももはや19世紀には戻れません。
トランプはいま、中国やロシアと対峙する姿勢をとっていますが、しかし、それはイデオロギー的対立あるいは理想主義的戦略にもとづくものではありません――それが冷戦時代からのアメリカの姿勢だったのですが。そうではなく、世界統治をめぐって争い合う競合相手として向き合っているのです。その点ではデンマークやカナダも同じ扱いですが、ただ、彼は中国やロシアを買いとったりすることは不可能だと知っているわけです。それはコストがかかりすぎるから、「ディール」になりません。
3)ドナルド・トランプやイーロン・マスクも最近、ヨーロッパにさかんに圧力をかけています。これは、アメリカがつねに自らを「新しい西洋」として提示し、人類を「旧世界」のくびきから「解放」したいという願望を公言してきたことをあらためて示すものなのでしょうか?合州国とヨーロッパとの最近の関係と力関係をどのように考えておられますか。
西谷――その問いにはまず別の問いを立てることで答えましょう。なぜトランプはイーロン・マスクと手を組んだのか?トランプは元不動産業者であるだけでなく、ひとつのポストを求める希望者同士を戦わせ、徐々に排除していくリアリティ番組『アプレンティス』の司会をしていました。一方マスクはデジタル・テクノロジー企業のオーナーであり、プロモーターです。[ほんとうはトランプがプロレスリングの興行者だったことを使いたかったが、フランスではプロレスの話は通じないので、テレビのリアリティー・ショーの話にした。要は、リアルとフェイクの境を取っ払った見世物です。]
イーロン・マスクは、さまざまな技術のフロンティア、特にヴァーチャル化技術で開かれつつある空間、あるいはそのコントロールを私的に独占しようとしているのです。彼は(他のテック企業のオーナーたちと同様)「表現の自由」を楯にとります。そしてそれに関するあらゆる規制を撤廃しようとする。政府効率化省の話もありますが、これは結局のところ、コンピューター化、デジタル化された時代における人間の私的な欲望追求に関するあらゆる制限を無力化するための彼の戦略なのではないでしょうか?
このような「自由」の概念は、典型的にアメリカ的なものです。それは「フリーパス」の要求であって、私権や私物化を優先して公的な制約をすべて取り払うための権限です。実際もうアメリカではあらゆるテクノロジーがすべて「プライバタイズ」で推進されているわけですが、身体を自由にするバイオテクノロジー、人間の思考を無用にする人工知能技術、第二の惑星への新たな「脱出(エグゾダス)」を目指した宇宙開発技術など…。彼は、デジタル化され、ヴァーチャル化されるすべての新資源を自分が「自由に」開発利用できる権利を要求しているのです。このようなプロジェクトは、「新世界」創出(草創期のアメリカ)に関するトランプの願望と一致していると言えます
EUはアメリカ連邦政府に匹敵する規模と経済力を持つ国々の連合体です。だから、トランプ氏はそれを無視して、欧州各国に個別に脅しをかけ、自らの「取引術(ディールの闘技場)」に引き込もうとしているわけです。イーロン・マスクに関しては、欧州諸国のいわゆる極右勢力に公然と肩入れしています。「極右」という定義が今日でも有効かどうかについては疑問ですが、いずれにせよ、彼はトランプ主義者のスローガン「自国第一」に共鳴するすべての人々に呼びかけており、それはEUの軛から抜け出よと言っているようなものです。あたかもEUが彼らにとっての「古い帝国」だと言うかのように。ヨーロッパを揺るがすこの状況は、ソ連崩壊時の旧東欧圏諸国を彷彿とさせます。彼らはヨーロッパ連合への加盟を要求しながらも、「古いヨーロッパ」を嫌ってよりアメリカ的な「新しいヨーロッパ」を要求していました。
4)暗殺未遂事件後、ドナルド・トランプは自身の当選が宗教的で預言的な次元にあることを主張しました。あなたは著書の中で、現代アメリカの神学的・政治的起源を喚起しています。ドナルド・トランプが政権に返り咲いたことで、米国の「明白な運命」の思い込みはさらに強化されると感じますか?
西谷――トランプへの狙撃は、おそらくトランプ氏自身にとっては一種の啓示的意味をもったでしょうが、それは非常に個人的なものにとどまったと思います。彼はもう少しで命を落とすところだった。だから彼は神が自分を守ってくれていると思ったのかもしれない。しかしこの出来事によって、彼が救世主的運命に目覚めたとは思えません。この出来事は、「不当に」奪われた大統領の座を取り戻したいという彼の願望を正当化するとともに、より強化されたことは確かでしょう。そこで果ててしまっては、汚名を被ったままで、そのままにしておくわけにはいけません。それにあの「不屈の男」を絵にかいたような写真があります。あれは印象的だったでしょう。
たしかに、トランプは就任演説で、「マニフェスト・デスティニー(明白な運命)を星まで追い求める」と宣言しました("We will pursue our Manifest Destiny into the Stars")。ただし、彼はそのとき聖書に手を置いていませんでした[彼に信仰心などないということ]。
5)ご著書のなかで、あなたは「北米では最初の入植が失敗した後、ヴァージニア植民会社が設立されて、植民地の設営は民間の商業的企業のイニシアチヴで行われた」ということを指摘しています。この歴史に照らして、トランプ大統領と彼の "Art of the Deal "によってアメリカ外交に商業論理が戻ってきたことをどう分析されますか。これはまさに回帰ということなのでしょうか?
西谷――その通りと言うか、そこは大事な点です。アメリカ植民地の開発は、基本的に私的セクターの主導で行われました。マサチューセッツ植民会社、ニューイングランド植民会社…、みな国王の特許状をもって植民地建設を行いました。特許のもとで数年間開墾すると、そこは私有地になる。
そうして開発され、発展した各植民地は、王権の軛(課税)をきらって独立することになったわけです。
だからアメリカ植民地の独立とは、王の帝国的権力を除去して、市民の共和国を作る、言いかえれば私企業が連合して政治権力を排除したようなものです。それがアメリカ国家の基本的性格を規定しています。つまり私企業の連合国家、組合国家だということです。
アメリカは戦後、国際秩序の盟主になることで、秩序のパートナーとして責任も負うことになりました。冷戦期には社会主義圏と対抗する上でそれは必要な負担でもありました。ところがその束縛が解けると、つまり世界全体がアメリカの覇権のもとに置かれると(冷戦の勝利)、もはやアメリカはみずからの国家的本質を全世界の規範とすることができます。それが国家の私企業化です。
アメリカは私企業の連合体であったときに大発展し、世界の主導国になりました。しかし国際秩序の制約と責任で衰退した。だから「MAGA」というわけですが、それは私企業の神輿という性格を取り戻すということでもあるでしょう。
そして、忘れてはならないのは、アメリカの企業は「法人」ですが、アメリカでは「法人」は生身の人間とまったく同じ権利を享受すると定められています。そして企業の目的は株主の利益を守り促進することと定められています。いわゆる「新自由主義」の大原則ですが、その「自由」とは私的存在の欲望追及の自由であり、その自由が法権利として保障されているというのが「新世界」の特徴なのです。だから新自由主義の「新」とは、「新世界」の「新」でもあるのです。
トランプ氏は企業家といっても、前に言ったように不動産屋です。つまり「自然物」を法権利の対象とし、その転換を媒介するのが仕事でした。イーロン・マスクを始めとする「ビッグ・テック」のリーダーたちは、情報革命とインターネット解放後の、あらゆる財のデジタル・ヴァーチャル化で、人間世界に新たなフロンティア、言いかえれば市場の沃野を作り出し、その開発で天文学的利益を独占的に挙げる新しい企業家たちです。彼らの独占的利益は、デジタル・テクノロジーとその活用の私物化によってしか保証されません。だから彼らは、トランプの乱暴な「私権の自由」を標榜する統治(ディール)に合流するわけです。
6)長い孤立主義の伝統を持つ日本から見て、ドナルド・トランプ氏のホワイトハウス復帰はどのように映りますか?
西谷――何世紀もの間、日本は西洋の膨張主義的で「解放する」文明から身を守るために、自国に引きこもる道を選びました。しかし、そのような時代は過ぎ去り、私たちは西洋の近代性を受け入れて久しく、むしろその恩恵を十分に受けてきました。だからもはや昔の伝統に戻ることはできません。
しかし、アメリカの大統領にトランプ氏が返り咲いたことは、アメリカの属国であることに慣れすぎてしまった(アメリカの51番目の州だと言われたこともあります)我が国にとって、歴史的なチャンスとなるかもしれません。このような依存的な関係がアメリカにとって負担が大きすぎるというのであれば、現在200以上の国が存在するこのグローバル化した世界にあって、私たちは依存し・束縛される立場を脱して自立することを学ぶべきでしょう。すでに冷戦が終わったとき、私たちは変化した世界のなかで新たな立ち位置を求めるべきでした。ところが、私たちがしたことは勝利に酔いしれる「帝国」アメリカにひたすら追従しただけでした。それから30年以上が経ち、日本ではしばしば「失われた30年」が語られました。戦後のある時期にアメリカの保護下で獲得した経済的・技術的名声をこの30年間ですっかり失ってしまったということです(公式の理解は逆ですが)。
今日求められているのは、アメリカ合州国との関係を「正常化」すること、そしてそれは必然的に、中国、ロシアだけでなくアジアやアフリカの国々との関係も「正常化」することです。もし米国がもはや国際的な責任を負わないということならば、我々は米国の優位性のない世界に備えなければなりません。これは私たちにとってとてもよい機会です。日本政府はたいへん臆病ながら、それでもその準備をしているように見えます。
「ドナルド・トランプ米大統領就任記念」フィガロ・インタヴュー ― 2025/01/24
Marianneに続いてFigaroからインタヴューを受けた。
二年前にフランスで出版されたL’impérialisme de la liberté, un autre regard sur l’Amérique, Seuil, 2022)――『アメリカ、異形の制度空間』(講談社メチエ,2016年)の仏訳版――をベースに、トランプのアメリカ大統領就任について見解を聞きたいというのだ。ヨーロッパの人びとは、このようなアメリカの分析の仕方をまったくしたことがないようで(日本でも同じだと思う)、両誌(紙)の編集者とも、たいへん啓発されたと喜んでくれた。
Figaroのこのインタヴューは1月25日に本紙とウェブに掲載されることになっているが、私の私的なつごうもあり、半日早くなるが、日本語訳をここに掲載させてもらう。
(翻訳は面倒なのでDeepLに頼ったが、働いてもらったAIくんには悪いが、やっつけ仕事丸出しでとてもひと様に見せられるものではなく、だいぶ手を入れざるをえなかった。)
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○「ドナルド・トランプ米大統領就任記念」フィガロ・インタヴュー
1)ル・フィガロ――ドナルド・トランプは就任前演説の中で、パナマ運河を取り戻しグリーンランドを併合したいという願望をあらためて示しました。そしてカナダに経済的圧力をかけると脅し、アメリカの51番目の州になってはどうかとも言いました。あなたはこうした発言に驚きましたか?あなたはそれを、ご著書で描き出されている合州国の古い帝国的野心の再燃と見ますか?
西谷修――いかにも厚顔な言い方ですが、トランプ氏は自分がアメリカ大統領である以上、こんなふうに言って当然だと思っているのでしょう。彼のとっては、他国を脅したり空かしたりできるのも、アメリカの「偉大さ」の証なのでしょう。これがショッキングに聞こえる理由は、彼が新しい領土や運河の支配を、国際法の問題ではなく私法(権)の問題であるかのように語っているからです。じつはそれがアメリカの伝統に沿ったものでもあるのですが。
注意すべきことは、アメリカの「帝国主義」は、一般的なモデルになっているヨーロッパのそれとは根本的に異なるということです。それは、領土化し植民地にするためにある地域の住民を服従させるのではなく、土着の住民を抹消してそこを空にし、領土を「解放」するというものです。だいかいアメリカ自体が、先住民を排除してそれを自らの「自由」の(フリーな)領域にするということから始まりました。
この「解放」の力学は、その後海外にも広がっていった。アメリカが1898年に「帝国支配からの解放」の名のもとに行った対スペイン戦争によって、フィリピン、グアム、プエルトリコの支配権を2000万ドルで獲得することができたのです。こうして、これらの旧植民地は「古い西洋」の支配から「解放」され、私有財産権に基づく「自由の体制」に服して、アメリカ市場の領域に組み込まれました。こうして、「所有権に基づく自由の帝国主義」はアメリカ大陸を越えて広がり始めました。それが、「古いヨーロッパ」の帝国的支配から領土を「解放」し、アメリカの支配圏に統合するという新しい世界統治の方法なのです。
この新しい手法はじつは不動産業者が使うものと似ており(地上げや転がし)、ドナルド・トランプが政界入りする前にこの職業で財を成したことを忘れてはなりません。国際政治へのこの手法の導入は、彼の最初の任期中には多くの障害に遭遇しました。しかし今回の選挙で、彼は正統性を獲得した。
選挙というのはドメスティック(国内的)なもので、当然ながらアメリカの有権者が選んだのは自分たちの大統領であって、世界全体の大統領ではありません。ところが、アメリカの影響力が絶大であるため、世界中の市民たちは「世界に開かれた大統領」がホワイトハウスに入ることを期待していました。その期待は、選挙に関する国々のメディアの報道にも表れていました。しかし、米国は再びトランプ氏を大統領に選出した。多くの人が「MAGA」に応えたのです。これはソーシャルネットワークなどの影響もあるでしょうが、いずれにせよ、米国は今後しばらくは自国重視の姿勢を打ち出し、大統領も同じように振る舞うということです。
2)新大統領は、メキシコ湾の名称を「アメリカ湾」に変更することも約束しています。「何て美しい名前だ!まったく相応しいじゃないか」と言いながら。これは、あなたが著書で引用しているステファン・ツヴァイクがアメリゴ・ヴェスプッチの伝記に書いた言葉を思い起こさせます。アメリカという名前は「征服する言葉だ。この言葉のうちには暴力性があり(中略)、年々、より大きな領域を併合していく」。なぜアメリカ合州国は大陸全体の名前をとったのでしょう?これは領土拡大の兆候だったのでしょうか?
西谷――確かに、完全母音にはさまれて明るく生き生きとした響きをもつこの名前は美しい。ドイツの若い地理学者ヴァルトゼーミュラーは、この名前を提案した後、自分の「早とちり」を認めて、自身の世界図からこの名前を撤回したのですが、たぶんその響きの良さのため、たちまちヨーロッパに広がり、誰も修正に応じませんでした。そしてこの名称は、ヨーロッパ人が大西洋の彼方に「発見」したすべての土地を覆って指すようになりました。スペインとポルトガルによって大陸南部に植民地化された国々は、ヨーロッパの帝国主義的なやり方で植民地化されました。そして独立後、これらの国々は「ラテンアメリカ」と総称されるようになりますが、どの国も国名に「アメリカ」という修飾語は採用しなかった(多くは現地語を用いた)。
一方、北半球では「アメリカ」は、「処女」とみなされた土地の先住民(インディアン)を排除してゼロから作り出されました。つまり、「私有財産に基づく自由」という「制度的空間」が「新世界」としてここに建設された。その「新世界」の名が「アメリカ」だったのです。
当初、それぞれ「ステート」を名乗っていた東部の13植民地は連携して独立を宣言し、アメリカ合州国を作りました。その後、フランスからルイジアナを買い取り、先住民を追い出して併合します。それから、メキシコからテキサスとカリフォルニアを奪い、あるいは買い取り、いわゆる「フロンティア」を太平洋岸まで伸ばしました。この「フロンティア」は、実際には「拡大するアメリカ」の前線だったわけです。さらに、アメリカはロシアからアラスカを買い取った。そしてスペインとの戦争時には、ついに太平洋のハワイ諸島を併合しました。それ以来、アメリカ合州国を構成する州(ステート)は50を数えるようになっています[これは開かれていて、さらに増えうるわけです]。
ステファン・ツヴァイクは、ナチスに支配された祖国を逃れ、「旧世界」の混沌から遠く離れた「ヨーロッパの未来」を象徴するはずのアメリカ大陸へと向かいました。しかし、ツヴァイクがそこで見たものは、物質的で人工的な文明の繁栄であり、むしろ野蛮で虚栄に満ちたもので、彼が大切にしてきたヨーロッパの未来ではなかった......。同じように、哲学者のアドルノとホルクハイマーは『啓蒙の弁証法』(フランス語では『Dialectique de la raison』という不正確なタイトルで翻訳されている)を書きました。その中で彼らはアメリカ文明を批判し、「過剰な光は目を焼きつぶし、暗黒を作り出す」と言っています。
ツヴァイクは「アメリカ」を「征服する名前」と呼びました。私はそれが何を意味するのか、この名前は実際には何を指しているのか、それを考えてみたのです。制度的な用語で言えば、この名称はterra nulliusというローマ法の概念を、ヨーロッパ人にとって未知の土地に投影したものです。それは、処女地であり、持ち主がおらず、自由に処分可能であると想像される大地の規定です。それがまず「アメリカ」と呼ばれました。先住民は、自分たちの先祖代々の土地が不動産として商品のように扱われることを想像できなかったから、ヨーロッパ人がそれを獲得し所有権を設定するのは容易でした。彼らは自分たちを土地の所有者と宣言し、権利をもたない「インディアン」を追い出して、文明の「フロンティア」をさらに西へと押し進めました。そのように、大地とそこに属するすべての豊かさを私有財産に変え、譲渡可能で証券化可能な不動産に変えたことが、「アメリカ」を特徴づけています。「新世界」とはそういうものだったのですね。大地を商品に転換して売買することが不動産業者のコアビジネスです。だから、トランプ氏が大統領になったときには、アメリカに新たな土地を割り当て、その土壌を執拗に掘って、掘って、掘りまくる(ドリル、ドリル、ドリル!)と呼びかけるのは容易に理解できます。
3)ドナルド・トランプやイーロン・マスクも最近、ヨーロッパにさかんに圧力をかけています。これは、アメリカがつねに自らを「新しい西洋」として提示し、人類を「旧世界」のくびきから「解放」したいという願望を公言してきたことをあらためて示すものなのでしょうか?合州国とヨーロッパとの最近の関係と力関係をどのように考えておられますか。
西谷――その問いにはまず別の問いを立てることで答えましょう。なぜトランプはイーロン・マスクと手を組んだのか?トランプは元不動産業者であるだけでなく、ひとつのポストを求める希望者同士を戦わせ、徐々に排除していくリアリティ番組『アプレンティス』の司会をしていました。一方マスクはデジタル・テクノロジー企業のオーナーであり、プロモーターです。[ほんとうはトランプがプロレスリングの興行者だったことを使いたかったが、フランスではプロレスの話は通じないので、テレビのリアリティー・ショーの話にした。要は、リアルとフェイクの境を取っ払った見世物である。]
イーロン・マスクは、さまざまな技術のフロンティア、特にヴァーチャル化技術で開かれつつある空間、あるいはそのコントロールを私的に独占しようとしているのです。彼は(他のテック企業のオーナーたちと同様)「表現の自由」を楯にとります。そしてそれに関するあらゆる規制を撤廃しようとする。政府効率化省の話もありますが、これは結局のところ、コンピューター化、デジタル化された時代における人間の私的な欲望追求に関するあらゆる制限を無力化するための彼の戦略なのではないでしょうか?
このような「自由」の概念は、典型的にアメリカ的なものです。それは「フリーパス」の要求であって、私権や私物化を優先して公的な制約をすべて取り払うための権限です。実際もうアメリカではあらゆるテクノロジーがすべて「プライバタイズ」で推進されているわけですが、身体を自由にするバイオテクノロジー、人間の思考を無用にする人工知能技術、第二の惑星への新たな「脱出(エグゾダス)」を目指した宇宙開発技術など…。彼は、デジタル化され、ヴァーチャル化されるすべての新資源を自分が「自由に」開発利用できる権利を要求しているのです。このようなプロジェクトは、「新世界」創出(草創期のアメリカ)に関するトランプの願望と一致していると言えます
EUはアメリカ連邦政府に匹敵する規模と経済力を持つ国々の連合体です。だから、トランプ氏はそれを無視して、欧州各国に個別に脅しをかけ、自らの「取引術(ディールの闘技場)」に引き込もうとしているわけです。イーロン・マスクに関しては、欧州諸国のいわゆる極右勢力に公然と肩入れしています。「極右」という定義が今日でも有効かどうかについては疑問ですが、いずれにせよ、彼はトランプ主義者のスローガン「自国第一」に共鳴するすべての人々に呼びかけており、それはEUの軛から抜け出よと言っているようなものです。あたかもEUが彼らにとっての「古い帝国」だと言うかのように。ヨーロッパを揺るがすこの状況は、ソ連崩壊時の旧東欧圏諸国を彷彿とさせます。彼らはヨーロッパ連合への加盟を要求しながらも、「古いヨーロッパ」を嫌ってよりアメリカ的な「新しいヨーロッパ」を要求していました。
4)暗殺未遂事件後、ドナルド・トランプは自身の当選が宗教的で預言的な次元にあることを主張しました。あなたは著書の中で、現代アメリカの神学的・政治的起源を喚起しています。ドナルド・トランプが政権に返り咲いたことで、米国の「明白な運命」の思い込みはさらに強化されると感じますか?
西谷――トランプへの狙撃は、おそらくトランプ氏自身にとっては一種の啓示的意味をもったでしょうが、それは非常に個人的なものにとどまったと思います。彼はもう少しで命を落とすところだった。だから彼は神が自分を守ってくれていると思ったのかもしれない。しかしこの出来事によって、彼が救世主的運命に目覚めたとは思えません。この出来事は、「不当に」奪われた大統領の座を取り戻したいという彼の願望を正当化するとともに、より強化されたことは確かでしょう。そこで果ててしまっては、汚名を被ったままで、そのままにしておくわけにはいけません。それにあの「不屈の男」を絵にかいたような写真があります。あれは印象的だったでしょう。たしかに、トランプは就任演説で、「マニフェスト・デスティニー(明白な運命)を星まで追い求める」と宣言しました("We will pursue our Manifest Destiny into the Stars")。ただし、彼はそのとき聖書に手を置いていませんでした[彼に信仰心などないということ]。
5)ご著書のなかで、あなたは「北米では最初の入植が失敗した後、ヴァージニア植民会社が設立されて、植民地の設営は民間の商業的企業のイニシアチヴで行われた」ということを指摘しています。この歴史に照らして、トランプ大統領と彼の "Art of the Deal "によってアメリカ外交に商業論理が戻ってきたことをどう分析されますか。これはまさに回帰ということなのでしょうか?
西谷――その通りと言うか、そこは大事な点です。アメリカ植民地の開発は、基本的に私的セクターの主導で行われました。マサチューセッツ植民会社、ニューイングランド植民会社…、みな国王の特許状をもって植民地建設を行いました。特許のもとで数年間開墾すると、そこは私有地になる。
そうして開発され、発展した各植民地は、王権の軛(課税)をきらって独立することになったわけです。
だからアメリカ植民地の独立とは、王の帝国的権力を除去して、市民の共和国を作る、言いかえれば私企業が連合して政治権力を排除したようなものです。それがアメリカ国家の基本的性格を規定しています。つまり私企業の連合国家、組合国家だということです。
アメリカは戦後、国際秩序の盟主になることで、秩序のパートナーとして責任も負うことになりました。冷戦期には社会主義圏と対抗する上でそれは必要な負担でもありました。ところがその束縛が解けると、つまり世界全体がアメリカの覇権のもとに置かれると(冷戦の勝利)、もはやアメリカはみずからの国家的本質を全世界の規範とすることができます。それが国家の私企業化です。
アメリカは私企業の連合体であったときに大発展し、世界の主導国になりました。しかし国際秩序の制約と責任で衰退した。だから「MAGA」というわけですが、それは私企業の神輿という性格を取り戻すということでもあるでしょう。
そして、忘れてはならないのは、アメリカの企業は「法人」ですが、アメリカでは「法人」は生身の人間とまったく同じ権利を享受すると定められています。そして企業の目的は株主の利益を守り促進することと定められています。いわゆる「新自由主義」の大原則ですが、その「自由」とは私的存在の欲望追及の自由であり、その自由が法権利として保障されているというのが「新世界」の特徴なのです。だから新自由主義の「新」とは、「新世界」の「新」でもあるのです。
トランプ氏は企業家といっても、前に言ったように不動産屋です。つまり「自然物」を法権利の対象とし、その転換を媒介するのが仕事でした。イーロン・マスクを始めとする「ビッグ・テック」のリーダーたちは、情報革命とインターネット解放後の、あらゆる財のデジタル・ヴァーチャル化で、人間世界に新たなフロンティア、言いかえれば市場の沃野を作り出し、その開発で天文学的利益を独占的に挙げる新しい企業家たちです。彼らの独占的利益は、デジタル・テクノロジーとその活用の私物化によってしか保証されません。だから彼らは、トランプの乱暴な「私権の自由」を標榜する統治(ディール)に合流するわけです。
6)長い孤立主義の伝統を持つ日本から見て、ドナルド・トランプ氏のホワイトハウス復帰はどのように映りますか?
西谷――何世紀もの間、日本は西洋の膨張主義的で「解放する」文明から身を守るために、自国に引きこもる道を選びました。しかし、そのような時代は過ぎ去り、私たちは西洋の近代性を受け入れて久しく、むしろその恩恵を十分に受けてきました。だからもはや昔の伝統に戻ることはできません。
しかし、アメリカの大統領にトランプ氏が返り咲いたことは、アメリカの属国であることに慣れすぎてしまった(アメリカの51番目の州だと言われたこともあります)我が国にとって、歴史的なチャンスとなるかもしれません。このような依存的な関係がアメリカにとって負担が大きすぎるというのであれば、現在200以上の国が存在するこのグローバル化した世界にあって、私たちは依存し・束縛される立場を脱して自立することを学ぶべきでしょう。すでに冷戦が終わったとき、私たちは変化した世界のなかで新たな立ち位置を求めるべきでした。ところが、私たちがしたことは勝利に酔いしれる「帝国」アメリカにひたすら追従しただけでした。それから30年以上が経ち、日本ではしばしば「失われた30年」が語られました。戦後のある時期にアメリカの保護下で獲得した経済的・技術的名声をこの30年間ですっかり失ってしまったということです(公式の理解は逆ですが)。
今日求められているのは、アメリカ合州国との関係を「正常化」すること、そしてそれは必然的に、中国、ロシアだけでなくアジアやアフリカの国々との関係も「正常化」することです。もし米国がもはや国際的な責任を負わないということならば、我々は米国の優位性のない世界に備えなければなりません。これは私たちにとってとてもよい機会です。日本政府はたいへん臆病ながら、それでもその準備をしているように見えます。
二年前にフランスで出版されたL’impérialisme de la liberté, un autre regard sur l’Amérique, Seuil, 2022)――『アメリカ、異形の制度空間』(講談社メチエ,2016年)の仏訳版――をベースに、トランプのアメリカ大統領就任について見解を聞きたいというのだ。ヨーロッパの人びとは、このようなアメリカの分析の仕方をまったくしたことがないようで(日本でも同じだと思う)、両誌(紙)の編集者とも、たいへん啓発されたと喜んでくれた。
Figaroのこのインタヴューは1月25日に本紙とウェブに掲載されることになっているが、私の私的なつごうもあり、半日早くなるが、日本語訳をここに掲載させてもらう。
(翻訳は面倒なのでDeepLに頼ったが、働いてもらったAIくんには悪いが、やっつけ仕事丸出しでとてもひと様に見せられるものではなく、だいぶ手を入れざるをえなかった。)
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○「ドナルド・トランプ米大統領就任記念」フィガロ・インタヴュー
1)ル・フィガロ――ドナルド・トランプは就任前演説の中で、パナマ運河を取り戻しグリーンランドを併合したいという願望をあらためて示しました。そしてカナダに経済的圧力をかけると脅し、アメリカの51番目の州になってはどうかとも言いました。あなたはこうした発言に驚きましたか?あなたはそれを、ご著書で描き出されている合州国の古い帝国的野心の再燃と見ますか?
西谷修――いかにも厚顔な言い方ですが、トランプ氏は自分がアメリカ大統領である以上、こんなふうに言って当然だと思っているのでしょう。彼のとっては、他国を脅したり空かしたりできるのも、アメリカの「偉大さ」の証なのでしょう。これがショッキングに聞こえる理由は、彼が新しい領土や運河の支配を、国際法の問題ではなく私法(権)の問題であるかのように語っているからです。じつはそれがアメリカの伝統に沿ったものでもあるのですが。
注意すべきことは、アメリカの「帝国主義」は、一般的なモデルになっているヨーロッパのそれとは根本的に異なるということです。それは、領土化し植民地にするためにある地域の住民を服従させるのではなく、土着の住民を抹消してそこを空にし、領土を「解放」するというものです。だいかいアメリカ自体が、先住民を排除してそれを自らの「自由」の(フリーな)領域にするということから始まりました。
この「解放」の力学は、その後海外にも広がっていった。アメリカが1898年に「帝国支配からの解放」の名のもとに行った対スペイン戦争によって、フィリピン、グアム、プエルトリコの支配権を2000万ドルで獲得することができたのです。こうして、これらの旧植民地は「古い西洋」の支配から「解放」され、私有財産権に基づく「自由の体制」に服して、アメリカ市場の領域に組み込まれました。こうして、「所有権に基づく自由の帝国主義」はアメリカ大陸を越えて広がり始めました。それが、「古いヨーロッパ」の帝国的支配から領土を「解放」し、アメリカの支配圏に統合するという新しい世界統治の方法なのです。
この新しい手法はじつは不動産業者が使うものと似ており(地上げや転がし)、ドナルド・トランプが政界入りする前にこの職業で財を成したことを忘れてはなりません。国際政治へのこの手法の導入は、彼の最初の任期中には多くの障害に遭遇しました。しかし今回の選挙で、彼は正統性を獲得した。
選挙というのはドメスティック(国内的)なもので、当然ながらアメリカの有権者が選んだのは自分たちの大統領であって、世界全体の大統領ではありません。ところが、アメリカの影響力が絶大であるため、世界中の市民たちは「世界に開かれた大統領」がホワイトハウスに入ることを期待していました。その期待は、選挙に関する国々のメディアの報道にも表れていました。しかし、米国は再びトランプ氏を大統領に選出した。多くの人が「MAGA」に応えたのです。これはソーシャルネットワークなどの影響もあるでしょうが、いずれにせよ、米国は今後しばらくは自国重視の姿勢を打ち出し、大統領も同じように振る舞うということです。
2)新大統領は、メキシコ湾の名称を「アメリカ湾」に変更することも約束しています。「何て美しい名前だ!まったく相応しいじゃないか」と言いながら。これは、あなたが著書で引用しているステファン・ツヴァイクがアメリゴ・ヴェスプッチの伝記に書いた言葉を思い起こさせます。アメリカという名前は「征服する言葉だ。この言葉のうちには暴力性があり(中略)、年々、より大きな領域を併合していく」。なぜアメリカ合州国は大陸全体の名前をとったのでしょう?これは領土拡大の兆候だったのでしょうか?
西谷――確かに、完全母音にはさまれて明るく生き生きとした響きをもつこの名前は美しい。ドイツの若い地理学者ヴァルトゼーミュラーは、この名前を提案した後、自分の「早とちり」を認めて、自身の世界図からこの名前を撤回したのですが、たぶんその響きの良さのため、たちまちヨーロッパに広がり、誰も修正に応じませんでした。そしてこの名称は、ヨーロッパ人が大西洋の彼方に「発見」したすべての土地を覆って指すようになりました。スペインとポルトガルによって大陸南部に植民地化された国々は、ヨーロッパの帝国主義的なやり方で植民地化されました。そして独立後、これらの国々は「ラテンアメリカ」と総称されるようになりますが、どの国も国名に「アメリカ」という修飾語は採用しなかった(多くは現地語を用いた)。
一方、北半球では「アメリカ」は、「処女」とみなされた土地の先住民(インディアン)を排除してゼロから作り出されました。つまり、「私有財産に基づく自由」という「制度的空間」が「新世界」としてここに建設された。その「新世界」の名が「アメリカ」だったのです。
当初、それぞれ「ステート」を名乗っていた東部の13植民地は連携して独立を宣言し、アメリカ合州国を作りました。その後、フランスからルイジアナを買い取り、先住民を追い出して併合します。それから、メキシコからテキサスとカリフォルニアを奪い、あるいは買い取り、いわゆる「フロンティア」を太平洋岸まで伸ばしました。この「フロンティア」は、実際には「拡大するアメリカ」の前線だったわけです。さらに、アメリカはロシアからアラスカを買い取った。そしてスペインとの戦争時には、ついに太平洋のハワイ諸島を併合しました。それ以来、アメリカ合州国を構成する州(ステート)は50を数えるようになっています[これは開かれていて、さらに増えうるわけです]。
ステファン・ツヴァイクは、ナチスに支配された祖国を逃れ、「旧世界」の混沌から遠く離れた「ヨーロッパの未来」を象徴するはずのアメリカ大陸へと向かいました。しかし、ツヴァイクがそこで見たものは、物質的で人工的な文明の繁栄であり、むしろ野蛮で虚栄に満ちたもので、彼が大切にしてきたヨーロッパの未来ではなかった......。同じように、哲学者のアドルノとホルクハイマーは『啓蒙の弁証法』(フランス語では『Dialectique de la raison』という不正確なタイトルで翻訳されている)を書きました。その中で彼らはアメリカ文明を批判し、「過剰な光は目を焼きつぶし、暗黒を作り出す」と言っています。
ツヴァイクは「アメリカ」を「征服する名前」と呼びました。私はそれが何を意味するのか、この名前は実際には何を指しているのか、それを考えてみたのです。制度的な用語で言えば、この名称はterra nulliusというローマ法の概念を、ヨーロッパ人にとって未知の土地に投影したものです。それは、処女地であり、持ち主がおらず、自由に処分可能であると想像される大地の規定です。それがまず「アメリカ」と呼ばれました。先住民は、自分たちの先祖代々の土地が不動産として商品のように扱われることを想像できなかったから、ヨーロッパ人がそれを獲得し所有権を設定するのは容易でした。彼らは自分たちを土地の所有者と宣言し、権利をもたない「インディアン」を追い出して、文明の「フロンティア」をさらに西へと押し進めました。そのように、大地とそこに属するすべての豊かさを私有財産に変え、譲渡可能で証券化可能な不動産に変えたことが、「アメリカ」を特徴づけています。「新世界」とはそういうものだったのですね。大地を商品に転換して売買することが不動産業者のコアビジネスです。だから、トランプ氏が大統領になったときには、アメリカに新たな土地を割り当て、その土壌を執拗に掘って、掘って、掘りまくる(ドリル、ドリル、ドリル!)と呼びかけるのは容易に理解できます。
3)ドナルド・トランプやイーロン・マスクも最近、ヨーロッパにさかんに圧力をかけています。これは、アメリカがつねに自らを「新しい西洋」として提示し、人類を「旧世界」のくびきから「解放」したいという願望を公言してきたことをあらためて示すものなのでしょうか?合州国とヨーロッパとの最近の関係と力関係をどのように考えておられますか。
西谷――その問いにはまず別の問いを立てることで答えましょう。なぜトランプはイーロン・マスクと手を組んだのか?トランプは元不動産業者であるだけでなく、ひとつのポストを求める希望者同士を戦わせ、徐々に排除していくリアリティ番組『アプレンティス』の司会をしていました。一方マスクはデジタル・テクノロジー企業のオーナーであり、プロモーターです。[ほんとうはトランプがプロレスリングの興行者だったことを使いたかったが、フランスではプロレスの話は通じないので、テレビのリアリティー・ショーの話にした。要は、リアルとフェイクの境を取っ払った見世物である。]
イーロン・マスクは、さまざまな技術のフロンティア、特にヴァーチャル化技術で開かれつつある空間、あるいはそのコントロールを私的に独占しようとしているのです。彼は(他のテック企業のオーナーたちと同様)「表現の自由」を楯にとります。そしてそれに関するあらゆる規制を撤廃しようとする。政府効率化省の話もありますが、これは結局のところ、コンピューター化、デジタル化された時代における人間の私的な欲望追求に関するあらゆる制限を無力化するための彼の戦略なのではないでしょうか?
このような「自由」の概念は、典型的にアメリカ的なものです。それは「フリーパス」の要求であって、私権や私物化を優先して公的な制約をすべて取り払うための権限です。実際もうアメリカではあらゆるテクノロジーがすべて「プライバタイズ」で推進されているわけですが、身体を自由にするバイオテクノロジー、人間の思考を無用にする人工知能技術、第二の惑星への新たな「脱出(エグゾダス)」を目指した宇宙開発技術など…。彼は、デジタル化され、ヴァーチャル化されるすべての新資源を自分が「自由に」開発利用できる権利を要求しているのです。このようなプロジェクトは、「新世界」創出(草創期のアメリカ)に関するトランプの願望と一致していると言えます
EUはアメリカ連邦政府に匹敵する規模と経済力を持つ国々の連合体です。だから、トランプ氏はそれを無視して、欧州各国に個別に脅しをかけ、自らの「取引術(ディールの闘技場)」に引き込もうとしているわけです。イーロン・マスクに関しては、欧州諸国のいわゆる極右勢力に公然と肩入れしています。「極右」という定義が今日でも有効かどうかについては疑問ですが、いずれにせよ、彼はトランプ主義者のスローガン「自国第一」に共鳴するすべての人々に呼びかけており、それはEUの軛から抜け出よと言っているようなものです。あたかもEUが彼らにとっての「古い帝国」だと言うかのように。ヨーロッパを揺るがすこの状況は、ソ連崩壊時の旧東欧圏諸国を彷彿とさせます。彼らはヨーロッパ連合への加盟を要求しながらも、「古いヨーロッパ」を嫌ってよりアメリカ的な「新しいヨーロッパ」を要求していました。
4)暗殺未遂事件後、ドナルド・トランプは自身の当選が宗教的で預言的な次元にあることを主張しました。あなたは著書の中で、現代アメリカの神学的・政治的起源を喚起しています。ドナルド・トランプが政権に返り咲いたことで、米国の「明白な運命」の思い込みはさらに強化されると感じますか?
西谷――トランプへの狙撃は、おそらくトランプ氏自身にとっては一種の啓示的意味をもったでしょうが、それは非常に個人的なものにとどまったと思います。彼はもう少しで命を落とすところだった。だから彼は神が自分を守ってくれていると思ったのかもしれない。しかしこの出来事によって、彼が救世主的運命に目覚めたとは思えません。この出来事は、「不当に」奪われた大統領の座を取り戻したいという彼の願望を正当化するとともに、より強化されたことは確かでしょう。そこで果ててしまっては、汚名を被ったままで、そのままにしておくわけにはいけません。それにあの「不屈の男」を絵にかいたような写真があります。あれは印象的だったでしょう。たしかに、トランプは就任演説で、「マニフェスト・デスティニー(明白な運命)を星まで追い求める」と宣言しました("We will pursue our Manifest Destiny into the Stars")。ただし、彼はそのとき聖書に手を置いていませんでした[彼に信仰心などないということ]。
5)ご著書のなかで、あなたは「北米では最初の入植が失敗した後、ヴァージニア植民会社が設立されて、植民地の設営は民間の商業的企業のイニシアチヴで行われた」ということを指摘しています。この歴史に照らして、トランプ大統領と彼の "Art of the Deal "によってアメリカ外交に商業論理が戻ってきたことをどう分析されますか。これはまさに回帰ということなのでしょうか?
西谷――その通りと言うか、そこは大事な点です。アメリカ植民地の開発は、基本的に私的セクターの主導で行われました。マサチューセッツ植民会社、ニューイングランド植民会社…、みな国王の特許状をもって植民地建設を行いました。特許のもとで数年間開墾すると、そこは私有地になる。
そうして開発され、発展した各植民地は、王権の軛(課税)をきらって独立することになったわけです。
だからアメリカ植民地の独立とは、王の帝国的権力を除去して、市民の共和国を作る、言いかえれば私企業が連合して政治権力を排除したようなものです。それがアメリカ国家の基本的性格を規定しています。つまり私企業の連合国家、組合国家だということです。
アメリカは戦後、国際秩序の盟主になることで、秩序のパートナーとして責任も負うことになりました。冷戦期には社会主義圏と対抗する上でそれは必要な負担でもありました。ところがその束縛が解けると、つまり世界全体がアメリカの覇権のもとに置かれると(冷戦の勝利)、もはやアメリカはみずからの国家的本質を全世界の規範とすることができます。それが国家の私企業化です。
アメリカは私企業の連合体であったときに大発展し、世界の主導国になりました。しかし国際秩序の制約と責任で衰退した。だから「MAGA」というわけですが、それは私企業の神輿という性格を取り戻すということでもあるでしょう。
そして、忘れてはならないのは、アメリカの企業は「法人」ですが、アメリカでは「法人」は生身の人間とまったく同じ権利を享受すると定められています。そして企業の目的は株主の利益を守り促進することと定められています。いわゆる「新自由主義」の大原則ですが、その「自由」とは私的存在の欲望追及の自由であり、その自由が法権利として保障されているというのが「新世界」の特徴なのです。だから新自由主義の「新」とは、「新世界」の「新」でもあるのです。
トランプ氏は企業家といっても、前に言ったように不動産屋です。つまり「自然物」を法権利の対象とし、その転換を媒介するのが仕事でした。イーロン・マスクを始めとする「ビッグ・テック」のリーダーたちは、情報革命とインターネット解放後の、あらゆる財のデジタル・ヴァーチャル化で、人間世界に新たなフロンティア、言いかえれば市場の沃野を作り出し、その開発で天文学的利益を独占的に挙げる新しい企業家たちです。彼らの独占的利益は、デジタル・テクノロジーとその活用の私物化によってしか保証されません。だから彼らは、トランプの乱暴な「私権の自由」を標榜する統治(ディール)に合流するわけです。
6)長い孤立主義の伝統を持つ日本から見て、ドナルド・トランプ氏のホワイトハウス復帰はどのように映りますか?
西谷――何世紀もの間、日本は西洋の膨張主義的で「解放する」文明から身を守るために、自国に引きこもる道を選びました。しかし、そのような時代は過ぎ去り、私たちは西洋の近代性を受け入れて久しく、むしろその恩恵を十分に受けてきました。だからもはや昔の伝統に戻ることはできません。
しかし、アメリカの大統領にトランプ氏が返り咲いたことは、アメリカの属国であることに慣れすぎてしまった(アメリカの51番目の州だと言われたこともあります)我が国にとって、歴史的なチャンスとなるかもしれません。このような依存的な関係がアメリカにとって負担が大きすぎるというのであれば、現在200以上の国が存在するこのグローバル化した世界にあって、私たちは依存し・束縛される立場を脱して自立することを学ぶべきでしょう。すでに冷戦が終わったとき、私たちは変化した世界のなかで新たな立ち位置を求めるべきでした。ところが、私たちがしたことは勝利に酔いしれる「帝国」アメリカにひたすら追従しただけでした。それから30年以上が経ち、日本ではしばしば「失われた30年」が語られました。戦後のある時期にアメリカの保護下で獲得した経済的・技術的名声をこの30年間ですっかり失ってしまったということです(公式の理解は逆ですが)。
今日求められているのは、アメリカ合州国との関係を「正常化」すること、そしてそれは必然的に、中国、ロシアだけでなくアジアやアフリカの国々との関係も「正常化」することです。もし米国がもはや国際的な責任を負わないということならば、我々は米国の優位性のない世界に備えなければなりません。これは私たちにとってとてもよい機会です。日本政府はたいへん臆病ながら、それでもその準備をしているように見えます。
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