コロナウイルス対応、日本の倒錯した現在2020/03/05

*急ぎ、基本的考えをまとめてみた。

 アベ首相が会見で「全小中学校休校」の要請を出し、緊急事態のマネごとをして以来、日本社会には異様な気配が漂っている。コンビニ・薬屋の店頭からマスクが消え、トイレットペーパーも消え始め、街や電車でマスク(手に入らない)をせずに軽く咳するといっせいに白眼視、大観衆の集まるイヴェントだけでなく、あらゆる種類の会合が「自粛」され、街は閑古鳥(そこに行き場のなくなった小中学生がふらつく)、北海道では知事が「非常事態事態」を宣言し(どういうことか?)、週末も人びとは自宅に閉じこもる。
 
 背景には、政府のコロナウィルス対策への迷走がある。クルーズ船横浜入港以来の政府の胡乱な対応だ。政府は水際対策として、クルーズ船の入港・乗客上陸を拒否しようとしたが、感染者を含む4000人の載る船を洋上に追放することはできない。そこでどういう対応をしたかはしだいに明かになる。結局、船内では20%近くの罹患者を出しただけでなく、対応スタッフをも感染させ、そのあげくに、アメリカなどに洋上封印を批判されて、今度は乗客をまったく無防備に散解させてしまった。

 この間、はっきり見えた政府の方針らしきものは、WHOに働きかけ(研究資金も提供して)、クルーズ船の罹患者を日本の患者発生数とは別扱いにするということだけだ。その甲斐あってか、発生後一月経った三月初めの今でも、WHOはその区別を維持し、その発表によれば、日本の患者発生数はいまだ300人余程度で、他の国々(韓国、イタリア、イラン、フランス等)と較べても、際立って少なくなっている。日本は感染抑止に成功しているのか?
 だが、官邸メディアと揶揄されるNHK報道でも、しばらく前からクルーズ船罹患者(日本領内で発生したことは否定できないから)も含めてカウントし、三日には1000人を超えた(1022人)と伝えている。この違いは何か?NHKは少しはまともになったのか?いや、あまり数が少ないと、コロナウイルスの流行が深刻でないことになり、いざというとき「緊急事態」などと言い出せないからだ。

 その矛盾のからくりは、昨日の読売新聞が明かしている。日本政府は「コロナ感染の危険が高い」というイメージが世界に広がることを懸念し、3日にも政府は、世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長が「日本など4か国を最大の懸念だ」と述べたことについて、事実に基づいて発言するよう申し入れ、それを受けテドロス氏は「中国以外の症例の8割は、韓国、イラン、イタリアだ」と発言を軌道修正した、とのことだ。

 要するに、見かけ操作だけが一貫している。それも国外と国内とでは違う対応。世界には「日本は安全」と働きかける。もちろんそれは、当座は7月に迫った東京オリンピックのためだろう(当座というのは、そのオリンピックも「ニッポンよいとこ美しい国!」の情宣機関となった外務省の仕事の目玉ということだが――その「美しい国」の裏面が韓中ヘイトだ)。オリンピック実施の決定権はIОCがもっている。そのIОCも、実施してナンボの営利団体胴元だから、何とか実施を後押しする。

 ところが、安倍政権は、今年の冒頭から「桜吹雪」で大わらわ。利益供与先に責任すべて押しつけようとするが、次々にボロが出て、もはや文書(領収書)の隠蔽・破棄・改竄も通りこし、あからさまな無法を数で押し通すしかなくなっている。もう何度目か。それも「証書チリ紙吹雪」は単発ではなく、経産相・法相は疑惑で辞任、そこにIRカジノ利権疑惑で議員逮捕(あとは放置されている)、官邸子飼い議員の選挙違反騒動(自民党内抗争)、おまけに国会ガチンコ稽古化の無能閣僚漫才、そうして無理だしの奥の奥の手、検察を無法化する異常人事、と重なって、いくらなんでも日本の政治は「アベの末世」を隠せない。

 だからこそ、首相周辺からはコロナウイルス禍を「神風邪」と喜ぶ声も出る。疫病対策に名を借りて、「国難だ」「挙国一致だ」と言えば何でもできる。四の五の言っている場合ではないと「桜吹雪」を後景に押し退ける。あろうことか、みずからの無能が引き起こした混乱(冒頭の社会不安)に乗じて、「緊急事態」を法制化しようと言うのである。この政権はいくもそうだが、騒ぎを引き起こしては、そのドサクサを権力強化に利用する(森友・加計問題に火がつくと、「共謀罪」で火をつけてまんまと通す)。

 言うまでもなく「緊急事態」は、非常時だからとして私権(自由や権利)を制限し国家に権限を集中するための法令である。これを持ち出すためには、事態が深刻だとして社会不安を作らなければならない。つまり今なら、コロナウイルス禍が一般の不安を広げていないとまずいのだ。だから国内では罹患者1000人越えを認める(学者にも、実際にはこの10倍と言わせる)。

 要するに安倍政権は、コロナ対策をはなからしまいまで、みずからの権力維持の政治的配慮によってしか行っていない。そして、それを合法化することになるのが「緊急事態」云々なのだ(民主党政権時に成立したインフルエンザ対応法の改正として出す、といっても本質は変わらない)。黒川某の定年延長と同じである。「桜吹雪」政権が出してくるその法案成立に、主要野党が協力するというのだから目も当てられない。国会休止の権限与えるのか。合法独裁だ。
 
 基本を言えば、疫病対策はむしろ福祉案件であって、管理統制(安全保障)案件ではない。近代国家は初めから「公衆衛生」を「管理統治」のパラダイムと見なしてきた。しかしそれがいわゆる全体主義国家の骨組みとなったのである(ナチズムの生物学主義)。だからこれを分離するのが、それ以後の国家あるいは政治の課題だったはずだ。そのことが、グローバル新自由主義下のマネージメント国家化によってまったく見失われている。
 
 政府の対策会議に加わっている医師でさえ、北海道の患者数が認定発表で88人という時期に、実数は900人超でしょうねと言っていた(NHK)。限定的にしか検査をしていないということが織り込まれているからだ。だとしたら現在、全国では患者は優に一万を超えていると見なければならない。
 韓国やイタリアで急速に罹患者数が増えたのは、ともかく検査をしているからである。検査をしなければ実情が把握できない。それでは対策のしようもないだろう。もちろん特効薬はないが、感染拡大を防ぐためにも、患者の救済のためにも、実情把握がまず第一であるはずだ。ところが日本政府は、態勢が整わないとかで検査を受けさせない。症状が出ていて医師が求めても、条件に合わないからと検査を拒まれる。罹患者数が少ないのはあたりまえである(3月初めまでで東京都の検査件数は350件―NHK)。
 
 その理由が、厚生省と結びついた保険医療体制の縄張り争いに絡む官僚体質にあるのか、検査方針を策定した厚生行政(政府)の意図にあるのかについては、すでにいろいろ情報が出ているが、ともかく感染の広がりを抑えるより、数値を増やさないことに政治の優先配慮があることは明らかである。アベ政権の下での官庁の文書改竄・隠蔽・捏造・廃棄体質と根は同じで、数値操作が「対策」の軸になっているということだ。
 
 それでは感染の広がりは抑えられないが、その倒錯したやり方を上塗りするかのように、安倍首相は唐突に「学校休止」を要請し(事実上の「緊急事態」を表明だ)、日本中を混乱に陥れた。昨日(3/4)の院内集会の模様は「一斉休校の発表後現場は地獄、保育施設関係者が訴え」と伝えられた。何の準備もなく、それまでの対応(感染は低く抑えられていると宣伝)とは矛盾したやり方で、社会的な混迷を深めている。このうえ「緊急事態」を敷く権限を政府に与えることに何の意味があるのか。「緊急事態」と言うならまず政権が退場しなければならない。この政権の権力拡大を許すことはできないし、政権自体が抱えている混乱と無法をまずは排除しなければならないからだ。
 
 そして、「国を挙げて」踏まえなければならないのは、疫病は「戦争」ではなく「災害」だということ、必要なのは「国家による統制」ではなく「救援・介護」の体制をまず整備するということである。具体的には、①まず検査させる ②実情把握 ③地域別対応。国は予算つけて地方行政と医療体制を支援、それと研究、全般対応だ。今の政府はまったく逆のことしかしていない。

(現実味がないとすぐに言われるだろう。次の内閣ができないから、と。そんなものはとりあえずどうでもよい。官僚たちをアベ権力への「自発的隷従」の軛から解き、国民のためにもてる能力を発揮してもらう。地方に対応権限を委譲し予算も出し、現場から必要な対策治療をやってもらう、等々、があれば国の態勢は持ち直す。アベ自民党が権力を握っているかぎり、日本が泥海に沈むのは避けがたい。

 何でもアベのせいにする、という声が聞こえてくる(先日も近くの主婦に言われた)。だが、それが事実だから仕方がない。それを認めない人びとがアベ長期政権をここまでもたせてきた。その結果、もはやアベが退陣しても問題は片づかないほど広がり根をはっている。それでも元凶は除去しなければ後が始まらならないのだ。)

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