コロナを吹き飛ばす厳しい野分の季節2020/09/01

(さすがに政権が変わるというので、何か書き留めておきたいと思ったが、何が意味ある形で変わるのかわからず、まとまらない。それでも走り書きでFBに上げた一文をこちらにも。)

 安倍のような人物がこの国の首相でなくなる日を見たい(いくら何でも――太田元理財局長の忘れられない一言――こんなのが首相ではいけない)と思ってきたが、それが「辞める」という日が来ても一向に気持ちが晴れない。何かが好転する兆しもないからだ。

責任感覚がからっきしない(モリカケ桜、居直りか逃げで、すべて手下を使って首相を守らせる)、法や憲法に従う気持ちはさらにない(「わたしが立法府の長」「みっともない憲法」「けちって火炎瓶」)、ただ「世界の真ん中で輝きたい」だけ、その安倍(とても敬称などつけられない)が、疑惑まみれでコロナ対策でも大ドジして、もうさすがに国会も開けない(ようやく閉じて逃げた)からにっちもさっちもいかなくなっただけなのに、病気を理由に辞めると言う。

 それを若い女性議員が鋭く突くと、たちまち「炎上」、この史上類のない(だから最長)不誠実な権力者を擁護するツイートが湧いて出て(みんな安倍が好きなんだ)、女性議員がネットで袋叩きに遭うのだそうだ。木村ハナちゃんみたい。

 そんな風潮を尻目に、自民党ではメディアを引っ張りながら後継者選び。日銀に札束無制限に刷らせて株価を挙げて円安にし、企業だけ儲けさせてフェイク経済で国民だます一方で、「暴君トランプ」に媚びへつらい、アメリカには何でも貢ぎ武器も爆買い、改造空母に乗ってご満悦、ニヤケ顔の裏でずっと抗議を続ける沖縄を踏みつぶし、朝鮮・韓国ヘイトを煽って戦争ごっこ、「民の要求は踏みつぶし、強者に媚びる」その安倍政治を「権力者は裁かれない」の鉄面皮の壁で守り通し、みずからも陰湿に権勢を振るった「悪代官」がつなぎ首相だと!他にいないのだ。7年半で毒が回りきっている。

 つまり安倍の「レガシー」は日本の政治と社会をすでに抜きがたく浸している。気が晴れるわけがない。今日、沖縄に猛威を振るう台風の、すぐそのあとで別の猛烈な台風がすでに本土をうかがっているという。

「黒人を勝手に殺すな」(BLM)から「法と秩序」へ2020/09/05

 8月25日、ケノーシャでJ・ブレイク殺害抗議デモで「自警」少年が発砲して2人殺害がまだもめている9月3日、今度はワシントンでまた尋問を恐れて車から逃げ出した黒人を警察官がを射殺。2日前にはロサンゼルスで、自転車に乗っていた黒人男性を交通違反容疑で呼び止めた警察が射殺…。警官による殺害と抗議はほんとど日常化。

・日本では、不祥事や議員逮捕や思いつきコロナ対策でもう国会も開けなくなり、やる気のなくなったアベに、誰かが入れ知恵して「病気理由」に「最長政権」で一旦ひかせ、同情誘って権力私物化の垢や埃をかけ流し、根っから執事に代役をやらせ、殿を守ってしばらく尻拭い、来年の幻のオリンピックの後の総裁選で、健康回復「待望」の再登板、高支持率(今でも高い)で今度こそ一気に改憲と、いかにもなシナリオが囁かれている。スガがほんとに首相になりそうだから、きっとこれは本当なのだろう。画策したのは日本会議の黒幕あたりか。

・アメリカでは、キヤラの弱いバイデンに水をあけられていたトランプが、警察官による相次ぐ黒人殺害・銃撃で「人種差別」批判が盛り上がるなか、むしろ「法と秩序」の名のもとに、デモを「暴動」とすり替えて「秩序維持」の警察を押し立てて「強い大統領」をアピール。アメリカ人が警戒し脅威に思っている中国にも強硬姿勢、経済制裁に止まらず軍事対立にまで持ち込んでいる(世界に緊張)。大人しいデモは不思議にすぐに「暴動」になる。
怒りが重なるから当然?J・フロイドの弟が必死でデモ参加者の怒りを抑えていた。デモが拡大すれば警察・治安部隊だけでなく、「自警団」や挑発者が出てきて、犠牲が増えかつ弾圧が正当化されることを知っているからだ。トランプは発砲少年を「愛国者」と呼んだ。黒人たち(やその支持者)はそれでもますます殺される(このニュース)。そんな事件が重なるだけ、アメリカ社会は不安になり、逆に「秩序」を求める。つまり黒人が警察に殺されることより、警察に「秩序」を守ってほしいということだ。それでトランプは支持を拡大する。ワクチンは強引に選挙前にも使えるようにする。ということで、多くのアメリカ人はいまや「もう4年」を求めているようだ。

・日本は悪どい画策がまんまと通りそうだというだけだが、アメリカは(とくに黒人たちにとっては)地獄のぬかるみ、「暗黒啓蒙」派や陰謀バノンがほくそ笑んでいる。酷い世界の流れだ。

アベノレガシー:権力私物化・公共性崩壊とヘイト2020/09/09

「ドコモ口座、18銀行と連携停止、不正預金引き出しで、地銀に被害」の記事に接して――

 新型コロナウイルス追跡アプリを配るといっても「紆余曲折があり」(JX通信社の記事の表現)、厚労省は予定の約2カ月遅れでやっと「接触確認アプリ」(COCOA) を配布。しかしこの間の政府の姿勢で(記録もなにも隠蔽・破棄、IT担当大臣は無能、ただし事あるごとに押しつけナンバーの口座紐つけだけはなんとしてでもやろうとする)、行政府に対する市民の信頼はゼロ。だから中途半端なアプリを誰も使おうとしない。

 そして中国のデジタルIT技術が進むと、独裁国家の監視体制が云々と言いけなす。中国では日常の市場の買い物もスマホでやるのが普通になっているし、そのネット売買等は信用ランキングアプリで確実性も市場的に担保される仕組みだ。そのことを多くの国民(中国人)はむしろ積極的に受け入れている。それがどういうことかは「独裁国家」などという「西側(=アメリカ)」のレッテル貼りでは理解できない。私は社会のデジタルIT化を無条件に歓迎する者ではないが(とくに5Gなど)、中国社会ではこれがどれほど経済の「成長」と国民生活のかさ上げに役立ったかということだ。それは少なくとも『幸福な監視社会・中国』ぐらいは読んで考えてみてほしい。

 日本はいま「コロナ禍の出口」としてデジタルIT化の推進を謳っているが、残念なことにその基幹リーディング企業である元NTT・ドコモが、やろうとするとたちまちこんな仕儀になる。ダダ漏れで使えないシステムしか開発できないのだ。これが日本の現状だということを理解しなければならない(イデオロギーではなく行政力・統治能力の問題)。

 「市場の自由化」と「権力の私物化」(いずれもprivatizationだ)を都合よく癒着させてきたこの間の日本の政権は、行政機関や社会組織(企業も含めて)を「忖度・隷従」の私権の蟻塚とシステムと化してしまい、「コロナ対応」でもそうだが、公共行政システムをまったく無能化させてしまった。そのカムフラージュ(というより政権の基本姿勢だが)として外の相手の実相を見ない「内向きニッポンすごい!⇔嫌中・嫌韓ヘイト」である。だからコロナも終息しない今も、そんな事は小事、大事は愛知トリエンナーレで「ヘイトはいけない」と発信し続けた大村知事のリコールだ、とバカげた騒ぎを、メディアは無視、あるいは何かまともな政治活動ででもあるかのように報じる(得意の「両論併記」?)。そして台風でも、韓国に抜けてしまえば知らん顔。

 この日本の「惨状」こそが、安倍史上最長政権の「レガシー」である。ただし、まさにその「レガシー」を重ねてきたために、安倍政権はさまざまな「汚物」を溜め込み、それがポリ袋をやぶって溢れるようになり、公文書隠蔽廃棄、官僚偽証、議員選挙違反、カジノ利権、そしてモリカケ桜で足元が崩れ出し、最後にそれらに蓋をする検察人事のムリ押しに失敗し、ついに国会を閉じて逃げ出したが、もはや再び国会を開くのはイヤだ…。そうは言えないから、「持病」を口実に使った。そしたら「同情」が集まったのか支持率上昇という怪、それは日本の現在の「惨状」をあくまで見たくないという、「アベノレガシー」の腐臭だと言わざるをえない。

 (ワクチン買い漁りも日本では開発できないから、そして英米製薬企業から「副作用があっても責任取らない」という条件まで受けいれて――さすがにそれはできなかったが――という酷さ。)

デジタル化の津波に備える2020/09/27

見よ、同胞よ、春はきた
大地は太陽の抱擁を受け、やがて
この愛の実りが見られるだろう。
種たちは芽生え、生き物も活気づく。

この神秘の力に、我らの生存も負っている。
だから我らは隣人たちと、近しい生き物たちとも、
この大地に住むという我らの権利を
等しく分かち与える。

ところがだ、皆の衆、聞いてくれ
我らは今、違う種族と関わり合っている。
我らの父祖が最初に出会ったときには
彼らは小さく弱かったが、今では大きく尊大である。

かなりおかしなことに、彼らは土地を耕すものと思いなし、
所有する愛が、彼らのもとでは病気のようである。

あの連中は、さまざまな規則を作って、
金持ちはそれを平気で破れるが、貧乏人はいけないのだ。

彼らは貧乏人や弱き者らから税を召し上げ、
統治する金持ちたちを養うのにつかう。

彼らは我ら万人の母なる大地を、
自分たちだけに用立てる権利があるとい立て、
隣人を柵で締め出す。彼らは大地を、
自分たちの建造物や自分たちの汚物でだいなしにする。

このナシオン(国人)は、みずからの床から溶け出した
雪の奔流のように、行きすがりのあらゆるものを破壊する。…


シッティング・ブル(タタンカ・ヨタンカ)1875年の訓話から

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「アメリカ」と呼ばれる世界の急速な建造によって潰えていった「旧種族」の残した最後の言葉のひとつである。二世紀半にわたるその抹消は一九世紀末に完了する。
いま、このような言葉を想起するのは、失われた「古き人の世」を懐かしんで慰むためではない。このように「私的所有愛」の奔流が一世界を消し去った後の近代の「人の世」を、大津波が(日本だけではない)、そして新たな疫病が襲ったことを口実に、デジタル情報化の津波が世界を塗り替えようとしている。「人新世」の大津波か?そこからの「出口」を望見するとき、長期を考えるなら、われわれはこうした声の痕跡に耳を傾けなければならないということだ。
「文明世界」に「異族=エーリアン」として抹消されていった彼らは、「国人」の風習の異様さを見ていたが、百五十年後の「文明化」した日本でも、その風習は輪をかけて進んでいる。