追悼、「来るべきこと」の詩人若松丈太郎2021/04/25

 若松丈太郎さん、じつはもう「生きて」いなかったのかもしれない。
 
 『北緯37度25分の風とカナリア』を上梓したのが2010年。この詩集には、柏崎刈羽と福島第一を結ぶ線上の「歌枕」を長年かけて行脚したような詩がまとめられている。かつて平安の昔ならここから先は「越せない」辺地、だから都人が感慨を込めて歌を残したり、邪の怖れをなだめるかめの社が作られたりしている。そこが昭和の時代には首都圏に電力を供給するためにダムが作られ、やがては原発が作られる境になる。それが北緯37度25分あたりだという。
 
 この地で1000年を超えて刻まれてきた言葉、それを現代の報道の言葉と織り合わせ、それを生きる不穏な意識の海に浮かべて、日常の浅くもあり闇を穿ったりする意識の表層に紡ぎ出す。カナリアは炭鉱で不穏を告げる小さな生き物だ。若松さんはこの境界上のカナリアとして聞く人の耳に届く歌を歌い続けた。
 
 その巻末近くに、海の広げる「気の遠くなるような時間」を視ながら
 
 世界の音は絶え
 すべて世はこともなし
 あるいは
 来るべきものをわれわれは視ているか
 
 というリフレーンを含む、「みなみ風吹く日」が収められている。
 (まだ自覚もない「人新世」の初めに、詩人は歌うことができた――
 また見つかったよ。
 何がさ?――《永遠》
 太陽といっしょに
 行ってしまった海のことさ (鈴村和成訳をレタッチ)
 
 しかし、「千の太陽よりも明るい」とロベルト・ユンクが形容した「人工の火」が陽光を翳ませる現代では、福島の海に立つとき、そこに広がる「永遠」はまったく別の様相を帯びざるをえない。「来るべきものをわれわれは視ているか」と。
 
 その詩集を上梓して一年が経ったころ、「来るべきもの」が来てしまった。「未来」が、「永遠の時」として詩人の(わたしたちの)「現在」に陥没してきてしまったのだ。それ以来、「気の遠くなる時間」は放射能の半減期としてわれわれの「起きてしまった未来」になる。
 
 その後に、詩人は何を語りうるのだろうか。それでも「黄泉」を潜るように語り続けたものが2014年に『わが大地よ、ああ』(土曜美術社出版販売)から出されている。2012年に一度南相馬でお会いする機会があった。しかし、ほとんど何も語り合えなかったような気がする。ただ、『…風とカナリア』の詩人は「来るべきもの」の襲来を超えて、なお語り続けようとしていた。(バタイユの「禁止と侵犯」の描写を思い起こす。侵犯によって禁止は廃絶されるのではなく、再び地平のかなたに現れる。言葉はこうしてまた禁止に向かって打ち寄せるのだ。)
 
 ただ、それ以後は、若松さんにとっては「来てしまった"来世"」だったと言えなくもない。とはいえ、若松さんはずっと高校の教師をしていた(日本の教育では、「国語」という教科が、子どもたちに表現と思考との手ほどきをし鍛える唯一の科目になっている)。その子どもたちと接していたからこそ、若松さんは"来世"からも語り続けたのだ。
 
*この詩集と詩人の存在を私に教えてくれたのは、あるときふと出会った小森陽一だった。福島を考えているとき若松さんの詩は目を開かせるようなものだった。小森には感謝している。あまり機会はなかったが、『アフター・フクシマ・クロニクル』(ぷねうま舎、2014年)に収録した「地震(ない)に破られた時間、または手触りのある未来」(初出、『世界』2012.01臨時増刊)は若松さんの詩に多く触発されて書いた。