オバマの米国とキューバの「和解」2015/04/13

 キューバのことをよく見ると、アメリカ(合州国)がどういう国かはよくわかる。フロリダ半島からわずか200キロ、ヘリでも1時間で届く距離にある。ましてや戦闘機なら…。ともかく、簡単にいえば東京-静岡間だ。広さは日本の3分の1弱。

 キューバは19世紀末の米西戦争の後、米軍保護下で独立したが、砂糖産業を米資本が独占し、それと結びついた富裕層や軍部が支配する国になり、フィデル・カストロがチェ・ゲバラ等と革命を起こしたときは、アメリカの保護を受けるバティスタ将軍の軍事独裁政権下だった。

 カリブ海の真ん中に、合州国の喉元に突き付けられた刃のような社会主義国家の出現を、冷戦下のアメリカはあらゆる手段を使って潰そうとした(旧支配層亡命キューバ人の軍事訓練、上陸作戦の繰り返し、R・ケネディによるカストロ暗殺計画等)。それに対してキューバはソ連のミサイル基地を作り、それがいわゆる「キューバ危機」(62年10月)を引き起こす。冷戦下の最も緊迫した核戦争の危機だった。J・F・ケネディ暗殺事件が起こるのは翌62年11月だった。

 それから半世紀余、90年には冷戦の崩壊もあったがここだけは冷戦が続き、キューバはアメリカから経済封鎖を受けるだけでなく、「独裁国家」と呼ばれ「テロ支援国家」にも指定されてきた。だが、CIAが関与するカストロ暗殺計画(つまり国家元首殺害)は50回近くあったようだが、キューバがアメリカ大統領殺害を計画したとは聞かない(ケネディ暗殺に関してはオズワルドとキューバ諜報機関との関係は取り沙汰されたが)。いったいどちらが「テロ国家」なのかは明らかだが、強国が言うことが世界に流通する。

 そのアメリカの公然・隠然の圧力につねにさらされながら、この社会主義小国は60年以上にわたって持ちこたえてきた。アメリカ(それに利害を共有する西側諸国)の言うように独裁者が国内を押さえつけるだけだったら、この国はとうの昔にひっくり返っていただろう。もちろん当初は革命政権を維持して社会改造をするため、そして何よりアメリカの侵攻から国を守るため、厳しい体制が必要だっただろう。だが、それは民衆に支えられてこそ維持できる。

 アメリカの至近にありながら、その影響から切り離されて国作り社会作りをするということは、たいへんな困難であると同時に、大きな幸運でもあったはずだ。2000年代に入ってそんなキューバの姿勢を範とするチャベス政権がベネズエラにできると、その行き方は長年合州国の軍事と経済にいいようにされてきたラテン・アメリカ諸国にも「自立」の意志を浸透させていった。そのため米州機構でも両国が主導権をもつようになり、逆に合州国が孤立するという状況さえ生まれた(2011年には、合州国とカナダを排除してキューバを迎えるラテンアメリカ・カリブ諸国共同体が発足した)。もはやラテンアメリカを「米国の裏庭」として支配し続ける時代は終わったのである。

 そんな状況の大きな変化のなかで、半世紀以上前の「キューバ封鎖」をなお続けることは、アメリカの政策の硬直とグロテスクさを示すものでしかない。オバマ大統領は残り任期が2年を切り、もはや選挙を配慮しなくてよい段階に入ると、まずこの対キューバ関係の変更に乗り出した。ただし、あくまでアメリカ式に「民主化を求め、自由の拡大を目指す」と説明するが、翻訳すれば「資本の自由を要求し、市場の"民主主義"に呑み込んで、キューバを"解放"する」ということだ。

 それで呑み込まれるかどうかはキューバ国民の選択である(カリブ海のウクライナになるのかどうかと言い換えてもよい)。オバマは抵抗の強い米国内を説得しなければならないだろうが、はたから見ていると、アメリカの本気度を示すためにまずなすべきは、半永久的に「租借」しているグアンタナモ基地の返還だろう。

 オバマは去年末からまずキューバとの関係改善の意志を発表し、CIAの拷問の事実を公表し、さらに去年のウクライナの政変(西側がこぞってあと押ししたキエフの政変)にCIAが関与していたことを認めた。明かにオバマはアメリカ外交における軍事の比重を軽減しようとしている。だがこれはネオコンと呼ばれるアメリカの軍事強硬派には受け入れがたいことだろう。

 けれどもともかく、このまま進めばアメリカ外交の大きな転換点になる(沖縄の辺野古新基地建設問題を思わせる)。

 そんな状況のなかで、日本の安倍政権は「わが軍」をアメリカに差し出そうとしている。というのは、「集団的自衛権」閣議決定を受けていま進められている「日米ガイドライン」改訂で謳われる日米同盟強化とは、自衛隊の米軍への更なる一体化であり、日本軍が米軍の一部として「地理的制約」もなくして動き、米軍の肩代わりをするということだからだ(それでも安倍にとっては、自分の指令で動く「日本軍」をもつことになる)。オバマのアメリカがそれをどう「利用」しようとしているのかも考えてみる必要がある。
 
 この件に関してとくに付言しておきたいのは、ベネズエラのチャベスに関する報道についても同じだが、ニュースとして報道するときのナレーション(語り)の枠組みが、いつもすでにあらかじめアメリカ側の見方を下敷きにしていることだ。たとえば、すぐに枕に「反米」という言葉がつく。「反米チャベス」とか「反米キューバ」とか。だが、誰もアメリカ大統領について「反ベネズエラ」とは言わない。「反米」というレッテルはアメリカが自分に盾突く者につけるレッテルだ。このレッテルをそのまま使うのは、当人がすでにアメリカに同調しているという印である。そしてアメリカに対立することを頭からネガティヴだとみなし(考えているのではなく、考えてもいない)、アメリカの傘の下に身を置いて他を見下そうとする岡っ引き根性である。実際の事態を知ろうと思ったら、そんなニュースや論調にはまず気を付けなければならない。

(たとえば「毎日」も、キューバが他のラ米諸国を尻目にアメリカに擦り寄ったような書き方がしてあるけれど、それもアメリカの付け込みどころで、締め出しによってではなくキューバ取り込みでラ米の結束が乱れることも期待している。)

*最後の点、つまりメデアや国際関係論の言説のバイアスに関しては、「欧米メディアはなぜチャベスを嫌うのか?」(http://www.tufs.ac.jp/blog/ts/p/gsl/2013/03/post_191.html)などを参照されたい。