小森陽一編著『「ポスト真実」の世界をどう生きるか』2018/04/15

 小森陽一編著『「ポスト真実」の世界をどう生きるか』(新日本出版社)が出ました。これは小森さんが4人のそれぞれ違う分野の論者を相手に、「ポスト・トゥルース」がキーワードとなるような社会の情況のなかで何が問題になるのかを多角的に照らし出そうとしたものです――香山リカ(差別とヘイト)、日比嘉高(ネット社会)、浜矩子(フェイク経済)と西谷。

 フェイク(ウソやでっち上げや隠蔽)がまかりとおるばかりか、それが政治や社会運営の強力な手段となるのはなぜなのか、それで実際には何が行なわれるのか、あるいは、なぜ「ウソ」は通用力をもつのか、受け入れられるのか、むしろ求められるのか、その「ウソ」に対して知るべき真実とはどこにあるのか、何がごまかされるのか、それに対して真実は足場となるのか、それはどうして価値なのか、どうしたらこの「ウソの壁」を突き破れるのか、等々。

 昨日(4月14日)は、森友・加計問題の真相解明と安倍内閣の退陣を求めて、国会前に数万人が集まり、デモンストレーションを行いました。関西でも二千人のデモがあったと伝えられます。その背後にある憲法改正(安倍改憲)や自衛隊の問題も、「フェイク」の上に組みあげられていることが、最近また露呈されてきました(政府・防衛省が何を隠し、ウソの論議をやらせているか…)。

 実はこの「フェイク」は、それを通用させるために「ヘイト(憎悪・蔑視)」を必要としています。安倍首相はそれでも選挙戦で公然の場だから少していねいに「あんな人たち」と言って指差しました。つまり権力者がこうして差別の線を引き、それへの「ヘイト」を煽る。その上に「フェイク」はまかり通ります。いや、それは一体のものだと言ってもいいでしょう。日本でのその典型は「在日特権」というものです。その主唱者はいまではトランプにならって「日本第一党」(日本ファースト党)を名乗っています。そのような「ヘイト」が「美しい国」というまったくの「フェイク」を必要とし支えるわけです。

 この日本の「フェイク」政治風潮は、アメリカやヨーロッパの風潮と呼応しています。ひとことで言えばグローバル化した世界の政治・経済・社会・人びとの意識を巻き込んだ、全般的な流れのなかにもあります。つまり世界史的な流れの中で、アメリカにはアメリカの、日本には日本の、固有の条件を帯びて現れてきているのです。

 このことを知っておくのは無駄ではないと思います。知ること自体は直接的には無力かもしれませんが、力の源ではあります。いまはまさに、「真相」を知ることと「フェイク」ですますこととが、まさにぶつかり合う時代になっているのですから、なおのことでしょう。

 ということで、小森さんのこの企画にわたしも積極的に参加しました。香山さん、日比さん、浜さんの対談とあわせてぜひお読みいただければと思っています。わたしとの対談の内容見出しを紹介しておきます。

第4章 歴史の書き換えはいかにして起こるか
 1 IT社会は真実をどう書き換えるか
  ポスト・トゥルース言説と排外主義
  心能コントロールの系譜
  IT化で生じる「真実性の代わり」
  信実はなぜ価値と言えるのか
  歴史を書き換えたい人々との関係
 2 近代の歩みの中から見えるポスト・トゥルース問題
  アメリカ社会の歴史
  差別とのたたかいと歴史修正主義
  ポスト・トゥルースに溺れた者の没落
  靖国をめぐるフェイクと神社の真実
第5章 言葉の危機をどうのりこえるか(小森)