2020年02月20日、アベ禍クルーズ船内の日本2020/02/20

[FB] に載せたものをそのまま転載。ちょうどこの日付、まずいことが集中的に現れていると思うので。
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投稿はできるだけ控えようとしてきたが、今日はもう歯止めが効かない。とんでもないことばかり起きて(それも一連の出来事の一コマ一コマだ)これは欠かせないとつい連投。

コロナウィルス対策の、前から言った「阿呆船化」の迷走が今日の「下船」に至り、その迷走ぶりを居直りごまかすだけが政府の役割になっていることが露呈しているが、その迷走居直りさえ、他の重大悪事の煙幕に使われている。もはやどれが煙幕か、泥沼の引っ掻き回しかの区別もつかない状態で悪事だけが、官邸とそれにしがみつく自民党とヒラメ官僚たちによって押しくらまんじゅうのように進められている。

 今日は籠池裁判の判決日だった。大阪地裁は国や大阪府から補助金を「詐取」したとして有罪判決、懲役5年だ。しかし、なぜ国有地が格安で売られ、そんな補助金まで出たのか。それは国や大阪府の役人が、アベやアキエのお墨付きをもつ人物に破格の便宜を図ったからであり、これは「首相案件」だった。だから、この件で重要なのは、アベやアキエへの忖度から国有地を二束三文で払下げ、補助金まで付けた国や大阪府の役人たちの「背任」だったはずだが、それはすでに「全員不起訴」になっている(その間、汚れ仕事をやらされた国税職員が自殺している)。そして、結果、アベに盾つくことになった籠池夫妻だけが懲罰を受けることになった。検察も裁判所も、公正や正義より、国家機関の末端として政権を守るべく(政権に触れないように)振舞ったということだ。

 そして、「桜を見る会」前夜祭のアベの国会答弁が野党質問に対するANAホテルの回答で明確に否定され、さすがに「これで詰み」と見られていたその翌日、自民党がANAホテルに猛圧力をかけ、ANAは一日で屈服することになった。そうして日本中ニューオータニ化(へえ、お上の言うことに間違いはございません。お上の言うことですから。以後もよろしくお引き立てを)。自民党は総力をあげて幼稚な全能感(わたしが総理なのだから)に浸るアベの不正を守っている。自分たちの地位も利権の甘み(甘利?)も、今ではアベの無法・権力私物化にかかっているからだ。

 さらに、東京地検検事長の定年延長問題をめぐり、独立性を保つはずの人事院でさえ、アベの意向を守ろうとする森法相の圧力で前日の答弁撤回、黒川検事長の定年延長根拠に関して、法務省の見解との齟齬をなくそうとした。

 官僚はヒラメと言われるがそんなに生易しくない。和泉洋人首相補佐官とスイート・タッグを組む大坪寛子大臣官房審議官などは我が世の春、週刊誌でもアイドルなみ、今も厚生行政に私権を振るって、何の咎めを受けていない。(下村、萩生田入試・教育利権も)

 そうしたことすべてが今後も永久に咎められないよう、つまりやったこともやっていることもすべて問題化されることがないよう、この状態が「正常化」されるよう、黒川検事長の検事総長就任が公然と準備されているのだ。それをチェックできる人事院が今日落ちた。答弁する女性職員を、茂木何とか大臣が後ろからヤジる。

 これが、「解釈改憲」閣議決定5年後の日本の姿である。これを糺すすべがいまの日本の社会にはないのか。
まさに暗黒、ダーク極まる日本だ。そのダークをかき消すと思われているのがオリンピック、原発事故(事故はあれで終わったのではなく始まったのだが)を忘れさせる、そのオリンピックにコロナウィルスも押し流して突入しようとしている…、熱暑が予想される東京湾のドロ海を扇風機で掻き回して…。

遠くかすかに、贈賄以来、ロンドンが代替開催地として静かにスタンバイ…と聞こえるが、どうなることか打つ手なしで瓦解の道になだれ込む、嗚呼我故国……

岡本太郎とジョルジュ・バタイユ2020/02/10

 去年夏、岡本太郎記念館の平野暁臣さんに頼まれて、パリ時代の岡本太郎を想起して彼にとってアートとは何だったのかを考えるために、太郎が深く関わったジョルジュ・バタイユについて三・四時間レクチャーをしました。もとは、関根光才監督が『太陽の塔』を作るとき、素材として三時間ほど話をしたのですが、そこに平野さんも立ち会っていて、その時の印象が強かったらしく、もう一度やってくれというわけです。

 わたしも、最近は誰もバタイユの話などしないし、自分でもまとまったものを書いたこともなかったので、お役に立てるなら、と引き受けさせていただきました。平野さんのご質問に答える形で、岡本太郎を魅了したバタイユについて、あるいは彼が生きていてた当時のパリの知的状況について、わたしの想念の中にあるエッセンス――見てきたような鷲掴み――をお話ししました。わたしにとってもとてもよい機会になりました。それがほぼ全文書き起こされて、今、岡本太郎記念館のホームページの「Play-Taro」というスペースに掲載されています。よろしかったら覗いてみてください。わたしの本職(ほんとうの顔?)の一端です。

http://playtaro.com/blog/2020/01/06/osamunishitani1/?fbclid=IwAR2fK5IKudxO1oVAWpXrAG4mEv5Qeb8ydRCIba2JpGaaPe84gf_DL8u93HI

 また、若い関根監督の『太陽の塔』もたいへん濃密な力作です。現代アートを考えるうえでもこのうえなく刺激的です。

2020年、黒いタイタニックの船上で2020/01/12

 「虚飾の時代です。利を得るに手段を選ばず、欺き、殺してまで目先の富を守ろうとする風潮が、世界中で目につきます。"近代"は実を失い、道義の上で既に廃頽しました。経済成長という怪しげな錬金術にすがり、不老不死の夢を追い、自然現象まで、科学技術で制御できるかのような進歩信仰は虚しく、人間の品性と知性は却って退化したようにさえ思われます。」この中村哲さんの言葉を、カルロス・ゴーンを追って取材中のTBS金平キャスターが、「ベイルートの寒空の下にて」とつぶやいていた(1/8)。

 2日前の6日には、アメリカのトランプ大統領が「敵国」イランのスレイマニ司令官をドローンで爆殺する命令を下し、ツイッターに星条旗を掲げたうえで、議会に通告する必要はないと表明した。

 日本の社会(メディアに見えるかぎり)はオリンピック・キャンペーンに染まって、「桜を見る会」さながらに、招致疑惑・ガジノ疑惑も何もかも、不都合なことはシュレッダーにかけて開会式までなだれ込もうという気配。

 そんなとき、三宅雪子さんという元民主党女性議員の死が報じられた。その訃報に接して、伊藤和子さん、井戸まさえさん他、多くの人ツイッターやFBで他人事ではないといったコメントを出している。ネット上で執拗に罵倒され、否定され、それと果敢に戦いもしたが、疲れてボロボロになるし、やはりダメージは深かったのだろう。最後のツイートに「…タイタニック、最後の座席を譲る用意がある…」とあったが、そんな思いのある人ほど、このネット・コミュニケのドロ沼には生きられる場がなかったようだ。「批判ではなく誹謗中傷、風説の流布、嘲笑、罵倒、脅迫、これらを数年間毎日執拗にですよ」、といったコメントもある。煎じ詰ていえば、日本社会ミゾジニーの闇は深い…。

 三宅さんの自死が気に留まったのは、深い闇がそこから垣間見られたからだ。新自由主義(欲望の無制約な解放)、デジタル情報化社会、生きた身体や存在そのものの情報化とその消費財(商品)化、あらゆる規範(制度的枠組み)の解体、ポスト真実と歴史修正、それを利することを知らない「弱者」たちと、流れに掉さす体制エリートたちの居直りまたは「脱出」志向…。
 
 「消えろ」と言われた人が嫌でも追いつめられて、みずから消えてゆく。それを「否認の暴力」の方は、ネットの泥闇に浸りながら嗤うのか。SNSはいじめ社会と同じように、そんな言葉の暴力のアリーナになっている。人間の心の闇を開くSNSがどうして開発され、革新と宣伝され、すごいと求められ、疫病のように一気に世界に広まって、未来のコミュニケーション・ベース(絆?)のようになったのか?それはもちろんどこでも(アメリカでも中国でも、アフリカの小国でも)国家的にも推進されている。

 「悪貨は良貨を駆逐する」というのは経済の鉄則で、今では貨幣もデジタル情報化し、情報も市場では「悪貨が良貨を駆逐する」。そして見せることだけを商品として市場を組織する生産工程のいらない「観光業」(ポルノ産業?)と同じように、掃溜めに溜まった「劣情」が価値あるものとしてヴァーチャルな「情報市場」に解き放たれる。SNSはそれを可能にするインフラだ。

 そんなことで(ひとりの悲劇)デジタル情報化は否定できない。この技術が人間を解放し、別次元に連れてゆく。生命技術もナノテクノロジーも、これなしには生れなかった。技術は人間の可能性そのものだ。そう言う文明論者たちが見ようとしないのは、その技術の作り変える世界を生きるのは一人ひとりの人間だということだ。技術はひとりでに進化するわけでなはない。今のような方向に人間社会を変えてゆくのは、「イノヴェーション」を必要とする「経済成長」への衝迫である。そしてそれも、個々の人間のあさはかな欲望に担われている。

 そこでは産業化の初めに見透された、「私悪すなわち公益」というバーナード・マンデヴィルのシニカルであけすけな教えがあからさまな事実となる。マンデヴィルは神学を近代化したライプニッツの同時代人である(続く世代)。スミス・マルクスの理論化以来「資本主義市場」として隠された私欲というドブ川の蓋が、社会主義を踏み台にハイエクによって取り外され、やがて濁流となって世界を呑み込むにいたった。ハイエクの主張した無制約の「自由」、あらゆる「社会性」を否定し個を解き放つ「理想」。それを実質的に可能にしたのがデジタル技術なのである。しかしそれは個をも解体し、味噌もクソもの粒子状の欲望と絶望の奔流の中に「人間」を流し込もうとしている(だからもう「人間」は時代遅れだ、と言われる――そう言うのはとりわけニーチェ・ドゥルーズ)。自ら作り出したその絶望的(つまり未来がない)状況を、妄想的に抜け出ようとするのが、シリコンバレー成金由来でいま注目されつつある「暗黒啓蒙」の思想だ。
 
 年寄りに出番はないとも思うが、一方で75才まで働けとも言われている。この気候変動とそれに目を背けて私利を追及する(だから「社会」などないという)者たちの作り出す不毛の旱魃地帯に、命の水を供給するような仕事を、それでも少しは続けたいと思う。

2020年の念頭に、トランプの暴挙2020/01/08

★長い間慣習で新年のあいさつをしてきましたが、もうさすがに「おめでとう」とはとても言えなくなった2020年の年明けです。途中で令和元年と塗り替えられた2019年は去ったのか、株価の吊上げと同様、オリンピック機運を虚飾で盛り上げて問題を全部押し退けているが、それが終わるとこの国はどうなってしまうのか?今だけ金だけ自分だけで「後は野となれ山となれ」政権の長期君臨が遺す後の事態を誰が引き受けることになるのか?そして来年は3.11大災害から10年目(世界では9.11後20年)、思うだにとても厳しい年になりそうです…。

 そんな挨拶をしたところ、年頭からトランプの暴挙のニュースが飛び込んできた。これについては語るべきことは尽きないが、FaceBook に挙げた最初の走り書きをこちらにも掲載しておきたい。
 
★イランが戦争態勢に入れば、全世界でアメリカ人が標的になる。戦争と言っても、イランは大西洋上に軍を展開して攻撃ヘリでトランプを奇襲することなどできないからだ(アメリカはいつも相手を「大国」と言うが、せいぜい核ミサイルにカラシニコフだ。)。

 アメリカ選手団や観光客が大挙してやってくる東京オリンピックは格好の標的になる。1972年のミュンヘン・オリンピックが思い出される。「黒い九月」旅団によるイスラエル選手団襲撃事件だ。日本がほんとうにオリンピックを無事すませたいなら、ただちに米イランの仲介に動くべきだろう(ローハニ大統領が訪日したばかりだ)。中東に自衛隊など送っている場合ではない。

 安倍政権にはとてもそんなことはできないだろうが、いま日本がやるべきはそういうことだ。トランプに「理解を示し」たりすれば、いくら「テロ対策」をしてもオリンピックはできない。原発処理をごまかしている上に、アメリカの巻き添えになるオリンピックには参加できない、とする国々もあるだろう。

 「平和の祭典オリンピックを巻き込むな」というのは空しい。アメリカはそんなことにお構いなく、強大な軍事力をかざして、強盗まがいのやり方で世界を望むがままにコントロールしようとするからだ。

* 去年6月ボルトンを抑えたトランプが今回強硬に出たのは選挙のため、つまり国内向けだろう(戦争になると支持率が上がる)。だが、国内を向いて虚勢を示しても、これで背中につく火は消し難い。世界はみんなアベ(トランプのためなら何でもする)ではないのだ。国連事務総長は「世界は新たな湾岸戦争に耐えきれない」とコメント。イスラエルの動きに注目。

中村医師、アフガンの天に舞う2019/12/15

12月4日、ジャララバードで現場視察に向かう中村哲さん一行が襲撃殺害されというニュースが届いた。縁あってTBSニュース23のスタッフから声がかかり、わたしでよければということでコメントを収録した。アメリカが始めた「テロとの戦争」で帰国を余儀なくされた2001年冬に、中村さんを東京外大にお招きして――同僚の中山智香子さんがこのときすでにペシャワール会のメンバーだった――アフガニスタンについてお話しいただいたのが、奇しくも12月4日だった。声をかけてくれたTBSフタッフはそのとき学生として講演を聴いていたのだ。今回、「しんぶん赤旗」が追悼記事を書く機会を与えてくれた。それが15日朝刊に掲載されたので、わずかに加筆してここに公表することにした。
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 ペシャワール会の中村哲医師が5人の運転手警備員とともに銃撃を受けて死亡したというニュースが、不意の衝撃波のように届いた。波は日本中を揺さぶったが、その衝撃の大きさが逆に、こんなにも多くの人びとが中村さんを敬愛していたということをあらためて知らしめた。

 中村さんはアフガニスタンで医療活動をしながら、旱魃と戦争のもたらす荒廃の中で、治療よりまず生きるための水が必要だと井戸を掘り、ついには灌漑用水路を作ることになった。この地では一九七九年にソ連が侵攻して内戦状態になり、その後は部族抗争が続いて、イスラーム原理主義のタリバンがほぼ全土を掌握したところで今度は米欧が空爆、タリバン政権を倒してアメリカの庇護下の新政権ができた。しかし、「テロとの戦争」を掲げて現地住民を顧みないアメリカの軍事政策は民衆の間に根深い反発を買い、タリバンは復活、その他の反米イスラーム勢力が政府と対立する「戦争」状態が続いてきた。

 その中で中村さんは、現地をまったく知らずに「テロとの戦争」と称して空爆を繰り返す「文明国」を批判し、この地を住めなくして人びとを難民キャンプに追いやり、生きるために麻薬栽培に手を染めたり、雇われて銃をもったりさせるのではなく、人びとが生きる場をもてる最低限の条件を整えなければならないと考えた。干上がって荒れた土地を灌漑できれば耕地が生れ、人びとはそこで作物を育て、収穫して生きてゆくことができる。それを通して人びとが生きる喜びを感じ、自分で成し遂げるという満足感も得られれば、人びとは武器を持ったり殺し合ったりしようとはしないだろうと。

 いつ終わるとも知れぬ米欧の「制圧作戦」が続き、それに対する現地のタリバンや他の反米勢力との応酬が続く中、人びとが自力で生きられる条件を作り出すことだけをめざし、「武器をもたない」ことを盾とし鎧として現地に止まり続け、何十万の人びとが戦争をせずに生きてゆける地帯を、彼ら自身の力で作り出させる。中村医師はみずから重機器のハンドルを取りながら、その事業のタクトを振り続けたのである。

 彼こそは「平和の戦士」である。ただしけっして武器をとらない。説得し、分からせ、互いを殺し破壊し合うのではなく、ともに生きる基盤を作るための作業に向かわせる。その闘いは、戦争と、戦争を解決手段とするあらゆる趨勢に対する闘いである。

 文字どおり命がけの闘いだ。二〇○八年にペシャワール会はひとりの犠牲者を出した。武装集団に三一歳の伊藤和也さんが殺害された。しかし中村医師は、ペシャワール会は撤退しないと宣言した。死んでもこの作業はやり抜くというのだ。ただし、外国人として狙われやすい日本人スタッフは帰国させ、自分だけが残って現地スタッフと共に事業を続けた。この時点で、中村さんはこの「戦争に抗する闘い」、人びとに自力で生きる地域を切り開くための闘いで、自分は生きて帰らないと心に決めたのだと思う。

 二〇〇一年冬、米軍のアフガニスタン空爆が始まって一時帰国していた中村さんは国会に参考人として呼ばれた。そのとき自衛隊の派遣について問われて、言下に「百害あって一利なし」と答えた。すると自民党席から「売国奴」というヤジが飛んだ。自衛隊の派兵を拒否する中村さんは、日本政府周辺からはこのような扱いを受けてきた。だが、遺体を日本に送り返すにあたって、ガニ大統領はみずから先頭で棺を担いで最大限の敬意を表したのである。世界中から称賛されるその功績は、戦争に抗って人びとを生きさせるための努力にこそあった。

 その意味では、誰が中村さんを殺したのかは大した問題ではない。この極端に格差のある「文明化した世界」のなかで、戦争をしたがる、戦争にしたがるあらゆる勢力が、中村さんを地上から押し退けたのである。中村さんは銃弾に散ったが、その肖像はいまある航空会社の旅客機の尾翼に描かれてアフガンの天に高く舞っている。

「令和」の夏、「嫌韓」戦争化する日本(『myb』)2019/10/18

*「myb」という小さいが個性的な雑誌がある。三省堂から独立した伊藤雅昭氏がやっているみやび出版の社誌だ。この雑誌にはこだわりがあって「団塊の世代の明日へ」というのがキャッチフレーズ、この10月に出たのが終刊号だ。「令和への伝言2019」という。伊藤さんの志をわたしは尊ぶが、じつはわたしはいわゆる「団塊の世代」だけでなく「世代」へのこだわりというのが嫌いである(かくいうわたしは1950年3月生れで、どちらとも言えない)。だが、伊藤さんへの敬愛から何度かこの雑誌にも寄稿してきた。終刊号への寄稿も依頼され、ともかく寄稿したのが、夏に何らかの形で書いておこうとした「令和初年の日本」の診断である。『世界』に寄稿したものも同じような認識に立っているが、この稿、ブログに掲載しておきたかったので、雑誌が刊行された今、掲載することにする。
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 「令和」という元号が何の議論もなく定められ(一九七八年に作られた元号法という形式的な法律だけが根拠だ)、新しい天皇が即位し「世が改まった」とされて、後は開催まで一年と迫ったオリンピックに向けての機運盛り上げだ。「ニッポンがんばれ!」と皆が言えるスポーツ・イヴェントにメディアは収斂し、東京湾の汚染水を隠して盛り上げムードがあたりを埋め尽くし、酷暑も高校球児の活躍にならって、打ち水や新潟からの雪輸送で乗り越えようとキャンペーン、誘致買収のニュースもやり過ごして、「レイワ・ニッポン」の一体感が醸し出されている。

 だが、そんなとき、「上手の手から水が漏れる」ではなく「下手な手からダダ漏れ」で、この一体感が押し潰そうとしている日本社会の分断が噴き出てしまった。

 分断のひとつのドライブは、社会の二階層化を不可逆的に進めるネオリベ的経済社会政策だが、その分断を逸らして束ねるのが「歴史修正」(フェイク、捏造・居直り・文書破棄)圧力だ。「日本人でよかった!」。もちろん日本でこの二重操作をやっているのは安倍政権だが、じつは「世界戦争」後四半世紀、世界中のあちこちの国で同じようなことが起きている。その解き明かしはまたにして、ここでは日本の夏の風景だ。

 去年からのくすぶりに火をつけて、この夏いちばんの世相の花火になったのは(ただしこの花火、火は落ちても空は燃え続ける)言わずと知れた「韓国叩き」。日本が荒稼ぎした朝鮮戦争以来、朝鮮(北)・韓国(南)に分裂しているからトリックが使いやすいが、ともかくまとめて、明治以来の「アジアに冠たる」近代日本の十八番だ。

 平成から令和の移行に先駆けるように、安部政権の「キタチョーセン」非難は、不意に「韓国敵視」にコンバートした。平成末期には、北朝鮮言うところの「ロケット」が飛ぶたびに、「核弾頭ミサイル」だと非難して、国内で「座布団頭に避難」の訓練を指示していた安倍政権は、令和のいまでは、「我が国に脅威のない飛翔体」とか言って、何度飛んでもゴルフを続けて涼しい顔だ。これは、アメリカのトランプ大統領が、身内からの脚とりもかわして、北朝鮮融和策を採っているから、ペンキの剥げた一枚看板の「拉致問題」で協力してもらうためにも、また「日米は完全に一致」に反しないためにも、ここはトランプ様の意向に合わせないといけない、というわけだ。

 そこで安倍政権は、北非難に代えて「韓国けしからん」を強く打ち出すようになった。どっちにしても「チョーセン」だ。きっかけは韓国最高裁の元徴用工判決だが、これを安部政権は日韓条約の包括合意に反するとして非難、なんとかしろと文在寅政権にかみつく。それ以来、戦闘機が日本艦船に照準を合わせたとか(こんなのは問題化しないためむしろ現場で処置するべきと、田母神先生も言っている)、そして令和に入ると、韓国経済の中軸を狙って半導体部品の輸出制限を打ち出し、韓国を「ホワイト国」から除外するという閣議決定までした。これはもはや経済的な敵対宣言である。
 
 もちろんその前哨には、前の朴槿恵政権で手打ちしたつもりの「慰安婦合意」を、民衆デモから生まれた現文在寅政権が見直す姿勢をとってきたことがある。慰安婦問題は、日本軍の名誉を貶めるものとして、その否定ないしは棄却が日本の歴史修正主義の中心課題となってきた。安部政権の中核支持母体はその歴史修正主義である。だから、その問題にもつながる元徴用工判決で、一気に韓国への強圧姿勢を示したということだ(その効果には大いに疑問があるが)。

 元徴用工問題は、財界を守るという意味をもつ。それも新日鉄や三菱系など、戦前からの軍需産業に関わる企業だ。だから安倍政権の姿勢は財界の支持を得やすい。それに、民主化運動から生まれた文在寅政権は、企業利益最優先の新自由主義的経済運営をやっていない。それが日本の財界は気に入らないから、その「失敗」を挙げつらい、韓国経済をけなすのが常態になっている。そこには、さまざまな悪条件を抱えながらも、IT・半導体産業などでも日本を凌駕してきた韓国経済に対する不安や警戒が働いている。

 というので、この「対韓強硬」姿勢はメディアでもオリンピックなみの支持を受けているようだ。ある世論調査によれば「ホワイト国指定除外」に対する支持は8割以上という。そんなときに、8月には「あいちトリエンナーレ事件」だ。韓国で慰安婦問題の象徴になっている「少女像」が展示されるというだけで、開始前日から大物ネトウヨが号砲、2日目には名古屋市長が会場に押しかけて「日本人が貶められる」と唸ると、夥しい数の恐喝電話やメールやファックス(「ガソリンを撒く」)が、たちまち展示を中止に追い込んだ。 他方で東京都知事は、今年も関東大震災時の朝鮮人虐殺慰霊祭へのあいさつを送るのを拒んだという。日本はすでにその時代のようだ。「戦時体制」を敷くのに、じっさいにミサイルや戦闘機を飛ばす必要はない。非常時だと、緊急事態だと言い募ればよい。そうすれば、ウソとフェイクで国民を走らせ食い物にする夜郎自大の天下は安泰だ。といっても「外交」は鬼門だ。都合よく「歴史修正」の効かない「他者」がいるからだ。この引っ込みのつかない「最悪の日韓関係」は、日本の「国盗りども」に吉と出るか凶と出るか。

或る日のフェイスブックから――差別と非政治化2019/09/27

 毎日、友人からのFBの投稿をみて、これはと思うものをシェアし、コメントしたいときにはコメントする。FBは基本的には「友達」の間だから、エコチェンバーという話もある。それは承知で。

 たとえば今日は、萩生田文科相の下の文化庁が、すでに交付が決定していた「あいちトリエンナーレ」への補助金を交付しないと決定。
 これに対して「あいちトリエンナーレ」開催者の大村愛知県知事は、「承服できない」として提訴の構え、と伝える東海テレビの報道。それをシェアするかたちで「京大有志の会」が迅速な抗議投稿。学者の会でもやりたいところだった。

 政党関連では、共産党の小池晃が憲法違反かつ脅迫者(テロリスト?)を喜ばせる「暴挙中の暴挙」とツイッターで批判している。
 そしてすでに昨夜、アーチストを中心に呼びかけが回って、文科省前で数百人が抗議のデモをしたというニュース。

 以上はひとまとまりだが、「沖縄タイムズ+」の阿部岳記者による「「差別する自由」など存在しない」という記事。これは、一貫して差別批判・ヘイトスピーチ報道を続ける神奈川新聞の石橋学記者が、佐久間吾一川崎市議に名誉棄損で告訴された裁判をとり上げ、差別にさらされる沖縄のメディアの立場から援護射撃したもの。

 それと、日本オリ・パラ組織委が、北朝鮮にだけIDを発行していないことが判明、というニュース。日本が北朝鮮に独自制裁を課していることが背景にあるというが、日本の組織委はオリンピック精神もものかわ、「お上」の意向のままにシラッと差別・イジメをしているのである。

 そんな話題を飽きず毎日拾う。スゥエーデンの少女の国連演説もあった。日米貿易交渉も、オスプレイ墜落の事故処理の問題も、もちろん千葉の災害のことも…。だが、今日拾ったニュースは、近年の政治と権力の問題をあぶりだす軸が集約されているようでもあった。それが「差別」の問題だ。そしてそれを日本の場合に即してコンテクスト化するこんなニュースもあった。

 明治維新に伴って生じた「廃仏毀釈」の深刻だった宮崎県で、寺や仏像の状況を知ってもらおうという取り組みがあるという朝日新聞デジタルの記事。実はこれは、戦前の国家神道体制の発端に会った出来事。それ以来日本は仏教国から神道国家になった。その転換のために寺院仏像の全国的破壊があったのである。それ以後わずか半世紀余の「わが世の春」が忘れられず、戦後私的宗教法人に身をやつして生き延びた神社本庁が、雌伏半世紀「日本を取り戻す」として動き出し、歴史修正の運動を下から支え上から煽って、ついに国会を「取り戻す」のに成功した、それを体現するのが日本会議であり神道議員連盟なのである。そしてこの動きの伸張が、いまの日本社会に差別や排他意識を浸透させている元凶でもある。

 ついでに言うなら、「日本を取り戻す」この動きは、「自民党をぶっ壊す」小泉改革でフリーハンドを得た。永久与党自民党内部の「抵抗勢力」が駆逐されたからだ。そして同時に小泉改革は、日本社会の「共生」的基盤を壊し(そこに「大災害」が重なり)、社会関係を「人買い=人飼い」業が手綱を握る、分断と自己責任の社会にした。そのシステム化のいわば「棄民」に、差別や排他意識を与えて「自活」させている、というのが安倍政権下の日本だ。

 多くの人びとは景気への期待に流され(もう「景気」などよくならないのに)、経済社会の自己責任論に浸されて、喜びも悲しみも私的に何とかするしかないと思いなして「脱政治化」し、「政治化」し声を上げること自体を「わがまま」だと、あるいは「迷惑」だとみなす。そのために権力を得たものは「自由」にその権力を私物のように行使できる。そしてそれが問題化しないよう、機関としてのメディアも裁判所も抑えている。改正する前にすでに「憲法もものかわ」、指摘されてもわからない者たちばかりが権力を手にしているという状況だ。

 だとすると、問題は政策の方向(理念)や中身ではない。「政治」(民主主義と言ってもいい)というもの自体が壊れているということだ。だから根本の課題は他でもなく、「政治を取り戻す」ということ、人びとと統治権力との関係を作り直すということである。その課題を担って登場したのがSEALsという新しい「非政治的政治」集団だったが、そのときから基本的課題は変わっていない。

18年目の9・11、トランプ、ボルトンを解任2019/09/12

 気がついたら9月11日。日本では、東京の隣の千葉県が台風による大災害(北海道地震のような電気・水道・通信の都市インフラ破綻による被害)に見舞われ復旧が進まないが、安倍政権は今後に向けての「大組閣」に忙しく、赤坂自民亭以上に熱が入って災害など目に入らない。メディアはすっかりその姿勢に乗って、おぞましい小役人たちの当落予想から決定までを、芸能ニュースよろしく一大事であるかのように伝え、テレビなど残りの時間は相変わらず「韓国叩き」に費やして、その背後に文字どおり電気のつかない千葉の夜を押し隠し、花火を挙げて「アベ祭り」を演出している。これが「レイワ初年の日本の秋」だ。

 韓国の物議を醸す法相就任をさんざん取り上げたなら、日本の暴言暴行パワハラ議員の法相任命はどうなのかと、問いもしない日本のメディア。言い出したらきりがないのが安倍内閣だが、そのアベ日本が日韓関係でも何でも頼るトランプのアメリカでは、たった一人の政府要人の「更迭」が話題になっている。安全保障担当の大統領補佐官ジョン・ボルトンを、昨日の夜トランプがツイッターで「お役御免」を言い渡したのだ(ボルトンは辞表を出したと言っているが)。トランプが進めたがっていたアフガニスタンのタリバンとの直接交渉が、5日カブールで起きた自動車爆破事件(BBCは「テロ」とは言わないhttps://www.bbc.com/japanese/49630856)で米兵1人が死亡し、8日にキャンプデービットで予定されていたタリバン指導者とアフガニスタンのガニ大統領との秘密会合を中止したその直後ということだ。

 9・11から18年、いまも続くアメリカ史上最長の戦争(2300人の米兵が死に――「非対称的戦争」だから相手の死者は数にならない――、今も15000人が派兵されている)をトランプは止めたがったが、ボルトンが最後に邪魔した(自動車爆破を工作した)というのが引き金になったのだろう。ボルトンは先ごろの「イラン危機」でも、日本のアべ首相がのこのこイランの大統領に会いに行ったときに、イランの反政府派エージェントを使って日本のタンカーを偽装攻撃させたことも疑われている。その後、アメリカの無人機が撃墜されたことを受けて、アメリカが報復攻撃に出るその10分前に、結果を予測したトランプが中止命令を出してことなきをえた。

 そもそもボルトンがホワイト・ハウスに入ったのは、トランプが選んだ右派・強硬派(力の信奉者)でさえ、従来の国家戦略を無視してやりたいようにやるトランプについて行けなくて、みんな辞めてしまったからである。だから、イラク戦争も自慢し、何でも戦争にして叩くということしか頭にない鼻つまみ者のボルトンが、入り込むことができた。それも安全保障つまり戦争担当だ。だが彼は、アメリカに逆らうのは「敵」、つまり「反米」、「反米」はとにかく軍事力で潰せばよい、そうしてこそアメリカだと考えている。とくにイランは積年の敵で、この機会にともかく叩きたい。ロシアとの核軍縮協定は破棄した。アメリカの軍事力に制約は受けない。南米の「反米」ベネズエラも、潰そうとしている南米マフィアを後押しして軍事介入を探り、マドゥーロ政権を倒そうとする。そしてトランプがやりたがっている北朝鮮取引は何としてでも阻止する(先日の板門店会見にポンヘオはいたがボルトンは姿を見せなかった)。陰謀論風でトランプに切られたスティーヴ・バノンのあとで、ボルトンはもっとドライに(とても正気とは思えないが)強硬策をホワイト・ハウスに仕込んできた。その点は国防相を辞めたマチスの方が現実的だったし、ポンペオももう少し現実的な判断ができるようだし、どうやらトランプの決定にしたがっている。ところがボルトンはリアルはおかまいなし、作ればいいという筋金入りだ。その路線にトランプも引きこもうとする。だからボルトンがホワイト・ハウスに入った頃から、トランプ外交で混乱し始めた世界には、一気に火薬のにおいが立ち始めた。

 ベネズエラ情勢は今は停滞しているようだが、そこへの軍事介入(人道的介入という名の)がギリギリで踏みとどまったのは、対イランの緊張も抱えて、トランプだけでなく軍も、二つの戦場は構えたくなかったからだろう(シリアからの撤退は何とか進めても、まだアフガンは残っていたし…)。中国との経済「戦争」もある。これ以上面倒を抱えたくない(トランプは脅すのは好きだが、自分で戦争をする、それもあちこちでやるのはきっと嫌なのだ)。それでボルトンを切ったということだ。

 ということは、タリバンとの交渉は頓挫させられたが、その代わり、まさにその代わりイランとの直接交渉の余地が出るかもしれない。時間はかかるだろうが、北朝鮮との交渉も、ホワイト・ハウス内から足を引っ張られることはなくなるだろう。ベネズエラはと言えば、南米マフィアに加えて名うての悪党(エイブラハムズ)を国務省の担当にしてしまったから、ここはまだくすぶるだろう。日本の対韓国関係では、これだけ日本がトランプに貢いでいるので、しばらくは日本の肩を持ち続けてくれるだろうが、北朝鮮対応が絡んでくると、どうなるかわからない。

 産経新聞がボルトンの離任を「惜しんで」いる。産経はネオコン路線が好きなのだ。みずからが従属一体化するアメリカがネオコン的に振舞うのが。安倍政権の対韓国姿勢は、その親分のやり方(対中国)を真似したものにすぎない。

★この件、いろいろ考えることがあるが、とりあえず大雑把な印象を。

★[参考] ハンギョレ新聞9/11日より――(…)ボルトン補佐官はこれまで、アフガニスタンやベネズエラ、イラン、北朝鮮などの問題でトランプ大統領と見解の違いを見せてきた。トランプ大統領のアフガニスタン撤退方針に反対してきた彼は、最近、撤退問題を話し合うための会議から排除されたが、遅れて合流した。トランプ大統領は今年春、ベネズエラのマドゥロ政権を追い出すための米国の圧迫作戦が失敗してから、ボルトン補佐官に失望したという。イランに対してもボルトン補佐官は軍事攻撃を主張し、トランプ大統領と意見の食い違いを見せた。北朝鮮の核廃棄方式に関しても、ボルトン補佐官は昨年「リビアモデル」を取り上げて北朝鮮を刺激し、トランプ大統領が「リビアモデルはわれわれの追求するものではない」と収拾した。最近、北朝鮮の短距離ミサイルの試験発射をめぐり、トランプ大統領は「長距離ではない短距離は問題にならない」と述べたのに対し、ボルトン補佐官は「国連の対北朝鮮制裁決議に反する」と攻撃的な立場を示した。(…)