アベノ「突破解散」総選挙にあたって2017/10/10

 衆議院選挙が公示された。この選挙の争点は、北朝鮮対応でも、消費税の使い道でも、改憲でもない。モリ・カケ逃れにそんな解散を打ち、北朝鮮危機まで煽ってごまかす、国権私物化の安倍政権を許すかどうかが争点。他の問題は、まずこんな政権をお払い箱にしてから議論すべきこと。

 安倍の「一億総活躍」よりずっとソフトで無内容な「キボウ」が澱みに浮び出て、そこに野党第一党が呑み砕かれ、政界図式が激変した。だが、それでも選挙の基本争点は変わらない。安倍は「与党過半数なら続投」と言う。87議席失っても辞めないということだ。こんな政権にとにかく消えてもらう、それがまず第一の課題。続けさせてはいけない。

 以下は選挙スピーチの際に念頭に置くことの覚え書。
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 8日のネット上での党首討論で安倍は「この国を守り抜く」という標語を掲げた。 「この国」とは、自分が私物化している「この国」だろう。それを守り抜くための「突破解散」だ。つまり、森友・加計問題が露見し、その追及を逃れるため、開いた臨時国会をいっさい議論させずに解散した。それで四百億かかるそうだ。

 この政権による国の私物化はそれだけではない。官僚の人事権を握って言うことをきかせ(安倍に尽した者だけが露骨に出世する)、裁判所にも空気を読ませ、メディアも手なづけ脅し岡っ引きを送り込んでなびかせる。行政も司法もメディアも汚染、それが今のこの国の基調を決めている。

 そして「外患」を使って「内憂」から目を逸らさせる。「北朝鮮危機」をトランプの尻馬に乗って煽っているのは安倍自身である。歴史的経緯にも蓋をし、弱小孤立独裁国家を「暴発」に追い込む火遊びに、国民も国の名誉も引きずり込もうとする。

 核兵器とIT・AI戦争のこの時代、「国を守る」最も基本的なことは、戦争をしない・させない努力だ。起こったら終わりだから。

 それでも自民・キボウの候補の40パーセント近くが、トランプ・アメリカの武力行使の選択支持だという。米による攻撃は北の必至の反撃を誘い、とりわけ韓国、そして米軍基地日本に多大な被害を出すことは明らかだ。

 トランプは世界から無思慮で危険な指導者と見られている。それに嬉々としてくっついているのが安倍、金正恩といいコンビと見られている(トランプも「ロシア・ゲート」をごまかしたい)。

 アベノミクスはどうか? 日銀に札束を次々刷らせ、金融市場をダブつかせて株価を吊り上げ、好景気を演出する。円の価値が下がって輸出企業はホクホク、しかし儲かるのは資産家だけ。「企業の活躍しやすい国」にするため働く者は搾り取られ、「女性の活躍」と称して女性も低賃金・非正規雇用で働かせる。結局、貧富の格差は拡大され、若者には希望がなくなり、老人は切り捨てられ、さまざまな社会的弱者はお荷物として扱われる。

 実は日本の「豊かさ」とは、敗戦後の日本人が「戦後レジーム」のもとで営々と築いてきたものだった。それを破壊するのが「戦後レジームからの脱却」。だから安倍自民党はもはや「保守」などではなく、復古幻想がまつわりついた破壊と転覆の「反動」勢力なのだ。

 安倍「改憲」とは、国家の私物化を制度化すること。つまり、国民のために権力の恣意を縛るはずの憲法、その憲法を「みっともない」として廃棄し、国民が国家に尽すことを命ずる憲法に変えようということである。その憲法の下で、国家の私物化を恣にするというのが安倍「改憲」の願望であり、このような「改憲」を求めるあらゆる勢力は、この憲法のもとで国家を代弁し、国民を自分たちのために拘束しようとする連中である。

 彼らはときに「国家主義者」と呼ばれるが、たいていは「国家」の名の下に人びとに「愛国心」を押しつけて、私欲を粉飾する夜郎自大である。だから彼らは、いつも人に戦争を押しつけて、自分たちは大本営で命令だけしようとする(あるいは、その権力に群がって保身を追及する。

 では、この選挙にどう向き合うべきか。言うまでもなく、ここで安倍自民が「勝つ」ことがあれば、「破壊と転覆」にフリーハンドが与えられたも同然になる。ここは「右・左」でもイデオロギーでもなく、まず「まともな政治」を取り戻すことが喫緊の課題である。あらゆる議論はその条件ができてからだ。そのために夜郎自大を一人でも多く追い落とし、「まともな議員」を一人でも多く当選させなければならない。それがこの総選挙の単純な課題だ。

 小池東京都知事も例に漏れない。「キボウ(化粧品の商標か?)ってなんか感じ悪いよね」という直感を大切にしたい。

政治家も多くのメディアも読み違えていた秋の陣2017/10/07

 舛添辞任、小池知事登場後の都議選で、森友・加計疑惑を隠す安倍自民党が大敗(57→23)、小池知事の作った新党「都民ファースト」(米トランプの標語にあやかった命名)が大勝して55、民進党も少ない議席を減らした。民進5に対して共産党は2増の19だった。

 この結果を見て、共産党にも大きく水をあけられた民進党は焦ったのだろう。評判の芳しくなかった蓮舫代表は、国籍問題も持ち上がって野田幹事長とともに辞任し、内閣改造、閉会中審議のあった夏をかけて代表選を行い、前原新代表を選んだ。二重国籍を問題にしたのはもちろん右派だった。井出栄策の消費増税再分配理論に傾倒した前原は、ネオリベから社民的考えに変わったとも言われて、一部に多少の期待ももたせた。

 (前原は民主党政権の失敗を踏まえ、財政再建のための消費増税を貫くことで「責任政党」たる軸を打ち出すつもりだったのだろう。だが、井出理論は階層化容認のうえ、現在の日本の行政機構や財政執行体制を考えれば空論でしかない。それに、現在焦眉の政治の争点はそこではなく、安倍政権の体質と憲法・安保問題なのだが、前原はそこをかわして代表になった。)

 永田町で右往左往する政治家たちの間では、旧維新と合同した民進党が求心力を持てないのは、共産党に引きずられて中途半端な「リベラル」路線に流されているからだ、改憲問題や安保法制で「現実的」な路線を打ちだせず、「反対政党」に留まって「責任政党」としての姿勢を打ちだせないからだ、といった固定観念があったのだろう(それも「民主党政権「失敗」のトラウマだ)。だから、安倍自民の乱暴な政権運営に批判が強くなっても、その批判票の受け皿に民進党がなれないのだ、と。

 だから前原代表は、この解散を千載一遇のチャンスと見て小池都知事の立ちあげた新党に合流することを考えた。相手は「小池人気」しかない新党、民進党のそれでも残っている基盤と人材と資金があれば、風船のような新党の実質を取ることで民進党の「衣替え」ができると。そのための最大限の手土産が、民進からは候補を出さない、つまり党を解消して「希望」に移るという、いわば身売りだった。

 しかしそうは行かないのはその後の経緯が示す通りだった(先に民進を見限って「希望」に移った連中が、閻魔大王よろしく民進候補者に「踏み絵」を課した等の詳細にはここでは踏み込まない)。

 前原や永田町で浮足立つ者たちは見誤っていた。政治を報道し論評するメディア関係者たちもそうだ。この五年の「安倍の天下」でしだいに湧き起ってきた「反安倍」の機運は、もはや「サヨク」の反対ではない。多数を頼んだ強引な権力行使と、森友・加計で露呈した政治のあからさまな私物化、それへの批判を権力やメディア操作で押し流そうとする、盗人猛々しいやり方への怒り、そんな政権が国や国民の命運を思いのままにしようとする事態への、ふつうの市民の怒りや不安や危機感だったのだ。

 そのことが、民進党の議員たちには届かなかった。民進党はむしろ自民党や主要メディアからの、「責任政党」になれという批判に応えようとした。その結果が、安保法制や改憲への「現実的対応」であり、そのために「リベラル」派を黙らせ排除するという前原の選択だった。

 それでは、この間、身銭を切り時間も割き文字どおりボランティアで安倍批判の声を挙げてきた広範な市民たちの思いを受け止めることはできない。むしろそういう政党をなくすことになってしまう(共産党はあるが、共産党は「共産」の旗を降ろすことのできない政党だ)。市民は「まともな政治」を目指してくれる、そして多くの市民の思いを反映してくれる政治勢力を渇望していた。そういう思いの広がりを読み取れず、逆に前原らはそれに応える党内勢力を潰そうとしたのだ。

 総選挙準備のドタバタのなか、違憲安保法制反対を市民とともに闘った議員たちが急遽作った立憲民主党は、その思いをを受けとめて誕生した。だからケンミンは一気に結集軸へと押し上げられたのである。

 いずれにせよ今度の解散総選挙、安倍政権の作り出した「国難」(国権の私物化・政治の崩壊と、トランプ・アメリカへの国売り、それをごまかす北朝鮮危機と軍事化)を「突破」するために、わざわざ安倍が投げ出してくれた機会である。

 多くの市民が求めるのは、こういう政治状況を打破すること、そのために小選挙区制のもとでともかく野党が共闘し、ひとつでも自公議席を減らして打撃を与えることである。政策論議はその後でいい。むしろ、まともな論議(憲法・税制・外交・社会構想等々)を成立させるためにも、いまの「安倍の国難」をまず切り抜けなけなければならない。妄想と嘘とごまかしと居直りの、こんな政治は続かないということを安倍一党に思い知らせなければならない。

オルタナ時代、「無理心中…夜の婿入り」の顛末2017/10/02

 情況はもう見えている(10/02朝)。
 
 キボウは50ないし60を擁立し、民進からの合流は150ないし160と伝えられるが、民進は前回惨敗で落選した多くの候補を抱えていた。キボウへの合流は前回落選のまともですぐれた候補たちにも節(安保法制廃止・非戦・反TPP等)を曲げさせ、あるいは路頭に迷わせ、挙句に合流から締め出されるリベラル派に選挙区でキボウの対抗馬を立てさせることになる。
 
 これでは、モリカケ逃れで無茶な「突破」解散を仕掛けた安倍自民を追い落とすのではなく、安倍政権を追い詰めたリベラル勢力を政界から締め出す結果になってしまう。前原代表はそれでよいのか?最初の政権交代を果たした民主→民進党の歴史的遺産を、最終的に沼(米追従で民を操る戦後政治のなれの果て)に沈める墓堀人になってしまっていいのか?

 いまリベラル新党の動きが進んでいるという。だがほんとうは新党ではなく、出てゆくべきは前原とキボウに合流する人たちだろう。いまから新党はたいへんだし、無所属では比例候補も立てられず、政見放送もできず、厳しい選挙戦を強いられる(それに民進の政党交付金は?)。そして選挙区には自公だけでなくキボウの候補が立つ。これが代表に選ばれた前原氏の(当人の意図いかんに関わらず)賭けの結果だったということだ。

 だが結果として、これでリベラル市民は腰の定まらぬ民進の尻を叩くためにイライラして無駄な力を割く必要はなくなる。立憲野党の後押しに集中すればいいからだ。

 去年、自公・民進・連合を相手に新潟県知事に当選した米山氏が的確な私見を発信しているようだ。昨日の武蔵野市長選も松下玲子さんが当選した。前原氏、賭けるのなら、この流れに賭けてほしかった。

 なお、われわれ(この見解を共有してくれる潜在層)にとって問題は、政治党派の離合集散や綱領云々の話ではない。日本の政治に立憲主義・民主主義を貫こうとする政治勢力の結集を求めているということだ。

*以上「無理心中・日本の秋、飛んで火にいる夜の婿入り」の結末。
 小池新党が「希望」だというのはオルタナ・ファクト(置き換え事実)でしょう。だから「キボウ」と表記します。日本もまったく「ポスト真実」の時代です。
*あと「リベラル」とは何かを明確にしなければなりません。これは難しいことではない。すぐやります。

『無理心中・日本の秋―飛んで火に入る夜の婿入り』絶賛上演中!2017/09/30

*FBに以下のコンメンを投稿したので、ここにも上げておきます。。

『無理心中・日本の秋―飛んで火に入る夜の婿入り』、主演・前原誠司、小池百合子、脇役・安倍晋三、特別出演・小沢一郎・小泉純一郎・細川護煕、他。

[あらすじ]
 時は2017年秋半ば、国権私物化疑惑の追及を逃れるにはこれしかないと、「窮地突破解散」を打った安倍政権末期の日本--
 勝ち目のない(と思った)戦さの陣頭に立つことになった野党第一党代表前原は、内容がないゆえにその立ち居振舞いで際立つ老獪な花魁、黒百合大夫に党ごと身を預けるという「捨て身」の奇策に出た。それも持参金を大きくし、博打に箔をつけるため党ごと差し出した。
 だが「捨て身」は信の通じる相手にしか効かない。これで黒百合の球根は膨れ上がり、安倍の仕掛けた「突破」戦を、横合いから攫って戦場に躍り出たが、それで「突破」されたのは城明け渡した前原民進だった。前原にはもはや打つ手はない。
 待っていたのは、民進城に居場所がなく、先に黒百合砦に走った不逞細野による首実検。細野は手ぐすね引いてリベラル臭のする落城者の首を切るしぐさ。事前に処断を宣告された嘗ての開城劇の張本人も、裏切り者の股はくぐらじ、と気概をみせて落ち延び宣言。
 かくて、城を託された者の「捨て身」の奇策劇は、選挙の争点をはぐらかして安倍に末期の余興を与えただけでなく、ブラックホールを広げ、日本政界からリベラル勢力を一掃しかねない惨劇「無理心中、日本の秋」に成り果てたのであった(花魁に托身成仏のつもりが、仲間道連れの無理心中になってしまった)。
 注)共産党はリベラル政党か?政策的には間違いなくリベラルだが、換骨奪胎してほしい。

[観劇の所感]
 これぞ「国難」!これを「突破」するためにはリベラル新党を作るしかないだろうが、まずは民進の分党を要求すべきだろう。開城を仲間の無理心中にしてしまっても、まだ息のある前原代表は、黒百合に食い尽くされる前に、末期の責任を果たすべき(ただし、これはあくまでシロートの観劇記です--楽屋裏は知らず、われわれは見ているしかない)。

[劇評の続き]
 全員合流するという話の前提が崩れているので、徒な「希望」に身を託したいものは行かせ、拒否する者(「希望」から締め出される者)は民進党公認で出られるようにすべきではないか(選挙を前に、新党よりこっちが先)。それができるようにするのが党員を預かる代表の責任。そうでなければ前原代表は、自分の博打で日本の政界からリベラル勢力を排除する「実行犯」になってしまう。
 寝耳に水でこういうアクロバットに振り回される地方の支持者や、地方選挙をどうするつもりなのか。どうみてもこの博打は失敗(やっぱりカジノは駄目)、まだ民進が自分で決められるうちに代表は救える者を救う手を打つべき。それしかこの芝居の収めはつかない。

「戦後レジーム脱却」の茶番あるいは惨劇――現代日本の政情2017/07/14

 『図書新聞』の提案で6月14日に木下ちがや氏と日本の政治の現状について対談を行った。それが本日発売の同紙(7/22、3312号)に掲載されている(1面で頭出し、続きは7面)。
 
 木下氏が今年前半の国会論議を軸に起こったことをコンテキスト化して概括批評するのを受けて、わたしは安倍政権の特質を最も分かりやすい形で描き出してみた。

 権力の私物化を当たり前とするような悪人どもの私党が国家中枢に居座り、官僚・警察・メディアを抱え込んでやりたい放題をやっている。政策を勝手に使って仲間内で国有財産山分け、民主主義国家に黄門様がいないのをいいことに、仲間の犯罪まで警察を使って握りつぶす。「数」の力と言われるが、その「数」の中身たるや、自分の妄想に尻尾を振る際物ばかり集めるから、欠格議員続出、大臣もトンデモ大臣ばかり。どんな大臣も据え置いて任命責任もとらない。
 
 以下は紙面を参照していただくとして、論の展開の大筋だけを呈示しておきたい。
 
 安倍の看板は「戦後レジームからの脱却」だが、「戦後レジーム」は一国態勢ではなく、「世界戦争」の帰結としての世界の要請。日本の敗戦によって否定された旧体制を、グローバル化の下、アメリカに再身売りすることで「戦後レジーム」を否定し、外交のない一国軍事化妄想に邁進する安倍政権。
 
 それは明治以来の日本の国際秩序への統合・参入とその「非劇」を、戦争知らない世代が「夢よもう一度」となぞる「二度めの茶番」。だから、「国家のへ献身」を謳い、「国民の奉仕」を求める連中が、実際にやるのは権力の私物化と自分たちの「楽園」作りだということが、森友・加計騒動であからさまになってしまった。そこから考えてみると、「国家主義」なるものは、ほんとうに国家第一に考えているのではなく、そういう体勢を国民に強要して、自分たちがその国家・国民の上に胡坐をかこうとする連中の考えることだということが明らかになる。
 
 改憲論議も何も行き着く先はそこ。それを言いくるめるのが「オルタナ・ファクト」「フェイク・ニュース」、そして「ポスト真実」の政治。そんなことまで安倍政権はさらけ出した。
 
 だから課題は、どんな政策論議でもない。こんな連中に政治を任せてはいけないということ。先には破綻しかない。「茶番」の破綻は目も当てられない。どんな政権でも(かつての民主党政権でも)これよりはずっとまし。少なくともまじめに国政を考える者たちの政府を作らなければならないということ。その政治の基本は、国内・国際あらゆるレベルで他者がいることを前提にした地域共同の生活、人びとがまともに生きていける体制の整備。そのための経済・外交etc.。少子高齢化が現実としてありながら、国のために死ぬことを要求するような政治は始めから失格だ。

首都圏反原発連合の七夕国会前抗議2017/07/08

「10年後の、今月今夜のこの月を…」
7月7日は七夕、一年に一度の牽牛と織女の出逢いの日。その日は金曜で、恒例の首都圏反原発連合の国会前集会もにぎやかです。わたしもスピーチすることになりました。いつもアドリブで話をするとどうも長くなりがちで主催者を困らせます。そこで今回は原稿を用意して読み上げることにしました。以下に掲載します。
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 3・11以来考えました。津波の跡、福島にできたゾーンを見ながら、核技術とは何なのかと。結論は早くに出ました。核技術は、われわれの生活圏である自然界の基礎構造を壊す技術、科学技術の粋と言われながら、人間どころか、生命とは両立不可能なものだと。

 それを軍事ではなく、社会生活のベース(エネルギー源)として持ち込むためには、初めからフェイク・ニュースを必要としたということも。なぜなら核技術は自然界に決壊を引き起こして放射能を誘発しますが、その収拾はできないのです。それを「安全」ということがすでにフェイクです。原発が事故を起こす前に、核爆発そのものが人為的な事故であって、その事故で自然が封じ込めていた災厄を解放する、それが核技術の真実です。

 富を競い合い、ときに戦争もする世界の体制のなかでは、核エネルギーは桁違いの元手になります。だからどんな手段を使っても富を独占しようとする人たちは、フェイクで真実を押し隠し、PRで人びとを踊らせながら、核利用を推進しようとします。

 まともな為政者のいる国々では、科学的にも、経済的にも、また道義的にも、核依存は割に合わないし未来がないと判断し、まだ引き返せると考えて撤退を決めています。その中で日本だけが、止まっていた原発を再稼働し、核技術の輸出さえしようとしています。ヒロシマ・フクシマを経験し、核の実験場となった日本だけがです。

 その日本の、舵取りをする政府はどうなっているのか?フクシマのダメージから立ち直ると称して虚勢の「国力」を頼み、世界の「平和」を確保するために敷かれた「戦後レジーム」を、「岩盤規制」であるかのようにやり玉に挙げて廃棄しようとし、「国民が喜んで戦争のために身を捧げる」そんな国家を作ろうとしています。

 それは誰のための理想なのでしょうか?もちろん国民のためではありません。国民は競って悪条件のもとで働かせ、仮想の敵との戦争に備えさせる。進んで言うことを聞けば許されるが、反抗すれば共謀罪。それは一握りの特権者たちのための「楽園」にすぎません。彼らは権力を私物化して国の富を自分たちの食い物にし、未開人の酋長よろしく仲間内で勝手に気ままにやりたい放題をやる。森友・加計学園問題で露呈したのは、「美しい国」などと言って国家への奉仕を要求する連中こそが、そんな夜郎自大だということです。原発も、そんな連中が国の隷属体制を作るために社会に埋め込む地雷のようなものです。

 原発はまやかしの技術性と経済性で、国の経済・社会のあり方を根本から歪めます。そして、社会に嘘を蔓延させ、その嘘を維持するために真実を押し込め、まともな考えや、物言う人びとを押し潰すことなしに存続できません。

 だからこそ、原発をなくすことは社会のあり方を根本から変えることになるのです。富よりも人間が大事にされ、生きることの豊かさが養われ、この「文明化」されたはずの社会の健やかさが作り直される、そんな未来への約束の道です。

 首都圏反原発連合は、広範な人びとの思いを声にし、五年間に渡って途絶えることなくこの国会前に場を確保し、その道を開くべく活動を続けてきました。ここに挙がる声は、雲を貫いて空に、未来に開けています。この五年間に日本の政治は逆行の嵐に呑み込まれ、それでもますます多くの人びとがそれぞれのやり方でその濁流に立ち向かっています。その運動の軸に、いつもこの反原連の集会があったことをあらためて確認しましょう。そして、その未来が今日になるまで、ここに立ち続けようではありませんか。

日本はいま、どんな異常な政権のもとにあるのか?2017/06/17

 共謀罪の強行採決で幕を閉じた今度の国会で図らずも露呈したのは、「戦後レジームからの脱却」を掲げ、「みっともない憲法」を廃棄して(少なくとも少し変えて)「美しい国」をめざしそうという安倍政権が、じつはどういう政権かということである。
 
 大筋の政策では、まず秘密保護法の強行採決、ついで憲法解釈のありえない変更、そしてそれに基づく違憲の安保法制、それに則って自衛隊の南スーダン派遣、さらに国連関係者からもクレームを付けられた共謀罪の異例手段による採決と、自衛隊の軍隊化を図る一方で、行政権力保護と捜査権力強化の体制を、憲法を空洞化しながら進めてきた。

 あらゆる政府提出法案は、国会の与党(自民・公明+維新)の圧倒的多数で可決することができる。だから、閣議は規範的事項の実質的「決定機関」として振舞い、まず憲法違反を合憲と「解釈」できると決定して以来、不都合な事実に対する「オルタナ・ファクト」を閣議決定として押し通し、国会審議も空洞化して(質問をはぐらかし、ごまかし、嘘を言い、切り抜けられないとなると強弁に居直る)、形だけ整えて一定の時間が来ると強行採決。
 
 しかしその「多数」の中身たるや、次々に不祥事や不正が露見して雲隠れする欠格議員や、口を開ければ「失言」で人前に出せない閣僚たち、果ては答弁もできない大臣や、国際会議でトンデモ発言をする大臣といった不適格閣僚ばかり。それを安倍首相が選んでいる。そしてその前に、小選挙区制で多くの議席を埋めるために党執行部の意向で選ばれる候補者たちの質が劣悪なのだ。その人選や任命の責任は党総裁かつ首相の安倍晋三氏にあるが、その安倍首相がそもそも「責任」などというものは他人が取るものであって自分は守られるとみなしているようだ。
 
 だがその体制は盤石ではない。自衛隊の派遣日誌隠蔽問題で稲田防衛相が不適格をさらした騒ぎの上に、森友学園問題が浮上し、そこで安倍政権の同調支援者への便宜供与や、それを「忖度」した財務省の背任まがいの計らいが露見すると、政権は野党の抵抗が強いだろう共謀罪の上程で騒ぎを押し流そうとした。ところが重ねて、もっと官邸にとっては都合の悪い加計学園問題(首相の親戚筋で、官邸メンバーが深く関係している学園に、経済特区制度を使って巨額の国費・自治体費が投入されてようとしている)が浮上する。そこで安倍首相が搦手から打ち出してきたのが憲法改正の具体的アジェンダだ。そうして、崩れようとする堤防の綻びを、さらに大量の土砂で押し流して別の災害を作り、そこにまた別の災害を押し被せて、次々と目先を変えながら濁流を広げて憲法改正まで加速させて行こうとする。盗人が家に火をつけて逃れると同時に荒稼ぎの一石二鳥も三鳥もとるという技をあからさまに演じたのがこの国会だった。

 (公明党が重視する都議選前に、期間を置いて国会を閉じることは、そのまま加計学園問題の追及の幕を閉めるという算段と重なる。その前に共謀罪成立を強行したのは、これをすぐに適用したいからというより、閣議決定して審議強行した以上、不成立では国会で政権の面子が立たないということからだろう。)
 
 だが、そこで露呈したのは、安倍政権の手法、つまり人事権を掌握して官僚も警察も司法も官邸の意に従わせるが、その権力強化によって実現するのは、国政も国有財産も強権によって意のままにするということ、同調者や仲間内で国を思うままに処断するということだった。そして仲間がすることが明かな犯罪行為であっても、警察権力を通して握りつぶすことさえできる。安倍首相がすでにそのように振舞っていることが露見したのである。当人は白を切っているし、周囲の人間は自分に餌を、権力のおこぼれを与えてくれる親分を守ろうとしている(ますます人相の悪くなる菅官房長官をはじめとして)。

それに、さまざまな証言や状況証拠がごまんと溢れ出ているのに、国会での追及は「数」の力で押し流され、ましてや警察も検察も、この件を立件しようとはしない。警察・検察はすでに首根っこを抑えられ、あるいは権限を強化してもらって官邸の子飼いになっているからだ。メディアもそうである。読売、産経やNHKだけでなく、官邸の記者クラブが、官邸にとって不快な追及をするよそ者(社会部記者)を排除しようとしているという。
 
 国民主権の憲法を廃棄しなくとも、すでに日本の首相官邸はこんな有様になっている。安倍首相が目指す「美しい国」、国民が文句も言わず進んで国のために無私の奉公をする国、そして一部の者たちが国の権限や資産を私物化し、自分たちの妄想にしたがって思うように国民を食い物にできる国、それが安倍首相の目指す理想だとしたら、その妄想に近い理想はもうほとんど実現しているのである。こんな権力の私物化や、それに都合のよい「国作り」の暴挙が、誰にも止められずに罷り通っている。それを妨げる権限をもつ者たちが、すべてすでに抑えられている。それがこの国の現状だということである。
 
 幸い、それでも勇気ある人々が、「安倍一強」と言われるこの状況のなかで異を唱え、この現状を明るみに出すことに貢献している。しかしその人びとが今いちばん脅かされている。この人たちを守り、この日本にまともな政治を取り戻すために、多くの人たちがそれぞれの場所で立ち上がらなければならないだろう。もちろん武器なき、権力なき闘いだ。権力もあらゆる武器も、安倍政権とそれに靡く「自発的隷従」のピラミッドがもっている。その「自発的隷従」の鎖の一つひとつを解き放たなければならない。
 
※付言しておけば、安倍の「戦中体制」理想化妄想――日本が負けたアメリカに国を売って、自分たちが不条理な「戦中体制」の大本営に収まる、という戦後右翼の倒錯――は、こんなふうに実現されるしかない「大日本帝国」の「二度めの茶番」だということである。それをあらゆる保守というより右翼をもって任じる「憂国の士」たちには考えてほしい。

「最初は悲劇、二度めは茶番」2017/06/16

※共謀罪成立前に書いた未定稿で、遅いと言えば遅いけれど、基本認識は変わらないので今日、ここに挙げておきます。
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 国会会期末が迫り、共謀罪法案採決をめぐって与野党の攻防が緊迫している。
 安倍政権は2014年末の秘密保護法以来、集団的自衛権をめぐって閣議決定による憲法解釈変更、安保関連法制、自衛隊の南スーダン派遣、そして共謀罪法案と、日本の国のあり方を変えるような政策を次々に採ってきた。これはいわゆる「戦後レジームからの脱却」という安倍政治の具体化だが、そこであからさまになってゆくのは、目指すのがたんに「戦争のできる国」というだけでなく、民主主義や国民の主権を解消し、国家権力の圧倒的優位を確立する方策だということである。
 
 しかしそれだけではない。「最初は悲劇、二度めは茶番」だと言うが、まさに大日本帝国は破綻、無条件降伏で国民は多大な犠牲を強いられた。しかしいま強引に準備されている「二度め」は、明治以来の国家体制の形成ではなく、国民が権力にかしづく体制づくりによって、その国権を私物化する連中が初めから馬脚を現しているという事態である。
 
 森友学園、加計学園問題で露わになったのはそのことである。安倍政権は、自分の姿勢に共鳴しその名を冠した神道小学校を作ろうとした森友学園が、財務省から9億円相当の国有地をタダ同然で払下げを受けられるよう、また異例の認可が受けられるよう計らった。またアベノミクスの目玉とされた「経済特区」制度によって、「岩盤規制をドリルでこじ開け」て、地元自治体を巻き込んで「刎頸の友」(じつは親族)に合理性も展望もない「獣医学部」を新設させ、そこに数十億円の公費を流し込む算段を、文科省・総務省を巻き込んで工作した。そればかりか新たな疑惑も持ち上がっている。政権・首相官邸は白を切るが、加計学園には官邸出入りの人物やその家族が役職者に名を連ねており、これが仲間内の利益供与であることは明らかである。
 
 そればかりか、安倍よいしょ本を出版しようとしていた元TBSワシントン支局長が起こした準強姦事件を、官邸につながりのある警察官僚を使って「上から」逮捕状を取消し、不起訴処分にしたことも、被害者の告発で明らかになった。また、その警察官僚は、2年前TBSの報道番組コメンテーターが外されたとき、TBSに圧力をかけたのと同一人物であることも判明した。
 
 また、前文科次官前川氏の発言から、政府のさまざまな有識者会議から、官邸が意向に沿わない人物を外していることも明らかになった。そのうえ、政府は内部告発者を探して処分しようとしている(そう言ったのが、何と北星余市出身を売り物にして自民議員になった義家某だが、彼も雑巾がけをさせられているのかもしれない)。いま、官僚は国家・国民のために仕事をするのか、安倍の走狗となるのかが迫られている。
 
 この間に明らかになったのは、国民の国家への服従と献身を求める安倍のようなウヨク政治家が理想としているのは、国家権力が強化され、その権力を私物化して自分の妄想に国民を従わせる、そして仲間内で自由に国を引きまわせる、そんな体制だということだ。そんな体制に人びとがひれ伏す国を、無私の国民の「美しい国」と言っているわけだ。言いかえれば、日本ではウヨク国体思想とは、国家を私物化したい連中の隠れ蓑にすぎないということだ。これが「二度めは茶番」の茶番たるゆえんだ。
 
 北朝鮮の危機は現実ではないか?中国の脅威は?
 冗談はよしてほしい。北朝鮮は弱小国。それにミサイル見せつけるのはひたすらアメリカ向け。そして北朝鮮問題の直の当事国は韓国だ。朝鮮半島は日本の敗戦による「復光」の直後、始まった冷戦の煽りで約七〇年前に南北に別れて同じ民族同士が数百万の犠牲を出して戦い合ったのだ。そして分断されたまま、今でも分離線は挟んで対峙している。その両当事国を置いて話は進まないはずなのに、北朝鮮は世界の親玉アメリカに存在を認められずには存続できない。だから核武装国家になろうとする。そして存続が究極目的だから、暴発はできない。それが基本状況だ。

 日本など眼中にない。相手をしている余裕はない。ひたすらアメリカとの直接交渉を求めている(相手がトランプならチャンスがある。トランプも同じような手法の親玉だからだ)。だからミサイルが飛んでも韓国は騒がない。危険なのは暴発だが、それを防ぐには交渉しかないことを、韓国は十分わかっているからだ。北の暴発でまた何百万の犠牲を出し、何百万の難民を受け容れなければならないのは韓国だから。

 それなのに、安倍は国内向けに「北朝鮮危機」をひたすら煽る。国の軍事化に使えるからだ。安倍は拉致被害者のことなどもうまったく考えていない。国内に北朝鮮危険の世論を作ることに成功したから、もうどうでもいいのだ。実際、安倍政権ではこの問題は一歩も進んでいない。

 教育勅語を学校で教えて、国民に臣従を植え付け、このIT・サイバー戦争の時代に銃剣道でトツゲキ精神を教え、ミサイル攻撃に備えて防空頭巾の避難訓練をさせ、韓国が騒ぎ過ぎと苦言を言う中で東京の地下鉄を止めて「危ない」と思わせる。それが今の政権の「戦時」認識なのだ。そのくせ、NHKが「忖度」で北朝鮮ミサイル大騒ぎのキャンペーンをはっている間、当人は疑獄渦中の夫人同伴でGWの海外遊行。ばかばかしいにもほどがある。

 中国についてはまたにしよう。