『「改憲」の論点』(集英社新書)2018/07/27

『「改憲」の論点』(集英社新書)
 ブログの更新を長らく休んでいましたが、新しいお知らせを。

 7月にこういう本が出ました。第196国会という戦後最悪の国会を、オウム死刑囚大量一括処刑で目晦ましし、折からの西日本豪雨大災害の対策もそっちのけで、トランプ土産のカジノ賭博法を強行して乗り切った安倍首相は、自民党総裁三選に向けて「改憲」が争点だと表明したそうです。

 ほんとうに「改憲」する気があるかどうかは分かりません。たぶん、2020年のオリンピックまで首相でいて、在位最長をスーパーマリオで飾れば後は野となれ山となれ、本人はそれでいいのだろうけれど、右バネの求心力を使うためには「改憲」を持ちだす必要があったのでしょう。

 それに、実際、やりたいことは何でも通る(安保法制、共謀罪、TPP11、虚偽資料の働かせ改革、カジノと)翼賛というより数の隷従(自公のこと)国会だから、やろうと思えば形だけの発議はできるだろうし、どんなにいい加減な「改憲」でも、中身は関係なくともかくやってしまえば「やった」を功績にできるのが、いまの日本政治の実情です。

 それに、安倍のコアな支持者はとにかく「改憲」を求めているから、やれば彼ら(日本会議・神社本庁・ネトウヨ・ヘイトマニア)は喜ぶ。だからオリンピック・ボランティア(酷暑を試練に祖国への挺身強制)空気を圧力に使いながら、「日本スゴイ!」のデタラメ「改憲」発議をする可能性は十分にあります。ここまで来たら「改憲」することに意義がある!オリンピックが終わっても、それが「美しい国」への「レガシー」になる。

 安倍政権は、言うことをきかない者は徹底的に排除し、なびく連中にはソンタクの限りを尽くさせ、官僚機構は「お役立ち」役人が餌を追うだけの牛舎にしてしまい、メディアや司法もすっかりなびかせて、国会は議論など成り立たない強弁と虚言と言い逃れと居直りの、まったく空しく品格のヒの字もない採決手続きにしてしまうのに成功しました。、そのうえ、日本の大勢を、それを放置しそれでも通る底抜け社会にしてしまったのだから(何の大災害が起きたのでしょう?)、6年かけて「改憲」の機は十分に熟したと言うこともできるでしょう。

 要は、もう議論の問題ではないということですが、何を血迷ったのか、そんな政治状況を不問に付して、まるで今の日本にまともな論議をする土台があるかのように、「護憲的改憲論」とか「リベラルの側から改憲を」という主張も出てきています。そのうえ「リベラルよ目覚めよ」とか言う。大きなお世話でしょう(わたしは「リベラル」ではありませんが)。

 そんな折に行き合わせるかのようにタイミングよく、「立憲デモクラシーの会」の主要メンバーによる8人による新書『「改憲」の論点』が出ました。いま必要な議論のテーマがほぼフォローされています。論点を間違えないよう、参考にしていただけたら幸いです。

 わたしは、憲法その他の法論議ではなく、日米安保のアメリカとの関係で、「改憲」や「戦争権」の主張の問題点を、解説しました。十分ではありませんが、いわゆる「ポスト真実」の歴史的意味にも関係しています。

 また、これに関連して、「テロとの戦争」以降の「戦争」の変容と国家間関係の変質について、つまり現代の「戦争」を考えるうえでの前提条件について、夏に刊行される『神奈川大学評論』に寄稿しました。じつはこれは上記の新書に書いた文章の「前半」にあたる部分です。なかなか手にしづらい媒体ですが、図書館などでは見られると思います。

 とりあえず、お知らせします。

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