★経済原理主義からの脱却2021/09/07

要点だけだが――

★「コロナ禍は経済に打撃」はウソ!!!
・TOPIX(東証株価指数)、連日の高値更新(バブル期以来)
・商社、最高益の狂乱(エコノミスト)
・トヨタ、4~6月純利益5.7倍で過去最高 世界販売が好調(日経)
・高級外車バカ売れ

★「命か経済か」と二択化することで、「経済」はむしろコロナ禍を機に大発展。事実が示している(「経済対策」が奏功)。
「経済」という用語にダマされるな。「経済」は人びとの生活に関係ない。むしろそれを食い物に「成長」してゆく。人びとが苦しめば、そして「競争」ではみ出し脱落すれば、それをすり潰して肥え太ってゆく。(「オリ・パラ」を無理やりやるのは、その競争原理を輝かせて人びとを幻惑し、「感動と共感」の胡乱な沼に浸すため。「多様性」も「金メダル崇拝」で一様化。)

★「命か経済か」で排除されたのが「社会」(最近では「経済社会活動」と言ってごまかしているが)。「命」つまり生活は、「社会」のなかで成り立つ。同じく「経済」も「社会」を足場に展開する。その「社会」という場が「生活」と「経済」を結びつけている。
・だが都合よく「ソーシャル・ディスタンス」、「社会性」を断つ。
・その繋ぎ目にあるのが今回浮上した「エッセンシャル・ワーク」。だがそれは「ボランティア」扱いで、「美談」の対象にはなっても、政府はまともにフォローしようとしない。金融緩和・資本支援・消費促進(Goto、中抜き機会)が巨額の「経済対策」。

★その結果、コロナ禍は波状攻撃「倍返し」のように広がり、寄せる波のたびに「生活」できなくなる人びとが増え、医療機関はオロオロ、関係者は疲弊、お手上げ状態になる。そのうち「コロナで肺炎」は手の打ちようのない「フツー」のことになり、日に100人ぐらい死んでもあたりまえ。
 この間、焼野原(むしろ洪水の後)になったセクターや、「小さな人びと」の生活の廃墟は、デジタル・ヴァーチャル化で効率を高め「イモータル化」する資本・企業のリサイクル市場化の草刈り場になる。

★この冬、また感冒の流行期に何が起ころうとも、もはやそれは「ノーマル」。政治は経済の「復興」以外何もしようとしない。経済はすでにコロナ禍を食い物にしているのに。だから自民党は内輪の権力構想などやっていられるし、メディアはオリ・パラの次は総裁選に現を抜かす。日本に「社会」はもうないのだ。

★どうでもいいが、これは「資本主義」の問題などではない。資本主義が栄えようと終わろうと、この状況は変わらない。ということは「資本主義」論議そのものが失効しているということだ。マルクス主義は階級闘争の時代のもの。現在の問題は、「政治(統治)の経済化(私的欲望の自由)」ということ。そこからどう「政治」を「公共性」を編み直し作り出すかということが根本課題だ。その射程は「資本主義論」を超えている。

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