仏誌「マリアンヌ」インタヴュー、「アメリカの自由」について ― 2025/01/08
西谷修:「地球を商品と考えたのはアメリカ人が最初」
インタビュー:サミュエル・ピケ
公開日時:2025/01/07 21:00
*DeepLの自動翻訳にだいぶ手を入れました(とくに後半)。
日本の哲学者である西谷修は、そのエッセイ《L'impérialisme de la liberté, Un autre regard sur l'Amérique》(Seuil)――邦題『アメリカ、異形の制度空間』(講談社メチエ)――の中で、西洋、とりわけ米国に鏡を差し出しているが、そこに映った像はいささか心乱すものである。 ドナルド・トランプが大統領に就任しようとしている今、この本は示唆に富んでいる。「マリアンヌ」は彼にインタビューした。
《L'Imperialisme de la liberte》(Seuuil)の中で、日本の哲学者である西谷修は、アメリカ合州国の誕生と、自ら主張する所有権に基づくアメリカ・モデルの輸出について、非常に批判的な視線を向けている。 キリスト教ヨーロッパも免除されているわけではないが、著者はアメリカの例外性、つまり現地住民の同化の試みもなく、自由という偽りの理念を広めるために好戦的な拡張主義をとったことを強調している。 マリアンヌが彼にインタビューした。
マリアンヌ:クリストファー・コロンブスが上陸した大陸が "アメリカ "と呼ばれていたという事実は、なぜその発展を理解する上で重要なのでしょうか?
西谷修:アメリカとは何よりまず、ヨーロッパ人によって発見された未踏の地、「新大陸」という西洋の想像上の存在を指す名前だからです。何千年来そこに住んでいた人びとは、自分たちを「アメリカ人」だとは、ましてや「インディアン」だとは認識していませんでした。アメリカは、彼らを追い出すか絶滅させることでしか築けなかったのです。ヨーロッパ人到来以前のあらゆる人びとの生活は「新大陸」の「新しさ」に反するものでした。「アメリカ」という名づけそのものが、「新大陸」の発見をフィレンツェの航海士アメリゴ・ヴェスプッチによるものと早とちりしたドイツ人地図製作者の思い込みの産物でした。それに、誰がアメリカ人なのか? それはこの新大陸に定住したヨーロッパ人とその子孫たちであって、「インディアン」ではない。彼らにとって「アメリカ人」とは、彼ら自身を父祖から受け継いだ土地を奪いそこから追い出した連中だったのです。
彼らは虐殺され、あるいは有名な「フロンティア」を越えて西へ西へとどんどん押し出されていった。なぜなら、フロンティアは、フランス語のそれとはいささか違って、アメリカ人の領土拡張に限界(国境)を設けるどころか、先住民の「野蛮さ」に対抗する「文明」の前線を示すものだったからです。 この前線が太平洋岸に達したとき、北の大陸の「アメリカ化」は完了しました。
マリアンヌ:あなたは「アメリカ・インディアン」の運命を説明するのに、「強制的かつ合法的に追放された」という表現を使っていますが、この明らかな矛盾をどう説明するのですか?
西谷:「インディアン」はアメリカ人に「法主体」として認められていませんでした。「法」というのはローマ法に由来する概念で、いまでも多くの非ヨーロッパ言語へは翻訳しにくいものですが、いったん彼らが「法」の外に置かれると、その扱いはもっぱら力関係に左右されます。そして「インディアン」は「法の外」にいるのだから、アメリカ人が土地を所有することを妨げるものは何もありません。一方、彼らの「野蛮人」の観点からは大地は誰のものでもなく、翻って誰もそこに住むことを禁じられてはいないわけです。
言い換えれば、先住民は土地の私的所有という考えを持っていなかった。彼らの目には、自然や生存のための環境は誰かが占有すべきものではなく、逆に生きる人間にあらゆる恩恵を与えてくれるものでした。だから彼らは新参者を頭から拒絶せず、むしろ受け入れて定住を許した。けれども、やがてアメリカ人となる入植者たちは、土地を所有の対象とし(初めは国王の領有)、法的・経済的資産として、その排他的な占有と開拓をもって、いわゆる個人の「自由」の基盤としたのです。入植者の数が増え続けるにつれて、土地の独占所有を受け入れない「インディアン」との公然の衝突は避けられなくなり、それがまた、彼らの「野蛮で無法」な性質が確認されることになり、野生動物と同じように「合法的かつ力づくで追放」されるようになったのです。
そこは、アメリカのいわゆる帝国主義がヨーロッパ列強の帝国主義から根本的に逸脱している点でもあるでしょう。 基本的に、ヨーロッパ諸国は世界の他の地域を征服し、統治し、同化させ、統合し、自国の領土に併合しようとしました。
屈服させるだけでなく、植民地化した民族の習慣や風習を勘案しながら(これが人類学の第一の目的だったわけです)、自分たちの文化、西洋文化を押し付けようとした。だから、フランスが残した刻印は、イギリス、スペイン、ポルトガル、オランダ、ロシアが残したものと同じではありません。だが、アメリカ人は大地を最初に商品化した。彼らの最初の行動は、植民地化された土地を「処女地」と宣言し、「テラ・ヌリウス」という法規定を適用することでした。ローマ法に由来するこの概念は、人が住んでおらず、開発もされていない土地を指します。だから、最初に手をつけた者が正当な所有権を主張できる(先占取得)。
だからアメリカは、そこに住み着くようになったヨーロッパ人にとって、「自由(空いている)」で、個人的自由に好都合な世界だとみなされたのです。所有者もいないし、ヨーロッパの土地関係を支配していた封建的なしがらみもない世界でしたから。ドナルド・トランプ大統領自身、不動産業で財を成した人物ですが、彼が米国はグリーンランドを領有すべきだと主張するとき、このような歴史と完全に軌を一にしているわけです。
マリアンヌ:あなたはしばしばヨーロッパを「キリスト教徒」や「キリスト教」という言葉で定義します。なぜですか?
西谷:1492年にクリストファー・コロンブスがグアナハニ島に上陸したとき、何世代にもわたってこの島に住んでいたタイノ人は、自分たちを「発見」しにきたヨーロッパ人を素朴ながら手厚く歓迎しました。一方、コロンブスは、彼らの先祖代々の土地を領有すると宣言し、サンサルバドル島(聖救世主)というキリスト教的な新しい名前を付けたのです(キリスト教徒はそれを「洗礼」と言う)。
コロンブスの目には、ローマ教皇やスペイン国王の目と同様に、カトリックの信仰を広めることが、こうして発見された、あるいはまだ発見されていない大地の植民地化を正当化するものとして映りました。ラテンアメリカでは、「征服者」たちによって「発見」された土地は、ヨーロッパの神学的・政治的秩序に強制的に併合されたわけです。
北アメリカでは事情が異なって、征服はヨーロッパ的な「旧世界」から脱却して「新世界」を建設するという救済史的な意味を与えられました。英国国教会の迫害から逃れるために17世紀に入植した清教徒たちは、北米を新たな「約束の地」と見なしていたのです。紅海を渡った選ばれし民のように、彼らは「キリスト教の自由」という新しい掟を確立することを自分たちの使命としていました。1620年にメイフラワー号で大西洋を横断したピルグリム・ファーザーズは、19世紀にはアメリカの建国神話となり、やがて「明白な運命」の象徴となりました。
これらの歴史はすべて、宗教、政治、法律、経済が密接に結びついていることを明らかにしています。その結びつきがその思考のシステム自体の特徴なのですが、ヨーロッパでは「世俗化」以来、そのことがしばしば忘れられています。ともかく、ヨーロッパ人は常に、他の「野蛮な」民族に対して、キリスト教的であること、あるいは文明的であることで自分たちを正当化してきたのです。
マリアンヌ:米国が誇る「自由」を支えているのは、どのような概念だと思われますか?
西谷:清教徒たちは二つの理由から、アメリカが自由の地であると思い描きました。まず、英国国教会のくびきから自由であり、そこを耕し、実り豊かにすれば、完全に占有することができたからです。すべての個人がそこでは自由に信仰ができるし、大地を耕すことで自分のものにすることができます。耕せば権利が生ずる、それも聖書に書いてあって、経済学者たち、とくにジョン・ロック(1632-1704)が「自由」のベースとしたことです。
イギリスからの独立闘争において、自由はこうして「私的所有に基づく個人の自由」として肯定されました。このように考えられた自由は、人や物を本来の状態から解放し、商業的交換に適した経済的存在(財)に変えます。これが、インディアンの土地を取引可能な「不動産」に転換し、その最初の「証券化」の場がウォール街だったわけです。そしてその後、この原理(自由化と解放)は、水、知的財産、遺伝子など、考えうるあらゆる「資源」に適用・拡大してゆきます。
北アメリカを発祥の地とし、それ以来世界のあらゆる地域に広がり続けている「所有権に基づく自由の空間システム」の基本構造はこのようなものです。西部のフロンティアが太平洋にまで到達すると、この「自由のシステム」はラテンアメリカ諸国を古いヨーロッパの帝国主義から解放しますが、それは言いかえればアメリカが支配する「自由市場」に統合するということで、モンロー・ドクトリンとは、「古いヨーロッパ」を離れて西半球に「自由世界」を開くという、その教書だったわけです。だからその動きは南へと向かいますが、世界戦争後は、今度は太平洋を越えて、まず日本を呑み込みます。
「アメリカの本当の原罪は奴隷制度ではなく、原住民の排除だった」。
ヨーロッパ型の日本帝国主義が広島と長崎で粉砕されて以来、日本は欧州連合(EU)のように、アメリカの意向に従う「自由の帝国主義」のアジアにおける代理人になりました。けれども、この「自由」を、世界人権宣言がすべての人間に認めている自由や人権と混同してはならないでしょう。私有財産に基づくものである以上、この「自由」は弱者の権利によって妨げられてはならず、所有者一人ひとりに、それを守るために武装する権利を与えているのです。
マリアンヌ:あなたは「 アメリカの自由には『原罪』がある」と書いています 。それは何ですか?
西谷:バラク・オバマ大統領は2008年の演説で、奴隷制度はアメリカの「原罪」であると言い、憲法の宗教的側面を再活性化させました。しかし、黒人奴隷貿易が忌むべきものであったことは事実ですが、この「罪」は米国だけのものではありません。三角貿易に従事したヨーロッパの船主たちや、自らの同朋を売ったアフリカの首長たちによって可能になったもので、アメリカはその最大の「消費地」でした。
アメリカの本当の「原罪」は先住民の抹殺であり、それなしには「私的所有権に基づく自由」は太平洋岸まで広がることはできず、さらにその先に、グローバリゼーションによって全世界に押し付けようとすることもできなかったでしょう。その先に、今では、イーロン・マスクの企てる宇宙空間の私的(民間)開発があります。
マリアンヌ:今日、アメリカは世界でどのように受け止められているのでしょう?そのオーラは失われたのか?日本ではどう見られているのでしょうか?
西谷:他の国と同様、日本においても、米国はかつてのオーラを失っています。ベトナム戦争ですでに失い、ソビエト連邦崩壊後に部分的に取り戻しましたが、その後、アフガニスタンからの無様な撤退は、全世界を解放する(自由化する)ことで「原罪」を贖うというアメリカの衝動の決定的な挫折を意味するものだと思います。
先住民を抹殺することで「約束の地」を解放するというこのダイナミックな衝動にいまだに関与しているのは、アメリカの支援の下にあるイスラエルの極右とそのシンパだけでしょう。MAGA[「アメリカを再び偉大に」]の波の高まりは、この失敗の認識と、新自由主義的・新保守主義的グローバリズムの放棄を物語ってもいます。
ドナルド・トランプ大統領は、この事業がアメリカ人を犠牲にしすぎたと考え、栄光を取り戻すためには、アメリカは自国の利益の追及保持と、そのために障害となる中国という唯一の「敵」に焦点を当てているようですが、それを打ち負かすのはどう見ても不可能です。
日本では、ヨーロッパ主要国と同様、多くの人々が自国の運命がアメリカのそれと切り離しうるとは考えておらず、それゆえ「ポスト・アメリカ」の世界における自国の位置どりなどを考えてもいないようです。たしかに、アメリカの支配がない世界を想像するのは難しいですが、じつはそれが現代のもっとも枢要な課題でしょう。
インタビュー:サミュエル・ピケ
公開日時:2025/01/07 21:00
*DeepLの自動翻訳にだいぶ手を入れました(とくに後半)。
日本の哲学者である西谷修は、そのエッセイ《L'impérialisme de la liberté, Un autre regard sur l'Amérique》(Seuil)――邦題『アメリカ、異形の制度空間』(講談社メチエ)――の中で、西洋、とりわけ米国に鏡を差し出しているが、そこに映った像はいささか心乱すものである。 ドナルド・トランプが大統領に就任しようとしている今、この本は示唆に富んでいる。「マリアンヌ」は彼にインタビューした。
《L'Imperialisme de la liberte》(Seuuil)の中で、日本の哲学者である西谷修は、アメリカ合州国の誕生と、自ら主張する所有権に基づくアメリカ・モデルの輸出について、非常に批判的な視線を向けている。 キリスト教ヨーロッパも免除されているわけではないが、著者はアメリカの例外性、つまり現地住民の同化の試みもなく、自由という偽りの理念を広めるために好戦的な拡張主義をとったことを強調している。 マリアンヌが彼にインタビューした。
マリアンヌ:クリストファー・コロンブスが上陸した大陸が "アメリカ "と呼ばれていたという事実は、なぜその発展を理解する上で重要なのでしょうか?
西谷修:アメリカとは何よりまず、ヨーロッパ人によって発見された未踏の地、「新大陸」という西洋の想像上の存在を指す名前だからです。何千年来そこに住んでいた人びとは、自分たちを「アメリカ人」だとは、ましてや「インディアン」だとは認識していませんでした。アメリカは、彼らを追い出すか絶滅させることでしか築けなかったのです。ヨーロッパ人到来以前のあらゆる人びとの生活は「新大陸」の「新しさ」に反するものでした。「アメリカ」という名づけそのものが、「新大陸」の発見をフィレンツェの航海士アメリゴ・ヴェスプッチによるものと早とちりしたドイツ人地図製作者の思い込みの産物でした。それに、誰がアメリカ人なのか? それはこの新大陸に定住したヨーロッパ人とその子孫たちであって、「インディアン」ではない。彼らにとって「アメリカ人」とは、彼ら自身を父祖から受け継いだ土地を奪いそこから追い出した連中だったのです。
彼らは虐殺され、あるいは有名な「フロンティア」を越えて西へ西へとどんどん押し出されていった。なぜなら、フロンティアは、フランス語のそれとはいささか違って、アメリカ人の領土拡張に限界(国境)を設けるどころか、先住民の「野蛮さ」に対抗する「文明」の前線を示すものだったからです。 この前線が太平洋岸に達したとき、北の大陸の「アメリカ化」は完了しました。
マリアンヌ:あなたは「アメリカ・インディアン」の運命を説明するのに、「強制的かつ合法的に追放された」という表現を使っていますが、この明らかな矛盾をどう説明するのですか?
西谷:「インディアン」はアメリカ人に「法主体」として認められていませんでした。「法」というのはローマ法に由来する概念で、いまでも多くの非ヨーロッパ言語へは翻訳しにくいものですが、いったん彼らが「法」の外に置かれると、その扱いはもっぱら力関係に左右されます。そして「インディアン」は「法の外」にいるのだから、アメリカ人が土地を所有することを妨げるものは何もありません。一方、彼らの「野蛮人」の観点からは大地は誰のものでもなく、翻って誰もそこに住むことを禁じられてはいないわけです。
言い換えれば、先住民は土地の私的所有という考えを持っていなかった。彼らの目には、自然や生存のための環境は誰かが占有すべきものではなく、逆に生きる人間にあらゆる恩恵を与えてくれるものでした。だから彼らは新参者を頭から拒絶せず、むしろ受け入れて定住を許した。けれども、やがてアメリカ人となる入植者たちは、土地を所有の対象とし(初めは国王の領有)、法的・経済的資産として、その排他的な占有と開拓をもって、いわゆる個人の「自由」の基盤としたのです。入植者の数が増え続けるにつれて、土地の独占所有を受け入れない「インディアン」との公然の衝突は避けられなくなり、それがまた、彼らの「野蛮で無法」な性質が確認されることになり、野生動物と同じように「合法的かつ力づくで追放」されるようになったのです。
そこは、アメリカのいわゆる帝国主義がヨーロッパ列強の帝国主義から根本的に逸脱している点でもあるでしょう。 基本的に、ヨーロッパ諸国は世界の他の地域を征服し、統治し、同化させ、統合し、自国の領土に併合しようとしました。
屈服させるだけでなく、植民地化した民族の習慣や風習を勘案しながら(これが人類学の第一の目的だったわけです)、自分たちの文化、西洋文化を押し付けようとした。だから、フランスが残した刻印は、イギリス、スペイン、ポルトガル、オランダ、ロシアが残したものと同じではありません。だが、アメリカ人は大地を最初に商品化した。彼らの最初の行動は、植民地化された土地を「処女地」と宣言し、「テラ・ヌリウス」という法規定を適用することでした。ローマ法に由来するこの概念は、人が住んでおらず、開発もされていない土地を指します。だから、最初に手をつけた者が正当な所有権を主張できる(先占取得)。
だからアメリカは、そこに住み着くようになったヨーロッパ人にとって、「自由(空いている)」で、個人的自由に好都合な世界だとみなされたのです。所有者もいないし、ヨーロッパの土地関係を支配していた封建的なしがらみもない世界でしたから。ドナルド・トランプ大統領自身、不動産業で財を成した人物ですが、彼が米国はグリーンランドを領有すべきだと主張するとき、このような歴史と完全に軌を一にしているわけです。
マリアンヌ:あなたはしばしばヨーロッパを「キリスト教徒」や「キリスト教」という言葉で定義します。なぜですか?
西谷:1492年にクリストファー・コロンブスがグアナハニ島に上陸したとき、何世代にもわたってこの島に住んでいたタイノ人は、自分たちを「発見」しにきたヨーロッパ人を素朴ながら手厚く歓迎しました。一方、コロンブスは、彼らの先祖代々の土地を領有すると宣言し、サンサルバドル島(聖救世主)というキリスト教的な新しい名前を付けたのです(キリスト教徒はそれを「洗礼」と言う)。
コロンブスの目には、ローマ教皇やスペイン国王の目と同様に、カトリックの信仰を広めることが、こうして発見された、あるいはまだ発見されていない大地の植民地化を正当化するものとして映りました。ラテンアメリカでは、「征服者」たちによって「発見」された土地は、ヨーロッパの神学的・政治的秩序に強制的に併合されたわけです。
北アメリカでは事情が異なって、征服はヨーロッパ的な「旧世界」から脱却して「新世界」を建設するという救済史的な意味を与えられました。英国国教会の迫害から逃れるために17世紀に入植した清教徒たちは、北米を新たな「約束の地」と見なしていたのです。紅海を渡った選ばれし民のように、彼らは「キリスト教の自由」という新しい掟を確立することを自分たちの使命としていました。1620年にメイフラワー号で大西洋を横断したピルグリム・ファーザーズは、19世紀にはアメリカの建国神話となり、やがて「明白な運命」の象徴となりました。
これらの歴史はすべて、宗教、政治、法律、経済が密接に結びついていることを明らかにしています。その結びつきがその思考のシステム自体の特徴なのですが、ヨーロッパでは「世俗化」以来、そのことがしばしば忘れられています。ともかく、ヨーロッパ人は常に、他の「野蛮な」民族に対して、キリスト教的であること、あるいは文明的であることで自分たちを正当化してきたのです。
マリアンヌ:米国が誇る「自由」を支えているのは、どのような概念だと思われますか?
西谷:清教徒たちは二つの理由から、アメリカが自由の地であると思い描きました。まず、英国国教会のくびきから自由であり、そこを耕し、実り豊かにすれば、完全に占有することができたからです。すべての個人がそこでは自由に信仰ができるし、大地を耕すことで自分のものにすることができます。耕せば権利が生ずる、それも聖書に書いてあって、経済学者たち、とくにジョン・ロック(1632-1704)が「自由」のベースとしたことです。
イギリスからの独立闘争において、自由はこうして「私的所有に基づく個人の自由」として肯定されました。このように考えられた自由は、人や物を本来の状態から解放し、商業的交換に適した経済的存在(財)に変えます。これが、インディアンの土地を取引可能な「不動産」に転換し、その最初の「証券化」の場がウォール街だったわけです。そしてその後、この原理(自由化と解放)は、水、知的財産、遺伝子など、考えうるあらゆる「資源」に適用・拡大してゆきます。
北アメリカを発祥の地とし、それ以来世界のあらゆる地域に広がり続けている「所有権に基づく自由の空間システム」の基本構造はこのようなものです。西部のフロンティアが太平洋にまで到達すると、この「自由のシステム」はラテンアメリカ諸国を古いヨーロッパの帝国主義から解放しますが、それは言いかえればアメリカが支配する「自由市場」に統合するということで、モンロー・ドクトリンとは、「古いヨーロッパ」を離れて西半球に「自由世界」を開くという、その教書だったわけです。だからその動きは南へと向かいますが、世界戦争後は、今度は太平洋を越えて、まず日本を呑み込みます。
「アメリカの本当の原罪は奴隷制度ではなく、原住民の排除だった」。
ヨーロッパ型の日本帝国主義が広島と長崎で粉砕されて以来、日本は欧州連合(EU)のように、アメリカの意向に従う「自由の帝国主義」のアジアにおける代理人になりました。けれども、この「自由」を、世界人権宣言がすべての人間に認めている自由や人権と混同してはならないでしょう。私有財産に基づくものである以上、この「自由」は弱者の権利によって妨げられてはならず、所有者一人ひとりに、それを守るために武装する権利を与えているのです。
マリアンヌ:あなたは「 アメリカの自由には『原罪』がある」と書いています 。それは何ですか?
西谷:バラク・オバマ大統領は2008年の演説で、奴隷制度はアメリカの「原罪」であると言い、憲法の宗教的側面を再活性化させました。しかし、黒人奴隷貿易が忌むべきものであったことは事実ですが、この「罪」は米国だけのものではありません。三角貿易に従事したヨーロッパの船主たちや、自らの同朋を売ったアフリカの首長たちによって可能になったもので、アメリカはその最大の「消費地」でした。
アメリカの本当の「原罪」は先住民の抹殺であり、それなしには「私的所有権に基づく自由」は太平洋岸まで広がることはできず、さらにその先に、グローバリゼーションによって全世界に押し付けようとすることもできなかったでしょう。その先に、今では、イーロン・マスクの企てる宇宙空間の私的(民間)開発があります。
マリアンヌ:今日、アメリカは世界でどのように受け止められているのでしょう?そのオーラは失われたのか?日本ではどう見られているのでしょうか?
西谷:他の国と同様、日本においても、米国はかつてのオーラを失っています。ベトナム戦争ですでに失い、ソビエト連邦崩壊後に部分的に取り戻しましたが、その後、アフガニスタンからの無様な撤退は、全世界を解放する(自由化する)ことで「原罪」を贖うというアメリカの衝動の決定的な挫折を意味するものだと思います。
先住民を抹殺することで「約束の地」を解放するというこのダイナミックな衝動にいまだに関与しているのは、アメリカの支援の下にあるイスラエルの極右とそのシンパだけでしょう。MAGA[「アメリカを再び偉大に」]の波の高まりは、この失敗の認識と、新自由主義的・新保守主義的グローバリズムの放棄を物語ってもいます。
ドナルド・トランプ大統領は、この事業がアメリカ人を犠牲にしすぎたと考え、栄光を取り戻すためには、アメリカは自国の利益の追及保持と、そのために障害となる中国という唯一の「敵」に焦点を当てているようですが、それを打ち負かすのはどう見ても不可能です。
日本では、ヨーロッパ主要国と同様、多くの人々が自国の運命がアメリカのそれと切り離しうるとは考えておらず、それゆえ「ポスト・アメリカ」の世界における自国の位置どりなどを考えてもいないようです。たしかに、アメリカの支配がない世界を想像するのは難しいですが、じつはそれが現代のもっとも枢要な課題でしょう。
「ドナルド・トランプ米大統領就任記念」フィガロ・インタヴュー ― 2025/01/24
Marianneに続いてFigaroからインタヴューを受けた。
二年前にフランスで出版されたL’impérialisme de la liberté, un autre regard sur l’Amérique, Seuil, 2022)――『アメリカ、異形の制度空間』(講談社メチエ,2016年)の仏訳版――をベースに、トランプのアメリカ大統領就任について見解を聞きたいというのだ。ヨーロッパの人びとは、このようなアメリカの分析の仕方をまったくしたことがないようで(日本でも同じだと思う)、両誌(紙)の編集者とも、たいへん啓発されたと喜んでくれた。
Figaroのこのインタヴューは1月25日に本紙とウェブに掲載されることになっているが、私の私的なつごうもあり、半日早くなるが、日本語訳をここに掲載させてもらう。
(翻訳は面倒なのでDeepLに頼ったが、働いてもらったAIくんには悪いが、やっつけ仕事丸出しでとてもひと様に見せられるものではなく、だいぶ手を入れざるをえなかった。)
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○「ドナルド・トランプ米大統領就任記念」フィガロ・インタヴュー
1)ル・フィガロ――ドナルド・トランプは就任前演説の中で、パナマ運河を取り戻しグリーンランドを併合したいという願望をあらためて示しました。そしてカナダに経済的圧力をかけると脅し、アメリカの51番目の州になってはどうかとも言いました。あなたはこうした発言に驚きましたか?あなたはそれを、ご著書で描き出されている合州国の古い帝国的野心の再燃と見ますか?
西谷修――いかにも厚顔な言い方ですが、トランプ氏は自分がアメリカ大統領である以上、こんなふうに言って当然だと思っているのでしょう。彼のとっては、他国を脅したり空かしたりできるのも、アメリカの「偉大さ」の証なのでしょう。これがショッキングに聞こえる理由は、彼が新しい領土や運河の支配を、国際法の問題ではなく私法(権)の問題であるかのように語っているからです。じつはそれがアメリカの伝統に沿ったものでもあるのですが。
注意すべきことは、アメリカの「帝国主義」は、一般的なモデルになっているヨーロッパのそれとは根本的に異なるということです。それは、領土化し植民地にするためにある地域の住民を服従させるのではなく、土着の住民を抹消してそこを空にし、領土を「解放」するというものです。だいかいアメリカ自体が、先住民を排除してそれを自らの「自由」の(フリーな)領域にするということから始まりました。
この「解放」の力学は、その後海外にも広がっていった。アメリカが1898年に「帝国支配からの解放」の名のもとに行った対スペイン戦争によって、フィリピン、グアム、プエルトリコの支配権を2000万ドルで獲得することができたのです。こうして、これらの旧植民地は「古い西洋」の支配から「解放」され、私有財産権に基づく「自由の体制」に服して、アメリカ市場の領域に組み込まれました。こうして、「所有権に基づく自由の帝国主義」はアメリカ大陸を越えて広がり始めました。それが、「古いヨーロッパ」の帝国的支配から領土を「解放」し、アメリカの支配圏に統合するという新しい世界統治の方法なのです。
この新しい手法はじつは不動産業者が使うものと似ており(地上げや転がし)、ドナルド・トランプが政界入りする前にこの職業で財を成したことを忘れてはなりません。国際政治へのこの手法の導入は、彼の最初の任期中には多くの障害に遭遇しました。しかし今回の選挙で、彼は正統性を獲得した。
選挙というのはドメスティック(国内的)なもので、当然ながらアメリカの有権者が選んだのは自分たちの大統領であって、世界全体の大統領ではありません。ところが、アメリカの影響力が絶大であるため、世界中の市民たちは「世界に開かれた大統領」がホワイトハウスに入ることを期待していました。その期待は、選挙に関する国々のメディアの報道にも表れていました。しかし、米国は再びトランプ氏を大統領に選出した。多くの人が「MAGA」に応えたのです。これはソーシャルネットワークなどの影響もあるでしょうが、いずれにせよ、米国は今後しばらくは自国重視の姿勢を打ち出し、大統領も同じように振る舞うということです。
2)新大統領は、メキシコ湾の名称を「アメリカ湾」に変更することも約束しています。「何て美しい名前だ!まったく相応しいじゃないか」と言いながら。これは、あなたが著書で引用しているステファン・ツヴァイクがアメリゴ・ヴェスプッチの伝記に書いた言葉を思い起こさせます。アメリカという名前は「征服する言葉だ。この言葉のうちには暴力性があり(中略)、年々、より大きな領域を併合していく」。なぜアメリカ合州国は大陸全体の名前をとったのでしょう?これは領土拡大の兆候だったのでしょうか?
西谷――確かに、完全母音にはさまれて明るく生き生きとした響きをもつこの名前は美しい。ドイツの若い地理学者ヴァルトゼーミュラーは、この名前を提案した後、自分の「早とちり」を認めて、自身の世界図からこの名前を撤回したのですが、たぶんその響きの良さのため、たちまちヨーロッパに広がり、誰も修正に応じませんでした。そしてこの名称は、ヨーロッパ人が大西洋の彼方に「発見」したすべての土地を覆って指すようになりました。スペインとポルトガルによって大陸南部に植民地化された国々は、ヨーロッパの帝国主義的なやり方で植民地化されました。そして独立後、これらの国々は「ラテンアメリカ」と総称されるようになりますが、どの国も国名に「アメリカ」という修飾語は採用しなかった(多くは現地語を用いた)。
一方、北半球では「アメリカ」は、「処女」とみなされた土地の先住民(インディアン)を排除してゼロから作り出されました。つまり、「私有財産に基づく自由」という「制度的空間」が「新世界」としてここに建設された。その「新世界」の名が「アメリカ」だったのです。
当初、それぞれ「ステート」を名乗っていた東部の13植民地は連携して独立を宣言し、アメリカ合州国を作りました。その後、フランスからルイジアナを買い取り、先住民を追い出して併合します。それから、メキシコからテキサスとカリフォルニアを奪い、あるいは買い取り、いわゆる「フロンティア」を太平洋岸まで伸ばしました。この「フロンティア」は、実際には「拡大するアメリカ」の前線だったわけです。さらに、アメリカはロシアからアラスカを買い取った。そしてスペインとの戦争時には、ついに太平洋のハワイ諸島を併合しました。それ以来、アメリカ合州国を構成する州(ステート)は50を数えるようになっています[これは開かれていて、さらに増えうるわけです]。
ステファン・ツヴァイクは、ナチスに支配された祖国を逃れ、「旧世界」の混沌から遠く離れた「ヨーロッパの未来」を象徴するはずのアメリカ大陸へと向かいました。しかし、ツヴァイクがそこで見たものは、物質的で人工的な文明の繁栄であり、むしろ野蛮で虚栄に満ちたもので、彼が大切にしてきたヨーロッパの未来ではなかった......。同じように、哲学者のアドルノとホルクハイマーは『啓蒙の弁証法』(フランス語では『Dialectique de la raison』という不正確なタイトルで翻訳されている)を書きました。その中で彼らはアメリカ文明を批判し、「過剰な光は目を焼きつぶし、暗黒を作り出す」と言っています。
ツヴァイクは「アメリカ」を「征服する名前」と呼びました。私はそれが何を意味するのか、この名前は実際には何を指しているのか、それを考えてみたのです。制度的な用語で言えば、この名称はterra nulliusというローマ法の概念を、ヨーロッパ人にとって未知の土地に投影したものです。それは、処女地であり、持ち主がおらず、自由に処分可能であると想像される大地の規定です。それがまず「アメリカ」と呼ばれました。先住民は、自分たちの先祖代々の土地が不動産として商品のように扱われることを想像できなかったから、ヨーロッパ人がそれを獲得し所有権を設定するのは容易でした。彼らは自分たちを土地の所有者と宣言し、権利をもたない「インディアン」を追い出して、文明の「フロンティア」をさらに西へと押し進めました。そのように、大地とそこに属するすべての豊かさを私有財産に変え、譲渡可能で証券化可能な不動産に変えたことが、「アメリカ」を特徴づけています。「新世界」とはそういうものだったのですね。大地を商品に転換して売買することが不動産業者のコアビジネスです。だから、トランプ氏が大統領になったときには、アメリカに新たな土地を割り当て、その土壌を執拗に掘って、掘って、掘りまくる(ドリル、ドリル、ドリル!)と呼びかけるのは容易に理解できます。
3)ドナルド・トランプやイーロン・マスクも最近、ヨーロッパにさかんに圧力をかけています。これは、アメリカがつねに自らを「新しい西洋」として提示し、人類を「旧世界」のくびきから「解放」したいという願望を公言してきたことをあらためて示すものなのでしょうか?合州国とヨーロッパとの最近の関係と力関係をどのように考えておられますか。
西谷――その問いにはまず別の問いを立てることで答えましょう。なぜトランプはイーロン・マスクと手を組んだのか?トランプは元不動産業者であるだけでなく、ひとつのポストを求める希望者同士を戦わせ、徐々に排除していくリアリティ番組『アプレンティス』の司会をしていました。一方マスクはデジタル・テクノロジー企業のオーナーであり、プロモーターです。[ほんとうはトランプがプロレスリングの興行者だったことを使いたかったが、フランスではプロレスの話は通じないので、テレビのリアリティー・ショーの話にした。要は、リアルとフェイクの境を取っ払った見世物である。]
イーロン・マスクは、さまざまな技術のフロンティア、特にヴァーチャル化技術で開かれつつある空間、あるいはそのコントロールを私的に独占しようとしているのです。彼は(他のテック企業のオーナーたちと同様)「表現の自由」を楯にとります。そしてそれに関するあらゆる規制を撤廃しようとする。政府効率化省の話もありますが、これは結局のところ、コンピューター化、デジタル化された時代における人間の私的な欲望追求に関するあらゆる制限を無力化するための彼の戦略なのではないでしょうか?
このような「自由」の概念は、典型的にアメリカ的なものです。それは「フリーパス」の要求であって、私権や私物化を優先して公的な制約をすべて取り払うための権限です。実際もうアメリカではあらゆるテクノロジーがすべて「プライバタイズ」で推進されているわけですが、身体を自由にするバイオテクノロジー、人間の思考を無用にする人工知能技術、第二の惑星への新たな「脱出(エグゾダス)」を目指した宇宙開発技術など…。彼は、デジタル化され、ヴァーチャル化されるすべての新資源を自分が「自由に」開発利用できる権利を要求しているのです。このようなプロジェクトは、「新世界」創出(草創期のアメリカ)に関するトランプの願望と一致していると言えます
EUはアメリカ連邦政府に匹敵する規模と経済力を持つ国々の連合体です。だから、トランプ氏はそれを無視して、欧州各国に個別に脅しをかけ、自らの「取引術(ディールの闘技場)」に引き込もうとしているわけです。イーロン・マスクに関しては、欧州諸国のいわゆる極右勢力に公然と肩入れしています。「極右」という定義が今日でも有効かどうかについては疑問ですが、いずれにせよ、彼はトランプ主義者のスローガン「自国第一」に共鳴するすべての人々に呼びかけており、それはEUの軛から抜け出よと言っているようなものです。あたかもEUが彼らにとっての「古い帝国」だと言うかのように。ヨーロッパを揺るがすこの状況は、ソ連崩壊時の旧東欧圏諸国を彷彿とさせます。彼らはヨーロッパ連合への加盟を要求しながらも、「古いヨーロッパ」を嫌ってよりアメリカ的な「新しいヨーロッパ」を要求していました。
4)暗殺未遂事件後、ドナルド・トランプは自身の当選が宗教的で預言的な次元にあることを主張しました。あなたは著書の中で、現代アメリカの神学的・政治的起源を喚起しています。ドナルド・トランプが政権に返り咲いたことで、米国の「明白な運命」の思い込みはさらに強化されると感じますか?
西谷――トランプへの狙撃は、おそらくトランプ氏自身にとっては一種の啓示的意味をもったでしょうが、それは非常に個人的なものにとどまったと思います。彼はもう少しで命を落とすところだった。だから彼は神が自分を守ってくれていると思ったのかもしれない。しかしこの出来事によって、彼が救世主的運命に目覚めたとは思えません。この出来事は、「不当に」奪われた大統領の座を取り戻したいという彼の願望を正当化するとともに、より強化されたことは確かでしょう。そこで果ててしまっては、汚名を被ったままで、そのままにしておくわけにはいけません。それにあの「不屈の男」を絵にかいたような写真があります。あれは印象的だったでしょう。たしかに、トランプは就任演説で、「マニフェスト・デスティニー(明白な運命)を星まで追い求める」と宣言しました("We will pursue our Manifest Destiny into the Stars")。ただし、彼はそのとき聖書に手を置いていませんでした[彼に信仰心などないということ]。
5)ご著書のなかで、あなたは「北米では最初の入植が失敗した後、ヴァージニア植民会社が設立されて、植民地の設営は民間の商業的企業のイニシアチヴで行われた」ということを指摘しています。この歴史に照らして、トランプ大統領と彼の "Art of the Deal "によってアメリカ外交に商業論理が戻ってきたことをどう分析されますか。これはまさに回帰ということなのでしょうか?
西谷――その通りと言うか、そこは大事な点です。アメリカ植民地の開発は、基本的に私的セクターの主導で行われました。マサチューセッツ植民会社、ニューイングランド植民会社…、みな国王の特許状をもって植民地建設を行いました。特許のもとで数年間開墾すると、そこは私有地になる。
そうして開発され、発展した各植民地は、王権の軛(課税)をきらって独立することになったわけです。
だからアメリカ植民地の独立とは、王の帝国的権力を除去して、市民の共和国を作る、言いかえれば私企業が連合して政治権力を排除したようなものです。それがアメリカ国家の基本的性格を規定しています。つまり私企業の連合国家、組合国家だということです。
アメリカは戦後、国際秩序の盟主になることで、秩序のパートナーとして責任も負うことになりました。冷戦期には社会主義圏と対抗する上でそれは必要な負担でもありました。ところがその束縛が解けると、つまり世界全体がアメリカの覇権のもとに置かれると(冷戦の勝利)、もはやアメリカはみずからの国家的本質を全世界の規範とすることができます。それが国家の私企業化です。
アメリカは私企業の連合体であったときに大発展し、世界の主導国になりました。しかし国際秩序の制約と責任で衰退した。だから「MAGA」というわけですが、それは私企業の神輿という性格を取り戻すということでもあるでしょう。
そして、忘れてはならないのは、アメリカの企業は「法人」ですが、アメリカでは「法人」は生身の人間とまったく同じ権利を享受すると定められています。そして企業の目的は株主の利益を守り促進することと定められています。いわゆる「新自由主義」の大原則ですが、その「自由」とは私的存在の欲望追及の自由であり、その自由が法権利として保障されているというのが「新世界」の特徴なのです。だから新自由主義の「新」とは、「新世界」の「新」でもあるのです。
トランプ氏は企業家といっても、前に言ったように不動産屋です。つまり「自然物」を法権利の対象とし、その転換を媒介するのが仕事でした。イーロン・マスクを始めとする「ビッグ・テック」のリーダーたちは、情報革命とインターネット解放後の、あらゆる財のデジタル・ヴァーチャル化で、人間世界に新たなフロンティア、言いかえれば市場の沃野を作り出し、その開発で天文学的利益を独占的に挙げる新しい企業家たちです。彼らの独占的利益は、デジタル・テクノロジーとその活用の私物化によってしか保証されません。だから彼らは、トランプの乱暴な「私権の自由」を標榜する統治(ディール)に合流するわけです。
6)長い孤立主義の伝統を持つ日本から見て、ドナルド・トランプ氏のホワイトハウス復帰はどのように映りますか?
西谷――何世紀もの間、日本は西洋の膨張主義的で「解放する」文明から身を守るために、自国に引きこもる道を選びました。しかし、そのような時代は過ぎ去り、私たちは西洋の近代性を受け入れて久しく、むしろその恩恵を十分に受けてきました。だからもはや昔の伝統に戻ることはできません。
しかし、アメリカの大統領にトランプ氏が返り咲いたことは、アメリカの属国であることに慣れすぎてしまった(アメリカの51番目の州だと言われたこともあります)我が国にとって、歴史的なチャンスとなるかもしれません。このような依存的な関係がアメリカにとって負担が大きすぎるというのであれば、現在200以上の国が存在するこのグローバル化した世界にあって、私たちは依存し・束縛される立場を脱して自立することを学ぶべきでしょう。すでに冷戦が終わったとき、私たちは変化した世界のなかで新たな立ち位置を求めるべきでした。ところが、私たちがしたことは勝利に酔いしれる「帝国」アメリカにひたすら追従しただけでした。それから30年以上が経ち、日本ではしばしば「失われた30年」が語られました。戦後のある時期にアメリカの保護下で獲得した経済的・技術的名声をこの30年間ですっかり失ってしまったということです(公式の理解は逆ですが)。
今日求められているのは、アメリカ合州国との関係を「正常化」すること、そしてそれは必然的に、中国、ロシアだけでなくアジアやアフリカの国々との関係も「正常化」することです。もし米国がもはや国際的な責任を負わないということならば、我々は米国の優位性のない世界に備えなければなりません。これは私たちにとってとてもよい機会です。日本政府はたいへん臆病ながら、それでもその準備をしているように見えます。
二年前にフランスで出版されたL’impérialisme de la liberté, un autre regard sur l’Amérique, Seuil, 2022)――『アメリカ、異形の制度空間』(講談社メチエ,2016年)の仏訳版――をベースに、トランプのアメリカ大統領就任について見解を聞きたいというのだ。ヨーロッパの人びとは、このようなアメリカの分析の仕方をまったくしたことがないようで(日本でも同じだと思う)、両誌(紙)の編集者とも、たいへん啓発されたと喜んでくれた。
Figaroのこのインタヴューは1月25日に本紙とウェブに掲載されることになっているが、私の私的なつごうもあり、半日早くなるが、日本語訳をここに掲載させてもらう。
(翻訳は面倒なのでDeepLに頼ったが、働いてもらったAIくんには悪いが、やっつけ仕事丸出しでとてもひと様に見せられるものではなく、だいぶ手を入れざるをえなかった。)
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○「ドナルド・トランプ米大統領就任記念」フィガロ・インタヴュー
1)ル・フィガロ――ドナルド・トランプは就任前演説の中で、パナマ運河を取り戻しグリーンランドを併合したいという願望をあらためて示しました。そしてカナダに経済的圧力をかけると脅し、アメリカの51番目の州になってはどうかとも言いました。あなたはこうした発言に驚きましたか?あなたはそれを、ご著書で描き出されている合州国の古い帝国的野心の再燃と見ますか?
西谷修――いかにも厚顔な言い方ですが、トランプ氏は自分がアメリカ大統領である以上、こんなふうに言って当然だと思っているのでしょう。彼のとっては、他国を脅したり空かしたりできるのも、アメリカの「偉大さ」の証なのでしょう。これがショッキングに聞こえる理由は、彼が新しい領土や運河の支配を、国際法の問題ではなく私法(権)の問題であるかのように語っているからです。じつはそれがアメリカの伝統に沿ったものでもあるのですが。
注意すべきことは、アメリカの「帝国主義」は、一般的なモデルになっているヨーロッパのそれとは根本的に異なるということです。それは、領土化し植民地にするためにある地域の住民を服従させるのではなく、土着の住民を抹消してそこを空にし、領土を「解放」するというものです。だいかいアメリカ自体が、先住民を排除してそれを自らの「自由」の(フリーな)領域にするということから始まりました。
この「解放」の力学は、その後海外にも広がっていった。アメリカが1898年に「帝国支配からの解放」の名のもとに行った対スペイン戦争によって、フィリピン、グアム、プエルトリコの支配権を2000万ドルで獲得することができたのです。こうして、これらの旧植民地は「古い西洋」の支配から「解放」され、私有財産権に基づく「自由の体制」に服して、アメリカ市場の領域に組み込まれました。こうして、「所有権に基づく自由の帝国主義」はアメリカ大陸を越えて広がり始めました。それが、「古いヨーロッパ」の帝国的支配から領土を「解放」し、アメリカの支配圏に統合するという新しい世界統治の方法なのです。
この新しい手法はじつは不動産業者が使うものと似ており(地上げや転がし)、ドナルド・トランプが政界入りする前にこの職業で財を成したことを忘れてはなりません。国際政治へのこの手法の導入は、彼の最初の任期中には多くの障害に遭遇しました。しかし今回の選挙で、彼は正統性を獲得した。
選挙というのはドメスティック(国内的)なもので、当然ながらアメリカの有権者が選んだのは自分たちの大統領であって、世界全体の大統領ではありません。ところが、アメリカの影響力が絶大であるため、世界中の市民たちは「世界に開かれた大統領」がホワイトハウスに入ることを期待していました。その期待は、選挙に関する国々のメディアの報道にも表れていました。しかし、米国は再びトランプ氏を大統領に選出した。多くの人が「MAGA」に応えたのです。これはソーシャルネットワークなどの影響もあるでしょうが、いずれにせよ、米国は今後しばらくは自国重視の姿勢を打ち出し、大統領も同じように振る舞うということです。
2)新大統領は、メキシコ湾の名称を「アメリカ湾」に変更することも約束しています。「何て美しい名前だ!まったく相応しいじゃないか」と言いながら。これは、あなたが著書で引用しているステファン・ツヴァイクがアメリゴ・ヴェスプッチの伝記に書いた言葉を思い起こさせます。アメリカという名前は「征服する言葉だ。この言葉のうちには暴力性があり(中略)、年々、より大きな領域を併合していく」。なぜアメリカ合州国は大陸全体の名前をとったのでしょう?これは領土拡大の兆候だったのでしょうか?
西谷――確かに、完全母音にはさまれて明るく生き生きとした響きをもつこの名前は美しい。ドイツの若い地理学者ヴァルトゼーミュラーは、この名前を提案した後、自分の「早とちり」を認めて、自身の世界図からこの名前を撤回したのですが、たぶんその響きの良さのため、たちまちヨーロッパに広がり、誰も修正に応じませんでした。そしてこの名称は、ヨーロッパ人が大西洋の彼方に「発見」したすべての土地を覆って指すようになりました。スペインとポルトガルによって大陸南部に植民地化された国々は、ヨーロッパの帝国主義的なやり方で植民地化されました。そして独立後、これらの国々は「ラテンアメリカ」と総称されるようになりますが、どの国も国名に「アメリカ」という修飾語は採用しなかった(多くは現地語を用いた)。
一方、北半球では「アメリカ」は、「処女」とみなされた土地の先住民(インディアン)を排除してゼロから作り出されました。つまり、「私有財産に基づく自由」という「制度的空間」が「新世界」としてここに建設された。その「新世界」の名が「アメリカ」だったのです。
当初、それぞれ「ステート」を名乗っていた東部の13植民地は連携して独立を宣言し、アメリカ合州国を作りました。その後、フランスからルイジアナを買い取り、先住民を追い出して併合します。それから、メキシコからテキサスとカリフォルニアを奪い、あるいは買い取り、いわゆる「フロンティア」を太平洋岸まで伸ばしました。この「フロンティア」は、実際には「拡大するアメリカ」の前線だったわけです。さらに、アメリカはロシアからアラスカを買い取った。そしてスペインとの戦争時には、ついに太平洋のハワイ諸島を併合しました。それ以来、アメリカ合州国を構成する州(ステート)は50を数えるようになっています[これは開かれていて、さらに増えうるわけです]。
ステファン・ツヴァイクは、ナチスに支配された祖国を逃れ、「旧世界」の混沌から遠く離れた「ヨーロッパの未来」を象徴するはずのアメリカ大陸へと向かいました。しかし、ツヴァイクがそこで見たものは、物質的で人工的な文明の繁栄であり、むしろ野蛮で虚栄に満ちたもので、彼が大切にしてきたヨーロッパの未来ではなかった......。同じように、哲学者のアドルノとホルクハイマーは『啓蒙の弁証法』(フランス語では『Dialectique de la raison』という不正確なタイトルで翻訳されている)を書きました。その中で彼らはアメリカ文明を批判し、「過剰な光は目を焼きつぶし、暗黒を作り出す」と言っています。
ツヴァイクは「アメリカ」を「征服する名前」と呼びました。私はそれが何を意味するのか、この名前は実際には何を指しているのか、それを考えてみたのです。制度的な用語で言えば、この名称はterra nulliusというローマ法の概念を、ヨーロッパ人にとって未知の土地に投影したものです。それは、処女地であり、持ち主がおらず、自由に処分可能であると想像される大地の規定です。それがまず「アメリカ」と呼ばれました。先住民は、自分たちの先祖代々の土地が不動産として商品のように扱われることを想像できなかったから、ヨーロッパ人がそれを獲得し所有権を設定するのは容易でした。彼らは自分たちを土地の所有者と宣言し、権利をもたない「インディアン」を追い出して、文明の「フロンティア」をさらに西へと押し進めました。そのように、大地とそこに属するすべての豊かさを私有財産に変え、譲渡可能で証券化可能な不動産に変えたことが、「アメリカ」を特徴づけています。「新世界」とはそういうものだったのですね。大地を商品に転換して売買することが不動産業者のコアビジネスです。だから、トランプ氏が大統領になったときには、アメリカに新たな土地を割り当て、その土壌を執拗に掘って、掘って、掘りまくる(ドリル、ドリル、ドリル!)と呼びかけるのは容易に理解できます。
3)ドナルド・トランプやイーロン・マスクも最近、ヨーロッパにさかんに圧力をかけています。これは、アメリカがつねに自らを「新しい西洋」として提示し、人類を「旧世界」のくびきから「解放」したいという願望を公言してきたことをあらためて示すものなのでしょうか?合州国とヨーロッパとの最近の関係と力関係をどのように考えておられますか。
西谷――その問いにはまず別の問いを立てることで答えましょう。なぜトランプはイーロン・マスクと手を組んだのか?トランプは元不動産業者であるだけでなく、ひとつのポストを求める希望者同士を戦わせ、徐々に排除していくリアリティ番組『アプレンティス』の司会をしていました。一方マスクはデジタル・テクノロジー企業のオーナーであり、プロモーターです。[ほんとうはトランプがプロレスリングの興行者だったことを使いたかったが、フランスではプロレスの話は通じないので、テレビのリアリティー・ショーの話にした。要は、リアルとフェイクの境を取っ払った見世物である。]
イーロン・マスクは、さまざまな技術のフロンティア、特にヴァーチャル化技術で開かれつつある空間、あるいはそのコントロールを私的に独占しようとしているのです。彼は(他のテック企業のオーナーたちと同様)「表現の自由」を楯にとります。そしてそれに関するあらゆる規制を撤廃しようとする。政府効率化省の話もありますが、これは結局のところ、コンピューター化、デジタル化された時代における人間の私的な欲望追求に関するあらゆる制限を無力化するための彼の戦略なのではないでしょうか?
このような「自由」の概念は、典型的にアメリカ的なものです。それは「フリーパス」の要求であって、私権や私物化を優先して公的な制約をすべて取り払うための権限です。実際もうアメリカではあらゆるテクノロジーがすべて「プライバタイズ」で推進されているわけですが、身体を自由にするバイオテクノロジー、人間の思考を無用にする人工知能技術、第二の惑星への新たな「脱出(エグゾダス)」を目指した宇宙開発技術など…。彼は、デジタル化され、ヴァーチャル化されるすべての新資源を自分が「自由に」開発利用できる権利を要求しているのです。このようなプロジェクトは、「新世界」創出(草創期のアメリカ)に関するトランプの願望と一致していると言えます
EUはアメリカ連邦政府に匹敵する規模と経済力を持つ国々の連合体です。だから、トランプ氏はそれを無視して、欧州各国に個別に脅しをかけ、自らの「取引術(ディールの闘技場)」に引き込もうとしているわけです。イーロン・マスクに関しては、欧州諸国のいわゆる極右勢力に公然と肩入れしています。「極右」という定義が今日でも有効かどうかについては疑問ですが、いずれにせよ、彼はトランプ主義者のスローガン「自国第一」に共鳴するすべての人々に呼びかけており、それはEUの軛から抜け出よと言っているようなものです。あたかもEUが彼らにとっての「古い帝国」だと言うかのように。ヨーロッパを揺るがすこの状況は、ソ連崩壊時の旧東欧圏諸国を彷彿とさせます。彼らはヨーロッパ連合への加盟を要求しながらも、「古いヨーロッパ」を嫌ってよりアメリカ的な「新しいヨーロッパ」を要求していました。
4)暗殺未遂事件後、ドナルド・トランプは自身の当選が宗教的で預言的な次元にあることを主張しました。あなたは著書の中で、現代アメリカの神学的・政治的起源を喚起しています。ドナルド・トランプが政権に返り咲いたことで、米国の「明白な運命」の思い込みはさらに強化されると感じますか?
西谷――トランプへの狙撃は、おそらくトランプ氏自身にとっては一種の啓示的意味をもったでしょうが、それは非常に個人的なものにとどまったと思います。彼はもう少しで命を落とすところだった。だから彼は神が自分を守ってくれていると思ったのかもしれない。しかしこの出来事によって、彼が救世主的運命に目覚めたとは思えません。この出来事は、「不当に」奪われた大統領の座を取り戻したいという彼の願望を正当化するとともに、より強化されたことは確かでしょう。そこで果ててしまっては、汚名を被ったままで、そのままにしておくわけにはいけません。それにあの「不屈の男」を絵にかいたような写真があります。あれは印象的だったでしょう。たしかに、トランプは就任演説で、「マニフェスト・デスティニー(明白な運命)を星まで追い求める」と宣言しました("We will pursue our Manifest Destiny into the Stars")。ただし、彼はそのとき聖書に手を置いていませんでした[彼に信仰心などないということ]。
5)ご著書のなかで、あなたは「北米では最初の入植が失敗した後、ヴァージニア植民会社が設立されて、植民地の設営は民間の商業的企業のイニシアチヴで行われた」ということを指摘しています。この歴史に照らして、トランプ大統領と彼の "Art of the Deal "によってアメリカ外交に商業論理が戻ってきたことをどう分析されますか。これはまさに回帰ということなのでしょうか?
西谷――その通りと言うか、そこは大事な点です。アメリカ植民地の開発は、基本的に私的セクターの主導で行われました。マサチューセッツ植民会社、ニューイングランド植民会社…、みな国王の特許状をもって植民地建設を行いました。特許のもとで数年間開墾すると、そこは私有地になる。
そうして開発され、発展した各植民地は、王権の軛(課税)をきらって独立することになったわけです。
だからアメリカ植民地の独立とは、王の帝国的権力を除去して、市民の共和国を作る、言いかえれば私企業が連合して政治権力を排除したようなものです。それがアメリカ国家の基本的性格を規定しています。つまり私企業の連合国家、組合国家だということです。
アメリカは戦後、国際秩序の盟主になることで、秩序のパートナーとして責任も負うことになりました。冷戦期には社会主義圏と対抗する上でそれは必要な負担でもありました。ところがその束縛が解けると、つまり世界全体がアメリカの覇権のもとに置かれると(冷戦の勝利)、もはやアメリカはみずからの国家的本質を全世界の規範とすることができます。それが国家の私企業化です。
アメリカは私企業の連合体であったときに大発展し、世界の主導国になりました。しかし国際秩序の制約と責任で衰退した。だから「MAGA」というわけですが、それは私企業の神輿という性格を取り戻すということでもあるでしょう。
そして、忘れてはならないのは、アメリカの企業は「法人」ですが、アメリカでは「法人」は生身の人間とまったく同じ権利を享受すると定められています。そして企業の目的は株主の利益を守り促進することと定められています。いわゆる「新自由主義」の大原則ですが、その「自由」とは私的存在の欲望追及の自由であり、その自由が法権利として保障されているというのが「新世界」の特徴なのです。だから新自由主義の「新」とは、「新世界」の「新」でもあるのです。
トランプ氏は企業家といっても、前に言ったように不動産屋です。つまり「自然物」を法権利の対象とし、その転換を媒介するのが仕事でした。イーロン・マスクを始めとする「ビッグ・テック」のリーダーたちは、情報革命とインターネット解放後の、あらゆる財のデジタル・ヴァーチャル化で、人間世界に新たなフロンティア、言いかえれば市場の沃野を作り出し、その開発で天文学的利益を独占的に挙げる新しい企業家たちです。彼らの独占的利益は、デジタル・テクノロジーとその活用の私物化によってしか保証されません。だから彼らは、トランプの乱暴な「私権の自由」を標榜する統治(ディール)に合流するわけです。
6)長い孤立主義の伝統を持つ日本から見て、ドナルド・トランプ氏のホワイトハウス復帰はどのように映りますか?
西谷――何世紀もの間、日本は西洋の膨張主義的で「解放する」文明から身を守るために、自国に引きこもる道を選びました。しかし、そのような時代は過ぎ去り、私たちは西洋の近代性を受け入れて久しく、むしろその恩恵を十分に受けてきました。だからもはや昔の伝統に戻ることはできません。
しかし、アメリカの大統領にトランプ氏が返り咲いたことは、アメリカの属国であることに慣れすぎてしまった(アメリカの51番目の州だと言われたこともあります)我が国にとって、歴史的なチャンスとなるかもしれません。このような依存的な関係がアメリカにとって負担が大きすぎるというのであれば、現在200以上の国が存在するこのグローバル化した世界にあって、私たちは依存し・束縛される立場を脱して自立することを学ぶべきでしょう。すでに冷戦が終わったとき、私たちは変化した世界のなかで新たな立ち位置を求めるべきでした。ところが、私たちがしたことは勝利に酔いしれる「帝国」アメリカにひたすら追従しただけでした。それから30年以上が経ち、日本ではしばしば「失われた30年」が語られました。戦後のある時期にアメリカの保護下で獲得した経済的・技術的名声をこの30年間ですっかり失ってしまったということです(公式の理解は逆ですが)。
今日求められているのは、アメリカ合州国との関係を「正常化」すること、そしてそれは必然的に、中国、ロシアだけでなくアジアやアフリカの国々との関係も「正常化」することです。もし米国がもはや国際的な責任を負わないということならば、我々は米国の優位性のない世界に備えなければなりません。これは私たちにとってとてもよい機会です。日本政府はたいへん臆病ながら、それでもその準備をしているように見えます。
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