なぜ「中東・北アフリカ」にこだわるのか?2015/03/22

 中東・アラブ地域問題に関心を寄せるのは、それがわたしの"専門"のフランス絡みの案件だからというわけではない。いま北アフリカから中東地域で起きていることは、日本の現在の急激な変化に密接に関わっている。
 
 安倍政権は去年の「集団的自衛権」容認の閣議決定以来、日本を「戦争ができる国」にするための法整備を急ピッチで進めようとしている。だが、そうなったとき(憲法改変前にせよ後にせよ)、日本が最初に戦争に乗り出すのは東アジアではなく中東地域になるはずだからだ。
 
 「集団的自衛権」を行使するということは、基本的には「アメリカの戦争を手伝う」ということだが、安倍政権はまず自衛隊派兵の地域的限定(「周辺事態」)を外し、かつ、同盟国絡みでなくとも「我国の存立に関わる」と判断されれば派兵できることにしようとしている。そして、とりわけ石油輸送の要所であるペルシャ湾入り口のホルムズ海峡の機雷掃海(イランが敷設すると想定して、オマーンの領海に出張る)には執心のようだ。

 思い起こせば、日本の自衛隊海外派兵への傾斜は、湾岸戦争(1991年)の時、アメリカの呼びかけた戦争を支援した国々のうち、日本は資金面では大きく「貢献」したにも関わらず、それがアメリカ国務省の「感謝リスト」でまったく評価されなかったことがトラウマになって(誰にとって? 外務官僚だ)始まった。そしてアメリカから「派兵」を求められながら、要請に応えられないのは、いつも中東絡みの戦争だったのだ(イラク戦争も)。
 
 だから「アメリカへの貢献」(日本政府はそれを「国際貢献」と言うが)ということで言うなら、自衛隊を出さなければならないのは中東(とそれに連なる)地域なのだ。そこで日本が「軍事貢献」をするとなれば、アメリカは自分の「肩代わり」をする国ができて負担が減るから歓迎する(実際、アーミテッジなどジャパン・ハンドラーが前から要求しているのはそのことだ)。
 
 日本が中国と事を構えるのをアメリカは望まない。だが安倍政権の日本は事実上すでに事を構えている。つまり、アジア太平洋戦争の評価を変えようとしており、それが「歴史問題」や「靖国問題」、「従軍慰安婦問題」になって表れる。それが「戦後秩序」の基本を揺るがすというので、アメリカは安倍政権の「歴史塗り替え」志向をはっきり警戒している。だが、日本が中東「安定化」のために軍隊を送ってくれるというのならアメリカは嫌がらない。というより、面倒な戦争の肩代わりしてくれるならありがたいというところだ。

 そこで日本政府も、だったらそっちで行こう、ということになる。中東で日本が他の西洋諸国なみの「軍事貢献」を行なえば、世界における日本の存在感も一段と増し、国連の常任理事国入りを要求することもできる。そうなったら、世界の一等国、もはや中国に遠慮することもない云々…、直に中国と鍔迫り合いをするのはそれからでもいい…、というわけで、日本の軍事化の照準はまずは中東に合わされている。
 
 ところが、中東や北アフリカに広がっていまアメリカやEUを悩ませているのはふつうの戦争ではない。「テロとの戦争」である。この「戦争」は2001年9月以降、アメリカが性格づけて実際に始め、いわゆる「イラク戦争」を含めてすでに15年近く続け、しだいに荒廃と液状化の領域を広げて、とうとう「イスラム国」のようなモンスターを生み出して、手が付けられなくなってしまった泥沼の抗争である。ここがどういう地域で、「テロとの戦争」の結果この地域の実情はどうなってしまったのか、そういうことを十分に知らなければならない。
 
 その底なし沼に安倍政権は――例によって歴史や地域事情など何も勉強したこともないから――「戦争するチャンス」とばかり、勇んで手を突っ込もうとしている(人質解放に自衛隊?)。それが「強国」どころか、間違いなく「亡国」の道なのである。

 もっとも、少子化が心配されるこの国で、女性の社会的困難を放置し、活動しにくくし、子供に社会問題の原因を押しつけて、そのうえ原子炉のメルト・スルーで4年経っても実情さえ分からない福島第一核惨事の、被害やとほうもない危険が見えないのをいいことに、原発再稼働なんて言っていること自体が「亡国の政治」以外の何ものでもないのだが。

 ともかく、アラブ・イスラーム世界に行き掛かり上いささかの知見をもつ者として、いまこの地域で起きていることに関心を寄せざるをえないのだ。

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