歴史修正主義に乗っ取られた国―『世界』10月号への補足 ― 2019/09/09
久しぶりに『世界』から依頼があって、「令和の夏の日米安保――歴史否認とトランプ式ディール」を寄稿した。6月に、トランプが「日米安保は不公平だ」と発言したことを受けて、日米安保問題をトランプ政権下でのアメリカ外交との関連で書いてほしいという依頼だったと思う。
日米安保の内実やその運用の近年の変化、あるいはいわゆる外交実務について論じるのはわたしの役目ではない(前田さん、梅林さん、太田さん、布施さん、その他がいる)。それに、トランプの発言は日米安保体制そのものを本気で見直そうとしているというより、参院選を避けて夏まで結論を持ち越されていた日米貿易交渉に圧力をかけようとするもの、つまり「ディール」の一環ということだろう。それに、北朝鮮関係を変えたいというトランプには、東アジアあるいはアジア全域を視野に置いた一貫した安全保障戦略があるとは思えない。だから、いま安保論議をすることにあまり緊急の意味があるとは言えない。
それよりも、この夏の緊急課題というなら、何といっても安倍政権が露骨に採り始めた韓国「敵視」政策であり、それが日本の社会で広範に受け入れられるようになっている(「ホワイト国除外」への支持八〇%以上、安倍支持率上昇、野党立憲民主党も基本的に支持…)という事態の異様さだった。日本で「歴史修正主義」がまんまと勝利を収めていることが露呈した、というより、政権はそれが日本政府の姿勢であることを公然と示す「外交」を行い、それが一般的な支持を得ている、ということである。
このことを抜きにして、いま政治の専門家でもない者が政治について発言する意味はない。そう思ってわたしは、与えられた課題の日米安保の問題を、国と国との関係というより、日本の統治層がアメリカ占領軍に対して示した「自発的隷従」、そしてそれなしに成立しない日米安保体制下における「歴史修正主義」の問題として、組み直してまとめた。
案の定、『世界』10月号の特集は1、AI兵器と人類、2、日韓関係の再構築へ、となっていた。日韓問題、というより、日本における対朝鮮半島対応が異様な状況を呈しているという問題だ。もちろん韓国には韓国の国内的な諸々の問題がある。しかしそれは韓国人がみずから解決すべき問題だ。だが、日本はいま、外交問題のすべてを韓国のせいと居直り、かつ韓国内の問題をあげつらい「韓国叩き」をして、ちょうどその分自国の問題には背を向けて悦に入っているかのようだ。その、歴史修正・否認、何といっても同じだが、その国を挙げての没却ぶりははなはだしい(他にそんな国が見当たらないからだ)。いまではもう「戦後レジームからの脱却」は言われない。もちろんその言い方のいい加減さもあって維持できなかったというのも確かだが(「戦後レジーム」とは「日米安保体制」のこととみなすべきだから)、安倍政権の言う「戦後レジーム」はたしかにもう一掃されたのだ。少なくとも、敗戦をなかったことにするかのような「歴史修正」は日本の社会に浸透している。
それが、長く執拗な文部省→文科省教育(=教育破壊)の効果なのか、あるいは経済的な「対米従属」としてのネオ・リベラリズムによる社会の解体(サッチャーは「社会など存在しない」と言ったが、まさに「社会」解体がネオ・リベの眼目なのだ)と、ネット・コミュニケーションによる情報環境劣化を腐植土として生じた事態なのか、いずれにせよ、政権による情報(公文書)隠蔽・改竄・破棄は恒常化し、今では公文書を作成しない・残さないということすら、政府の方針にできる状態になっている。今後は、歴史を修正したり否認したりする必要もないということだ。その路線の上に、現在の「韓国敵視・侮蔑」がある。
「戦争になる」と恐れる人たちがいる。そういう人たちには言いたい、いや、これがもう「戦時態勢」なのだと(「セキュリティ」の名の下に、子飼いの警察官僚が国家セキュリティ委員会のトップに立ち、メディアはすでに「体制翼賛」にしているし、ネット民がかつての隣組のように喜んで「反日・非国民」を探して叩く)。歴史修正主義者が求めるのは、自分たちの勝手し放題の「治世」であって、新たな戦争ではない(彼らの戦争イメージはあまりに古いし、結果責任もとらないから)。せいぜい疑似的センソウ気分のオリンピックを仕切って気勢を上げたり(選手はヘイタイだ)、あるいはカジノを作って胴元気分に浸るぐらいだろう。兵器も制約を吹き飛ばして爆買いするが、それは実戦のためではなく(使えない高価な武器ばかり)、親分の機嫌をとって自分もオモチャで遊べるという一石二鳥のため。この連中は自分たちと独立した国家があるなどと考えていない。国家を私物だと思い込んでいる。それが森友・加計疑惑で露見したことであるし、警察を使って子飼いの記者を逃がす山口事件に露呈したことだ。
これが言える間はまだいい。ただ、「反日」という言葉がメディアに踊る「ふつうの言葉」になったとき、少なくともコミュニケーション環境では事態はすでに「内戦」だということだ。それは「内」の「敵」を炙り出して排除する言葉だからだ。ましてやそれを外国に対して使うのは、他国を他国として認めない傲慢な居直り意識(親分意識)の現れでしかない。
日米安保の内実やその運用の近年の変化、あるいはいわゆる外交実務について論じるのはわたしの役目ではない(前田さん、梅林さん、太田さん、布施さん、その他がいる)。それに、トランプの発言は日米安保体制そのものを本気で見直そうとしているというより、参院選を避けて夏まで結論を持ち越されていた日米貿易交渉に圧力をかけようとするもの、つまり「ディール」の一環ということだろう。それに、北朝鮮関係を変えたいというトランプには、東アジアあるいはアジア全域を視野に置いた一貫した安全保障戦略があるとは思えない。だから、いま安保論議をすることにあまり緊急の意味があるとは言えない。
それよりも、この夏の緊急課題というなら、何といっても安倍政権が露骨に採り始めた韓国「敵視」政策であり、それが日本の社会で広範に受け入れられるようになっている(「ホワイト国除外」への支持八〇%以上、安倍支持率上昇、野党立憲民主党も基本的に支持…)という事態の異様さだった。日本で「歴史修正主義」がまんまと勝利を収めていることが露呈した、というより、政権はそれが日本政府の姿勢であることを公然と示す「外交」を行い、それが一般的な支持を得ている、ということである。
このことを抜きにして、いま政治の専門家でもない者が政治について発言する意味はない。そう思ってわたしは、与えられた課題の日米安保の問題を、国と国との関係というより、日本の統治層がアメリカ占領軍に対して示した「自発的隷従」、そしてそれなしに成立しない日米安保体制下における「歴史修正主義」の問題として、組み直してまとめた。
案の定、『世界』10月号の特集は1、AI兵器と人類、2、日韓関係の再構築へ、となっていた。日韓問題、というより、日本における対朝鮮半島対応が異様な状況を呈しているという問題だ。もちろん韓国には韓国の国内的な諸々の問題がある。しかしそれは韓国人がみずから解決すべき問題だ。だが、日本はいま、外交問題のすべてを韓国のせいと居直り、かつ韓国内の問題をあげつらい「韓国叩き」をして、ちょうどその分自国の問題には背を向けて悦に入っているかのようだ。その、歴史修正・否認、何といっても同じだが、その国を挙げての没却ぶりははなはだしい(他にそんな国が見当たらないからだ)。いまではもう「戦後レジームからの脱却」は言われない。もちろんその言い方のいい加減さもあって維持できなかったというのも確かだが(「戦後レジーム」とは「日米安保体制」のこととみなすべきだから)、安倍政権の言う「戦後レジーム」はたしかにもう一掃されたのだ。少なくとも、敗戦をなかったことにするかのような「歴史修正」は日本の社会に浸透している。
それが、長く執拗な文部省→文科省教育(=教育破壊)の効果なのか、あるいは経済的な「対米従属」としてのネオ・リベラリズムによる社会の解体(サッチャーは「社会など存在しない」と言ったが、まさに「社会」解体がネオ・リベの眼目なのだ)と、ネット・コミュニケーションによる情報環境劣化を腐植土として生じた事態なのか、いずれにせよ、政権による情報(公文書)隠蔽・改竄・破棄は恒常化し、今では公文書を作成しない・残さないということすら、政府の方針にできる状態になっている。今後は、歴史を修正したり否認したりする必要もないということだ。その路線の上に、現在の「韓国敵視・侮蔑」がある。
「戦争になる」と恐れる人たちがいる。そういう人たちには言いたい、いや、これがもう「戦時態勢」なのだと(「セキュリティ」の名の下に、子飼いの警察官僚が国家セキュリティ委員会のトップに立ち、メディアはすでに「体制翼賛」にしているし、ネット民がかつての隣組のように喜んで「反日・非国民」を探して叩く)。歴史修正主義者が求めるのは、自分たちの勝手し放題の「治世」であって、新たな戦争ではない(彼らの戦争イメージはあまりに古いし、結果責任もとらないから)。せいぜい疑似的センソウ気分のオリンピックを仕切って気勢を上げたり(選手はヘイタイだ)、あるいはカジノを作って胴元気分に浸るぐらいだろう。兵器も制約を吹き飛ばして爆買いするが、それは実戦のためではなく(使えない高価な武器ばかり)、親分の機嫌をとって自分もオモチャで遊べるという一石二鳥のため。この連中は自分たちと独立した国家があるなどと考えていない。国家を私物だと思い込んでいる。それが森友・加計疑惑で露見したことであるし、警察を使って子飼いの記者を逃がす山口事件に露呈したことだ。
これが言える間はまだいい。ただ、「反日」という言葉がメディアに踊る「ふつうの言葉」になったとき、少なくともコミュニケーション環境では事態はすでに「内戦」だということだ。それは「内」の「敵」を炙り出して排除する言葉だからだ。ましてやそれを外国に対して使うのは、他国を他国として認めない傲慢な居直り意識(親分意識)の現れでしかない。
18年目の9・11、トランプ、ボルトンを解任 ― 2019/09/12
気がついたら9月11日。日本では、東京の隣の千葉県が台風による大災害(北海道地震のような電気・水道・通信の都市インフラ破綻による被害)に見舞われ復旧が進まないが、安倍政権は今後に向けての「大組閣」に忙しく、赤坂自民亭以上に熱が入って災害など目に入らない。メディアはすっかりその姿勢に乗って、おぞましい小役人たちの当落予想から決定までを、芸能ニュースよろしく一大事であるかのように伝え、テレビなど残りの時間は相変わらず「韓国叩き」に費やして、その背後に文字どおり電気のつかない千葉の夜を押し隠し、花火を挙げて「アベ祭り」を演出している。これが「レイワ初年の日本の秋」だ。
韓国の物議を醸す法相就任をさんざん取り上げたなら、日本の暴言暴行パワハラ議員の法相任命はどうなのかと、問いもしない日本のメディア。言い出したらきりがないのが安倍内閣だが、そのアベ日本が日韓関係でも何でも頼るトランプのアメリカでは、たった一人の政府要人の「更迭」が話題になっている。安全保障担当の大統領補佐官ジョン・ボルトンを、昨日の夜トランプがツイッターで「お役御免」を言い渡したのだ(ボルトンは辞表を出したと言っているが)。トランプが進めたがっていたアフガニスタンのタリバンとの直接交渉が、5日カブールで起きた自動車爆破事件(BBCは「テロ」とは言わないhttps://www.bbc.com/japanese/49630856)で米兵1人が死亡し、8日にキャンプデービットで予定されていたタリバン指導者とアフガニスタンのガニ大統領との秘密会合を中止したその直後ということだ。
9・11から18年、いまも続くアメリカ史上最長の戦争(2300人の米兵が死に――「非対称的戦争」だから相手の死者は数にならない――、今も15000人が派兵されている)をトランプは止めたがったが、ボルトンが最後に邪魔した(自動車爆破を工作した)というのが引き金になったのだろう。ボルトンは先ごろの「イラン危機」でも、日本のアべ首相がのこのこイランの大統領に会いに行ったときに、イランの反政府派エージェントを使って日本のタンカーを偽装攻撃させたことも疑われている。その後、アメリカの無人機が撃墜されたことを受けて、アメリカが報復攻撃に出るその10分前に、結果を予測したトランプが中止命令を出してことなきをえた。
そもそもボルトンがホワイト・ハウスに入ったのは、トランプが選んだ右派・強硬派(力の信奉者)でさえ、従来の国家戦略を無視してやりたいようにやるトランプについて行けなくて、みんな辞めてしまったからである。だから、イラク戦争も自慢し、何でも戦争にして叩くということしか頭にない鼻つまみ者のボルトンが、入り込むことができた。それも安全保障つまり戦争担当だ。だが彼は、アメリカに逆らうのは「敵」、つまり「反米」、「反米」はとにかく軍事力で潰せばよい、そうしてこそアメリカだと考えている。とくにイランは積年の敵で、この機会にともかく叩きたい。ロシアとの核軍縮協定は破棄した。アメリカの軍事力に制約は受けない。南米の「反米」ベネズエラも、潰そうとしている南米マフィアを後押しして軍事介入を探り、マドゥーロ政権を倒そうとする。そしてトランプがやりたがっている北朝鮮取引は何としてでも阻止する(先日の板門店会見にポンヘオはいたがボルトンは姿を見せなかった)。陰謀論風でトランプに切られたスティーヴ・バノンのあとで、ボルトンはもっとドライに(とても正気とは思えないが)強硬策をホワイト・ハウスに仕込んできた。その点は国防相を辞めたマチスの方が現実的だったし、ポンペオももう少し現実的な判断ができるようだし、どうやらトランプの決定にしたがっている。ところがボルトンはリアルはおかまいなし、作ればいいという筋金入りだ。その路線にトランプも引きこもうとする。だからボルトンがホワイト・ハウスに入った頃から、トランプ外交で混乱し始めた世界には、一気に火薬のにおいが立ち始めた。
ベネズエラ情勢は今は停滞しているようだが、そこへの軍事介入(人道的介入という名の)がギリギリで踏みとどまったのは、対イランの緊張も抱えて、トランプだけでなく軍も、二つの戦場は構えたくなかったからだろう(シリアからの撤退は何とか進めても、まだアフガンは残っていたし…)。中国との経済「戦争」もある。これ以上面倒を抱えたくない(トランプは脅すのは好きだが、自分で戦争をする、それもあちこちでやるのはきっと嫌なのだ)。それでボルトンを切ったということだ。
ということは、タリバンとの交渉は頓挫させられたが、その代わり、まさにその代わりイランとの直接交渉の余地が出るかもしれない。時間はかかるだろうが、北朝鮮との交渉も、ホワイト・ハウス内から足を引っ張られることはなくなるだろう。ベネズエラはと言えば、南米マフィアに加えて名うての悪党(エイブラハムズ)を国務省の担当にしてしまったから、ここはまだくすぶるだろう。日本の対韓国関係では、これだけ日本がトランプに貢いでいるので、しばらくは日本の肩を持ち続けてくれるだろうが、北朝鮮対応が絡んでくると、どうなるかわからない。
産経新聞がボルトンの離任を「惜しんで」いる。産経はネオコン路線が好きなのだ。みずからが従属一体化するアメリカがネオコン的に振舞うのが。安倍政権の対韓国姿勢は、その親分のやり方(対中国)を真似したものにすぎない。
★この件、いろいろ考えることがあるが、とりあえず大雑把な印象を。
★[参考] ハンギョレ新聞9/11日より――(…)ボルトン補佐官はこれまで、アフガニスタンやベネズエラ、イラン、北朝鮮などの問題でトランプ大統領と見解の違いを見せてきた。トランプ大統領のアフガニスタン撤退方針に反対してきた彼は、最近、撤退問題を話し合うための会議から排除されたが、遅れて合流した。トランプ大統領は今年春、ベネズエラのマドゥロ政権を追い出すための米国の圧迫作戦が失敗してから、ボルトン補佐官に失望したという。イランに対してもボルトン補佐官は軍事攻撃を主張し、トランプ大統領と意見の食い違いを見せた。北朝鮮の核廃棄方式に関しても、ボルトン補佐官は昨年「リビアモデル」を取り上げて北朝鮮を刺激し、トランプ大統領が「リビアモデルはわれわれの追求するものではない」と収拾した。最近、北朝鮮の短距離ミサイルの試験発射をめぐり、トランプ大統領は「長距離ではない短距離は問題にならない」と述べたのに対し、ボルトン補佐官は「国連の対北朝鮮制裁決議に反する」と攻撃的な立場を示した。(…)
韓国の物議を醸す法相就任をさんざん取り上げたなら、日本の暴言暴行パワハラ議員の法相任命はどうなのかと、問いもしない日本のメディア。言い出したらきりがないのが安倍内閣だが、そのアベ日本が日韓関係でも何でも頼るトランプのアメリカでは、たった一人の政府要人の「更迭」が話題になっている。安全保障担当の大統領補佐官ジョン・ボルトンを、昨日の夜トランプがツイッターで「お役御免」を言い渡したのだ(ボルトンは辞表を出したと言っているが)。トランプが進めたがっていたアフガニスタンのタリバンとの直接交渉が、5日カブールで起きた自動車爆破事件(BBCは「テロ」とは言わないhttps://www.bbc.com/japanese/49630856)で米兵1人が死亡し、8日にキャンプデービットで予定されていたタリバン指導者とアフガニスタンのガニ大統領との秘密会合を中止したその直後ということだ。
9・11から18年、いまも続くアメリカ史上最長の戦争(2300人の米兵が死に――「非対称的戦争」だから相手の死者は数にならない――、今も15000人が派兵されている)をトランプは止めたがったが、ボルトンが最後に邪魔した(自動車爆破を工作した)というのが引き金になったのだろう。ボルトンは先ごろの「イラン危機」でも、日本のアべ首相がのこのこイランの大統領に会いに行ったときに、イランの反政府派エージェントを使って日本のタンカーを偽装攻撃させたことも疑われている。その後、アメリカの無人機が撃墜されたことを受けて、アメリカが報復攻撃に出るその10分前に、結果を予測したトランプが中止命令を出してことなきをえた。
そもそもボルトンがホワイト・ハウスに入ったのは、トランプが選んだ右派・強硬派(力の信奉者)でさえ、従来の国家戦略を無視してやりたいようにやるトランプについて行けなくて、みんな辞めてしまったからである。だから、イラク戦争も自慢し、何でも戦争にして叩くということしか頭にない鼻つまみ者のボルトンが、入り込むことができた。それも安全保障つまり戦争担当だ。だが彼は、アメリカに逆らうのは「敵」、つまり「反米」、「反米」はとにかく軍事力で潰せばよい、そうしてこそアメリカだと考えている。とくにイランは積年の敵で、この機会にともかく叩きたい。ロシアとの核軍縮協定は破棄した。アメリカの軍事力に制約は受けない。南米の「反米」ベネズエラも、潰そうとしている南米マフィアを後押しして軍事介入を探り、マドゥーロ政権を倒そうとする。そしてトランプがやりたがっている北朝鮮取引は何としてでも阻止する(先日の板門店会見にポンヘオはいたがボルトンは姿を見せなかった)。陰謀論風でトランプに切られたスティーヴ・バノンのあとで、ボルトンはもっとドライに(とても正気とは思えないが)強硬策をホワイト・ハウスに仕込んできた。その点は国防相を辞めたマチスの方が現実的だったし、ポンペオももう少し現実的な判断ができるようだし、どうやらトランプの決定にしたがっている。ところがボルトンはリアルはおかまいなし、作ればいいという筋金入りだ。その路線にトランプも引きこもうとする。だからボルトンがホワイト・ハウスに入った頃から、トランプ外交で混乱し始めた世界には、一気に火薬のにおいが立ち始めた。
ベネズエラ情勢は今は停滞しているようだが、そこへの軍事介入(人道的介入という名の)がギリギリで踏みとどまったのは、対イランの緊張も抱えて、トランプだけでなく軍も、二つの戦場は構えたくなかったからだろう(シリアからの撤退は何とか進めても、まだアフガンは残っていたし…)。中国との経済「戦争」もある。これ以上面倒を抱えたくない(トランプは脅すのは好きだが、自分で戦争をする、それもあちこちでやるのはきっと嫌なのだ)。それでボルトンを切ったということだ。
ということは、タリバンとの交渉は頓挫させられたが、その代わり、まさにその代わりイランとの直接交渉の余地が出るかもしれない。時間はかかるだろうが、北朝鮮との交渉も、ホワイト・ハウス内から足を引っ張られることはなくなるだろう。ベネズエラはと言えば、南米マフィアに加えて名うての悪党(エイブラハムズ)を国務省の担当にしてしまったから、ここはまだくすぶるだろう。日本の対韓国関係では、これだけ日本がトランプに貢いでいるので、しばらくは日本の肩を持ち続けてくれるだろうが、北朝鮮対応が絡んでくると、どうなるかわからない。
産経新聞がボルトンの離任を「惜しんで」いる。産経はネオコン路線が好きなのだ。みずからが従属一体化するアメリカがネオコン的に振舞うのが。安倍政権の対韓国姿勢は、その親分のやり方(対中国)を真似したものにすぎない。
★この件、いろいろ考えることがあるが、とりあえず大雑把な印象を。
★[参考] ハンギョレ新聞9/11日より――(…)ボルトン補佐官はこれまで、アフガニスタンやベネズエラ、イラン、北朝鮮などの問題でトランプ大統領と見解の違いを見せてきた。トランプ大統領のアフガニスタン撤退方針に反対してきた彼は、最近、撤退問題を話し合うための会議から排除されたが、遅れて合流した。トランプ大統領は今年春、ベネズエラのマドゥロ政権を追い出すための米国の圧迫作戦が失敗してから、ボルトン補佐官に失望したという。イランに対してもボルトン補佐官は軍事攻撃を主張し、トランプ大統領と意見の食い違いを見せた。北朝鮮の核廃棄方式に関しても、ボルトン補佐官は昨年「リビアモデル」を取り上げて北朝鮮を刺激し、トランプ大統領が「リビアモデルはわれわれの追求するものではない」と収拾した。最近、北朝鮮の短距離ミサイルの試験発射をめぐり、トランプ大統領は「長距離ではない短距離は問題にならない」と述べたのに対し、ボルトン補佐官は「国連の対北朝鮮制裁決議に反する」と攻撃的な立場を示した。(…)
或る日のフェイスブックから――差別と非政治化 ― 2019/09/27
毎日、友人からのFBの投稿をみて、これはと思うものをシェアし、コメントしたいときにはコメントする。FBは基本的には「友達」の間だから、エコチェンバーという話もある。それは承知で。
たとえば今日は、萩生田文科相の下の文化庁が、すでに交付が決定していた「あいちトリエンナーレ」への補助金を交付しないと決定。
これに対して「あいちトリエンナーレ」開催者の大村愛知県知事は、「承服できない」として提訴の構え、と伝える東海テレビの報道。それをシェアするかたちで「京大有志の会」が迅速な抗議投稿。学者の会でもやりたいところだった。
政党関連では、共産党の小池晃が憲法違反かつ脅迫者(テロリスト?)を喜ばせる「暴挙中の暴挙」とツイッターで批判している。
そしてすでに昨夜、アーチストを中心に呼びかけが回って、文科省前で数百人が抗議のデモをしたというニュース。
以上はひとまとまりだが、「沖縄タイムズ+」の阿部岳記者による「「差別する自由」など存在しない」という記事。これは、一貫して差別批判・ヘイトスピーチ報道を続ける神奈川新聞の石橋学記者が、佐久間吾一川崎市議に名誉棄損で告訴された裁判をとり上げ、差別にさらされる沖縄のメディアの立場から援護射撃したもの。
それと、日本オリ・パラ組織委が、北朝鮮にだけIDを発行していないことが判明、というニュース。日本が北朝鮮に独自制裁を課していることが背景にあるというが、日本の組織委はオリンピック精神もものかわ、「お上」の意向のままにシラッと差別・イジメをしているのである。
そんな話題を飽きず毎日拾う。スゥエーデンの少女の国連演説もあった。日米貿易交渉も、オスプレイ墜落の事故処理の問題も、もちろん千葉の災害のことも…。だが、今日拾ったニュースは、近年の政治と権力の問題をあぶりだす軸が集約されているようでもあった。それが「差別」の問題だ。そしてそれを日本の場合に即してコンテクスト化するこんなニュースもあった。
明治維新に伴って生じた「廃仏毀釈」の深刻だった宮崎県で、寺や仏像の状況を知ってもらおうという取り組みがあるという朝日新聞デジタルの記事。実はこれは、戦前の国家神道体制の発端に会った出来事。それ以来日本は仏教国から神道国家になった。その転換のために寺院仏像の全国的破壊があったのである。それ以後わずか半世紀余の「わが世の春」が忘れられず、戦後私的宗教法人に身をやつして生き延びた神社本庁が、雌伏半世紀「日本を取り戻す」として動き出し、歴史修正の運動を下から支え上から煽って、ついに国会を「取り戻す」のに成功した、それを体現するのが日本会議であり神道議員連盟なのである。そしてこの動きの伸張が、いまの日本社会に差別や排他意識を浸透させている元凶でもある。
ついでに言うなら、「日本を取り戻す」この動きは、「自民党をぶっ壊す」小泉改革でフリーハンドを得た。永久与党自民党内部の「抵抗勢力」が駆逐されたからだ。そして同時に小泉改革は、日本社会の「共生」的基盤を壊し(そこに「大災害」が重なり)、社会関係を「人買い=人飼い」業が手綱を握る、分断と自己責任の社会にした。そのシステム化のいわば「棄民」に、差別や排他意識を与えて「自活」させている、というのが安倍政権下の日本だ。
多くの人びとは景気への期待に流され(もう「景気」などよくならないのに)、経済社会の自己責任論に浸されて、喜びも悲しみも私的に何とかするしかないと思いなして「脱政治化」し、「政治化」し声を上げること自体を「わがまま」だと、あるいは「迷惑」だとみなす。そのために権力を得たものは「自由」にその権力を私物のように行使できる。そしてそれが問題化しないよう、機関としてのメディアも裁判所も抑えている。改正する前にすでに「憲法もものかわ」、指摘されてもわからない者たちばかりが権力を手にしているという状況だ。
だとすると、問題は政策の方向(理念)や中身ではない。「政治」(民主主義と言ってもいい)というもの自体が壊れているということだ。だから根本の課題は他でもなく、「政治を取り戻す」ということ、人びとと統治権力との関係を作り直すということである。その課題を担って登場したのがSEALsという新しい「非政治的政治」集団だったが、そのときから基本的課題は変わっていない。
たとえば今日は、萩生田文科相の下の文化庁が、すでに交付が決定していた「あいちトリエンナーレ」への補助金を交付しないと決定。
これに対して「あいちトリエンナーレ」開催者の大村愛知県知事は、「承服できない」として提訴の構え、と伝える東海テレビの報道。それをシェアするかたちで「京大有志の会」が迅速な抗議投稿。学者の会でもやりたいところだった。
政党関連では、共産党の小池晃が憲法違反かつ脅迫者(テロリスト?)を喜ばせる「暴挙中の暴挙」とツイッターで批判している。
そしてすでに昨夜、アーチストを中心に呼びかけが回って、文科省前で数百人が抗議のデモをしたというニュース。
以上はひとまとまりだが、「沖縄タイムズ+」の阿部岳記者による「「差別する自由」など存在しない」という記事。これは、一貫して差別批判・ヘイトスピーチ報道を続ける神奈川新聞の石橋学記者が、佐久間吾一川崎市議に名誉棄損で告訴された裁判をとり上げ、差別にさらされる沖縄のメディアの立場から援護射撃したもの。
それと、日本オリ・パラ組織委が、北朝鮮にだけIDを発行していないことが判明、というニュース。日本が北朝鮮に独自制裁を課していることが背景にあるというが、日本の組織委はオリンピック精神もものかわ、「お上」の意向のままにシラッと差別・イジメをしているのである。
そんな話題を飽きず毎日拾う。スゥエーデンの少女の国連演説もあった。日米貿易交渉も、オスプレイ墜落の事故処理の問題も、もちろん千葉の災害のことも…。だが、今日拾ったニュースは、近年の政治と権力の問題をあぶりだす軸が集約されているようでもあった。それが「差別」の問題だ。そしてそれを日本の場合に即してコンテクスト化するこんなニュースもあった。
明治維新に伴って生じた「廃仏毀釈」の深刻だった宮崎県で、寺や仏像の状況を知ってもらおうという取り組みがあるという朝日新聞デジタルの記事。実はこれは、戦前の国家神道体制の発端に会った出来事。それ以来日本は仏教国から神道国家になった。その転換のために寺院仏像の全国的破壊があったのである。それ以後わずか半世紀余の「わが世の春」が忘れられず、戦後私的宗教法人に身をやつして生き延びた神社本庁が、雌伏半世紀「日本を取り戻す」として動き出し、歴史修正の運動を下から支え上から煽って、ついに国会を「取り戻す」のに成功した、それを体現するのが日本会議であり神道議員連盟なのである。そしてこの動きの伸張が、いまの日本社会に差別や排他意識を浸透させている元凶でもある。
ついでに言うなら、「日本を取り戻す」この動きは、「自民党をぶっ壊す」小泉改革でフリーハンドを得た。永久与党自民党内部の「抵抗勢力」が駆逐されたからだ。そして同時に小泉改革は、日本社会の「共生」的基盤を壊し(そこに「大災害」が重なり)、社会関係を「人買い=人飼い」業が手綱を握る、分断と自己責任の社会にした。そのシステム化のいわば「棄民」に、差別や排他意識を与えて「自活」させている、というのが安倍政権下の日本だ。
多くの人びとは景気への期待に流され(もう「景気」などよくならないのに)、経済社会の自己責任論に浸されて、喜びも悲しみも私的に何とかするしかないと思いなして「脱政治化」し、「政治化」し声を上げること自体を「わがまま」だと、あるいは「迷惑」だとみなす。そのために権力を得たものは「自由」にその権力を私物のように行使できる。そしてそれが問題化しないよう、機関としてのメディアも裁判所も抑えている。改正する前にすでに「憲法もものかわ」、指摘されてもわからない者たちばかりが権力を手にしているという状況だ。
だとすると、問題は政策の方向(理念)や中身ではない。「政治」(民主主義と言ってもいい)というもの自体が壊れているということだ。だから根本の課題は他でもなく、「政治を取り戻す」ということ、人びとと統治権力との関係を作り直すということである。その課題を担って登場したのがSEALsという新しい「非政治的政治」集団だったが、そのときから基本的課題は変わっていない。
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