★日本の「脱原発」、10年の節目を前に(2) ― 2020/02/29
○自由市場の聖火が消えるころ
世界の来歴を振り返り、現代の発端に目を凝らすと…。18世紀前後にヨーロッパ(イギリス)で、天賦の大地が私有化されて、追い出された人びとが都市周辺に吹き溜まり、勃興する産業の窯の焚き木(安価な労働力)となったことはよく知られている。そのころ、大陸の哲学者ライプニッツは、アウグスティヌス以来の「悪」の問題(全能にして善なる神の御業であるこの世界に悪が満ち満ちているのはなぜなのか?)に「合理的」な解答を与えた。個々の観点からすると「悪」と見えることも、全体としての世界が「善」であることに貢献しており、神はあたうかぎり最善の世界を造ったのだと(予定調和説)。これによって「神の国(善)」と「地上の国(悪)」とは、無限を全体に転化する微積分計算によって通約され、全体システムを語る近代世界の視野が開かれた。
すぐ後にロンドンに登場するのが精神科医(魂の医者)バーナード・ド・マンデヴィル。彼は私欲の「罪」に悩む患者(とうぜん金持ち)を治すため、次のような処方を与えた。あなたの悪行は、実は世の中にたいへん貢献している。社会は分業で成り立つ。強盗がいなければ鍵屋は商売にならない。医者もそのおかげで繁盛する。建具屋も、警察だって仕事にありつける。だから、あなたの所業は世を潤し、全体の繁栄に大いに役に立っている。ほら、ロンドンの街をごらんなさい。ドブや掃溜めから異臭が立ちのぼり、浮浪者や犯罪者が跳梁して、物騒なことはなはだしいが、売春宿は今日も繁盛、都会の灯は華やかです。私欲の発露、それこそが社会の原動力、それを束縛してはいけない、自由にやりなさい。「私悪、すなわち公益」と(『蜂の寓話』)。
マンデヴィルの処方はこうして、私欲を思うさま羽ばたかせる「自由」を勧奨した。当時のイギリスの自由主義者たちは、ジョン・ロックが定式化したように、「自由」とは所有に基づくと考えていたから、貧民に自由がないのは当然だとみなしていた。だから貧民救済の社会的措置にも厳しく反対した(ポランニーが問題にした「救貧法」批判)。しかし、慈悲を叱って売春を奨励したマンデヴィルは、あまりに不埒(ひと聞きが悪い)というので禁圧され、後はアダム・スミスが道徳形而上学でガーゼに包んで、「みえざる手」で調整される市場経済をそれらしく理論化した。マルクスはそのカラクリを暴いたが、20世紀にマックス・ウェーバーが「プロテスタンティズム」の勤勉・節制の精神が資本主義を生んだという誤解を広めると、資本家やその追従者たちは、そうだ、それが近代化の原動力で、自由と民主主義のシステムを世界に広めたのだと「プロ倫」を持ち上げた。
だが、社会主義的管理統制の登場を踏み台に、フリードリヒ・ハイエクが留め金を外す。彼はあらゆる制度的拘束や政治の介入を否定し、「個」の無制約な「自由」を主張した。だが、そんな「自由」な市場は存在しない。だから腕づくで作り出すしかない。その「理想」を弟子のミルトン・フリードマンが、クーデターで軍事政権下に置かれた南米チリに適用する。それが現代のグローバル世界を席巻する新自由主義の発端である。
しかしこの「新」自由主義は実はまったく新しくない。というのは、私的欲望の無制約な発露がシステム全体の最適化を生み出すというヴィジョンは、マンデヴィルがあからさまに語っていた「現実」だったから。グローバル化のいまそれが装いを変えて実現してしまったのは、デジタル情報化革命があったからである。人間社会のあらゆる現実が、差異と境界を越えニュートラルな因子に還元され、とめどない情報の奔流に流し込まれる。何から何まで財とされ売り物にされる「全面市場化」の世界である。だが、デジタル情報ネットで「統治」される社会でも、現実に生きる人びとは、まさにマンデヴィルの世界を生きていることになる。そのモーターが核エネルギーであり、デジタル情報技術であり、生命科学他の先端テクノロジーなのである(イノヴェーションが要請する)。
ましな政権をもつ国では、国民・市民の存続のためには原発はやらなくなる。しかし、日本のようにドブ川の目先の餌で身を保つ者たちが国を「取り戻した」ところでは、国は泥船と化して濁流に呑まれるがままに任される。それをごまかすために、視界の悪い行き先に残りの火薬をつぎ込んで祭りをやる。それが都会の賑わいの最後の花火というわけだ。
そんな10年後になるとは誰も予想しなかっただろう。まさに「想定外」である。このように行方を見失った日本の10年の災厄のなかで、ひとり反原連は毎週金曜日に官邸前で、食いつぶされかき曇る「未来」への松明を灯し続けてきた。うす闇の空の下で、今日も「再稼働反対、再稼働反対」とリズミカルに声を上げる黒いシルエットが浮かびあがる。大災厄の翌日のヴィジョンから、ひとつの方向を指す燈明のように、世界の闇からの出口を指して。脱原発、そこがまず動かすべき梃子だから。(了)
世界の来歴を振り返り、現代の発端に目を凝らすと…。18世紀前後にヨーロッパ(イギリス)で、天賦の大地が私有化されて、追い出された人びとが都市周辺に吹き溜まり、勃興する産業の窯の焚き木(安価な労働力)となったことはよく知られている。そのころ、大陸の哲学者ライプニッツは、アウグスティヌス以来の「悪」の問題(全能にして善なる神の御業であるこの世界に悪が満ち満ちているのはなぜなのか?)に「合理的」な解答を与えた。個々の観点からすると「悪」と見えることも、全体としての世界が「善」であることに貢献しており、神はあたうかぎり最善の世界を造ったのだと(予定調和説)。これによって「神の国(善)」と「地上の国(悪)」とは、無限を全体に転化する微積分計算によって通約され、全体システムを語る近代世界の視野が開かれた。
すぐ後にロンドンに登場するのが精神科医(魂の医者)バーナード・ド・マンデヴィル。彼は私欲の「罪」に悩む患者(とうぜん金持ち)を治すため、次のような処方を与えた。あなたの悪行は、実は世の中にたいへん貢献している。社会は分業で成り立つ。強盗がいなければ鍵屋は商売にならない。医者もそのおかげで繁盛する。建具屋も、警察だって仕事にありつける。だから、あなたの所業は世を潤し、全体の繁栄に大いに役に立っている。ほら、ロンドンの街をごらんなさい。ドブや掃溜めから異臭が立ちのぼり、浮浪者や犯罪者が跳梁して、物騒なことはなはだしいが、売春宿は今日も繁盛、都会の灯は華やかです。私欲の発露、それこそが社会の原動力、それを束縛してはいけない、自由にやりなさい。「私悪、すなわち公益」と(『蜂の寓話』)。
マンデヴィルの処方はこうして、私欲を思うさま羽ばたかせる「自由」を勧奨した。当時のイギリスの自由主義者たちは、ジョン・ロックが定式化したように、「自由」とは所有に基づくと考えていたから、貧民に自由がないのは当然だとみなしていた。だから貧民救済の社会的措置にも厳しく反対した(ポランニーが問題にした「救貧法」批判)。しかし、慈悲を叱って売春を奨励したマンデヴィルは、あまりに不埒(ひと聞きが悪い)というので禁圧され、後はアダム・スミスが道徳形而上学でガーゼに包んで、「みえざる手」で調整される市場経済をそれらしく理論化した。マルクスはそのカラクリを暴いたが、20世紀にマックス・ウェーバーが「プロテスタンティズム」の勤勉・節制の精神が資本主義を生んだという誤解を広めると、資本家やその追従者たちは、そうだ、それが近代化の原動力で、自由と民主主義のシステムを世界に広めたのだと「プロ倫」を持ち上げた。
だが、社会主義的管理統制の登場を踏み台に、フリードリヒ・ハイエクが留め金を外す。彼はあらゆる制度的拘束や政治の介入を否定し、「個」の無制約な「自由」を主張した。だが、そんな「自由」な市場は存在しない。だから腕づくで作り出すしかない。その「理想」を弟子のミルトン・フリードマンが、クーデターで軍事政権下に置かれた南米チリに適用する。それが現代のグローバル世界を席巻する新自由主義の発端である。
しかしこの「新」自由主義は実はまったく新しくない。というのは、私的欲望の無制約な発露がシステム全体の最適化を生み出すというヴィジョンは、マンデヴィルがあからさまに語っていた「現実」だったから。グローバル化のいまそれが装いを変えて実現してしまったのは、デジタル情報化革命があったからである。人間社会のあらゆる現実が、差異と境界を越えニュートラルな因子に還元され、とめどない情報の奔流に流し込まれる。何から何まで財とされ売り物にされる「全面市場化」の世界である。だが、デジタル情報ネットで「統治」される社会でも、現実に生きる人びとは、まさにマンデヴィルの世界を生きていることになる。そのモーターが核エネルギーであり、デジタル情報技術であり、生命科学他の先端テクノロジーなのである(イノヴェーションが要請する)。
ましな政権をもつ国では、国民・市民の存続のためには原発はやらなくなる。しかし、日本のようにドブ川の目先の餌で身を保つ者たちが国を「取り戻した」ところでは、国は泥船と化して濁流に呑まれるがままに任される。それをごまかすために、視界の悪い行き先に残りの火薬をつぎ込んで祭りをやる。それが都会の賑わいの最後の花火というわけだ。
そんな10年後になるとは誰も予想しなかっただろう。まさに「想定外」である。このように行方を見失った日本の10年の災厄のなかで、ひとり反原連は毎週金曜日に官邸前で、食いつぶされかき曇る「未来」への松明を灯し続けてきた。うす闇の空の下で、今日も「再稼働反対、再稼働反対」とリズミカルに声を上げる黒いシルエットが浮かびあがる。大災厄の翌日のヴィジョンから、ひとつの方向を指す燈明のように、世界の闇からの出口を指して。脱原発、そこがまず動かすべき梃子だから。(了)
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