『私たちはどんな世界を生きているか』追記2021/01/07

 私は元々はフランス文学・思想の研究者でした。とくに「世界戦争」という極限状況を生きた作家・思想家たちの遺したものから「世界戦争」の意味(西洋文明の成就)と、その大破局によって人間の生存条件がどのように変わったのかを考えてきました。それは『不死のワンダーランド』や『夜の鼓動にふれる』といった著書にまとめましたが、日本人がそんな一般的(人類的)な考察をすることの意味もいつも考えてきたつもりです。私たちは技術・経済・政治の世界的な趨勢のなかに生きていますが、抽象的な人類として生きているわけではなく、日本という言語・社会環境のなかに生きているからです(そういう観点からの「歴史」批判を『世界史の臨界』で試みました)。

 それは「冷戦期」の終った頃でしたが、その後、二十一世紀に入ってアメリカの「9・11」が起こり、冷戦に変わる世界戦争のレジームとして「テロとの戦争」が打ち出されました。そして日本には「3・11」の大災厄が起こりました。それはもちろんヒロシマと同じように世界的かつ文明史的な意味をもつ出来事でした。

 けれども先端技術・経済を動力として現在の世界は、そうしたカタストロフを流し去るようにして、人びとの日々の生活を「未来」の蜃気楼で包んで「前に」進んでいるようです。人類の時間は長いけれど、一人ひとりの生きる時間は限られています。その限られた時間の視野から、私たちは今ある世界との関係を考えています。その尺度から見ると、私のたちの生きているこの世界(そして日本)は、いまいったいどんな状況に置かれているのか、そのことを技術・経済・政治のファクターをもとに示してみたいと思ったのが、この本を作ることになった動機です。

 この思考法には、少なくとも二つの哲学的前提があります。
ひとつは、現在私たちの生きている世界が西洋で作られた規範体系によって組織されているということ(知も制度も意識も、普遍を主張してみずから世界化したその規範体系が標準になっている)。そして、そこに憑依し、あるいは進んで同化するのでないかぎり、私たちは違う来歴をもちながら同化された地域(場)で生きており、その境界は“人間”(言葉を話す生き物)であるかぎり無視できない、ということです。

 簡単にいえば、翻訳は今は便利な機械でできても、日本語で生きることと英語で生きることとは違うということです。ただしそれは、分断のために言うのではなく、分有が可能になるために言うわけです。言いかえれば、普遍は共同ではなく一元化と統合であり、それは超越的ないしはヴァーチャルなものであって、個物の立場に立つことで初めて共同性が可能だということです。

 このことをわざわざ書く気になったのは、『AERA』年末新年合併号で、生物学者の福岡伸一氏が望外の書評を書いてくれたからです。じつは私の「生命の有限性」に関する考察は、ジョルジュ・バタイユが『エロティシズム』で展開した思考を、福岡伸一氏の「動的平衡」という考えで裏打ちしています。直接の話題としては取り上げていませんが、私の「世界論」(「世界はなぜ存在しないか」などというバカな問いを私は立てない)のそこかしこに福岡氏は私の考えの「方法」を過たず読み取ってくれたと感じています。

 それは書評冒頭の、ものごとの理解にとっての「歴史的観点の不可避性あるいは必要性」の指摘にまず表れており、後半の以下の記述はその核心に触れたものです。引用させていただきます。
「(…)それは人間の有限性に対する正常な感覚が失われつつあるからだ。著者は、これを『人間の生存空間、生存領域は成層圏の中』にある、という象徴的な言葉で表明している。この有限性を無化するために作り出されたものは何か。それこそがバーチャル次元である。そしてそれがゆえに『人間の生存の条件そのものを脅かしている』。ここには我が意を得たりという思いがした。」

 これこそは「我が意を得たり」ですが、以下、ロゴスとピュシスに関する福岡氏のコメントは、私が最近折あるごとに引用する箇所でもあります。

 「私は、朝日新聞のコラムで『ウィルスを、つまりもっとも端的なピュシスを、AIやデータサイエンスで、つまりもっとも端的なロゴスによって、アンダー・コントロールに置こうとするすべての試みに反対する』と書いた。ここで言うピュシスとは、人間の生命を含めた“自然”という意味である。自然とは絶えず流転し、生と死があり、有限なものである。ピュシスとしての生命に対する、ヴァーチャルという名のロゴスによる無制限な侵攻にいかに抵抗すべきなのか。そのための正常な感覚こそが『哲学』であるということを宣明した画期的な論考である。」

*なお、『現代思想2020年9月臨時増刊号 総特集=コロナ時代を生きるための60冊』に、福岡氏の『新版 動的平衡』を挙げ、「生物学の工学化に抗する」という一文を寄稿しました。

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