2月の悲報と「テロに屈しない」の罠 ― 2015/02/01
2月は悲報で明けた。それでも一抹の希望をもとうとしていた者にとって、後藤健二さんの件は残念な結果になった。イスラーム国の「顔」には慈悲のひとかけらもないということだ。
だが、この事件が何だったのかは明確に整理しておかねばならない。はっきり言えるのは、過激イスラーム主義者たちが日本を公然と敵視するようになったということだ。「イスラーム国」からの最後のメッセージは嘘ではないだろう。つまりこれからは、どこにいても日本人も標的になるということだ。ただしそれは「アベ」のためである。メッセージは名指しでそう言っている。
今回の人質事件は原因ではなく結果である。何の結果かと言えば、この間の日本政府の姿勢(アメリカの意向に沿う軍事化や、それと連動したイスラエルとの突出した接近)が、長らく培われてきたアラブ・イスラーム世界との良好な関係という資産をついに取り崩したということだ(アラブ諸国やトルコでは親日傾向が強かった)。
そんなことはない、去年からイスラーム国爆撃に加わっている「有志連合」諸国は、「テロに屈しない」姿勢を共有している、と言うかもしれない。しかしそれは、サウジアラビアやアラブ首長国連邦やヨルダンといった、アメリカと結託することで何とか権力や資産を保持している王族の類に限られた話だ。広範な民衆の親日感情は覚めてしまうだろう。かつてはアメリカとも戦ったのに、そして原爆まで落とされたのに、いまでは進んでその尖兵になって、アラブ世界を支配しようとしていると。イスラーム国はそれを口実に使ったのである。
(後になって「人道援助」を強調しても、財界人を引き連れてイスラエルに行き、去年もガザで市民2000人を殺したためにオバマでさえ会おうとしないネタニヤフと親密さを強調して、この「テロとの戦争」の老舗と軍事協力を計り、日本の軍需産業にはずみをつけるためだということは誰でもわかる。)
安倍政権が批判されるのはこの点において、つまり戦後の資産を潰し、わざわざ「敵」を作って犠牲を出した点においてである。そのため、もはや日本人は安心してアラブ諸国にも行けないし、とり沙汰されているように、政府が自衛隊を中東に送って爆撃に加わったりしようものなら、日本本土でテロが起きても不思議はなくなる。
「テロには屈しない」というのは、あらゆる事情に蓋をして、交渉もせず、救えるかもしれない人質を切捨て(「自己責任」か)、みずからの無作為と暴力行使を正当化するためのお題目にすぎない。「屈しない」でどうするのか?爆撃するのか? それはこの十数年(いや、ずっとその前から)アメリカがやってきたことだ。その果てには、さらに異常化した「ハイパー・テロリスト」が生れるだけだろう。「テロをなくす」というのは、それとはまったく別のことなのだ。
アメリカはもちろん、この時とばかり日本に同情と連帯の表明し、自分の道に引き込もうとする。それはオバマだろうがブッシュだろうが同じことだ。
問題の根源は「テロリズム」でも、「イスラーム」という宗教でもない。じつはこれも「歴史問題」なのだ。アメリカ(や英仏)が「テロとの戦争」という問答無用の図式で覆い隠すのは、一九世紀後半からの英仏によるアラブ・イスラーム世界の植民地化と、第二次大戦後のイスラエルを据え付けての中東経営という米英仏による恣意的な戦略と、力によるそのゴリ押しなのだ。「テロ」の一語でその認識を排除することが、いま収拾のつかないこの混乱を生んでいる。
「イスラーム国」という恐るべきモンスターは、第一次世界大戦以来の英米仏によるこの地域の軍事支配を背景に、2001年以来、核以外のあらゆる兵器を使った(劣化ウラン弾や白燐光弾、バンカーバスターやサーモバリックも含めて)殲滅作戦で、業火に焼かれながら生きながらえた米英仏にとっての「害虫」が、ついに手の付けられない特異種に変異してしまった結果にほかならない。「病原体」はやっつけたと思うと、変異して今度はワクチンも効かなくなる。
「テロ」とか「テロリスト」という用語は、暴力の暴発に対する「なぜ」という問いを封じるために使われる。「テロリスト」と決めつければ、その先は一切問わなくてよい。あとはあらゆる手段を使って、問答無用、殲滅だ。安倍はそれに乗ってすべてを「テロ退治」に引きつけようとする。(自分は民主主義手続で権力を与えられた首相、それに抵抗するオキナワ県民は叛徒、まずは「粛々と」機動隊と海保で押し潰す…)
そのやり方はアメリカやイスラエルに習っている。邪魔なものを力で押し潰し、自分を「正義」だと言い張る国が「強国」だとすれば、安倍の求めるのはそういう日本なのだろう。だが、間違っているのは、日本にその「資格」が認められていると思っているところだ。ここに「歴史」が絡んでいる。日本はアメリカに「負けた」国である。その敗戦国が戦勝国の尖兵になったら、それは自分が奴隷であることをに目を覆った奴隷である。「自立」とは戦勝国とは違う道をゆき、独自の地位を築くことだ。それを戦後の日本はしてきたはずなのに、安倍はとち狂ってアメリカに追従し、「テロとの戦争」という破綻した戦に日本を巻き込んで、世界の冷笑を買おうとしている。
後藤さんが殺害されて、いまや「戦場」は国内に移った。山口二郎が東京新聞のコラムで指摘したように、安倍政権は自らに責任のあるこの事件をむしろ奇貨として、「ショック・ドクトリン」よろしく、安保法制整備になだれ込もうとするだろう。日本が「国際社会で名誉ある地位を占める」(日本国憲法)ためにも、今こそ強く安倍批判を打ち出さなければならない。
「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」――日本国憲法前文より。
だが、この事件が何だったのかは明確に整理しておかねばならない。はっきり言えるのは、過激イスラーム主義者たちが日本を公然と敵視するようになったということだ。「イスラーム国」からの最後のメッセージは嘘ではないだろう。つまりこれからは、どこにいても日本人も標的になるということだ。ただしそれは「アベ」のためである。メッセージは名指しでそう言っている。
今回の人質事件は原因ではなく結果である。何の結果かと言えば、この間の日本政府の姿勢(アメリカの意向に沿う軍事化や、それと連動したイスラエルとの突出した接近)が、長らく培われてきたアラブ・イスラーム世界との良好な関係という資産をついに取り崩したということだ(アラブ諸国やトルコでは親日傾向が強かった)。
そんなことはない、去年からイスラーム国爆撃に加わっている「有志連合」諸国は、「テロに屈しない」姿勢を共有している、と言うかもしれない。しかしそれは、サウジアラビアやアラブ首長国連邦やヨルダンといった、アメリカと結託することで何とか権力や資産を保持している王族の類に限られた話だ。広範な民衆の親日感情は覚めてしまうだろう。かつてはアメリカとも戦ったのに、そして原爆まで落とされたのに、いまでは進んでその尖兵になって、アラブ世界を支配しようとしていると。イスラーム国はそれを口実に使ったのである。
(後になって「人道援助」を強調しても、財界人を引き連れてイスラエルに行き、去年もガザで市民2000人を殺したためにオバマでさえ会おうとしないネタニヤフと親密さを強調して、この「テロとの戦争」の老舗と軍事協力を計り、日本の軍需産業にはずみをつけるためだということは誰でもわかる。)
安倍政権が批判されるのはこの点において、つまり戦後の資産を潰し、わざわざ「敵」を作って犠牲を出した点においてである。そのため、もはや日本人は安心してアラブ諸国にも行けないし、とり沙汰されているように、政府が自衛隊を中東に送って爆撃に加わったりしようものなら、日本本土でテロが起きても不思議はなくなる。
「テロには屈しない」というのは、あらゆる事情に蓋をして、交渉もせず、救えるかもしれない人質を切捨て(「自己責任」か)、みずからの無作為と暴力行使を正当化するためのお題目にすぎない。「屈しない」でどうするのか?爆撃するのか? それはこの十数年(いや、ずっとその前から)アメリカがやってきたことだ。その果てには、さらに異常化した「ハイパー・テロリスト」が生れるだけだろう。「テロをなくす」というのは、それとはまったく別のことなのだ。
アメリカはもちろん、この時とばかり日本に同情と連帯の表明し、自分の道に引き込もうとする。それはオバマだろうがブッシュだろうが同じことだ。
問題の根源は「テロリズム」でも、「イスラーム」という宗教でもない。じつはこれも「歴史問題」なのだ。アメリカ(や英仏)が「テロとの戦争」という問答無用の図式で覆い隠すのは、一九世紀後半からの英仏によるアラブ・イスラーム世界の植民地化と、第二次大戦後のイスラエルを据え付けての中東経営という米英仏による恣意的な戦略と、力によるそのゴリ押しなのだ。「テロ」の一語でその認識を排除することが、いま収拾のつかないこの混乱を生んでいる。
「イスラーム国」という恐るべきモンスターは、第一次世界大戦以来の英米仏によるこの地域の軍事支配を背景に、2001年以来、核以外のあらゆる兵器を使った(劣化ウラン弾や白燐光弾、バンカーバスターやサーモバリックも含めて)殲滅作戦で、業火に焼かれながら生きながらえた米英仏にとっての「害虫」が、ついに手の付けられない特異種に変異してしまった結果にほかならない。「病原体」はやっつけたと思うと、変異して今度はワクチンも効かなくなる。
「テロ」とか「テロリスト」という用語は、暴力の暴発に対する「なぜ」という問いを封じるために使われる。「テロリスト」と決めつければ、その先は一切問わなくてよい。あとはあらゆる手段を使って、問答無用、殲滅だ。安倍はそれに乗ってすべてを「テロ退治」に引きつけようとする。(自分は民主主義手続で権力を与えられた首相、それに抵抗するオキナワ県民は叛徒、まずは「粛々と」機動隊と海保で押し潰す…)
そのやり方はアメリカやイスラエルに習っている。邪魔なものを力で押し潰し、自分を「正義」だと言い張る国が「強国」だとすれば、安倍の求めるのはそういう日本なのだろう。だが、間違っているのは、日本にその「資格」が認められていると思っているところだ。ここに「歴史」が絡んでいる。日本はアメリカに「負けた」国である。その敗戦国が戦勝国の尖兵になったら、それは自分が奴隷であることをに目を覆った奴隷である。「自立」とは戦勝国とは違う道をゆき、独自の地位を築くことだ。それを戦後の日本はしてきたはずなのに、安倍はとち狂ってアメリカに追従し、「テロとの戦争」という破綻した戦に日本を巻き込んで、世界の冷笑を買おうとしている。
後藤さんが殺害されて、いまや「戦場」は国内に移った。山口二郎が東京新聞のコラムで指摘したように、安倍政権は自らに責任のあるこの事件をむしろ奇貨として、「ショック・ドクトリン」よろしく、安保法制整備になだれ込もうとするだろう。日本が「国際社会で名誉ある地位を占める」(日本国憲法)ためにも、今こそ強く安倍批判を打ち出さなければならない。
「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」――日本国憲法前文より。
雑誌対談3つ ― 2015/02/17
この間、またブログの更新ができませんでしたが、サボったりスネたりしているわけではありません。日本の転機ともなるだろう年の初めの慌ただしさのなかで行った対談が――実際には年末から――いくつか発表されたのでご紹介させていただきます。
■現代思想3月臨時増刊「宇沢弘文、人間のための経済」
宮本憲一との対談「公害の時代を生きて」
去年11月に亡くなった宇沢さんの特集号で、環境経済学の泰斗宮本憲一さんと対談する機会をえた。実はわたしは宇沢さんと直にお会いしたのは遅く、2009年に民主党政権下で沖縄の普天間基地の「県外移設」が初めて論じられながら、その方針そのものが強烈なバッシングにあって後退しかけていた頃、この状況を座視できないとして知識人・研究者の「声明」をまとめようとしたときのことだった。宇沢さんはそのとき、沖縄の基地問題に道筋をつけることを最後の仕事にしようという意気込みだった。
また、その会の座長として声明をまとめたのが宮本憲一さんだった。『恐るべき公害』(岩波新書、1964年)で「公害」の意識を日本に広めた宮本さんは、沖縄にも関わりが深く、弟子筋の川瀬光義さんと『沖縄論――平和・環境・自治の島へ』(岩波書店、2000年)という本をまとめている。わたしはそれを通して初めて宮本さんの環境経済学と沖縄との深い結びつきを知ることになった。宮本さんは地方自治に関しても著作だけでなく実質的なお仕事もされているが、その「自治」というのが単なる地方行政のことではなく、まさに経済を経由する地域の「自立」の問題であることを早くから説いていた。
今回の対談では、都留重人さんや宇沢さんの生きた時代のコンテクストを、宮本さんの立場から語ってもらうことで、戦後の日本社会への経済学の介入に立体的な見透しつけるよう努めた。ほとんどは宮本さんの独壇場だが、さまざまなエピソードも交えながらじつに理路整然と経済・環境・自治について語っていただいた。
■世界3月号 「この道しかないはずはない!」中野晃一との対談。
安倍政権下での選挙と政策について、立憲デモクラシーの会で活躍する上智大学の中野晃一さんとの対談。暮れの選挙でまた明らかになった「政治のネオリベ化」や、経済的なネオリベラリズムと日本の「国家保守主義」との組み合わせによる日本社会の病理の分析、そして欧米における「単一思考」を日本に持ち込んだ「この道しかない」のキャッチフレーズによるオルタナティヴの排除等、日本の政治の現状を、主としてヨーロッパの歴史的状況を参照しながら議論した。わたしは大したことは言えなかったが、気鋭の研究者中野さんからかなり見透しのよい分析を引き出しせたことで任は果たせたと思う。
■現代思想3月臨時増刊号「シャルリ・エブド襲撃/イスラム国人質事件の衝撃」
2月下旬刊行予定のこの緊急増刊号で、現中東学会会長(千葉大教授)の栗田禎子さんと対談した。わたしが主としてシャルリ・エブド事件について、栗田さんは中東情勢とイスラーム国について発言し、双方の見解をすり合わせたが、これはかなり密度の濃い対談になったと思うのでぜひ読んでいただきたい。約20ページある。
「私はシャルリー」を標語に街頭に出た370万のフランス人について、少し希望的な方に傾きすぎたような気もするが(多様性共存への要請だと)、フランス社会の亀裂や分断は深く、そこにしか出口はないということだ。それはEUの中心国では多かれ少なかれ共通しているし、日本にもパラレルな状況がある。
移民問題のつけとネオリベ政策による社会解体、それに加えてヨーロッパではいつも背後でイスラエル問題がからんでいる。日本にはそれはないはずだったが、安倍首相は好き好んでこのファクターをもちこんでしまった。
2月10日前後に、外大のときの最後の学生の博士論文審査に参加するため一週間ばかりフランスに行った。事件の余波のなかでいろいろ考えさせられたが、それについてはまた別の機会に。
■現代思想3月臨時増刊「宇沢弘文、人間のための経済」
宮本憲一との対談「公害の時代を生きて」
去年11月に亡くなった宇沢さんの特集号で、環境経済学の泰斗宮本憲一さんと対談する機会をえた。実はわたしは宇沢さんと直にお会いしたのは遅く、2009年に民主党政権下で沖縄の普天間基地の「県外移設」が初めて論じられながら、その方針そのものが強烈なバッシングにあって後退しかけていた頃、この状況を座視できないとして知識人・研究者の「声明」をまとめようとしたときのことだった。宇沢さんはそのとき、沖縄の基地問題に道筋をつけることを最後の仕事にしようという意気込みだった。
また、その会の座長として声明をまとめたのが宮本憲一さんだった。『恐るべき公害』(岩波新書、1964年)で「公害」の意識を日本に広めた宮本さんは、沖縄にも関わりが深く、弟子筋の川瀬光義さんと『沖縄論――平和・環境・自治の島へ』(岩波書店、2000年)という本をまとめている。わたしはそれを通して初めて宮本さんの環境経済学と沖縄との深い結びつきを知ることになった。宮本さんは地方自治に関しても著作だけでなく実質的なお仕事もされているが、その「自治」というのが単なる地方行政のことではなく、まさに経済を経由する地域の「自立」の問題であることを早くから説いていた。
今回の対談では、都留重人さんや宇沢さんの生きた時代のコンテクストを、宮本さんの立場から語ってもらうことで、戦後の日本社会への経済学の介入に立体的な見透しつけるよう努めた。ほとんどは宮本さんの独壇場だが、さまざまなエピソードも交えながらじつに理路整然と経済・環境・自治について語っていただいた。
■世界3月号 「この道しかないはずはない!」中野晃一との対談。
安倍政権下での選挙と政策について、立憲デモクラシーの会で活躍する上智大学の中野晃一さんとの対談。暮れの選挙でまた明らかになった「政治のネオリベ化」や、経済的なネオリベラリズムと日本の「国家保守主義」との組み合わせによる日本社会の病理の分析、そして欧米における「単一思考」を日本に持ち込んだ「この道しかない」のキャッチフレーズによるオルタナティヴの排除等、日本の政治の現状を、主としてヨーロッパの歴史的状況を参照しながら議論した。わたしは大したことは言えなかったが、気鋭の研究者中野さんからかなり見透しのよい分析を引き出しせたことで任は果たせたと思う。
■現代思想3月臨時増刊号「シャルリ・エブド襲撃/イスラム国人質事件の衝撃」
2月下旬刊行予定のこの緊急増刊号で、現中東学会会長(千葉大教授)の栗田禎子さんと対談した。わたしが主としてシャルリ・エブド事件について、栗田さんは中東情勢とイスラーム国について発言し、双方の見解をすり合わせたが、これはかなり密度の濃い対談になったと思うのでぜひ読んでいただきたい。約20ページある。
「私はシャルリー」を標語に街頭に出た370万のフランス人について、少し希望的な方に傾きすぎたような気もするが(多様性共存への要請だと)、フランス社会の亀裂や分断は深く、そこにしか出口はないということだ。それはEUの中心国では多かれ少なかれ共通しているし、日本にもパラレルな状況がある。
移民問題のつけとネオリベ政策による社会解体、それに加えてヨーロッパではいつも背後でイスラエル問題がからんでいる。日本にはそれはないはずだったが、安倍首相は好き好んでこのファクターをもちこんでしまった。
2月10日前後に、外大のときの最後の学生の博士論文審査に参加するため一週間ばかりフランスに行った。事件の余波のなかでいろいろ考えさせられたが、それについてはまた別の機会に。
『不死のワンダーランド』ドイツ語訳刊行 ― 2015/02/18

しばらく前から楽しみにしていた『不死のワンダーランド』のドイツ語訳がとうとう刊行された。いまはベルギーのゲント大学で教えるアンドレアス・ニーハウス氏がホソイ・ナオコさんと組んでかれこれ7~8年がかりで訳してくれたものだ。その他、日本からの留学生もチェックに参加してくれたようだ。
バタイユ、ブランショ、レヴィナス、それにハイデガーと、ドイツ語圏では比較的なじみのフランスの作家・思想家の読解をベースにした議論、それもヨーロッパではなく日本で深められた議論に、どれだけ読者がいるのかわからないが、それでも楽しみではある(もともとこの本はそんなに多くの読者を想定しているわけではないが)。
この本は、アウシュヴィッツとヒロシマを、単にはなはだしい惨事としてではなく、存在論的に照応させて考えるということにかけては、ほとんど先駆的だったと思う。いまでは並べて語られるのは月並みになってしまっているが、それでもその根拠があまり深く考えられたことはないようだ(だから、また今になってハイデガーの隠していた『黒ノート』が物議をかもす)。
本当ならフランス語に訳してほしいものだったが、これも読者の作ってくれた縁のなせるわざである。21世紀スポーツ文化研究所の稲垣正浩さんが、かつてケルンで半年間スポーツ史についてのゼミナールを行なったとき、興味をもってこのゼミに出席していたのが訳者のニーハウスさんだった。稲垣さんが理論的な解釈や展開のときによく言及するニシタニとは何者かと興味をもち、それが機縁でニーハウスさんはとうとう『不死のワンダーランド』の翻訳に取り組むことになった。その意味では、稲垣さんには感謝の至りである。
ただし全訳ではない。何分分量も多かったため(昔の小さ目の活字で430ページもある)、訳者と協議して講談社文庫版をベースにし、ハイデガー論争の部分を削って、2002年の増補版に付した論文を訳してもらった。その結果、この増補版の半分程度の分量になった。
だから構成は以下の通りだ。
Ⅰ ドイツ語版へのはしがき
Ⅱ 不死のワンダーランド
1 〈ある〉、または〈存在〉の夜と霧
2 死の不可能性、または公共化する死
3 〈不安〉から〈不気味なもの〉へ
4 〈不死〉のワンダーランド
5 〈共に在る〉とはどういうことか、共同体と死/不死の論理
Ⅲ 解題 フクシマの死(小林敏明)
Ⅳ 訳者付記
1~4が実質論議の部分で、5は増補版に付け加えたまとめと展開ということになる。時節がら「ハイデガーの褐色のシャツ」や「数と凡庸への諾と否」も加えておけばよかったとも思うが、訳者にまたたいへんな負担をかけることになる。
また、ドイツ在住でライピツィヒ大学で哲学を教える小林敏明さんが解題の労をとってくれた。行き届いた紹介に感謝している。
*Wunderland der Unsterblichkeit: Mit einem Nachwort von Kobayashi Toshiaki, Übersetzt und herausgegeben von Andreas Niehaus und Hosoi Naoko, Iudicium (24 Januar 2015)
ISBN-13: 978-3862054084
http://www.iudicium.de/katalog/86205-408.htm
バタイユ、ブランショ、レヴィナス、それにハイデガーと、ドイツ語圏では比較的なじみのフランスの作家・思想家の読解をベースにした議論、それもヨーロッパではなく日本で深められた議論に、どれだけ読者がいるのかわからないが、それでも楽しみではある(もともとこの本はそんなに多くの読者を想定しているわけではないが)。
この本は、アウシュヴィッツとヒロシマを、単にはなはだしい惨事としてではなく、存在論的に照応させて考えるということにかけては、ほとんど先駆的だったと思う。いまでは並べて語られるのは月並みになってしまっているが、それでもその根拠があまり深く考えられたことはないようだ(だから、また今になってハイデガーの隠していた『黒ノート』が物議をかもす)。
本当ならフランス語に訳してほしいものだったが、これも読者の作ってくれた縁のなせるわざである。21世紀スポーツ文化研究所の稲垣正浩さんが、かつてケルンで半年間スポーツ史についてのゼミナールを行なったとき、興味をもってこのゼミに出席していたのが訳者のニーハウスさんだった。稲垣さんが理論的な解釈や展開のときによく言及するニシタニとは何者かと興味をもち、それが機縁でニーハウスさんはとうとう『不死のワンダーランド』の翻訳に取り組むことになった。その意味では、稲垣さんには感謝の至りである。
ただし全訳ではない。何分分量も多かったため(昔の小さ目の活字で430ページもある)、訳者と協議して講談社文庫版をベースにし、ハイデガー論争の部分を削って、2002年の増補版に付した論文を訳してもらった。その結果、この増補版の半分程度の分量になった。
だから構成は以下の通りだ。
Ⅰ ドイツ語版へのはしがき
Ⅱ 不死のワンダーランド
1 〈ある〉、または〈存在〉の夜と霧
2 死の不可能性、または公共化する死
3 〈不安〉から〈不気味なもの〉へ
4 〈不死〉のワンダーランド
5 〈共に在る〉とはどういうことか、共同体と死/不死の論理
Ⅲ 解題 フクシマの死(小林敏明)
Ⅳ 訳者付記
1~4が実質論議の部分で、5は増補版に付け加えたまとめと展開ということになる。時節がら「ハイデガーの褐色のシャツ」や「数と凡庸への諾と否」も加えておけばよかったとも思うが、訳者にまたたいへんな負担をかけることになる。
また、ドイツ在住でライピツィヒ大学で哲学を教える小林敏明さんが解題の労をとってくれた。行き届いた紹介に感謝している。
*Wunderland der Unsterblichkeit: Mit einem Nachwort von Kobayashi Toshiaki, Übersetzt und herausgegeben von Andreas Niehaus und Hosoi Naoko, Iudicium (24 Januar 2015)
ISBN-13: 978-3862054084
http://www.iudicium.de/katalog/86205-408.htm
接近するフランスと日本 ― 2015/02/24
2月10日前後に、東京外大のときの最後の学生がパリ8大学に博士論文を提出し、その審査会に参加するため一週間ばかりフランスに行った。シャルリ・エブド襲撃事件の余波のなかでいろいろ考えさせられたが、これについてはつい最近出た『現代思想』の増刊号が充実した情報・議論を集めている。
未整理がだ、最近のフランスと日本との接近について、その要点のいくつかを確認のために挙げておこう。
フランスが注目されるのは、もちろん、シャルリ・エブド事件から日本人人質事件と、一挙にいわゆるイスラーム過激派、とりわけ「イスラーム国」絡みでのつながりができてしまったことがあるが、それだけでなく、この間、日本がフランスに急速に接近しているという事情があるからだ。その接近は福島第一の原発事故処理で始まり、その後の再稼働と原発維持政策をめぐっての協力だけでなく、日本政府が解禁した武器輸出と攻撃兵器の導入方針によって、日仏の防衛関係者と軍需産業との間て水面下の接近が進んでいる。全般的姿勢としてみれば、それは両国の「テロとの戦争」への前のめり、それとイスラエルとの関係に現れている。
「対アルカイダ」ではフランスは慎重な面もあったが、去年の「イスラーム国」台頭以後、フランスは「テロとの戦争」に積極的になった。それは、イスラーム国がフランスの伝統的な「勢力圏」であるシリアに深く関わっているということもあるが、「アラブの春」以来のEUのアラブ・イスラーム地域への軍事介入(とくにフランスのリビア空爆)によって、その地域のその後の混乱がEU域内に地続きで浸透するようになったからだ。
その背後には、「テロとの戦争」という「最長の戦争」に倦み疲れた観のあるアメリカの後退があり(オバマは兵を引きたい)、イスラエルの極右化とそれが煽る「反ユダヤ主義」の影があり、フランスや日本が「応分の働き」を求められる(世界秩序維持のために応分の負担をする)という圧力があるからだ。
そこにシリアとウクライナはどう絡んでいるか? オバマ大統領は任期二年になって選挙を気にしなくてよくなり、去年末から外交関係の整理に入っている。まずは冷戦期の遺産といってよいキューバとの関係改善の準備に入り、またブッシュ政権以来のCIAによる拷問の実態を公表、さらに今年になって、去年初めのウクライナ政変でのCIAの介入を明かにした。これは9・11以後のネオコン=ネオリベ路線の「テロとの戦争」による世界統治が引き起こした新たな緊張関係(そこにはロシアの封じ込めも含まれる)の緩和を目指すものと見てもよいだろう。
シリアとウクライナはもう国の一体性を保つのは不可能なほど分裂・崩壊している。ということは、第二次大戦で決まった国境線はもはや根拠を失って揺らいでいるということだ。それは紛争地自体から生じたことではない。ウクライナはアメリカ系資本とCIA(経済と軍事)が欲を出してここに危機を作り出し(「民主化と自由経済」の御旗)、ロシアの強硬化を誘って頓挫した結果だ。またシリアは、アメリカを焚き付けながらフランスがアサド政権打倒に深く関与したことから内戦状態になった。そこにすでに崩壊していたイラクの状況も結びついて、その結果、西洋的な国家ゲームからすり抜ける「イスラーム国」が登場してしまった。けれども、「ウェストファリア体制はもう古い」と宣言して国家間秩序を壊す「テロとの戦争」を始めたのは9・11後のアメリカであり、今日の各所での「国家崩壊」はその帰結でもあるのだ。
オバマはこの状況を緩和しようとしているが、日本とフランスは今になって「ネオコン=ネオリベ路線」を代替して、周回遅れの「金と力による世界統治」に乗り出そうとしているようにみえる。
ギリシアの新政権が最初のEUとの交渉に「挫折」し、当面EUの支援と引き換えの緊縮策を受け入れる姿勢に転じたが、フランスの論調を見ていると、貧乏人が貧乏になる構造の上に胡坐をかいて、貧乏人に生活の仕方を教える金持ちのような姿勢である。
国際関係としてみればそういうことだが、フランス社会の崩壊も根深い。いま国内に100の荒廃団地があるという。そこはほとんどフランス国家の外で、法治ではなく放置されている。この30年間でそういう地区を作ってしまった。その統合ができないかぎり、フランスはほとんどアパルトヘイト国家になるだろう。
未整理がだ、最近のフランスと日本との接近について、その要点のいくつかを確認のために挙げておこう。
フランスが注目されるのは、もちろん、シャルリ・エブド事件から日本人人質事件と、一挙にいわゆるイスラーム過激派、とりわけ「イスラーム国」絡みでのつながりができてしまったことがあるが、それだけでなく、この間、日本がフランスに急速に接近しているという事情があるからだ。その接近は福島第一の原発事故処理で始まり、その後の再稼働と原発維持政策をめぐっての協力だけでなく、日本政府が解禁した武器輸出と攻撃兵器の導入方針によって、日仏の防衛関係者と軍需産業との間て水面下の接近が進んでいる。全般的姿勢としてみれば、それは両国の「テロとの戦争」への前のめり、それとイスラエルとの関係に現れている。
「対アルカイダ」ではフランスは慎重な面もあったが、去年の「イスラーム国」台頭以後、フランスは「テロとの戦争」に積極的になった。それは、イスラーム国がフランスの伝統的な「勢力圏」であるシリアに深く関わっているということもあるが、「アラブの春」以来のEUのアラブ・イスラーム地域への軍事介入(とくにフランスのリビア空爆)によって、その地域のその後の混乱がEU域内に地続きで浸透するようになったからだ。
その背後には、「テロとの戦争」という「最長の戦争」に倦み疲れた観のあるアメリカの後退があり(オバマは兵を引きたい)、イスラエルの極右化とそれが煽る「反ユダヤ主義」の影があり、フランスや日本が「応分の働き」を求められる(世界秩序維持のために応分の負担をする)という圧力があるからだ。
そこにシリアとウクライナはどう絡んでいるか? オバマ大統領は任期二年になって選挙を気にしなくてよくなり、去年末から外交関係の整理に入っている。まずは冷戦期の遺産といってよいキューバとの関係改善の準備に入り、またブッシュ政権以来のCIAによる拷問の実態を公表、さらに今年になって、去年初めのウクライナ政変でのCIAの介入を明かにした。これは9・11以後のネオコン=ネオリベ路線の「テロとの戦争」による世界統治が引き起こした新たな緊張関係(そこにはロシアの封じ込めも含まれる)の緩和を目指すものと見てもよいだろう。
シリアとウクライナはもう国の一体性を保つのは不可能なほど分裂・崩壊している。ということは、第二次大戦で決まった国境線はもはや根拠を失って揺らいでいるということだ。それは紛争地自体から生じたことではない。ウクライナはアメリカ系資本とCIA(経済と軍事)が欲を出してここに危機を作り出し(「民主化と自由経済」の御旗)、ロシアの強硬化を誘って頓挫した結果だ。またシリアは、アメリカを焚き付けながらフランスがアサド政権打倒に深く関与したことから内戦状態になった。そこにすでに崩壊していたイラクの状況も結びついて、その結果、西洋的な国家ゲームからすり抜ける「イスラーム国」が登場してしまった。けれども、「ウェストファリア体制はもう古い」と宣言して国家間秩序を壊す「テロとの戦争」を始めたのは9・11後のアメリカであり、今日の各所での「国家崩壊」はその帰結でもあるのだ。
オバマはこの状況を緩和しようとしているが、日本とフランスは今になって「ネオコン=ネオリベ路線」を代替して、周回遅れの「金と力による世界統治」に乗り出そうとしているようにみえる。
ギリシアの新政権が最初のEUとの交渉に「挫折」し、当面EUの支援と引き換えの緊縮策を受け入れる姿勢に転じたが、フランスの論調を見ていると、貧乏人が貧乏になる構造の上に胡坐をかいて、貧乏人に生活の仕方を教える金持ちのような姿勢である。
国際関係としてみればそういうことだが、フランス社会の崩壊も根深い。いま国内に100の荒廃団地があるという。そこはほとんどフランス国家の外で、法治ではなく放置されている。この30年間でそういう地区を作ってしまった。その統合ができないかぎり、フランスはほとんどアパルトヘイト国家になるだろう。
ユンタクル~・辺野古キャンパス学習会 ― 2015/02/27

フランスから帰ったその週の金曜に、ICUの千葉真さんの依頼で平和研究所で沖縄についての小さなセミナーを行った。いまなら行けると思い立って沖縄行きを決めた後だった。終わってからそのことを告げると、会場に来ていたSUSPLのM君(沖縄出身)が、じゃその日に辺野古で授業をやってくれませんか、と言う。
いまどき本土からのこのこ出かけて行って沖縄の人にできる話はないよ、と一旦は辞退したが、考え直して、辺野古に来ている学生たちの気分転換でちょっとした勉強になるなら、やってもいいよと返事。1日連絡がなかったが、それからが早かった。
沖縄の仲間たちと調整がついたようで、すぐにFB用のチラシができ、現地の学生グループ・ユンタクル~とexSUSPLの共催のような形で、辺野古キャンパス出張授業の段取りが整った。2月26日夜8時から、辺野古キャンプ・シュワッブ前テント脇勉強会。
行きは那覇から友人のNさんに辺野古まで送ってもらい、午後遅く着。ちょうどこの日は内閣府沖縄総合事務局がテント撤去命令の期限と定めた日。7、80人の人たちがテントに陣取って、前々日釈放された山城博治さんの陣頭指揮のもと、機動隊や総合事務局職員と何度かのやりとりがあり、夜も何があるかわからないと国側の動きに神経をとがらせている。
暗くなってきた頃、M君から伝えられた学生の名を挙げて、Sさんいる~?とあてずっぽうに声をかけると、脇の方からハーイ私ですか?とSさんが出てきてくれた。後はG君、Yさん、Hさん…、ぞくぞくと仲間が現れる。そこで、まずは腹ごしらえと、テントで炊き出しの夕食をそれぞれにとり、8時を回った頃、テントから少し離れたところに車座に簡易イスをならべて準備、G君の司会で「学習会」の店開きとなった。
プロジェクターの用意もあったようだが、この晩はテントが撤去されるかもしれないというので、使わないことにした。代わりに、コンビニで用意してきたレジュメを配布。ところが、暗いなかからこんなにも若い人たちがいるのかと思うほどぞくぞくと集まってくる。話しが進み始めたころには30人ぐらいいただろうか。声はたぶん通ったはずだが、どこかからハンドマイクももってきて設置してくれた。
話は「戦後70年」とはどういうものだったのか、「非戦の日本と戦争の世界」、世界における「戦争」の推移(冷戦からグローバル化、そして「テロとの戦争」)、そして「沖縄の戦後70年」、戦後世界秩序の無理な再編と国家間秩序の綻び、イラク・シリア・ウクライナ、そこでの安倍政権下の日本の方向、そして「沖縄のオートノミー」といったことだ。
ちょっと風呂敷を広げたが、その要点をかいつまんで話し、沖縄の「地鳴り」の意味を世界のコンテクストのなかにおいて私なりに解説してみた。
途中、また総合事務局がやってきたというので中断したりし、その中断を中休みにして都合1時間半ほど話し、それからは質疑応答で10時半過ぎまで車座は続いた。若い人たちに交って年配(というほどでもない)の人も多少いたが、みんな熱心に耳を傾けてくれた。たぶん、現場にいつも釘づけになっている意識に、少し距離のある見透しを開くきっかけにはなったのだろう。
即席のユーチューブで東京にいるM君たちもこの車座に参加していたようだ。新基地建設が強引に進められているキャンプ・シュワッブ入口の前で、座り込みに参加している若い学生たちに語り掛けながら共に考えるという(それも闇のなかで)、とてもよい時間を過ごさせてもらった。
*ビデオを「ユンタスクール!」で観られます。http://www.ustream.tv/recorded/59281395
ひとりでふらっと辺野古に来るという機会をM君ら学生たちが捉えてくれ、こんな機会を作ってくれたことに感謝したい。また、これをきっかけにいろいろな人たちが沖縄に出かけるとき、今の沖縄の問題に向き合い取り組もうとしている人たちの「勉強」の機会を作ったりすることができれば、若い人たちの志や運動にも力になるのではないかと思う。
帰りはSさんの車に乗り合いで夜中すぎに那覇まで送ってもらった。学生諸君には感謝・感謝である。
今日はこのことで『琉球新報』文化部の宮城さんの取材を受けた。たぶん、昨日の話しの内容も含めて、近日中に記事になるはずだ。
いまどき本土からのこのこ出かけて行って沖縄の人にできる話はないよ、と一旦は辞退したが、考え直して、辺野古に来ている学生たちの気分転換でちょっとした勉強になるなら、やってもいいよと返事。1日連絡がなかったが、それからが早かった。
沖縄の仲間たちと調整がついたようで、すぐにFB用のチラシができ、現地の学生グループ・ユンタクル~とexSUSPLの共催のような形で、辺野古キャンパス出張授業の段取りが整った。2月26日夜8時から、辺野古キャンプ・シュワッブ前テント脇勉強会。
行きは那覇から友人のNさんに辺野古まで送ってもらい、午後遅く着。ちょうどこの日は内閣府沖縄総合事務局がテント撤去命令の期限と定めた日。7、80人の人たちがテントに陣取って、前々日釈放された山城博治さんの陣頭指揮のもと、機動隊や総合事務局職員と何度かのやりとりがあり、夜も何があるかわからないと国側の動きに神経をとがらせている。
暗くなってきた頃、M君から伝えられた学生の名を挙げて、Sさんいる~?とあてずっぽうに声をかけると、脇の方からハーイ私ですか?とSさんが出てきてくれた。後はG君、Yさん、Hさん…、ぞくぞくと仲間が現れる。そこで、まずは腹ごしらえと、テントで炊き出しの夕食をそれぞれにとり、8時を回った頃、テントから少し離れたところに車座に簡易イスをならべて準備、G君の司会で「学習会」の店開きとなった。
プロジェクターの用意もあったようだが、この晩はテントが撤去されるかもしれないというので、使わないことにした。代わりに、コンビニで用意してきたレジュメを配布。ところが、暗いなかからこんなにも若い人たちがいるのかと思うほどぞくぞくと集まってくる。話しが進み始めたころには30人ぐらいいただろうか。声はたぶん通ったはずだが、どこかからハンドマイクももってきて設置してくれた。
話は「戦後70年」とはどういうものだったのか、「非戦の日本と戦争の世界」、世界における「戦争」の推移(冷戦からグローバル化、そして「テロとの戦争」)、そして「沖縄の戦後70年」、戦後世界秩序の無理な再編と国家間秩序の綻び、イラク・シリア・ウクライナ、そこでの安倍政権下の日本の方向、そして「沖縄のオートノミー」といったことだ。
ちょっと風呂敷を広げたが、その要点をかいつまんで話し、沖縄の「地鳴り」の意味を世界のコンテクストのなかにおいて私なりに解説してみた。
途中、また総合事務局がやってきたというので中断したりし、その中断を中休みにして都合1時間半ほど話し、それからは質疑応答で10時半過ぎまで車座は続いた。若い人たちに交って年配(というほどでもない)の人も多少いたが、みんな熱心に耳を傾けてくれた。たぶん、現場にいつも釘づけになっている意識に、少し距離のある見透しを開くきっかけにはなったのだろう。
即席のユーチューブで東京にいるM君たちもこの車座に参加していたようだ。新基地建設が強引に進められているキャンプ・シュワッブ入口の前で、座り込みに参加している若い学生たちに語り掛けながら共に考えるという(それも闇のなかで)、とてもよい時間を過ごさせてもらった。
*ビデオを「ユンタスクール!」で観られます。http://www.ustream.tv/recorded/59281395
ひとりでふらっと辺野古に来るという機会をM君ら学生たちが捉えてくれ、こんな機会を作ってくれたことに感謝したい。また、これをきっかけにいろいろな人たちが沖縄に出かけるとき、今の沖縄の問題に向き合い取り組もうとしている人たちの「勉強」の機会を作ったりすることができれば、若い人たちの志や運動にも力になるのではないかと思う。
帰りはSさんの車に乗り合いで夜中すぎに那覇まで送ってもらった。学生諸君には感謝・感謝である。
今日はこのことで『琉球新報』文化部の宮城さんの取材を受けた。たぶん、昨日の話しの内容も含めて、近日中に記事になるはずだ。
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