「戦争ができる国」を牛耳るのは誰か2015/07/25

昨日発売の「図書新聞」(8/01付)、「特集:戦争法案に反対する」に寄せた一文です。編集長の須藤さんが、夜の国会前の集会で配っていたとか(五野井郁夫さんによる、写真も)。急遽頼まれ、「談」のかたちで書きました。京都の藤原辰史さん、岡野八代さん、沖縄の新城郁夫、阿部小涼、笠井潔に細見和之、みんなコンパクトなパンチのきいたものを書いています。おすすめ!
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 今回の「戦争法案」ほど邪悪な意図で作られ、騙しの手口で無理押しされようとしている法案はないでしょう(←政府がこういうことしちゃアカン)。だいたいこれには「平和安全法案」とか「国際平和支援法」とかの名前が付けられていますが、まず虚偽表示で、普通なら「ガサ入れ・逮捕」ものです。もう誰もが知っているように、これはアメリカの戦争に自衛隊を世界中どこでも派遣できるようにする一括法改正なのだから。

 「隣国」アメリカの火事を消すためとか言うけれど、アメリカは自分のところにボヤが出ると、火元を断つと言って地球の反対側にまで火を付けてまわる放火魔です。自衛隊は消防車を出すどころか、もう息切れしているその放火魔の助っ人になって、砂漠にまで火を付けに行くというわけです。

 安倍首相のような連中が、そこまでアメリカの手伝いをしたいのは、そうすれば戦争に完敗した日本が堂々と軍隊をもてると思っているからですね。軍隊さえあれば一人前、というつもりのようだけれど、アメリカが認めなければ軍隊はもてないわけ。それを「日米同盟」で「対等の関係」というのも倒錯で、実質的には米軍に組み込まれてその下請けになるだけですね。

 けれども日本の今の支配層(政権を作り支えている連中)がそれを「隷属」と思わないのは、彼らの父祖(戦前の統治層は、敗戦後のアメリカへの身売りで責任を免れて多くは生き延びている)が二十世紀前半に中国を足蹴にして食い物にしてきた過去のトラウマで、この最大の隣国を敵視しかできないという抜きがたい観念に固まっているからです。だから彼らの頭の中では、日本列島はアジア大陸周辺にあるのではなく、背中を丸めたエビのようにカリフォルニア沿岸にぶっ飛んでしまっている。

 よく「戦争ができる国」と言われますが、それは法制度上のことで、その「国」を誰が牛耳るのかを見ておかないといけません。今グローバル経済の効果で世界中どこでも国の階層化が進んでいて、各国の統治層同士はグローバル市場で利益を共有し、国内には貧富の差がひどくなって階層が拡大再生産されている。そのコントロールが課題なわけですが、国家は事実上グローバル化で利益を吸い上げる連中の乗り物になっています。そこで振り落とされる階層を糾合するために、「悪の元凶」を外部に見立てて戦争態勢(これがいま「安全保障」と呼ばれています)が作られる。

 日本の場合はそれが「美しい国」と見立てられますが、そのモデルは明治でも大正でもなく、「殉国美談」で粉飾された昭和戦争期の日本です。皆が進んで「御国」のために身を捧げ、その上に統治者たちが君臨する「ヤマト」の国ですね(自民党の改憲草案にはっきり表れています)。でも、世界から見ると「カミカゼ」が特攻する狂気の国です。

 つまり「戦争ができる国」というのは、統治者たちが「わが軍」といって使える軍隊をもち、うちも軍隊を出せますよと言って、国民がアメリカの戦争に送り込まれる、そういう国です。「戦争ができる」のは統治者だけで、国民はその「弾」になるだけです。

 だからいまの政権や、それに乗りそれを支える財界人や官僚などの統治層は、いかにも国家優先のようなことを言いながら、高齢化社会にもまともに対応せず、TPP推進で明かな「売国」協定を目指し、それでも自分たちが「国益」を守るようなことを言いますが、実際は彼らは日本という国を自分たちの都合だけで横領しているのだと言った方がよい。

 安倍政権はそのためのあらゆる施策(ほとんど「亡国政策」としか言いようのない)を進めています。その要になっているのが「安保法制」です。「国の形」に直に触れる法案ですから。だから、大震災と原発事故の結果をすべて民主党に押しつけてアベノミクスの幻想で、まんまと衆議院で三分の二をせしめた今しかないとばかり、強引な「解釈改憲」でこの法案を押し通そうとしています。

 ところが、その統治体制が、「アンダーコントロール」の大嘘で引っ張ってきたオリンピックのメイン会場ひつと作れない、無責任迷走状態。原発再稼働も、辺野古新基地無理押しも同じです。もう屋台骨が崩れかけているのに、それでもこれらすべてを押し通そうとしている。

 戦後七十年目にしてこのような極悪の政権ができることによって、かえって、第二次大戦での敗戦の意味とか、「非戦」を規定した戦後憲法の意義とか、日本のいわゆる「戦後レジーム」というもののカラクリも、剥き出しでよく見えるようになった。そして今まで、護憲か改憲かで論じられていた憲法も、憲法があることそのものの意味にまで立ち戻って考えられるようになりました。その意味で現在の「危機」は、日本にとってきわめて啓発的な「危機」だということができるでしょう。(談)

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