政治家も多くのメディアも読み違えていた秋の陣2017/10/07

 舛添辞任、小池知事登場後の都議選で、森友・加計疑惑を隠す安倍自民党が大敗(57→23)、小池知事の作った新党「都民ファースト」(米トランプの標語にあやかった命名)が大勝して55、民進党も少ない議席を減らした。民進5に対して共産党は2増の19だった。

 この結果を見て、共産党にも大きく水をあけられた民進党は焦ったのだろう。評判の芳しくなかった蓮舫代表は、国籍問題も持ち上がって野田幹事長とともに辞任し、内閣改造、閉会中審議のあった夏をかけて代表選を行い、前原新代表を選んだ。二重国籍を問題にしたのはもちろん右派だった。井出栄策の消費増税再分配理論に傾倒した前原は、ネオリベから社民的考えに変わったとも言われて、一部に多少の期待ももたせた。

 (前原は民主党政権の失敗を踏まえ、財政再建のための消費増税を貫くことで「責任政党」たる軸を打ち出すつもりだったのだろう。だが、井出理論は階層化容認のうえ、現在の日本の行政機構や財政執行体制を考えれば空論でしかない。それに、現在焦眉の政治の争点はそこではなく、安倍政権の体質と憲法・安保問題なのだが、前原はそこをかわして代表になった。)

 永田町で右往左往する政治家たちの間では、旧維新と合同した民進党が求心力を持てないのは、共産党に引きずられて中途半端な「リベラル」路線に流されているからだ、改憲問題や安保法制で「現実的」な路線を打ちだせず、「反対政党」に留まって「責任政党」としての姿勢を打ちだせないからだ、といった固定観念があったのだろう(それも「民主党政権「失敗」のトラウマだ)。だから、安倍自民の乱暴な政権運営に批判が強くなっても、その批判票の受け皿に民進党がなれないのだ、と。

 だから前原代表は、この解散を千載一遇のチャンスと見て小池都知事の立ちあげた新党に合流することを考えた。相手は「小池人気」しかない新党、民進党のそれでも残っている基盤と人材と資金があれば、風船のような新党の実質を取ることで民進党の「衣替え」ができると。そのための最大限の手土産が、民進からは候補を出さない、つまり党を解消して「希望」に移るという、いわば身売りだった。

 しかしそうは行かないのはその後の経緯が示す通りだった(先に民進を見限って「希望」に移った連中が、閻魔大王よろしく民進候補者に「踏み絵」を課した等の詳細にはここでは踏み込まない)。

 前原や永田町で浮足立つ者たちは見誤っていた。政治を報道し論評するメディア関係者たちもそうだ。この五年の「安倍の天下」でしだいに湧き起ってきた「反安倍」の機運は、もはや「サヨク」の反対ではない。多数を頼んだ強引な権力行使と、森友・加計で露呈した政治のあからさまな私物化、それへの批判を権力やメディア操作で押し流そうとする、盗人猛々しいやり方への怒り、そんな政権が国や国民の命運を思いのままにしようとする事態への、ふつうの市民の怒りや不安や危機感だったのだ。

 そのことが、民進党の議員たちには届かなかった。民進党はむしろ自民党や主要メディアからの、「責任政党」になれという批判に応えようとした。その結果が、安保法制や改憲への「現実的対応」であり、そのために「リベラル」派を黙らせ排除するという前原の選択だった。

 それでは、この間、身銭を切り時間も割き文字どおりボランティアで安倍批判の声を挙げてきた広範な市民たちの思いを受け止めることはできない。むしろそういう政党をなくすことになってしまう(共産党はあるが、共産党は「共産」の旗を降ろすことのできない政党だ)。市民は「まともな政治」を目指してくれる、そして多くの市民の思いを反映してくれる政治勢力を渇望していた。そういう思いの広がりを読み取れず、逆に前原らはそれに応える党内勢力を潰そうとしたのだ。

 総選挙準備のドタバタのなか、違憲安保法制反対を市民とともに闘った議員たちが急遽作った立憲民主党は、その思いをを受けとめて誕生した。だからケンミンは一気に結集軸へと押し上げられたのである。

 いずれにせよ今度の解散総選挙、安倍政権の作り出した「国難」(国権の私物化・政治の崩壊と、トランプ・アメリカへの国売り、それをごまかす北朝鮮危機と軍事化)を「突破」するために、わざわざ安倍が投げ出してくれた機会である。

 多くの市民が求めるのは、こういう政治状況を打破すること、そのために小選挙区制のもとでともかく野党が共闘し、ひとつでも自公議席を減らして打撃を与えることである。政策論議はその後でいい。むしろ、まともな論議(憲法・税制・外交・社会構想等々)を成立させるためにも、いまの「安倍の国難」をまず切り抜けなけなければならない。妄想と嘘とごまかしと居直りの、こんな政治は続かないということを安倍一党に思い知らせなければならない。

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